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水産試験場
水産試験場 提供者:大垣市役所 年代:戦後 水産試験場があった場所は、現在は西濃総合庁舎、警察署になっている。
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杭瀬川の蛍
杭瀬川の蛍 提供者:大垣市役所 年代:昭和10年代
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三塚町の松並木
三塚町の松並木 提供者:大垣市役所 年代:昭和12年頃 現在の東小前を通る美濃路には、松並木が点在していた。戦後10年くらいまでは、その面影が残っていた。
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日活館
日活館 提供者:大垣市商工会議所 年代:昭和初期
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マルヤのパン
マルヤのパン 提供者:大垣市商工会議所 年代:昭和初期
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日本合成化学工場
日本合成化学工場 提供者:大垣市立図書館 年代:昭和10年代
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鐘ヶ淵紡績
鐘ヶ淵紡績 提供者:大垣市商工会議所 年代:昭和10年頃 鐘ヶ淵紡績大垣工場は、大正3年(1914)に後藤毛織として操業を開始した。その後、東洋毛織、東京毛織 、合同毛織、新興毛織と変遷し、昭和11年(1936)に鐘ヶ淵紡績となった。
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若林製糸工場
若林製糸工場 提供者:大垣市商工会議所 年代:昭和10年頃 若林製糸大垣工場は、昭和9年(1934)笠縫町で操業を開始した。その後、昭和10年(1935)に東邦レーヨン(東レ)と合併した。
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岸和田紡績工場
岸和田紡績工場 提供者:大垣市商工会議所 年代:昭和10年代 岸和田紡績は、昭和10年(1935)に青柳で開設され綿糸を中心に生産された。昭和16年(1941)に大日本紡績に吸収合併された。現在は、イビデン青柳工場になっている。
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大日本紡績 西大垣工場
大日本紡績 西大垣工場 提供者:大垣市商工会議所 年代:昭和10年代
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船町高橋付近
船町高橋付近 提供者:大垣市 年代:昭和10年代 写真は、船町の高橋から住吉灯台を望む。川西(左側)には、魚介・青果市場があった。川東には、瓶屋町といい、履き物問屋や回船問屋、郵便局が並んでいた。
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昭和通り
昭和通り 提供者:大垣市 年代:昭和15年頃 昭和通りは、現在の俵町の槌屋の西側を南北につないだ商店街である。昭和10年に写真のようなアーケードをつけ、アーチに巻き上げ自在のブラインドを取り付けた。大垣には、珍しい商店街であったので、昭和通り商店街と呼ぶようになった。しかし、戦争が激しくなると鉄材は供出の対象となり、せっかくのモダンな通りも失われた。
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お鳥屋敷
お鳥屋敷 提供者:個人(大垣商業学校撮影) 年代:昭和初期 お鳥屋敷は戸田氏の別邸があったところで、鬱蒼とした森の中に池だけでも1000坪の広さを持つ鴨場があった。現在はNTTのビルが建っている。
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大垣駅
大垣駅 提供者:大垣市役所 年代:昭和初期 戦前の駅舎は明治35年の改築以来、明治末期に正面玄関を増築し、昭和13年まで使用された。
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戦前の大垣市役所
戦前の大垣市役所 提供者:個人 年代:昭和初期 戦前の市役所は裁判所と並んで、現在の大垣郵便局の裏側が正面であった。旧役場が狭くて老朽化したため、大橋銀行頭取の屋敷跡を買い取って、昭和12年5月に新築移転した。戦争が激しくなると、正面玄関には「挙国一致」とか「尽忠報国」とかいうスローガンが掲げられた。この庁舎もこの後昭和20年7月の空襲により焼失、10年足らずの命運であった。(「写真集 思い出のアルバム 大垣」 郷土出版)
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大垣共立銀行
大垣共立銀行 提供者:大垣市商工会議所 年代:昭和初期 大垣共立銀行の本店は、俵町にあった。木造土蔵造りの建物で入り口にのれんがぶら下がっていた。大正12年、大垣共立銀行は俵町から郭町交差点角に移り、ルネサンス式の豪壮な建物となった。(「写真集 大垣いまむかし」 郷土出版)
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貯蓄銀行
貯蓄銀行 提供者:大垣市商工会議所 年代:昭和初期 大垣貯蓄銀行の本館として、昭和2年に「大ビル百貨店」の名で開業した。大垣での百貨店第一号であり、エレベータが初めて取り付けられたのもこのビルであった。戦後は共栄百貨店、丸物百貨店大垣支店、マルイ百貨店、名鉄サルビアと経営者がめまぐるしく変わった。さらに大垣共立銀行郭町ビルとなり、平成13年に大垣市守屋多々志美術館として、開業した。
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愛知銀行大垣支店
愛知銀行大垣支店 提供者:大垣市立図書館 年代:昭和初期 洋館は木造タイル張りの愛知銀行の建物。大正中頃に建造され、当時は大垣で唯一の西洋館だった。大正時代は大垣にも次々と洋館が表し、この建物が唯一の洋館といっているうちに、もっと大きな建物が登場した。駅前の道路幅は現在の1/4と狭い。
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大垣市立図書館
大垣市立図書館 提供者:大垣市立図書館 年代:昭和14年 「大垣案内」 大垣藩の藩校敬教堂跡に昭和3年、鉄筋コンクリートの図書館が建てられた。しかし、昭和21年の空襲で外観を残して、書庫とともに5万冊とも言われる蔵書も焼失した。戦後、市役所として利用されたが、昭和21年には応急修理を経て近隣の寺に疎開してあった図書を戻し、図書館が復活した。室村町に移転後図書館は取り壊され、現在は大垣市保健センターが建っている。保健センター前のトネリコは、8代藩主戸田氏庸が敬教堂を増築した際、雷除けとして植えられた。(トネリコは中国曲阜にある孔子廟の庭に植えられ、「学問の木」と称されたことから、各地の藩校でも植えられた。)戦時中の空襲にも耐え、樹齢150年をこえる。(「歴史と文化の交差路 大垣を歩く」)
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円通寺
円通寺 提供者:大垣市商工会議所 年代:昭和初期 大垣藩戸田家菩提寺である円通寺の山門は、壮大な木造瓦葺の建造物で、天保年間(1830-1844年)に再建されている。戦災で本堂や庫裡は焼失したが、山門は延焼を免れ、現在に至っている。
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八幡神社
八幡神社 提供者:個人 年代:昭和初期 建武年間、大垣が大井荘と呼ばれ東大寺領だったため、東大寺の鎮護寺である手向山八幡宮を勧請して建てられた。1451年、藤江町から現在の西外側町に移され、藤江町の方は「元八幡宮」といわれる。戦国時代、戦火で焼失したが、大垣藩主戸田氏鉄が八幡神社を再建整備した。その際、藩主から10ヶ町に3両の山車が下賜され、10ヶ町は10両の山車を曳き回したのが、大垣祭の始まりである。
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大垣商工会議所、十六銀行
大垣商工会議所、十六銀行 提供者:大垣市商工会議所 年代:昭和初期 商工会議所主催の商品祭の様子。上の写真はの手前のビルが大垣商工会議所、奥の丸いビルは十六銀行。その間に招魂社へ通じる鳥居があった。今は鳥居も参道もなく、スイトタクシーの事務所がある。
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東本願寺別院
東本願寺別院 提供者:大垣市立図書館 年代:昭和12年「大垣案内」 慶長7年、本願寺の東西分派のおり、安八郡三塚の真徳寺(現大垣市・西派)栄寿は、不破郡平尾に真徳寺を別立して東派に属した。その後、栄寿は大垣城主石川忠総から寺地を寄進され、大垣市中町に掛所を創建した。これが大垣別院の始まりである。寛永元年(1624)3月、大垣城主岡部長盛が大垣の町割りを再編するにあたり、伝馬町に移った。
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家老屋敷と郵便局
家老屋敷と郵便局 提供者:大垣市商工会議所 年代:昭和初期 郭町の南はずれにあった家老屋敷は、明治43年に安八郡役所となり、その後、丸の内に移転した。家老屋敷は聖公会の幼稚園となり、ついで美濃ミッションという教会になった。これは戦後まであったが取り壊され、大垣共立銀行本店が建っている。家老屋敷の奥の建物は、郵便局。その奥には、大垣共立銀行、さらに貯蓄銀行が見える。
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大垣駅前 槌屋柿羊羹本舗
大垣駅前 槌屋柿羊羹本舗 提供者:大垣市役所 年代:昭和13年頃 槌谷柿羊羹本舗は、お城をかたどった望楼型の建物であった。駅前には、明治時代の最盛期には200台にのぼる人力車が並んでいたと伝えられる。
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官祭招魂社
官祭招魂社 提供者:個人 年代:昭和初期 明治4年(1871)、元大垣藩主・戸田氏共が戊辰戦争の戦死者54名を祀るため招魂祠を創建したのに始まる。明治8年に官祭招魂社となって大垣招魂社に改称した。日露戦争の戦勝祝賀が盛大に挙行された。昭和14年、招魂社の制度が護国神社に改められたのに伴い、濃飛護國神社と改称した。