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芝公園・東京タワー(増上寺)
現在の芝公園の全域が明治初期までは増上寺の境内でした。明徳4年(1393)、浄土宗第八祖聖聡(しょうそう)上人によって開かれ、慶長3年(1598)、徳川家康によって麹町から現在の芝の地へと移されました。その後明治6年(1873)と42年(1909)の二度に渡って大火に会い、大殿他貴重な建物が焼失しました。
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護国寺
徳川綱吉の母、桂昌院の発願によって天和元年(1681)に創建されました。明治16年(1883)、大正15年(1926)と火災で堂の建物の多くを失ったが、観音堂(本堂)は元禄以来の姿を変えず、また、近江三井寺より移築された月光殿は桃山期の建築美を今に伝えています。
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東京ドーム・小石川後楽園(水戸藩上屋敷跡)
江戸時代、この一帯には87783坪の敷地を誇る水戸藩上屋敷がありました。屋敷の庭の部分が小石川後楽園に住居の部分が東京ドームになっています。戦後には陸軍砲兵工廠の軍施設がありましたが、大正12年(1923)の関東大震災で壊滅的な被害を受け、復旧工事をしたものの移転をし、その跡地に建てられました。
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現在の東京駅
江戸時代、この界隈は江戸城へ出奔する大名のお屋敷が並んでいました
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東京スカイツリー
隅田川の対岸から見た東京スカイツリー 現在東京スカイツリーのある場所は、江戸時代の地図では空白ですが、明治時代から平成時代の初期までは貨物駅でした。その貨物駅の敷地を利用して2008年7月14日に着工され、3年半の期間をかけて2012年2月29日に竣工しました。正式名称決定までの仮称は「新東京タワー」。正式名称は一般公募によって寄せられた1万8,606件の命名案の中から、まずは有識者10人で構成される「新タワー名称検討委員会」によって6つに候補が絞り込まれました。言葉の美しさや親しみやすさなどを基準に「東京スカイツリー」「東京EDOタワー」「ライジングタワー」「みらいタワー」「ゆめみやぐら」「ライジングイーストタワー」の6つが名称候補として選ばれ、2008年春にインターネットを通じて一般投票を行った結果、最多得票の「東京スカイツリー」に決定しました。
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飛鳥山
歌川広重『名所江戸百景』より「飛鳥山北の眺望」 飛鳥山は昔も今も桜の名所です。江戸時代、ここから富士山や筑波山が見渡せたといいます。
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日本橋
日本橋の北詰にある「元標の広場」には、移設された東京市道路元標と、日本国道路元標の複製があります。本物は日本橋の中央にあります。画像は安藤広重の代表作『東海道五十三次之内』の最初の一枚です。
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上野の不忍池(寛永寺)
寛永寺の五重塔 現在の上野公園のほぼ全域が往時の寛永寺の境内でした。松坂屋上野店あたりから上野公園入口あたりの道をかつて「広小路」と称したが、これは将軍が寛永寺にある徳川秀忠らの霊廟に参詣するための参道であり、防火の意味で道幅を広げていたため、広小路と呼ばれいました。最盛期には、今の上野公園の2倍の面積の寺地を有していたというから、その規模の大きさが想像できます。
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恩賜上野動物園
上野動物園 1882年3月20日開園で、日本最古の動物園です。敷地は西園と東園に分かれており、両園を結ぶ都営モノレール(上野懸垂線)は日本初のモノレールです。スマトラトラ、ニシローランドゴリラ等の希少動物をはじめ、500種あまりの動物を飼育しています。この飼育動物の種類は、日本で東山動植物園(550種)に次いで多いです。
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溜池山王駅周辺、その1
赤坂見附の赤坂御門から山王下を抜けて現在の特許庁前交差点附近にあった堰まで、細長い溜池がありました。つまり、現在の赤坂見附 から虎ノ門手前までの「外掘通り」は、「溜池」と呼ばれる江戸城の外濠でした。長さ約1.4km、幅約45m~190m といった大きさの外堀ということになるそうです。安藤広重「名所江戸百景」に描かれた江戸末期の溜池。対岸に日枝山王社の森を望む。
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溜池山王駅周辺、その2
このあたりが「赤坂のどんどん」と呼ばれる溜池の端であり、江戸時代の観光名所でした。寛永13(1636)年に江戸幕府が全国の大名を動員して築いたものです。現在は、石垣がその名残を残しています。
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東京大学本郷キャンパス(加賀藩屋敷跡)
東京大学本郷キャンパスの敷地は、江戸時代に有力な大名だった加賀藩(現在の石川県)前田家の上屋敷だった場所で、広大な敷地の中に当時の名残として「心字池」や「赤門」が残っています。「心字池」はもともと屋敷の庭園の池だったもので、安田講堂の近くにあります。
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江戸城天守閣
元和もしくは寛永時代の天守閣 (17世紀の「江戸図屏風」より) 1657年の明暦の大火により焼失し、再建されないまま天守台のみが今は残っています。
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目黒不動
寺の縁起では大同3年(808)に慈覚大師円仁が下野国(今の栃木県)から比叡山にに赴く途中に不動明王を安置して開創しました。文化・文政の時代(1840~30)に「江戸の三富」と呼ばれた富籤(とみくじ)が行われていました(他は湯島天神、谷中感応寺)。