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  • 大垣高等女学校(『大垣案内』大正5年、大垣市立図書館)

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  • 船町高橋付近

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     大垣市は杭瀬川・揖斐川・水門川に囲まれ水運の便がよく、西濃地域の中心地として発展した。船町港は、大垣城の外堀である水門川にあった川港で、大垣と桑名を結んだ。昭和初期には、年間1万艘もの舟が行きかったと言われる。

  • 郭町郡役所(『大垣案内』大正5年、大垣市立図書館)

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     もとは郭町の南はずれにあった家老屋敷が、明治34年から郡役所として利用された。その後、現在大垣城ホールがあるあたりへ移転してきた。

  • 大垣商工会議所(『大垣案内』大正5年、大垣市立図書館)

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  • 神宮斎会大垣本部(『大垣案内』大正5年、大垣市立図書館)

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     神宮斎会大垣本部があった場所は、現在は岐阜地方裁判所大垣支部になっている。

  • 俵町通り(『大垣案内』大正5年、大垣市立図書館)

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     大正12年まで大垣共立銀行の本店は俵町にあった。当時は土蔵作りの建物で入り口にのれんがぶら下がっていた。その後、現在の郭町交差点東南に移転した。

  • 本町通り(『大垣案内』大正5年、大垣市立図書館)

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     戦前の本町通りは呉服店が軒を連ね、俵町、竹島町へと続く最大の繁華街であった。写真左手には靴屋の看板が見える。旧21号線が開通して本町は2丁目が分断され、南側に数店舗が取り残された。かつては七夕の時期になると、人通りも多く、活気があった。

  • 県立大垣商業学校(『大垣案内』大正5年、大垣市立図書館)

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    明治38年に郭町から南寺内町に移転した。大正11年に禾森町に移転するまで使われた。現在は大垣東高等学校となっている。

  • 大垣招魂社(『大垣案内』大正5年、大垣市立図書館)

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      明治4年(1871年)、元大垣藩主・戸田氏共が戊辰戦争の戦死者54名を祀るため招魂祠を創建したのに始まる。明治8年に官祭招魂社となって大垣招魂社に改称した。日露戦争の戦勝祝賀が盛大に挙行された。昭和14年、招魂社の制度が護国神社に改められたのに伴い濃飛護國神社と改称した。

  • 大垣高等女学校(『大垣案内』大正5年、大垣市立図書館)

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     高砂町に明治33年高等女学校が開校した。その後、昭和24年大垣中学校と統合し、大垣北高等学校が誕生した。

  • 八幡神社(『大垣案内』大正5年、大垣市立図書館)

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     建武年間、大垣が大井荘と呼ばれ東大寺領であったため、東大寺の鎮護神である手向山八幡宮を勧請して建てられれた。1451年藤江町から現在の西外側町に移され、藤江町の方は「元八幡宮」といわれる。戦国時代、戦火で焼失したが、大垣藩主戸田氏鉄が八幡神社を再建整備した。その際、藩主から10ヶ町に3両の山車が下賜され、10ヵ町は10両の山車を曳き回したのが大垣祭りの始まりである。

  • 大垣市役所(『大垣案内』大正5年、大垣市立図書館)

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     現在の大垣郵便局あたりに大垣町役場があった。大正5年(1918年)の市制施行にともない、大垣市役所となった。

  • 塩田橋(『大垣案内』大正5年)

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     杭瀬川の塩田橋は、美濃路上にかけられている。陸路で関西から大垣へ至る入り口であり、河川交通の要衝であった。現在は、車や人通りもまばらで、昔の面影はうかがい知れない。

  • 船町高橋附近(『大垣案内』大正5年、大垣市立図書館)

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    住吉燈台をはさんで、西側には青果市場があった。大正末期までは、全昌寺の境内で青果物の競り市が開かれていた。東側は、瓶屋町といった。

  • 郭町警察署付近(『大垣案内』大正5年、大垣市立図書館)

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  • 常葉神社(『大垣案内』大正5年、大垣市立図書館)

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  • 大垣中学校(『大垣案内』大正5年、大垣市立図書館)

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    現在のスイトピアセンター、図書館に大垣中学校があった。