高藩探勝 絵巻 (西高遠部分) [寛保3年(1743)]
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<html> <body>高遠藩内藤家二代藩主、内藤大和守頼鄕が家臣小山郡太夫林盛に命じて景観を描かせ、同じく家臣の城戸勝政、浅利信尹に和歌を添えさせたものです。 三巻合計30m近い絵巻のうち城下町部分を使用しています。</body> </html>
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■建福寺蜩(けんぷくじのひぐらし) あだしみを おもひてなれも たのむらし みのりのにはの 日ぐらしのこゑ [解釈] 建福寺の境内に鳴く蜩(ひぐらし)よ、お前も儚(はかな)い身の上を知って、「かなかな」と御仏(みほとけ)の力におすがりしようとしているらしい。

■商家営昌(しょうかのえいしょう) をのづから みるもゆたけし なぞへなく めぐみあるよの 民の家ゐは [解釈] 見てのとおり、民の暮らしぶりは豊かなものよ。これも、比べようも無い程の恵みに満ちた治政のおかげだろう。

■満光寺葵(まんこうじあおい) 妙なりや にごりにじまぬ 花の露に ひかりをそふる のりのともし火 [解釈] 徳川将軍家の御威光(ごいこう)の象徴たるふたば草(葵)が、我が藩主、内藤家の菩提寺である満光寺の庭に咲くとは、内藤家にとって心強いことよ。

「軒先につるされた酒琳(さかばやし)から、ここが酒屋(造り酒屋もしくは酒店)だったことがわかります。店の奥にある蔵の様子からするとおそらく造り酒屋でしょう。 酒琳はいわゆる杉玉のことです。その年の酒造りと酒造の神のご加護を願う風習です。もとは絵図にあるように杉の葉を束ねて吊るしたものが、やがて今見られるように球状に造られ杉玉と呼ばれるようになりました。真新しい杉玉が吊るされると新酒ができた目印となります。 この場所は、この時代以来、のれんが変わっても造り酒屋として使われ続け、今も造り酒屋(仙醸:慶応2年創業)の蔵が残っています。江戸時代から流れ続け、酒作りにもつかわれた水が今も店先の手水鉢にあふれ、飲むことができます。 絵巻を良く見ると、道の反対側にも酒琳をつるした店が描かれています。こちらは酒屋でしょうか?

■権現山青楓(ごんげんやまのあおかえで) しげりあふ かみのみむろの わか楓 いくちよかざす 手向なるらし [解釈] 権現山(ごんげんやま)、鉾持(ほこじ)神社(じんじゃ)に青々と葉を繁らせている楓の木は、ひときわ美しい若葉をつけて、何千年もこの神の社をかざる神様への供物(くもつ)のようだ。