大坂冬の陣大坂城外郭復元イラスト
マッピング監修/スポット情報: 小和田泰経
伊達政宗伝記『僊台武鑑』の挿図「大坂冬の陣両軍配置図」を参考に、冬の陣当時の大坂城惣構(総構)と周辺の様子を北東部上空から南西方向を遠望する形で鳥瞰して描いた。手前左手(東側)から古・大和川が西流して淀川と合流し、大坂城北面を守る天然の惣構堀の役割を果たしている。東西・南北2キロ四方を超える惣構堀の内部が広義の大坂城内で、やや北東寄りの本丸・二の丸が高台を占め、三の丸と呼ぶべき三つの馬出と武家屋敷がその周囲を固めている。さらにその南部と西部には町屋(内町)が軒を連ねている。冬の陣において徳川軍が最後まで攻め込めなかった「大坂城内」というのは、まさにこの全域のことで、外堀に囲まれた現存の徳川大坂城の城域とは全く異なる。本イラストに描かれた南惣構堀の東寄りの南外側に張り出した大きな台形の砦が冬の陣直前に真田信繁の献策で造られたいわゆる「真田丸」である。真田丸には多数の鉄砲が配備されて城内側の強力な迎撃拠点となり、弱点とされた南面から徳川軍は一兵たりとも侵入できなかった。一方、鉄壁の守りと思われた北や西には、徳川方により新兵器の大砲が配備され、射程内の本丸の天守や御殿へ砲弾が撃ち込まれることになる。実際、城方に与えた戦略的効果は極めて大きく、豊臣方首脳部は衝撃を受け、講和への一因ともなった。
(渡辺 武/【週刊】ビジュアル戦国王 [001.] より)
update date: 2019.10.04
このマップ(地図)を見るNumber of spots : 37spots
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37. 四天王寺
聖徳太子の創建と伝える四天王寺がある。四天王寺を略して天王寺という。
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2. 京橋
大坂城から京街道を通って京都に向かうために架けられた橋。
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30. 木村重成、山川賢信、石川貞矩の陣 no name
木村重成・山川賢信・石川貞矩らが、真田丸の背後を固めた。
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29. 長宗我部盛親、内藤忠豊の陣 no name
長宗我部盛親・内藤忠豊らが八町目口を守備していた。
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28. 北川宣勝・井上時利・織田長頼の陣 no name
北川宣勝・井上時利・織田長頼が谷町口を守備していた。
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27. 真田丸(真田信繁の陣) no name
真田信繁が築いた真田丸。徳川勢の攻撃を凌ぎ、冬の陣の講和を勝ち取った。
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11. 大野治長の陣 no name
大野治長が松屋町口を守備。大野治長は淀殿の乳母大蔵卿局の子で、大坂冬の陣では、豊臣方を主導した。
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3. 中島氏種、評定組の陣 no name
豊臣方の中島氏種と評定組が守備した。
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4. 堀田正高、評定組の陣 no name
豊臣方の堀田正高と評定組が天満橋を越えて城内に侵入しようとする徳川方に備えた。
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5. 伊東長実の陣 no name
豊臣方の伊東長実が天神橋を越えて城内に侵入しようとする徳川方に備えた。伊東長実は、陣後に改易とはなっておらず、スパイであったともいう。
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6. 赤座直規、川崎和泉、高松内匠の陣 no name
赤座直規が川崎和泉・高松内匠らと平野橋を守備した。赤座直規は3000石の家臣で、夏の陣では豊臣秀頼に殉じている。
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7. 青木一重の陣 no name
七手組頭の青木一重らが、思案橋・本町橋を守備した。青木一重は、夏の陣の直前、秀頼の使者として駿府に赴いたまま抑留され、大坂落城後は大名として徳川家康に取り立てられた。
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8. 大野治長配下の陣 no name
大野治長の配下が農人橋を守備した。
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9. 黒川貞胤、槇島重利の陣 no name
黒川貞胤・槇島重利らが久宝寺橋・安堂寺橋を守備した。
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10. 速水守久、真野頼包の陣 no name
七手組の筆頭速水守久が、真野頼包らとともに鰻谷橋を守備した。
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34. 浅井長房、野々村吉安の陣 no name
浅井長房・野々村吉安らが森村口を固めていた。
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33. 生駒正純、鉄砲組の陣 no name
生駒正純と鉄砲組が、猫間川に架かる大和橋を守備した。
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32. 旗本組の陣 no name
旗本組が守備し、黒門口を固めた。
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31. 明石全登、戸田為重、湯浅正寿の陣 no name
明石全登・戸田為重・湯浅正寿らが平野口を守備していた。
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12. 山内忠義の陣 no name
土佐藩の第二代藩主山内忠義が布陣。
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13. 松平忠明の陣 no name
松平忠明が布陣。松平忠明は、徳川家康の重臣・奥平信昌の四男で、家康の孫にあたる。大坂夏の陣後、大坂城主となった。
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14. 蜂須賀至鎮の陣 no name
蜂須賀至鎮の陣。蜂須賀至鎮は、浅野長晟・池田忠雄らとともに大野治房らか守る木津川口砦を攻略した。
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15. 池田忠雄の陣 no name
池田忠雄の陣。池田忠雄は、池田輝政の子で、徳川家康の孫にあたる。
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16. 稲葉典通の陣 no name
豊後臼杵藩主稲葉典通の陣。稲葉典通は、大坂夏の陣では遅参した。
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1. 備前島 no name
大和川と淀川が合流して天満川になる辺りにできていた中州。徳川家康は、ここに大砲を据え付け、大坂城の天守を砲撃した。
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36. 茶臼山(徳川家康本陣) no name
徳川家康が本陣をおいた茶臼山。
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35. 浅野長晟の陣 no name
紀伊和歌山藩主浅野長晟の陣。夏の陣では、浅野勢の寝返りの風説により、徳川本陣が崩れる。
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26. 徳川秀忠の陣 no name
徳川秀忠の本陣。
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25. 前田利常の陣 no name
前田利常の陣。前田利家は前田利家の子。冬の陣では、真田丸の攻撃に加わった。
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24. 古田重治、桑山一直、松倉重政の陣 no name
古田重治・桑山一直・松倉重政らの陣。
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23. 脇坂安元、寺沢広高の陣 no name
脇坂安元・寺沢広高の陣。
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22. 井伊直孝の陣 no name
徳川四天王井伊直政の子である井伊直孝の陣。井伊直孝は、冬の陣では真田丸の攻撃に加わり、夏の陣では徳川本隊の先鋒を務めている。
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21. 松平忠直の陣 no name
松平忠直の陣。松平忠直は、徳川家康の次男結城秀康の長男で、家康の孫にあたる。冬の陣では真田丸の攻撃に加わり、夏の陣では真田信繁を討ち取る功をたてた。
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20. 藤堂高虎の陣 no name
藤堂高虎の陣。藤堂高虎は、大坂夏の陣では徳川本隊の先鋒を務めている。
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19. 伊達政宗・秀宗の陣 no name
伊達政宗とその子秀宗が布陣した。
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18. 福島正勝、徳永昌重、毛利秀就の陣 no name
福島正勝・徳永昌重・毛利秀就ら徳川勢が木津村に布陣し、紀州街道を押さえた。
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17. 鍋島勝茂の陣 no name
肥前佐賀藩主鍋島勝茂の陣。