Number of spots : 73spots

  • 逸見菓子店

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  • 白浜菓子店

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  • 寺井陶漆器店

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  • 加藤小間物店

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  • 大日本水産

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  • 常野茶店支店

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  • 飯坂菓子店

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  • 小島商店

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  • 竹富質店

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  • 安藤菓子店

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  • 内国通運

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  • 警察署

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    24警察署 函館警察署は明治10年に創設、同11年会所町に庁舎を新築したが、同12年大火で焼失。明治14年、富岡町(当時の函館病院のすぐ下)に新築移転した。同17年に鶴岡町に再度移転。

  • 南部坂

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  • 二十軒坂

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  • 大三坂

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  • 八幡坂

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  • 基坂

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  • 日和坂

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  • 共同運輸会社

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  • 師範学校

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    32師範学校 会所学校内に小学教科伝習所として明治9年開設。同13年、函館師範学校と改組・改称する、同14年、最初の卒業式が行われて20名が卒業した。同19年、師範学校は札幌に統合することになり廃止。校舎は函館商業学校に転用された。隣には同19年、カトリックの聖保禄女学校(後の白百合学園)が建った。

  • スコット邸

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  • 汐見町配水池

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  • 広業商会

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  • 静光堂書店

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  • 今市洋物店

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    関連情報 今市商店 いまいちしょうてん 明治期函館の豪商のひとり、今井市右衛門が経営した舶来品専門店。当時の市の真抜き暢り大通り)に望楼をもつルネサンス様式の瀟洒な店舗は明治14年に開業。明治40年の大火で罹災し再建されることはなかった。   当時の函館の中心市街地は、現在の基坂を下り切った市電の線路沿いの大通りにあった。基坂が警察・病院など官公署が立ち並んだのに対して、大通りは函館の有力な商店が華やかの軒を接し、また銀行も数多く進出。明治後期から大正にかけてば、東京以北でもっとも繁華な街とされた。 関連記事・リンク 函館市公式観光サイト はこぶら 函館市観光コンベンション協会」     関連情報 エリア 元町・函館山エリア 所在地 函館市 問合せ先 函館市観光部 電話番号 0138-xx-xxxx 開館時間   休館日   アクセス 函館市電でJR函館駅前から20分、末広町電停下車 駐車場 有(120台) 料金 無料 関連リンク 函館山ロープウェイ 記事作成者公開更新日     

  • 平塚呉服店

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  • 奥山理髪店

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  • 千秋庵

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  • 新田小間物店

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  • 鈴木時計店

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  • 小西酒店

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  • 今市支店

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  • 平田金物店

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  • 三井物産函館支店

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  • 魁文舎書店

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  • 金森時計店

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  • 第三国立銀行

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  • 函館毎日新聞社

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    23新聞社 (北溟社) 明治11年、北溟社(ほくめいしゃ)が設立され、函館新聞が創刊された。同社は明治12年大火後富岡町(函館病院下)に移転、同31年に函館毎日新聞と改称。大正9年鶴岡町に移転、昭和12年に休刊した。

  • 豊川病院

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    42公立病院 区内の2つめの病院として、明治11年豊川町に創立。同14年に名称を変えて公立豊川病院となり、同39年の廃止以降も私立豊川病院として存続した。

  • 池田座(宝町)

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    52芝居 (池田座) 池田座は明治16年、当時の宝町で落成、開業した。市民の娯楽の場としての各種興業は、江戸時代の中頃から山ノ上町付近で始まっていたが、明治以降、東川町や蓬莱町周辺に芝居小屋、寄席が設置されるようになり、明治28年には「新蔵前」の名称で東川町が「興行認可地」とされ、盛り場として繁盛した。明治後期には池田座、大和座など、6カ所の寄席、劇場が数えられている。明治40年、大正10年の大火で多くが罹災し、大門付近への移転が進む。

  • 三菱倉庫群

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    40三菱倉庫 現在:BAYはこだて 三菱汽船が明治15年に煉瓦積みの倉庫と事務所建屋、堀割を建設。同40年大火後に改築、その後長く日本郵船の倉庫だった。昭和63年全面リニューアルし、ショッピングモール、ビアホール、イベントホールなどを擁するBAYはこだてとして営業開始。七財橋と堀割に隣接した特徴ある外観はベイエリアの中でも目立った存在で、函館を代表する観光スポット。創建当時の煉瓦積みの一部が現在も残る。

  • 堀川小学校

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    明治24年11月移転

  • 六和学校 (大谷学園)

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    明治24年10月落成

  • 金森洋品店

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    20金森洋物店 現在:郷土資料館 明治11・12年大火後の明治13年、豪商・渡辺熊四郎が舶来品を扱う店舗として創建。煉瓦積み漆喰仕上げ、窓も土塗とした。同40年大火でも類焼しなかったことで、その耐火性能を実証。明治初期の建築で今日まで残る数少ない存在。昭和44年から函館博物館郷土資料館。その後、大規模改修で創建当時に近い姿に復元。平成12年から再オープンし、明治時代の函館のハイカラ文化を今に伝えている。

  • 開拓使書籍庫

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    29 現在:旧開拓使函館支庁書籍庫 元町公園内の旧支庁舎に隣接する赤レンガの建物は、明治13年築の開拓使書籍庫。同40年大火でも類焼を免れて現存する、西部地区でも稀有な存在。使用されているレンガは茂辺地(現北斗市)の開拓使経営の工場産。煉瓦の積み方にイギリス積みとフランス積みが混在しているのも珍しい。

  • 東浜桟橋

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    8桟橋 (東浜桟橋) 現在:旧桟橋 日和坂下の桟橋は、明治4年開拓使により設けられた。鉄道連絡船の桟橋ができる同41年までは、船客が港内に碇泊した船舶からはしけに乗り換えて上陸する桟橋で、文字通り「北海道第一歩の地」であった。函館駅近くの鉄道桟橋ができて以降は使われなくなり、現在は旧桟橋として整備され、ベイエリアの夜景を楽しめる絶好のスポットになっている。

  • 百十三銀行

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    21百十三銀行 現在:SEC末広ビル 明治12年、会所町に北海道最初の国立銀行として設立。八幡坂下で営業を開始。同40年大火後には東浜町に移転、大正11年函館銀行と合併後に筋向い(現在のSEC電算センタービル)に本店を新築移転。移転後の跡地には同15年、函館貯蓄銀行が建ち、現在はSEC末広ビルとなっている。銀行時代の意匠が正面入り口付近の柱などに残る。

  • 第百十九銀行

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    22百四十九銀行 現在:旧ホテルニューハコダテ 明治13年、旧島原藩主(松平家)が中心となって函館で開業。同18年に破たんし、百十九銀行(東京)と合併の上、三菱合資会社に営業譲渡、現在の東京三菱UFJ銀行の前身となる。跡地には昭和7年、安田銀行(後の富士銀行)が建った。同43年に改修され、ホテルニューハコダテとして開業。平成22年に営業終了。 明治13年、旧島原藩主(松平家)が中心となって函館で開業。同18年に破たんし、百十九銀行(東京)と合併の上、三菱合資会社に営業譲渡、現在の東京三菱UFJ銀行の前身となる。跡地には昭和7年、安田銀行(後の富士銀行)が建った。同43年に改修され、ホテルニューハコダテとして開業。平成22年に営業終了。

  • 栄国橋

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  • 外国造船所

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    43外国造船所 (トムソン造船所) 現在:及能倉庫 慶応元年、英国領事館の元警備官トムソンが、ブラキストンの製材を利用した造船所を現在の豊川町で開業した。明治11年には300トンの船を建造し、市内造船所では抜きんでた存在だった。跡地には及能倉庫が建つ。

  • 安田倉庫(常備倉)

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    41常備倉 現在:ラビスタ函館ベイ 開拓使が非常救済用の備米の倉庫として明治8年完工。当時開拓使が経営していた茂辺地(現北斗市)製造の煉瓦が使われた。同23年払下げ以降は安田倉庫として長く使用された。平成19年倉庫を解体し、高層ホテル・ラビスタ函館ベイが竣工、営業を開始した。1階の一角には安田倉庫当時の記録を展示するギャラリーがある。

  • 金森レンガ倉庫

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    40三菱倉庫 現在:BAYはこだて 三菱汽船が明治15年に煉瓦積みの倉庫と事務所建屋、堀割を建設。同40年大火後に改築、その後長く日本郵船の倉庫だった。昭和63年全面リニューアルし、ショッピングモール、ビアホール、イベントホールなどを擁するBAYはこだてとして営業開始。七財橋と堀割に隣接した特徴ある外観はベイエリアの中でも目立った存在で、函館を代表する観光スポット。創建当時の煉瓦積みの一部が現在も残る。

  • Start(まちせん)

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  • 寳学校

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    53宝学校 現在:函館市女性センター 明治11年公立寶学校開校。同12年の大火で住吉学校と寶学校以外の小学校が被災、340名の大規模学校となった。同14年の第1回区会選挙の投票所など、多くの行事の会場にも活用された。昭和9年の大火で焼失し、第2東川小学校とともに新設の東川小学校に合併された。跡地には現在函館市女性センターが建ち、敷地内には記念碑が建つ。

  • 西本願寺

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    54西本願寺 (願乗寺) 現在:本願寺函館別院(西本願寺) 堀川乗経が万延元(1860)年、真宗本願寺派の願乗寺を創立。後に本願寺函館別院(西本願寺)(西本願寺)に改称し現在に至る。乗経は亀田川から函館山のふもとへの人工水路の開削でも有名。明治40年の大火後に建てられた煉瓦建築は、昭和9年大火で焼失した。平成25年、その当時の建物を模した新本堂が落成した。

  • 招魂社

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  • 裁判所

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    37裁判所 (函館裁判所) 現在:南部藩陣屋跡(観光駐車場) 幕領時代、蝦夷地警備を任ぜられた南部藩がこの地に陣屋を設置。明治維新後の引き揚げ時に陣屋は焼失。その跡地に明治8年函館裁判所が設置された。その後控訴裁判所も並置されたが、同31年には汐見町(現潮見中学校)に移転。昭和7年以降はNHK函館放送局が設置された。現在は函館山ロープウェイ前の観光駐車場とFMいるかビルが建ち、南部藩陣屋跡の碑が建つ。裁判所時代の石積みが現存。

  • 東本願寺

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    36東本願寺 現在:真宗大谷派函館別院(東本願寺) 浄土真宗大谷派の寺院。明治12年の大火後、現在地に移転したが、同40年再び大火により焼失。その後度重なる火事に見舞われたため、本堂を日本初の鉄筋コンクリート造りとして、大正4年竣工したのが現在の真宗大谷派函館別院。同10年の大火では類焼を免れた。二十間坂に面した黒光りする3万3千枚の瓦屋根が威容を誇る。

  • 聖公会 (聖ヨハネ教会)

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  • ハリストス正教会

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    34ハリストス正教会 現在:ハリストス正教会 初代ロシア領事ゴシケーヴィチが安政6(1860)年、領事館付属聖堂として創立。文久元(1861)年に来函の司祭ニコライが、ここを拠点として北日本を中心にロシア正教を布教。明治40年大火で焼失。現存するハリストス正教会の聖堂は大正5年築。平成元年、大規模修復を実施。白壁と緑屋根の対比が美しく、函館を代表する歴史的建造物。鐘の音は「日本の音風景100選」認定。

  • 天主公教会(カトリック元町)

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    33ヤソ堂 (天主公教会) 現在:カトリック元町教会 安政6(1860)年、天主公教会の宣教師メルメ・デ・カションがフランス領事館付書記官として来箱する。慶応3(1867)年、現在地に仮聖堂を設け、明治10年に最初の聖堂を建立。大正10年の大火後、同13年、現在のカトリック元町教会の建物が竣工。聖堂内の壮麗な祭壇はローマ法王から贈られたもの。元町の代表的風景である教会群の一角を占める。

  • 遺愛女学校

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    35遺愛女学校 現在:遺愛幼稚園 明治15年にプロテスタントのメソジスト会により創立。同40年、現在の杉並町に新校舎を建築中に旧校舎は大火で焼失した。現在同地に建つ遺愛幼稚園は、同28年遺愛女学校の附属として創立された道内初の幼稚園。同40年大火で焼失し、現在の建物は大正2年築の瀟酒な洋館。ピンクの板張りの外壁が可愛い現役の幼稚園。

  • 聖保禄女学校(白百合)

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    30聖保禄女学校 現在:白百合幼稚園 函館天主堂が完成した翌1877年フランスから修 道女マリ・オグスト、マリ・カロリヌ、マリ・オネ ジムが来函し、孤児院・授産・施療活動が始まった。 この私塾は白亜2階建校舎を建て1886年(明治19) 聖保禄女学校(現函館白百合学園)が開校した

  • 函館商業学校

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  • 函館県庁

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    28函館県庁 現在:写真歴史館(旧函館支庁庁舎) 基坂上の旧箱館奉行所の跡地に、明治13年開拓使函館区役所が置かれ、同15年開拓使廃止とともに函館県庁が置かれる。当時の北海道は3県制(函館・札幌・根室)。その後、明治42年函館支庁庁舎が新築・竣工。古代ギリシャのコリント様式にならった柱が特徴。平成3年火災で内部を焼損したが同6年に修復。現在は観光案内所、写真歴史館として活用されている。 src='./images/_OP_HIT_01_HD_4_1440573465.jpg' />

  • 英国領事館

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    30イギリス領事館 現在:旧イギリス領事館 安政6(1859)年、称名寺(現弥生小学校付近)の一部を借りて開設。その後、今の元町遺愛幼稚園の場所に移転、慶応元(1865)年、自館からの出火で焼失、函館病院内の仮領事館に移り、明治16年に現在の場所に建物が落成した。同40年大火で類焼し、大正2年に再建したのが現在の建物。昭和9年の領事館閉鎖後は函館病院の寮などに使用されていたが、平成4年改装して開港記念館として一般開放された。同21年、全面リニューアル。

  • 開拓使金庫

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    27金庫 (開拓使函館支庁金庫) 明治10年頃、開拓使函館支庁の金庫として、支庁舎の真向かい(現在の観光バス駐車場の一角)に建てられたレンガ造りの金庫。

  • 第二公立病院(函館病院)

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    25第二公立病院 (函館病院) 現在:観光バス駐車場(ペリー広場) 文久元(1861)年設立の箱館医学所が起源。姿見坂上から船見町へと移り、明治11・12年の大火で焼失したが、明治13年基坂中腹に移転、陣容を整えた。その後も大火で何度も焼失・再建を繰り返したが、一貫して市内最大の公立病院として存続。平成12年、港町に新病院を開設・移転。移転後の空き地は現在観光バス駐車場として利用。ペリー提督の函館来航150周年を記念し、平成14年敷地内の一角に銅像が設置された。

  • 郵便局

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    18郵便局 現在:元町観光駐車場 明治5年設立。同12年の大火で庁舎が類焼、一時恵比須町の仮庁舎で営業の後、同13年末広町の基坂下の電信局の向いに新築移転した。同44年、豊川町に赤レンガの中央郵便局(現・明治館)が完工し移転。現在は函館市元町観光駐車場。

  • 電信局

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    17電信局 現在:基坂下 明治2年、東京・横浜間に開通した電信は、青函の海底線敷設によって同8年には東京-北海道間が開通した。市内を縦貫して電信柱が設置されたが、その終端は当時の函館の公的機関が集中していた基坂下に同14年設置された電信局に届いている。

  • 三井銀行

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    19三井銀行 現在:北方民族資料館(旧日本銀行函館支店) 明治4年、御用為替座三井組の名で函館に店を設置。その後三井銀行の支店となった。同26年末広町に移転後は日本銀行函館支店が入った。同44年に辰野金吾らによる西洋風建築が竣工した。その後2度の火災を経て、現在の建物は大正15年新築落成。昭和63年支店の移転に伴って函館市が建物を継承し、北方民族資料館としてアイヌ民族や北方民族の衣装、生活用品を展示している。

  • 税関

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    7税関 現在:海上自衛隊函館基地隊 安政6(1859)年、輸出入貨物の監督、関税徴収を目的として設置された運上所(弁天町)に始まる。その後、仲浜町に新庁舎を建て、明治6年に函館税関と改称。同44年にルネッサンス様式の建物に建て替えられた。昭和43年、税関が海岸町に移転したのを機に取り壊され、跡地に海上自衛隊函館基地隊の施設が建った。構内には、税関当時の石積みの岸壁などの遺構がある。

  • 藤野四郎兵衛倉庫(元外国人居留地)

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    6外国人 (大町外国人居留地) 現在:公海食品倉庫 開港後、箱館奉行は大町の海面を埋め立てて外国人居留地とすることを計画。約2000坪の埋め立て地が万延元(1870)年竣工。アメリカ・イギリス・ロシアの商人ら9名に貸し与えられた。敷地が手狭だったこともあり、外国人商人から再三不満が出て、地蔵町などに新たな居留地が設けられるようになる。現在は公海食品倉庫が建つ。