不折を知って高遠を歩こう[平成23年(2011)]

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高遠出身の洋画家・書家、中村不折(慶応2年(1866)-昭和18年(1943))の書跡が残る高遠内の書、碑文などのロケーションマップ。
2011年、サロン不折の企画により、長野県立高遠高校芸術専攻書道コース生徒が取材し、制作しました。
不折の作品としては、夏目漱石「吾輩ハ猫デアル」挿絵や新宿中村屋、清酒日本盛、真澄の商標などが目を惹きます。
このマップは「地域発 元気づくり支援金事業」を利用し制作しました。

update date: 2023.07.28

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Number of spots : 15spots

  • 高遠小学校

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    ■進徳修業 (編集:高遠高校芸術コース書道専攻 高嶋 慈) 高遠藩校・進徳館の精神を意味した四文字熟語。書体は丸みを意識して書かれていて、字が濃く全体的に字の一つ一つが重く書かれている。他の作品には見られない位階(従五位)が書かれており珍しい作品で、小学校に飾るにふさわしい作品です。 ■河南黌 (編集:高遠高校芸術コース書道専攻 久保田 早季) 昭和58(1983)年まで河南小学校にあったが、現在は高遠小学校に保存されている。この作品は、不折ならではの味わいや趣を残しつつ、見る人に不折らしいのか、あるいはそうでないのかを考えさせる書体で、墨の色もほかの作品に比べて濃く、存在感を感じさせる作品となっている。 ■嶽色江聲 (編集:高遠高校芸術コース書道専攻 久保田 早季) この書は、高遠小学校、高遠中学校それぞれ一作品ずつあり、書体は変えて書かれている。高遠中学校にある作品は力強く、勢いよく書かれているのに対し、高遠小学校の作品は、墨の色がとても薄く、力なくおぼろげに書かれている。そのやわらかい雰囲気がさらに良い味を出している。

  • 菊屋商店

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    菊寿園(現在:非公開) 作品を保存している菊屋商店は、元はお菓子を営んでいました。お菓子屋に不折は住み込みで働き午前中は勉強をしていろと言われましたので、不折は屋根裏で数学や漢字、習字などを勉強していたそうです。この書は、不折が有名になり現在のご主人の祖父が東京へ行き書いてもらったのは、不折の晩年であったそうです。

  • 伊那市商工会

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    ■高遠商工会 (編集:高遠高校芸術コース書道専攻 岡部 祐輝) 作品の制作年代は不明だが、現在の商工会館の建物は、建て替えられたものであり、作品はそれ以前から会館内にあったとされている。建て替え後には、新たな額に表装された。作品は隷書で書かれており、とても不折らしい作品と言える。会館の公開時間は8時30分~17時。

  • 高遠町図書館

    スポット画像未設定

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    ■龍眠帖 [ 編集:高遠高校芸術コース書道専攻 高嶋 慈]   「龍眠帖」は、不折が病を煩った際、療養中に書いた習作。俳人・河東碧梧桐に送ったところ、彼は強く出版を進め、 不折は渋ったが、明治41年(1908)10月に発行となった。 書家の本家からは批判され、新進気鋭の芸術家からは絶賛されて評価は二分したが、 不折が何を思いながら書いたのかを考えさせる作品となっている。

  • 鉾持神社

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    ■「縣社鉾持神社」 (編集:高遠高校芸術コース書道専攻 安西 旭宏) 「縣社鉾持神社」昭和19年9月10日に製作された石碑で神社の入口に建てられているため、最初に目に留まる。 正面に大きく書かれた「縣社鉾持神社」は、不折ではなく伊澤多喜男が書であり、 その「証明」をしたのが不折つまり他の作品と違い、不折自身の書ではなく、不折が本物であることを裏打ちした作品です。 ■古畑慶三先生の碑 (編集:高遠高校芸術コース書道専攻 安西 旭宏) 昭和15年11月に鉾持神社の駐車場に建てられていた古畑慶三先生の句碑で、書かれている字は丸く、初期の頃の不折の字が楽しめる作品となっている。 奥まった場所にあって、見学には困難を要するが、句碑を見て和み、また碑が置かれた場所から高遠町が一望できて再び和むため見に行って損はない。

  • 鉾持神社参道

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    ■矢島里遊の句碑(非公開) (編集:高遠高校芸術コース書道専攻 安西 旭宏) 大正10(1921)年8月に小松氏の曽祖父・矢島里遊氏の息子と甥の古希の記念に作られたもの。一般的に知られている布折の書とは違い、どちらかというと一般人が書くような字で、非常に丁寧に書かれているため、本当に不折が書いたものかと疑うほどである。新たな不折の魅力を知り、楽しむことができる作品。

  • 建福寺

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    白鳥拙庵先生の碑 (編集:高遠高校芸術コース書道専攻 内田 隼多) 不折の書の師である白鳥拙庵先生の庵の碑で、制作されたのは昭和2(1927)年春。  不折は、中国の西安碑林にある、寅武将軍碑をベースにして書いたとされており、 統一感のある落ち着いた字と筆管の回転による線の揺れが特徴的。 現在は建福寺の境内に置かれています。

  • マルエ

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    ■不折館 (編集:高遠高校芸術コース書道専攻 長谷川 直哉) マルエ店内に個人蒐集で集められた資料が展示しています。店内を奥へ進み「不折館」へ一歩足を踏み入れるとそこには、「酔李白」や「永寿」といった不折作品の中でも貴重な資料が並んでおり、見ていると時間を忘れるような素晴らしい空間が広がっています。 不折館 開館時間 10時~17時  入場料200円(大学生以下無料)

  • 高遠城址公園

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    ■嶽色江聲 (編集:高遠高校芸術コース書道専攻 久保村 真衣) 高遠中学校の玄関に掲げられた書を石碑とした作品。これは、高遠出身の鉱山業者で、高遠閣建設に尽力した廣瀬奇璧(省三郎)の句碑「斑雪高嶺朝光鶯鳴いて居」の題字として不折が揮亳したもので、句は遠く東方、仙丈ヶ岳を眺めて詠んだもの。また、裏面は奇璧と交流があった河東碧梧桐の句碑となっている。

  • 信州高遠美術館

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    ■中村不折寿像 (編集:高遠高校芸術コース書道専攻 伊澤 楓) 中村不折の還暦を祝い、大正15(1926)年に、太平洋画会の門下生の堀進二が作成し、門下生一同が贈呈した。昭和2(1927)年3月に東京の不折邸に設置され、この像と同じもが郷里の高遠城址公園にも据え付けられた。長年の風雨により老朽化が著しかったため、平成20(2008)年3月に修復され、現在は信州高遠美術館に保管されている。入館料:大人 500円 小中学生 150円

  • 高遠町歴史博物館

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    ■不折の手紙 (編集:高遠高校芸術コース書道専攻 伊澤 楓) 昭和11(1936)年、東京都台東区にある書道博物館の開館時に、不折から当時高遠町長であった廣瀬常雄氏へ書かれた手紙。不折は、貴重な碑法帖など書の文化財を多数所蔵しており、邸宅を書道博物館として開館した際、生涯にわたり収集した膨大な書道史料を公開した。初代館長は不折自身が務めた。 ■時雍表昌運 (編集:高遠高校芸術コース書道専攻 久保村 真衣) 日清戦争以後に制作されたと言われているが、制作経緯等の詳細は不明。「時雍表昌運(ときやわらぎ、しょううんをあらわす)」とは、「時節は和らいで、事なく隆盛の運を表している」いう意味の、唐朝宰相・岑文本の漢詩。その文字の意味通り、作品は堂々としていて味わいがある。 ■北原薬局 (編集:高遠高校芸術コース書道専攻 松本 真季) 高遠町・中町にあった北原薬局の看板。昭和初め頃に制作したとされるが、制作の経緯など詳細は不明。薬局の建物取り壊しに伴い、看板は外されて、現在は高遠町歴史博物館に展示されている。不折らしい堂々とした文字で書かれており、趣を感じさせる作品。

  • 「志合道存」の碑

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    ■「志合道存」の碑 (編集:高遠高校芸術コース書道専攻 伊澤 楓) 昭和8(1933)年12月20日、新規道路開通の際に建立されたもの。それまで利用されていた道路は、曲がりくねった不便な道路であった、町民協議により、当時大変貴重であった田をつぶして直線道路を開通した。記念碑には、志(こころざしを)合(あわせて)道(みちを)存(つくろう)と印されていると思われる。

  • 貴布彌神社

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    ■貴布彌神社 (編集:高遠高校芸術コース書道専攻 伊藤 佳央) 「貴布彌神社」は、京都鞍馬の貴船神社御分霊を奉斎する、全国約500社を数える神社のひとつ。高遠町では藤沢郷の総鎮守として、元禄終わりから天正初め頃に勧請され、高遠藩名主・保科正之の願掛けのために建てられた。この看板は昭和3(1928)年頃に制作された作品で、一般公開されていないが、ほぼ畳と同じ大きさで迫力がある。

  • 高遠中学校

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    ■思入玄 (編集:高遠高校芸術コース書道専攻 松本 真季) 高遠中学校の校長室に掲げられている書。制作年や制作意図、掲げられた経緯など詳細は不明だが、「思入玄(おもいげんにいる)」とは、幽玄な心境にひたることという意味の漢詩で、中国北宋代最高の詩人であり、政治家、書家としても活躍した蘇軾が詠んだものである。 作品は貫禄があり、見応えがある。 ■嶽色江聲 (編集:高遠高校芸術コース書道専攻 久保村 真衣) 高遠中学校の玄関に掲げられた書を石碑とした作品。これは、高遠出身の鉱山業者で、高遠閣建設に尽力した廣瀬奇璧(省三郎)の句碑「斑雪高嶺朝光鶯鳴いて居」の題字として不折が揮毫したもので、句は遠く東の方、仙丈ヶ岳を眺めて詠んだもの。また、裏面は奇璧と交流があった河東碧梧桐の句碑となっている。

  • 熊野神社

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    ■熊野神社 (編集:高遠高校芸術コース書道専攻 ) 高遠町小原に鎮座する、緑に覆われた清々しい場所にある熊野神社の賽銭箱に書かれた不折の作品。不折らしい、すばらしい書で、木々に囲まれることによって、作品がより引き立っている。また、自然と重なることで、癒しも感じられる。神社は大きな鞘堂と板葺き流造の本殿、末社が一社祀られている。