Nihonbashi, Tokyo in Edo Period (17th century)

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地図上の説明については松本企画様のご提供となっております。
画像はウィキメディア・コモンズよりhttp://commons.wikimedia.org/wiki/File:Edo_l241.jpg~http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Edo_l249.jpgを接合しております。

update date: 2024.01.19

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Number of spots : 5spots

  • 老舗 Edo Zu(17th century)landmark

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    中央大通り沿いには、海苔、鰹節などを売る老舗が数件見られます。現在の室町一丁目や本町一丁目付近は、江戸時代は日本橋川で荷揚げされた魚や干物などを商う魚河岸がありました。 関東大震災を機に築地に移転するまでの300年余り、江戸・東京の魚市場として、この地は大変賑わったのです。 © 松本企画

  • 江戸橋 Edo Zu(17th century)landmark

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    日本橋の下流側にあるこの橋は、「昭和通り」を渡す、この川筋で一番交通量の多い橋です。もっとも、昭和通りがつくれらたのは関東大震災後であり、江戸時代初期(嘉永8(1631)説有)、現在の位置より数10m下流に設置されたのが本来の江戸橋です。 江戸時代、川の東側は魚河岸として賑わい、西側には倉庫が立ち並ぶなど江戸の物流拠点としての景観が広がっていました。 © 松本企画

  • 日本橋南詰西側 Edo Zu(17th century)landmark

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    江戸時代、この場所には高札(幕府のお触れなどを知らせる札)場がありました。江戸に6ヶ所しかない大高札場の一つであり、ここにだけ設置される高札もありました。日本橋周辺は幕府の権威を示す象徴的な場所でもあったのです。 明治時代には、この場所で人力車の営業が始まり急速に全国に広まったとも言われます。 © 松本企画

  • 日本橋 Edo Zu(17th century)landmark

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    東海道の起点となった橋です。江戸時代には火災などで19回改築し、明治6年(1873)に西洋式木橋に改築、明治15年には鉄道馬車が開通し、明治36年には路面電車が開通、明治44年には石造り2連の道路橋になりました。 高度成長期に架けられた高速道路は景観破壊になるとして、撤去が求められています。 © 松本企画 写真: 1933年当時の日本橋

  • 中央通り Edo Zu(17th century)landmark

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    江戸時代の通称は「通り町筋」。慶長8年(1603)に日本橋が造られた後に江戸のメインストリートとして整備され、京橋にかけて商業の中心地として栄えました。 通りの片側で威厳を放つ三越は、1673年に越後屋呉服店として本町一丁目に開業しました。 © 松本企画