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歴史・観光<玉江橋> no name
玉江橋 〒553-0003大阪府大阪市福島区福島1丁目1 「浄正橋」から南、堂島川にかかっているのが「玉江橋」です。 玉江橋(浪花百景)(出典:大阪府中之島図書館蔵)美しい錦絵です。正面上部にあるのが四天王寺の塔です。こんな風に見えることが大阪七不思議と言われたそうです。グーグルマップで見ると確かに橋の延長線上に四天王寺があります。 Old scenery of Tamae bridge 美しい橋です。正面に四天王寺の塔が見えています。 It is a beautiful bridge. You can see the tower of the Shitenno-ji Temple in the front.
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歴史・観光<福沢諭吉誕生地> no name
福沢諭吉誕生地 〒553-0003 大阪府大阪市福島区福島一丁目1 天保5年(1834)12月12日、諭吉は当地にあった中津藩蔵屋敷で生まれました。その後、郷里中津(現在の大分県中津市)に帰ったが、再び大阪へ戻り、緒方洪庵の適塾に入門し、後に塾頭になるほど優秀だったそうです。その後、日本の近代化に大きな足跡を残したのはご承知の通りです。その実学への思いは大阪が育んだのかもしれません。 福沢諭吉を地元の人が今も敬愛していることが感じられる碑です。 Place of Yukichi Fukuzawa birth 日本の近代化に大きな足跡を残した福沢諭吉はここで生まれました。 Yukichi Fukuzawa, the great person who had an influence on the modernization of Japan in many ways, was born here in 1834.
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歴史・観光<田辺写真館跡> no name
田辺写真館跡 〒553-0003 大阪府大阪市福島区福島3丁目6-7 大阪を描き続けた作家田辺聖子の実家は写真館でした。 立派な写真館です。昭和という時代を見続けましたが、今は残っていません。 Tanabe photo studio trace 大阪を描いた作家、田辺聖子の生家は写真館でした。 The birthplace of Seiko Tanabe who wrote many stories set in Osaka was a photo studio.
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歴史・観光<阪神電車②> no name
阪神電車② 〒530-0001 大阪府大阪市北区梅田2丁目6 出入橋には阪神電車の起点がありました。都市と都市を結ぶ鉄道として開業しました。多くの乗客でにぎわったそうです。 1906年(明治39年)開業1周年のお祝いの様子です。盛大ですね。 Station trace of the Hanshin train 阪神電車の開業1周年 The photograph shows the first anniversary event of Hanshin Electric Railway Co., Ltd. in 1906.
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歴史・観光<五百羅漢跡> no name
五百羅漢跡 〒553-0003 大阪府大阪市福島区福島5丁目17−35 JR環状線・福島駅の南西すぐの福島公園には五百羅漢(妙徳寺)がありました。 公園にその跡を偲ぶものは何もありませんが、この古地図にははっきり示されています。東大阪市の額田に昭和2年、妙徳寺として移転しました。 浪花百景之中 五百羅漢(出典:大阪府立図書館蔵)屋根やほこに特徴があります。移転した現在の東大阪の額田の妙徳寺にも同じ特徴が引き継がれています。 500 Rakans trace この公園は昔、寺でした。1927年に移転しました。 In old days, there was Myoutokuji-temple called as “500 Rakans”. The temple moved to other place in 1927.
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歴史・観光<銭湯> no name
銭湯 〒553-0002大阪府大阪市福島区鷺洲1丁目5-11 たくさんの銭湯が見えます。煙突が立っていて、「ゆ」を記号化したマークが入っているところは銭湯だったようです。戦後も最近まであったものもあります。まちの人に聞いてみるとこのマークのところは銭湯だったと覚えておられました。 Trace of the public bathhouse 銭湯がたくさんありました。「ゆ」の記号は全て銭湯です。 Until the early Showa era, there were a lot of public bathhouses in this area. All the signs of the “ゆ” what you can see mean former public bathhouses.
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歴史・観光<合羽島跡より東を望む> no name
合羽島跡より東を望む 553-0004 大阪府大阪市福島区玉川1丁目1 江戸中期にはこの辺りには伝馬舟を造る舟大工が多く住み、舟小屋ができ発展していきました。堂島には米市場が開かれ、また諸藩の蔵屋敷も多く立地し商業の中心地となっていました。今も大阪の商業の中心地です。ここでいう合羽とは甲板のことです。合羽伝説は後にできたそうです。 合羽橋より東を望む(浪花百景) 長谷川貞信(初代)作 (出典:大阪府立図書館蔵)今はない合羽島が見えます。右が現在の堂島川、左が今は埋め立てられて道になっている蜆川(しじみがわ)です。 Okajima store (dye works)tracee 江戸時代、この辺りから東をみた風景です。 There were a lot of dyeing factories in this area.
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歴史・観光<下ノ天神> no name
下ノ天神 〒553-0004大阪府大阪市福島区玉川1丁目4-5 その昔、この地は瀬戸内海へ出帆するために風を待つ船着場だったそうです。「学問の神様」として有名な菅原道真公も、大宰府への下向の折には、この地で風待ちのために滞在されたといいます。 その際、この地の徳次郎という里人が、心温まるおもてなしで道真公の旅情を慰めた。 道真公はそのことをいたく喜ばれ、そのお礼として、この地を「福島」と名付けたといわれています。ここは下ノ天神です。 今も歴史が受け継がれています。 Tenjin Shrine 現在の下の天神です。 This is the Shimo-no-Tenjin shrine. Over 1000 years ago, this area was the wharf to wait for a favorable wind.
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歴史・観光<中ノ天神> no name
中ノ天神 〒553-0003大阪府大阪市福島区福島4丁目1 その昔、この地は瀬戸内海へ出帆するために風を待つ船着場だったそうです。「学問の神様」として有名な菅原道真公も、大宰府への下向の折には、この地で風待ちのために滞在されたといいます。 その際、この地の徳次郎という里人が、心温まるおもてなしで道真公の旅情を慰めた。 道真公はそのことをいたく喜ばれ、そのお礼として、この地を「福島」と名付けたといわれています。ここは中ノ天神です。中ノ天神には今は社はなく、碑が残っています。(マンションとマンションの間です)近くの下福島公園を囲む塀や近所には一部レンガ塀が残っています。このレンガ塀が1909年(明治42年)の北の大火の延焼をくい止めたといわれています。災害を記憶にとどめる為に残されています。 Tenjin Shrine このレンガ塀が1909年の大火の延焼をくい止めました。 This brick wall checked the spread of the big fire in 1909.
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歴史・観光<上ノ天神> no name
上ノ天神 〒553-0003大阪府大阪市福島区福島2丁目8 その昔、この地は瀬戸内海へ出帆するために風を待つ船着場だったそうです。「学問の神様」として有名な菅原道真公も、大宰府への下向の折には、この地で風待ちのために滞在されたといいます。 その際、この地の徳次郎という里人が、心温まるおもてなしで道真公の旅情を慰めた。 道真公はそのことをいたく喜ばれ、そのお礼として、この地を「福島」と名付けたといわれています。ここは上ノ天神です。夏祭りの様子です。今もにぎやかに毎年行われています。 Tenjin Shrine 夏祭りの様子です。今もにぎやかに毎年行われています。 The photograph shows a scene of the summer festival. The festival is still held every year cheerfully.
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歴史・観光<浄正橋筋商店連盟> no name
浄正橋筋商店連盟 〒553-0003大阪府大阪市福島区福島5丁目14 環状線福島駅、阪神電車福島駅から南側が浄正橋商店会です。現在は幅30mのなにわ筋となっていますが、大正末から昭和初期の情景は、映画館や寄席が並び、曲芸も見られる文字どおりの歓楽街でした。 昭和12年撮影。アーケードがあります。大変大きな商店街だったんですね。 Jyousyoubashi-suji shopping street 浄正橋商店会写真は1937年の様子です。立派なアーケードがありました。 The photograph shows a scene of 1937. The street covered by a fine arcade.
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歴史・観光<逆櫓の松(さかろのまつ)跡> no name
逆櫓の松(さかろのまつ)跡 〒553-0003 大阪府大阪市福島区福島1丁目1-60 「平家物語」の逆櫓の段によれば、元暦2年(1185年)2月、源義経は平氏を討つため京都を出発し、この地福島で平家を四国の屋島でを船で急襲しようとした。源義経は、船での戦いはあまり経験がなかったので、みなで評議していると、参謀役の梶原景時が「船を前後どちらの方角にも容易に動かせるように、船尾の櫓 (オール)だけでなく船首に櫓(逆櫓)をつけたらどうでしょう」と提案した。しかし義経は「はじめから退却のことを考えていたのでは何もよいことがない。船尾の櫓だけで戦おう」と述べた。結局逆櫓をつけずに戦ったが、その論争をしたところがこの場所と伝えられています。この場所に大きな松があったことから「逆櫓の松」と言われています。 福しま逆櫓の松(浪花百景)(出典:大阪府立図書館蔵)ずいぶん大きな松だったんでしょうか。屋敷の塀からはみ出しています。お芝居や物語の舞台となった場所を見て歩く今で言う「コンテンツツーリズム」はこのころにもあったんです。 1887年(明治20年)頃の撮影です。人力車夫が逆櫓の松の前で休憩しているようです。松はやっぱり塀からはみ出しています。錦絵が決してオーバーな表現でないことがわかります。 Old scenery of the bridge 大きな松が江戸時代に名所となり、たくさんの人が見にきました。 A big pine tree called “Sakaro no matsu” became the famous spot in the Edo era, and many people came to see it.
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歴史・観光<浄正橋跡> no name
浄正橋跡 〒553-0003大阪府大阪市福島区福島1丁目 現在「浄正橋」は国道2号線となにわ筋の交わる交差点の呼び名になっています。昔はこの交差点から約 100メートルほど南に下ったところに「蜆川(しじみがわ)」と言う川が流れ、そこにかかっていた橋が「浄正橋」なのです。1924年(大正13年)に川は埋め立てられ、残っていません。 碑が残っています。舗装工事の影響でしょうか。少し埋まっているのがかわいそう。福島史談会の手によって建てられました。 Jyousyou bridge trace 1924年に蜆川が埋め立てられるまで、ここに橋がありました。今は地名だけが残っています。 Here was a bridge until the Shijimi-river was filled up in 1924. Only the place name is left now.
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歴史・観光<蜆川(しじみがわ)> no name
蜆川(しじみがわ) 〒553-0003 大阪府大阪市福島区福島1丁目3-27 ここに蜆川があったことは皆さんご存知でしょうか。1909年(明治42年)の北の大火後、瓦礫の捨て場となって上流部が埋立てられ1924年(大正13年)残りも埋立てられて姿を消してしまいました。この古地図は大正12年当時ですからぎりぎり蜆川が見られます。貴重ですね。 明治時代の蜆川の様子です。蜆川の写真はあまり残っていません。 Shijimi-river trace 地図にある蜆川は大火事のがれきで埋められました。 The Shijimi-river in the map was filled up with the debris of the big fire in 1924.
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歴史・観光<西成郡役所跡> no name
西成郡役所跡 〒553-0003大阪府大阪市福島区福島5丁目4-21 1879年(明治12年)に郡区町村編制法の大阪府での施行により、行政区画としての西成郡が発足。そしてこの地に郡役所が置かれました。福島区・此花区・港区・大正区・西淀川区・東淀川区・淀川区の全域、浪速区の大部分、住吉区の一部、西成区の大部分、西区の一部、住之江区の一部、北区の一部、中央区の一部が含まれるという広大な行政区でした。1925年(大正14年)に全域が大阪へ編入され廃止されます。 西成郡役所の写真をやっと見つけました。冠木門の堂々たる建物です。(出典:写真でみる福島の今昔 大阪市福島区役所) Government office trace ここに大きな役所がありました。 Here was a large government office.
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歴史・観光<福島聖天通商店街> no name
福島聖天通商店街 〒553-0003大阪府大阪市福島区福島7丁目5-1 戦前は心斎橋、九条新道、十丁目筋(現天神橋筋)とともに、大阪の4大商店街といわれました。平成13年3月、老朽化していた街路灯39本、アーチ5基を新設。テーマはずばり「遊歩=UFO」。大阪らしい遊び心ですね。また、占いイベントが夏の夜店の一環として2002年(平成14年)8月23日占い師21人を集めて始まりました。今では定着し女性が集まり始め、その後各マスコミに取り上げられ、来街者が増えています。「売れても占い商店街」がキャッチコピーです。これも大阪のセンスを感じます。 戦前の商店街の様子です。粟おこしを売っています。現在の上福島小学校「なかよし畑」のあたりにありました。(出典:神林堂社長 岸本憲明氏蔵) 昭和10年12月10日撮影の商店街の様子です。皆さんお着物です。 Fukushima Syouten-dori shopping street. 福島聖天通商店街 写真は約80年前の商店街の様子です。 The photograph shows a scene of the street about 80 years ago.
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歴史・観光<阪神電車①> no name
阪神電車① 〒553-0003大阪府大阪市福島区福島5丁目6 1905年(明治38年)神戸(三宮) - 大阪(出入橋)で開業した都市と都市を結ぶ鉄道です。阪神間からこの地福島に多かった工場や学校に人々を運んだことでしょう。福島駅は朝、夕大変賑わったそうです。もう少し地図の上の出入橋にピンがたっています。阪神電車の起点でピンをクリックすると開業当時の写真が見ていただけます。 ホテル阪神の横にある遊歩道です。実は阪神電車が地下にもぐる前の線路の痕跡です。 Railway track trace 線路の跡です。遊歩道になっています。 The promenade beside Hotel Hanshin is the trace of old railway track.
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歴史・観光<大阪西成線が環状線へ> no name
大阪西成線が環状線へ 〒530-0001大阪府大阪市北区梅田2丁目6 大阪環状線はもともと1898年(明治31年)の西成鉄道が前身です。翌年には旅客営業も始まりました。大きな役割は安治川口から大阪駅を結ぶ貨物輸送でした。そのころは海運が盛んで安治川口に九州、四国はじめ全国からの貨物が着きました。その大動脈だったんですね。1961年(昭和36年)の環状線全線開業に伴って、西九条から先が桜島線となりました。桜島線は今はUSJへ毎日たくさんの人を運んでいますが、鉄道が物流を担っていた当時を想像するのはもう難しいかもしれません。 環状線の線路と電車が写っています。その手前に勾配があるのがわかるでしょうか。草木があって、ちょっとわかりにくいですが、ここが大阪西成線の痕跡です。昔はここから地上に降りていたんですね。(出典:田野登氏2014年10月29日撮影) Railway track trace この勾配は昔の線路跡です。 This incline is the trace of old railway track.
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歴史・観光<聖天川跡> no name
聖天川跡 〒553-0003大阪府大阪市福島区福島8丁目13-11 この道は、以前は川でした。「福島区史 福島区制施行五十周年記念事業実行委員会発行」によると、「聖天川」は昭和10年ころから埋立てが始まったそうです。その痕跡はみられませんが、道なりがどことなく川の様子をとどめているような気がします。染色工場が多くあったことがここに川があった大きな証でしょう。このパノラマ地図でも岡島商店友仙染工場跡を紹介しています。ここからもう少し左のオレンジのピンをクリックしてみてください。 Syouten-river trace この道はもともと川でした。 Until around 1935, This street was a Syouten-river
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歴史・観光<冨竹跡> no name
冨竹跡 〒553-0002大阪府大阪市福島区鷺洲2丁目13-11 料亭。冨竹の創業は1868年(慶応4年)、地域に根差した料亭だったようで懐かしむ方が多いです。ハス料理が有名でこの辺りにハスの群生があったのではないかともいわれています。 冨竹のお庭です。ずいぶん立派なお庭です。 Japanese restaurant Tomitake trace 料亭冨竹ハス料理が有名でした。 Japanese restaurant Tomitake was known for dishes of lotus.
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歴史・観光<聖天通商店街> no name
聖天通商店街 〒553-0002大阪府大阪市福島区鷺洲2丁目11-19 この通りは大和田街道・梅田街道と呼ばれる交通の要所で大坂から尼崎方面への街道でした。聖天通商店街の北側に了徳院 福島聖天さんがあります。福島聖天さんと言えば水野南北(江戸時代中期の頃の観相学の大家)高田屋嘉兵衛(江戸時代後期の廻船業者、海商)などのゆかりが伝わりますが、商店街はこのような歴史を背景に文化の香り漂う地域の輪を広げていきたいと願っておられます。今は「八聖亭」(はっしょうてい)という落語や長唄、踊り等々、様々な文化発信のできる場所もでき、さらに賑わっています。 大正14年の商店街の様子です。醤油屋さん 眼科の看板も見られます。繁盛していた様子がわかります。(出典:鷺洲町史) 昭和10年12月10日撮影とあります。商品が道にまであふれ、師走の慌ただしさが伝わってくるようです。振り向いたお嬢さんはおしゃれですね。 Syouten-dori shopping street. 聖天通商店街上の写真は1925年の様子下の写真は1935年の様子 The upper photograph shows a scene of 1925. The lower photograph shows a scene of 1935.
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歴史・観光<了徳院 福島聖天さん(浦江聖天)> no name
了徳院 福島聖天さん(浦江聖天) 〒553-0002大阪府大阪市福島区鷺洲2丁目10−25 聖天さんとして親しまれる了徳院では「歓喜天」をお祀りしています。お祈りすれば、「富を与えて男女仲睦ましくなり、子宝に恵まれる」すばらしいご利益ですね。福島区の花に指定されている「野田藤」の木があり毎年、その美しい花を咲かせています。また、境内の亀の池にはカキツバタの花が 五月の初旬には色とりどりの花を咲かせ、松尾芭蕉の句碑もあります。 この錦絵は長谷川貞信(初代)(文化6年(1809年)~明治12年(1879年))の作。当時の参詣風景。(出典:大阪府立図書館蔵) Syouten-san 聖天さんと呼ばれて親しまれているお寺です。子孫繁栄のご利益があります。 This temple is affectionately referred to as "Syouten-san".It has been believed that there are divine favor of the descendant prosperity.
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学校<上福島小学校> no name
上福島小学校 〒553-0003大阪府大阪市福島区福島7丁目4-33 1874年(明治7年)建学と言いますから明治維新直後に創立された、大阪市内でも歴史ある小学校です。一番最初の名称は西成郡第三区三番小学校といい当時はまだ西成郡上福島村・下福島村など村で支えられていたそうです。大阪市に編入されるのは明治も30年代になってからです。 鉄筋コンクリートの立派な校舎が立てられました。年代不詳(出典:写真でみる福島の今昔 大阪市福島区役所) KamiFukushima Elementary School 1874年に建てられた小学校です。後に鉄筋コンクリートの校舎が建てられました。 This elementary school was established in 1874.The school-house of armored concrete was built in after years.
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学校<福島小学校> no name
福島小学校 〒553-0003大阪府大阪市福島区福島4丁目5 1903年(明治36年)地域の子どもたちの急増に対応するために現在の大阪市立上福島小学校から分離する形で建学されました。まさに福島区の発展を支えた小学校なんですね。 大正10年(1921年)の撮影。元気いっぱいな子どもたちです。今も昔も変わらない運動会の熱気が伝わってきます。 Fukushima Elementary School 1903年に建てられた小学校です。写真は運動会風景です。 This elementary school was established in 1903.The photograph shows a scene of athletic meeting at that time.
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学校<大阪府福島商業学校跡> no name
大阪府福島商業学校跡 〒553-0003大阪府大阪市福島区福島3丁目14−29 1922年(大正11年)この地に設立された大阪府福島商業学校は後に履正社となります。「正を履んで畏れずとよむ(自ら由とするところを、自由・公正に勇気と責任を持って力強く履み行う)」という建学の精神は設立当初からだそうです。 記念になるものは残っていませんが、この地が文教地区として発展したことが偲ばれます。 Fukushima business school trace ここに約90年前、商業学校がありました。日本の成長を支える人材が育ちました。 今は何も残っていません。 About 90 years ago, here was a commercial school. A lot of talented people who supported growth of Japan was produce in that school. Nothing is left now.
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学校<関西大学跡> no name
関西大学跡 〒553-0003 大阪府大阪市福島区福島7丁目16 関西大学の前身である関西甲種商業学校は、1913年(大正2年)この地で創立されました。商業教育に力を入れただけでなく、剣道、柔道、相撲、陸上、卓球、テニスなどの部活動も盛んであったといいます。また外国人教師の授業もあったそうです。その後同じ大阪市内の天六へ移転しました。記念碑があります。多くの学生がここで学んだことが偲ばれます。大正2年(1913年)の授業風景 英文経済学を教える川上肇講師 Kansai University trace 約100年前、現在でも有名な関西大学がここに建ちました。下の写真はその当時の授業風景です。 Famous Kansai University was established here about 100 years ago.The lower photograph is class scenery at that time.
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学校<金蘭女子> no name
金蘭女子 〒531-0075大阪府大阪市北区大淀南3丁目3 大阪で女子の教育を担う志のもと、1905年(明治38年)創立の金蘭会は1922年(大正11年)に西成郡鷺洲町浦江(現在地)に移り、多くの人材を輩出してきました。現在の金蘭会学園の校舎です。 Kinrankai School 約100年前、女子教育の学校が建てられました。 About 100 years ago, the school for female education was built here.
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工場・事業所<丸大食品発祥の地> no name
丸大食品発祥の地 〒553-0002大阪府大阪市福島区鷺洲2丁目6-11 丸大食品のホームページの沿革によると「故小森敏之が大阪市福島区上福島北3丁目126番地で魚肉ハム・ソーセージの製造販売を丸大食品工場として創業。」と書かれています。ここから事業が羽ばたいていったんですね。工場の痕跡は何もありませんが、福島聖天さんにも小森敏之さんの名が刻まれています。今日は商店街でハム料理でも召し上がってみてはいかがでしょうか。 Place of establishment of a business of Marudai Food 今でも有名な食品加工会社丸大食品の創業の地です。 Marudai Food, famous food processing company, was established in this neighborhood.
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工場・事業所<角一ゴム跡> no name
角一ゴム跡 〒553-0002大阪府大阪市福島区鷺洲1丁目6-7 1905年(明治38年)この地に角一護謨製造所が起源の老舗ゴム精練メーカー、角一ゴムが創業されました。後にクラレが経営に参画します。1966年(昭和41年)に工場は岐阜県へ移転していきます。 現在は、角一ゴム工業株式会社として兵庫県神戸市西区で操業されています。 現在、何も残っていませんが、このパノラマ地図ではレンガ造りの大きな工場がたくさん見えます。日本のものづくりの発展を支えた地域だったのです。 Factories built of bricks この辺りにはレンガづくりの工場がたくさんありました。 There were a lot of factories built of bricks in this neighborhood.
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工場・事業所<岡島商店友仙染工場跡> no name
岡島商店友仙染工場跡 〒553-0002大阪府大阪市福島区鷺洲2丁目10-8 株式会社岡島商店友仙染工場が創業するのは、1997年(明治30)です。岡島のモスリン友禅は海外にも輸出されました。このあたりは、川が縦横に走り、染色にはもってこいの場所だったと思われます。最盛期には20以上の染色工場があり、河川の汚染もあって、川が埋め立てられていき、同時期に染色工場も姿を消します。 当時のハイセンスなポスターでしょうか。最先端モードの香りがします。 Okajima store (dye works)tracee この辺りは染色工場が多く存在しました。約100年前の商品ポスターです。 There were a lot of dyeing factories in this area.The picture is the product poster about 100 years ago.