Number of spots : 51spots
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聖公会
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税関
7税関 現在:海上自衛隊函館基地隊 安政6(1859)年、輸出入貨物の監督、関税徴収を目的として設置された運上所(弁天町)に始まる。その後、仲浜町に新庁舎を建て、明治6年に函館税関と改称。同44年にルネッサンス様式の建物に建て替えられた。昭和43年、税関が海岸町に移転したのを機に取り壊され、跡地に海上自衛隊函館基地隊の施設が建った。構内には、税関当時の石積みの岸壁などの遺構がある。
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寳学校
53宝学校 現在:函館市女性センター 明治11年公立寶学校開校。同12年の大火で住吉学校と寶学校以外の小学校が被災、340名の大規模学校となった。同14年の第1回区会選挙の投票所など、多くの行事の会場にも活用された。昭和9年の大火で焼失し、第2東川小学校とともに新設の東川小学校に合併された。跡地には現在函館市女性センターが建ち、敷地内には記念碑が建つ。
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蓬莱町貸座敷
49蓬莱貸座敷 明治6年、台町とともに、蓬莱町に貸座敷営業が認められた。同15年頃には座敷数も40軒と隆盛を極め、「蓬莱町の繁華は芳原(吉原)に比す」ともいわれた。同16年には新たに台町周辺の天神町と駒止町が追加、さらに温泉地の谷地頭も営業地として追加されている。
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開拓使書庫
29開拓使書籍庫 現在:旧開拓使函館支庁書籍庫 元町公園内の旧支庁舎に隣接する赤レンガの建物は、明治13年築の開拓使書籍庫。同40年大火でも類焼を免れて現存する、西部地区でも稀有な存在。使用されているレンガは茂辺地(現北斗市)の開拓使経営の工場産。煉瓦の積み方にイギリス積みとフランス積みが混在しているのも珍しい。
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函館県庁
28函館県庁 現在:写真歴史館(旧函館支庁庁舎) 基坂上の旧箱館奉行所の跡地に、明治13年開拓使函館区役所が置かれ、同15年開拓使廃止とともに函館県庁が置かれる。当時の北海道は3県制(函館・札幌・根室)。その後、明治42年函館支庁庁舎が新築・竣工。古代ギリシャのコリント様式にならった柱が特徴。平成3年火災で内部を焼損したが同6年に修復。現在は観光案内所、写真歴史館として活用されている。
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金庫
27金庫 (開拓使函館支庁金庫) 明治10年頃、開拓使函館支庁の金庫として、支庁舎の真向かい(現在の観光バス駐車場の一角)に建てられたレンガ造りの金庫。
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清光院
10清光院 現在:真言寺 天台宗の寺院、文久元(1861)年、天神町に創建、明治6年台町に移転。現在は真言寺。
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島野造船所
3造船所 (島野造船所) 現在:はこだてマリーナ 島野造船所は西浜町の海岸900坪を埋め立て、明治8年から営業を開始した。明治初期には、トムソン・辻と並び函館の3大造船所にも数えられた。現在は整備されてはこだてマリーナとなっている。隣接の幸町はその後埋め立てが進み、現在は西埠頭として自衛艦などが繋留されている。
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器械製造所
45器械製造所 明治13年、函館屈指の財界人渡辺熊四郎らが設立。船舶用の機器などを製作、この工場が後に函館船渠(現在の函館どつく)に発展する。
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三菱倉庫
40三菱倉庫 現在:BAYはこだて 三菱汽船が明治15年に煉瓦積みの倉庫と事務所建屋、堀割を建設。同40年大火後に改築、その後長く日本郵船の倉庫だった。昭和63年全面リニューアルし、ショッピングモール、ビアホール、イベントホールなどを擁するBAYはこだてとして営業開始。七財橋と堀割に隣接した特徴ある外観はベイエリアの中でも目立った存在で、函館を代表する観光スポット。創建当時の煉瓦積みの一部が現在も残る。
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電信局
17電信局 現在:基坂下 明治2年、東京・横浜間に開通した電信は、青函の海底線敷設によって同8年には東京-北海道間が開通した。市内を縦貫して電信柱が設置されたが、その終端は当時の函館の公的機関が集中していた基坂下に同14年設置された電信局に届いている。
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監獄署
55監獄署 現在:函館市消防本部 明治6年から18年まで、東川町に刑務所(当時は監獄署)が設けられた。北側は願乗寺川に面し、所内には囚徒学校や授産所(製革所)も設けられた。同11年に180人だった囚人が同18年には500人に急増、手狭となったため千代台に移転した。跡地には大正4年に消防団の本部庁舎が新築、昭和9年大火後に建て替えられ、現在は消防本部。
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西本願寺
54西本願寺 (願乗寺) 現在:本願寺函館別院(西本願寺) 堀川乗経が万延元(1860)年、真宗本願寺派の願乗寺を創立。後に本願寺函館別院(西本願寺)(西本願寺)に改称し現在に至る。乗経は亀田川から函館山のふもとへの人工水路の開削でも有名。明治40年の大火後に建てられた煉瓦建築は、昭和9年大火で焼失した。平成25年、その当時の建物を模した新本堂が落成した。
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栄国橋
46栄国橋 現在:市電十字街電停 享和元(1801)年、箱館奉行が当時の地蔵町で築島(埋立地)を造成した際に、水運と貨物の積み下ろしのために堀割を設けた。堀割は旧高田屋屋敷付近まで延びていたが、その途中、現在の市電十字街電停付近に架けられたのが栄国橋(異国橋、永国橋などの異称もある)。堀割は明治21年に埋め立てられ、現在の銀座通りとなる。
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女紅場
48女紅場 (旧高田屋屋敷) 現在:高田屋屋敷跡の碑 元は豪商・高田屋嘉兵衛の屋敷があった場所に、明治11年、女子教育(実際は娼妓の教育)の目的で女紅場(じょこうば)を設立。隣接して蓬莱町遊郭があった。同20年に廃止、その後はビアホールなどになったが、同40年大火で焼失。跡地は、銀座通りと護国神社坂を下りきったグリーンベルトと交わるあたりで、現在は「高田屋屋敷跡」の碑が建つ。
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英国領事館
30イギリス領事館 現在:旧イギリス領事館 安政6(1859)年、称名寺(現弥生小学校付近)の一部を借りて開設。その後、今の元町遺愛幼稚園の場所に移転、慶応元(1865)年、自館からの出火で焼失、函館病院内の仮領事館に移り、明治16年に現在の場所に建物が落成した。同40年大火で類焼し、大正2年に再建したのが現在の建物。昭和9年の領事館閉鎖後は函館病院の寮などに使用されていたが、平成4年改装して開港記念館として一般開放された。同21年、全面リニューアル。
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天主公教会
33ヤソ堂 (天主公教会) 現在:カトリック元町教会 安政6(1860)年、天主公教会の宣教師メルメ・デ・カションがフランス領事館付書記官として来箱する。慶応3(1867)年、現在地に仮聖堂を設け、明治10年に最初の聖堂を建立。大正10年の大火後、同13年、現在のカトリック元町教会の建物が竣工。聖堂内の壮麗な祭壇はローマ法王から贈られたもの。元町の代表的風景である教会群の一角を占める。
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招魂社
38招魂社 現在:函館護国神社 明治2年、戊辰戦争の官軍戦死者を祀るために造営。当初は招魂場、同8年招魂社と改称。同9年の明治天皇巡幸でご下賜金を受け、翌10年に拝殿を建立した。その後、日清・日露・太平洋戦争の戦死者を合祀。昭和14年函館護国神社と改称。昭和9年の大火で類焼。現在の社殿は同17年築。境内に新政府軍兵士らの墓所がある。
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常備倉(安田倉庫)
41常備倉 現在:ラビスタ函館ベイ 開拓使が非常救済用の備米の倉庫として明治8年完工。当時開拓使が経営していた茂辺地(現北斗市)製造の煉瓦が使われた。同23年払下げ以降は安田倉庫として長く使用された。平成19年倉庫を解体し、高層ホテル・ラビスタ函館ベイが竣工、営業を開始した。1階の一角には安田倉庫当時の記録を展示するギャラリーがある。
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三井銀行(日本銀行函館支店)
19三井銀行 現在:北方民族資料館(旧日本銀行函館支店) 明治4年、御用為替座三井組の名で函館に店を設置。その後三井銀行の支店となった。同26年末広町に移転後は日本銀行函館支店が入った。同44年に辰野金吾らによる西洋風建築が竣工した。その後2度の火災を経て、現在の建物は大正15年新築落成。昭和63年支店の移転に伴って函館市が建物を継承し、北方民族資料館としてアイヌ民族や北方民族の衣装、生活用品を展示している。
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船改所(西警察署)
4船改所 現在:臨海研究所 江戸時代は沖の口番所と称し、入港する船の積み荷・旅人の検査と徴税を行った。その後、海官所、海関所と名称が変わり、明治8年から船改所(ふなあらためしょ)と称したが、同20年廃止。同18年からは水上警察署が同じ建物にあった。大正15年に水上警察署として建屋を新築した後、函館西警察署として昭和59年まで使用。現在の建物は平成19年に、大正15年当時の外観を忠実に復元したもので、臨海研究所として使用されている。
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称名寺
14称名寺 現在:称名寺 称名寺(しょうみょうじ)は浄土宗の寺院。亀田に創建され、宝永5(1708)年、現在の弥生小学校付近に移る。安政元(1854)年、外国人休息所となり、安政6年イギリス領事館(フランス領事館を兼務)が置かれた。明治12年の大火で焼失、同14年現在地に移転する。境内には新選組副長・土方歳三の供養碑、豪商・高田屋嘉兵衛の顕彰碑などのほか、著名人の墓も多数。
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ハリストス正教会
34ハリストス正教会 現在:ハリストス正教会 初代ロシア領事ゴシケーヴィチが安政6(1860)年、領事館付属聖堂として創立。文久元(1861)年に来函の司祭ニコライが、ここを拠点として北日本を中心にロシア正教を布教。明治40年大火で焼失。現存するハリストス正教会の聖堂は大正5年築。平成元年、大規模修復を実施。白壁と緑屋根の対比が美しく、函館を代表する歴史的建造物。鐘の音は「日本の音風景100選」認定。
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遺愛女学校
35遺愛女学校 現在:遺愛幼稚園 明治15年にプロテスタントのメソジスト会により創立。同40年、現在の杉並町に新校舎を建築中に旧校舎は大火で焼失した。現在同地に建つ遺愛幼稚園は、同28年遺愛女学校の附属として創立された道内初の幼稚園。同40年大火で焼失し、現在の建物は大正2年築の瀟酒な洋館。ピンクの板張りの外壁が可愛い現役の幼稚園。
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東本願寺
36東本願寺 現在:真宗大谷派函館別院(東本願寺) 浄土真宗大谷派の寺院。明治12年の大火後、現在地に移転したが、同40年再び大火により焼失。その後度重なる火事に見舞われたため、本堂を日本初の鉄筋コンクリート造りとして、大正4年竣工したのが現在の真宗大谷派函館別院。同10年の大火では類焼を免れた。二十間坂に面した黒光りする3万3千枚の瓦屋根が威容を誇る。
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公立病院
42公立病院 区内の2つめの病院として、明治11年豊川町に創立。同14年に名称を変えて公立豊川病院となり、同39年の廃止以降も私立豊川病院として存続した。
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裁判所
37裁判所 (函館裁判所) 現在:南部藩陣屋跡(観光駐車場) 幕領時代、蝦夷地警備を任ぜられた南部藩がこの地に陣屋を設置。明治維新後の引き揚げ時に陣屋は焼失。その跡地に明治8年函館裁判所が設置された。その後控訴裁判所も並置されたが、同31年には汐見町(現潮見中学校)に移転。昭和7年以降はNHK函館放送局が設置された。現在は函館山ロープウェイ前の観光駐車場とFMいるかビルが建ち、南部藩陣屋跡の碑が建つ。裁判所時代の石積みが現存。
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第二公立病院(函病)
25第二公立病院 (函館病院) 現在:観光バス駐車場(ペリー広場) 文久元(1861)年設立の箱館医学所が起源。姿見坂上から船見町へと移り、明治11・12年の大火で焼失したが、明治13年基坂中腹に移転、陣容を整えた。その後も大火で何度も焼失・再建を繰り返したが、一貫して市内最大の公立病院として存続。平成12年、港町に新病院を開設・移転。移転後の空き地は現在観光バス駐車場として利用。ペリー提督の函館来航150周年を記念し、平成14年敷地内の一角に銅像が設置された。
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第百四十九銀行
22百四十九銀行 現在:旧ホテルニューハコダテ 明治13年、旧島原藩主(松平家)が中心となって函館で開業。同18年に破たんし、百十九銀行(東京)と合併の上、三菱合資会社に営業譲渡、現在の東京三菱UFJ銀行の前身となる。跡地には昭和7年、安田銀行(後の富士銀行)が建った。同43年に改修され、ホテルニューハコダテとして開業。平成22年に営業終了。
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郵便局
18郵便局 現在:元町観光駐車場 明治5年設立。同12年の大火で庁舎が類焼、一時恵比須町の仮庁舎で営業の後、同13年末広町の基坂下の電信局の向いに新築移転した。同44年、豊川町に赤レンガの中央郵便局(現・明治館)が完工し移転。現在は函館市元町観光駐車場。
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第百十三銀行
21百十三銀行 現在:SEC末広ビル 明治12年、会所町に北海道最初の国立銀行として設立。八幡坂下で営業を開始。同40年大火後には東浜町に移転、大正11年函館銀行と合併後に筋向い(現在のSEC電算センタービル)に本店を新築移転。移転後の跡地には同15年、函館貯蓄銀行が建ち、現在はSEC末広ビルとなっている。銀行時代の意匠が正面入り口付近の柱などに残る。
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旧桟橋
8桟橋 (東浜桟橋) 現在:旧桟橋 日和坂下の桟橋は、明治4年開拓使により設けられた。鉄道連絡船の桟橋ができる同41年までは、船客が港内に碇泊した船舶からはしけに乗り換えて上陸する桟橋で、文字通り「北海道第一歩の地」であった。函館駅近くの鉄道桟橋ができて以降は使われなくなり、現在は旧桟橋として整備され、ベイエリアの夜景を楽しめる絶好のスポットになっている。
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弁天社
2弁天 (弁天社) 現在:厳島神社 豊漁、海上安全を祈願する神社で、享和元(1801)年、弁天の沿岸(現在の函館どつく入口付近)に島を造成し移転した。文化9(1812)年に一度移転後、安政4(1857)年の弁天砲台築造にあたって現在地に再度移された。現在は厳島神社と称し、市電函館どつく電停前に建つ。高龍寺や外国人墓地に向かう坂(魚見坂)の起点にある。
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砲台(弁天砲台)
1砲台 (弁天砲台) 現在:函館漁港(防波堤) 弁天砲台は、ペリー来航と箱館開港を契機に、港湾防備を目的に五稜郭と同時期に着工された。工期7年を要し、元治元(1864)年竣工した。15門の大砲を備え、箱館戦争時は旧幕府脱走軍指揮下の新選組が布陣した。明治29年に取り壊され、跡地は拡張されて現在の函館どつくになった。石垣の石は、同32年に完成した北海道初の近代港湾施設である函館漁港の船入澗防波堤に転用された。同防波堤は、平成25年に大規模な修復工事を実施、往時の姿を復元した。
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臺町貸座敷
9臺町貸座敷 明治6年、開拓使は貸座敷業の営業地として豊川町・台町(臺町)・蓬莱町の3か所を指定し、公娼制度が存続した。臺町貸座敷(だいまちかしざしき)は20軒ほどの規模にとどまり、次第に蓬莱町の隆盛に圧されるようになっていく。
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辻造船所
5造船所 (辻造船所) 現在:おぐま冷蔵倉庫 辻造船所は明治8年、仲浜町の海面約1800坪を埋め立て、同11年に開業した。創業者の辻松之丞は幕末期に西洋帆船の建造経験があり、常に技術改良に意欲的だったといわれる。同26年廃業。その後は小熊倉庫などが建ち並ぶことになった。現在はおぐま冷蔵倉庫がある。隣接の新島橋からは、港内の浚渫泥で築かれた緑の島へ渡ることができる。付近の岸壁は明治時代の石積みが残り、プロムナードとして整備されている。
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外国人居留地
6外国人 (大町外国人居留地) 現在:公海食品倉庫 開港後、箱館奉行は大町の海面を埋め立てて外国人居留地とすることを計画。約2000坪の埋め立て地が万延元(1870)年竣工。アメリカ・イギリス・ロシアの商人ら9名に貸し与えられた。敷地が手狭だったこともあり、外国人商人から再三不満が出て、地蔵町などに新たな居留地が設けられるようになる。現在は公海食品倉庫が建つ。
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実行寺
15実行寺 現在:実行寺 実行寺(じつぎょうじ)は日蓮宗の寺院。明暦元(1665)年創建。現在の弥生小学校付近にあり、外国船入港時の外国人休息所となる。安政5(1868)年ロシア領事の宿泊所となり、同6年にはハリストス正教会の祭祀堂が設置された。明治12年の大火で焼失、同14年現在地に移転する。現在の建物は1918(大正7)年築。境内に「日仏親善函館発祥記念碑」など碑多数。
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高龍寺
12髙龍寺 現在:高龍寺 曹洞宗の寺院で壮大な伽藍を有する。寛永10(1663)年亀田に建立され、宝永3(1706)年幸坂下に移転。明治12年現在地に移転した。同33年に本堂、同44年には山門が竣工。明治2年の箱館戦争の際に旧幕府軍の野戦病院となった際、ここで斬殺された会津藩士を供養する「傷心惨目(しょうしんざんもく)の碑」が本堂脇にある。墓地には勝海舟と親交があった渋田利右衛門や、日本最初に種痘を行った中川五郎治の墓などがある。
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公園地
39公園地 (函館公園) 現在:函館公園 道内最初の洋式公園。英国領事ユースデンの呼びかけに市内財界人が呼応。明治11年着工、翌12年開園式が執り行われた。遊園地や動物園も併設され、現在も市民の憩いの場となっている。園内の博物館(1号)は同12年開館で、現存する博物館としては我が国最古のもの。2号館は同17年完工。
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52芝居 (池田座) 池田座は明治16年、当時の宝町で落成、開業した。市民の娯楽の場としての各種興業は、江戸時代の中頃から山ノ上町付近で始まっていたが、明治以降、東川町や蓬莱町周辺に芝居小屋、寄席が設置されるようになり、明治28年には「新蔵前」の名称で東川町が「興行認可地」とされ、盛り場として繁盛した。明治後期には池田座、大和座など、6カ所の寄席、劇場が数えられている。明治40年、大正10年の大火で多くが罹災し、大門付近への移転が進む。
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師範学校
32師範学校 会所学校内に小学教科伝習所として明治9年開設。同13年、函館師範学校と改組・改称する、同14年、最初の卒業式が行われて20名が卒業した。同19年、師範学校は札幌に統合することになり廃止。校舎は函館商業学校に転用された。隣には同19年、カトリックの聖保禄女学校(後の白百合学園)が建った。
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警察署
24警察署 函館警察署は明治10年に創設、同11年会所町に庁舎を新築したが、同12年大火で焼失。明治14年、富岡町(当時の函館病院のすぐ下)に新築移転した。同17年に鶴岡町に再度移転。
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新聞社
23新聞社 (北溟社) 明治11年、北溟社(ほくめいしゃ)が設立され、函館新聞が創刊された。同社は明治12年大火後富岡町(函館病院下)に移転、同31年に函館毎日新聞と改称。大正9年鶴岡町に移転、昭和12年に休刊した。
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外国造船所
43外国造船所 (トムソン造船所) 現在:及能倉庫 慶応元年、英国領事館の元警備官トムソンが、ブラキストンの製材を利用した造船所を現在の豊川町で開業した。明治11年には300トンの船を建造し、市内造船所では抜きんでた存在だった。跡地には及能倉庫が建つ。
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氷庫
44氷庫 現在:ニチレイロジスティックス 明治元年以降、五稜郭の堀から採取した天然氷が本州向けに販売されていたが、その保冷・貯蔵施設として豊川町に設けられた氷室。大正末期から市内に人造製氷業が開始されたことで衰退し、昭和12年に廃業した。現在はニチレイロジスティックス(旧日本冷蔵グループ)の物流センター。
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地蔵堂
11地蔵堂 現在:地蔵寺 開創時は不詳。享和2(1802)年まで山ノ上町にあり、各宗派共同の火葬場だった。その後台町に移転、山背泊地蔵寺として親しまれてきた。石像、石仏が多いが、前庭にある元治元(1864)年建立の「有無両縁塔」が有名。台町の遊女屋が合同で遊女の供養として建てたもの。
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第四十四銀行
16四十四銀行 現在:東坂下 明治12年、東京第四十四国立銀行が函館に支店を設置。同15年業務不振のため、東京第三国立銀行と合併することとなり、本道における営業は第三国立銀行が継承することになった。
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金森洋物店
20金森洋物店 現在:郷土資料館 明治11・12年大火後の明治13年、豪商・渡辺熊四郎が舶来品を扱う店舗として創建。煉瓦積み漆喰仕上げ、窓も土塗とした。同40年大火でも類焼しなかったことで、その耐火性能を実証。明治初期の建築で今日まで残る数少ない存在。昭和44年から函館博物館郷土資料館。その後、大規模改修で創建当時に近い姿に復元。平成12年から再オープンし、明治時代の函館のハイカラ文化を今に伝えている。
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天神学校(弥生小学校)
26天神学校 (弥生学校) 現在:弥生小学校 明治11・12年の大火で函館山のふもとの3つの小学校(松蔭・常盤・内澗)が焼失したため、同15年統合校として天神町に小学校を新築。当初は天神学校とされたが、完成後に隣接の坂の名を冠して弥生学校とした。昭和9年の大火で焼失後、鉄筋コンクリート造りの耐火建築で再建。老朽化のため平成22年に解体、同24年に旧校舎の外観を模した弥生小学校新校舎が竣工した。