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小西バロックパールギャラリー(伊勢パールセンター)
小西バロックパールギャラリー(伊勢パールセンター) 真珠宝飾品のデザインや販売に加え、真珠の病院と呼ばれるほど修理も定評のある伊勢パールセンターの一角にある。バロックパールとは、真珠養殖の過程で偶然生まれた変形真珠。デザイナーでもある館長の小西蔀さんが小物を添えてアレンジし、美しさと楽しさを兼ねそなえた表情豊かなジュエリーをたくさん展示している。 館の概要 館長名 小西 蔀 開館時間 9:00~18:00火曜・水曜休館 予約 予約不要 体験 - 電話 0596-43-4311 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市二見町松下1742-8 アクセス JR・近鉄伊勢市駅または近鉄宇治山田駅から三交バス鳥羽行き池の浦下車すぐ 駐車場 30台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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久住商店
久住商店 かつて造船の町として発展した大湊。久住勇さん(三代目)・誠さん(四代目)父子は造船の匠の技を受け継ぎ、昔ながらの火造りで和釘を作っている。和釘は洋釘とは違って軸が角錐状で、表面に微妙な凹凸があるため、抜けにくく耐久性に富むのが特徴。作業場では、熱された鉄線が火花を散らして鍛造されていく様子が見られる。 館の概要 館長名 久住 勇 開館時間 10:00~17:00土曜・日曜休館 予約 要予約 体験 - 電話 0596-36-4062 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市大湊町1014 アクセス JR・近鉄伊勢市駅から三交バス大湊行き大湊下車徒歩1分 駐車場 無 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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ゴーリキアイランド
ゴーリキアイランド かつて大湊で船造りをしていた強力造船所が前身。船で使われる真鍮製の装飾品も扱っていたノウハウを活かし、無垢材の真鍮を加工した、暮らしを彩るインテリア・エクステリア品を手がけている。磨いたり年数を経ることによってさらに味わい深くなる真鍮。マリンテイストあふれるショップで、その温かさにふれられる。 館の概要 館長名 強力 海 開館時間 10:00~17:00土曜・日曜・祝日休館 予約 団体の場合要予約 体験 - 電話 0596-36-2322 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市大湊町1125-10 アクセス JR・近鉄伊勢市駅から三交バス大湊行き中町下車 駐車場 10台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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みなとまち館
みなとまち館 舟運が盛んだった江戸時代から昭和30年代にかけて、神社港は伊勢の港町として栄えていた。船乗りや船参宮客をもてなす店が軒を並べ、太鼓や三味線の音色が通りに流れていたという。海の駅近くにある同館は、今は廃れてしまった港町の文化を多彩な資料や民具、船具を通して伝えている。展望デッキからの港の眺めも良い。 館の概要 館長名 中村 清 開館時間 9:00~17:00無休 予約 団体10名以上の場合要予約 体験 伝馬船乗船体験【無料】/シーカヤック1日貸し出し【1000円(ライフジャケットなど必要品含め)】 電話 0596-36-3755 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市神社港60 アクセス JR・近鉄伊勢市駅から三交バス一色町行き神社港下車徒歩3分 駐車場 10台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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麻吉歴史館
麻吉歴史館 江戸時代、お伊勢参りの精進落としの場として賑わった古市の面影を伝える老舗旅館「麻吉」。土蔵を改装した麻吉歴史館には、古市の隆盛を伝える久谷や伊万里の大皿をはじめとする豪華な食器や金屏風、掛け軸などが並ぶ。傾斜地に懸崖造りで建つ館内の構造も見どころで、近年は古い建物や神宮参拝に興味を持つ若い客も多い。 館の概要 館長名 上田 聖子 開館時間 食事・宿泊客のみ公開不定休 予約 要予約 体験 - 電話 0596-22-4101 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市中之町109 アクセス JR・近鉄伊勢市駅または近鉄宇治山田駅から三交バス浦田町行き中之町下車すぐ 駐車場 10台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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伊勢根付彫刻館
伊勢根付彫刻館 江戸時代、印籠や煙草入れにつけていたミニ彫刻の根付。花鳥風月すべてがモチーフで、その精巧さと遊び心は見るほどに味わい深い。使ううちに磨かれてさらに美しくなり、現在も携帯ストラップやキーホルダーとして密かな人気がある。三重県文化功労賞を受賞した中川忠峰さんの工房である同館で、その技と作品にふれられる。 館の概要 館長名 中川 忠峰 開館時間 10:00~15:00火曜休館 予約 要予約 体験 朝熊黄楊(つげ)を使ったペンダントトップ作り 【1000円~】 電話 0596-25-5988 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市上地町1358-1 アクセス JR・近鉄伊勢市駅または近鉄宇治山田駅から三交バス世古・早馬瀬口行き掛橋下車 駐車場 3台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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伊勢和紙館(大豐和紙工業)
伊勢和紙館(大豐和紙工業) 神宮をはじめ全国の神社のお神札(おふだ)に用いる和紙を奉製する大豐和紙工業。伊勢和紙館はその敷地内にあって、多彩な伊勢和紙を展示・販売している。歴史や紙漉きの工程・道具のほかインクジェットプリンタで仕上げた和紙作品(写真・書画)を数多く展示し、素材がつくりだす和紙の魅力に触れられる。 館の概要 館長名 中北 喜得 開館時間 9:30~16:30土曜(第2土曜は開館)・日曜・一部の祝日休館(併設する伊勢和紙ギャラリーの展覧中は開館) 予約 予約不要 体験 毎月第2土曜日に、テーマを決めてイベントを開催。 備え付けの機材を使って、随時、伊勢和紙プリントを試せます。 電話 0596-28-2359 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市大世古1-10-30 アクセス JR・近鉄伊勢市駅下車徒歩約10分 駐車場 10台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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ボンヴィヴァン
ボンヴィヴァン 赤い瓦屋根とレンガ組みの白壁が美しい洋館は、元は東京中央郵便局など近代名建築を手がけた吉田鉄郎の設計による大正時代の建物。天上が高くてゆったりとした雰囲気のフレンチレストランとブラッスリー、ティールームの3部屋があり、それぞれに河瀬オーナーシェフ夫妻が集めたアンティークな調度品や雑貨が彩りを添えている。 館の概要 館長名 河瀬 毅 開館時間 9:00~20:30月曜・日曜の夜休館(月曜が祝日の場合は火曜・月曜の夜休館) 予約 予約不要 体験 - 電話 0596-26-3131 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市本町20-24 アクセス JR・近鉄伊勢市駅下車徒歩約5分 駐車場 11台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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力也・伊勢とっくり倉
力也・伊勢とっくり倉 松阪牛の肉処「力也」のとっくりコレクションは、現在約六千本。店内の伊勢とっくり倉では江戸時代後期から昭和初期にかけて庶民が愛用した通いとっくりが天井いっぱいにぶら下がる。また店内には九谷焼や備前焼などうっとりと眺めたくなる多彩なとっくりが飾られ、日本人がいかに酒好きだったかがうかがえる。 館の概要 館長名 山口 文規 開館時間 10:30~14:00/17:00~20:30水曜休館 予約 要予約 体験 - 電話 0596-25-9880 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市黒瀬町869-2 アクセス JR・近鉄伊勢市駅または近鉄宇治山田駅から三交バスジャスコ伊勢店行き伊勢学園前下車徒歩3分 駐車場 10台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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籐商玉屋
籐商玉屋 丈夫で、軽くて、長持ちする籐の乳母車を、初孫に贈る・・・。伊勢にかつてあった風習を支えてきた籐商玉屋の、最後の籐職人が玉村裕子さん。編む・結ぶ・巻く技術を施しながら2~5日ほどかけて仕上げる籐車は、膨らみ編みなど伊勢ならではの意匠が美しい。技術の継承にも力を入れており、多彩な籐手芸の体験や教室がある。 館の概要 館長名 玉村 裕子 開館時間 9:00~18:00不定休 予約 要予約 体験 籐で作る小物製作体験 【1000円~】 電話 0596-28-6235 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市宮町2-1-1 アクセス JR・近鉄伊勢市駅または近鉄宇治山田駅から三交バス宮川中学校前行き宮町下車 駐車場 3台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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神楽の窯
神楽の窯 濱田庄司や河井寛次郎などに師事し、民芸運動にも携わった陶芸家の奥田康博さんが昭和33年、朝熊山西麓に開窯。現在は息子の丈士さんが伝統を受け継ぎ、呉須(藍色)や赤絵などを基調とする色鮮やかな雑器から、壺や花びんなどの工芸品まで製作。丈士さんがろくろを回す工房や登り窯を見学できるほか、陶芸体験(予約制)も楽しめる。 館の概要 館長名 奥田 丈士 開館時間 9:00~16:00木曜休館 予約 要予約 体験 陶芸製作体験 【3500円】(作品は、後日着払いにて送付。) 電話 0596-25-2008 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市朝熊町平岩801-15 アクセス 近鉄朝熊駅下車徒歩20分 駐車場 10台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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畑井工房
畑井工房 木目や彩色の美しさから、呉服店や飲食店などのインテリアとしても喜ばれる伊勢玩具。その職人技を見ることができる畑井工房には昔から使い続けている真鍮ロクロがあり、木の香りとともに凛とした空気が満ちている。コマだけを取ってみても種類や大きさ、彩色などが豊富で、その一つひとつに手づくりの味がある。 館の概要 館長名 畑井 和也 開館時間 9:00~17:00日曜・祝日休館 予約 要予約 体験 - 電話 0596-22-0065 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市宇治浦田3-3-30 アクセス JR・近鉄伊勢市駅または近鉄宇治山田駅から三交バス猿田彦神社前下車すぐ 駐車場 無(近くに市営駐車場有) © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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白鷹・三宅商店
白鷹・三宅商店 神宮の神様に供える御料酒ゆかりの「白鷹」を取り扱う酒店。おはらい町の中ほどに佇む切妻妻入りの店内には立ち飲みのカウンターがあり、ここでお清めをして参拝に向かう常連も。店内には酒文化の歴史を伝える慶事用の角樽や木桶、通い樽などが置かれ、御師の講看板もある。モノクロームの時代と変わらぬ空気に浸りたい。 館の概要 館長名 前田 世利子 開館時間 10:00~17:00無休 予約 説明が必要な場合と多人数の場合要予約 体験 - 電話 0596-22-4506 入館料 無料 トイレ 無(近くの内宮前駐車場に有) 住所 伊勢市宇治今在家町29 アクセス JR・近鉄伊勢市駅または近鉄宇治山田駅から三交バス内宮前下車 駐車場 無(近くに内宮駐車場・市営浦田駐車場有) © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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百鱗房(岩戸屋)
百鱗房(岩戸屋) 江戸時代末期、内宮の御師(おんし)の家に生まれた画家・磯部百鱗(いそべひゃくりん)の作品を集めた岩戸屋のミニギャラリー。百鱗は神宮に奉仕するかたわら四条派に学び、素朴で詩情豊かな山水画や人物画、歴史画を残した。その掛け軸や屏風など約30点の作品から季節に合わせて10点ほどを展示。岩戸屋の看板であるお多福像も見ることができる。 館の概要 館長名 牧戸 福詞 開館時間 8:30~17:00不定休 予約 要予約 体験 - 電話 0596-23-3236 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市宇治今在家町21 アクセス JR・近鉄伊勢市駅または近鉄宇治山田駅から三交バス内宮前下車 駐車場 無(近くに内宮前駐車場有) © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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上地木工所
上地木工所 神路山に炭焼きがいた昭和三十年代まで、おはらい町には木工の店が多かった。特にサルスベリなどで作ったヨーヨーやコマ、ダルマ落とし、ケン玉などのくり物は伊勢玩具として早くから全国に出荷され、戦後はアメリカにも輸出していた。上地木工所では、当時作っていた温かさと創意に富んだくり物玩具を多数展示・販売している。 館の概要 館長名 上地 千枝 開館時間 10:00~16:00不定休 予約 予約不要 体験 - 電話 0596-22-2927 入館料 無料 トイレ 無(近くの内宮前公衆トイレに有) 住所 伊勢市宇治今在家町20 アクセス JR・近鉄伊勢市駅または近鉄宇治山田駅から三交バス内宮前下車 駐車場 無(近くに内宮駐車場有) © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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生姜糖博物館(二光堂)
生姜糖博物館(二光堂) かつては伊勢土産といえば生姜糖。砂糖と水飴に生姜を加えて煮詰めた素朴な味だが、日持ちする甘い菓子としてもてはやされた。おはらい町で代々生姜糖を製造していた二光堂では、銅やブリキ製の生姜糖の型やレトロなラベルなどを展示している。神宮の札や宇治橋、夫婦岩など型の多彩さに往時の人気ぶりがうかがえる。 館の概要 館長名 外村 晃一 開館時間 9:00~16:00不定休 予約 予約不要 体験 - 電話 0596-22-4175 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市宇治今在家町60 アクセス JR・近鉄伊勢市駅または近鉄宇治山田駅から三交バス浦田町行き三交バス内宮前下車 駐車場 無(近くに市営浦田パーキング有) © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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伊勢春慶デザイン工房
伊勢春慶デザイン工房 江戸時代末から昭和30年代まで日用の雑器として伊勢で作られていた伊勢春慶。食紅などで着色し、柿渋を引き、木目を生かす透明漆を塗り重ねていく。近年、素朴な風合いが見直され、再び作られるようになった。その拠点である同工房では塗師の仕事を見ることができるほか、新旧の伊勢春慶も展示・販売している。 館の概要 館長名 伊勢春慶の会 村田 典子 開館時間 10:00~16:00土曜・日曜開館 予約 要予約 体験 - 電話 0596-29-1285 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市河崎2-25-29 アクセス JR・近鉄伊勢市駅下車徒歩約15分/近鉄宇治山田駅下車徒歩15分 駐車場 10台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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伊勢河崎商人館
伊勢河崎商人館 河崎で300年続いた酒問屋を修復。600坪の敷地にある七棟の蔵と母屋が活用されている。河崎の歴史や文化を伝える「河崎まちなみ館」、当時の商業の道具を展示する「内蔵資料館」、手作り雑貨やアンティーク小物などをそろえた「商人蔵」、寄席などを開く「角吾座」を見学できる。予約すれば、ガイドが案内してくれる。 館の概要 館長名 高橋 徹(NPO法人伊勢河崎まちづくり衆) 開館時間 9:30~17:00火曜休館(祝日の場合は開館、翌日休館) 予約 団体10名以上の場合要予約 体験 伊勢河崎商人館ガイドツアー【無料(入館料のみ)】/エコフラワー作り 【入館料とは別に500円】/布を使った工作体験 【入館料とは別に500円】 電話 0596-22-4810 入館料 大人300円 高校・大学生200円 小・中学生100円 トイレ 有 住所 伊勢市河崎2-25-32 アクセス JR・近鉄伊勢市駅下車徒歩約15分/近鉄宇治山田駅下車徒歩15分 駐車場 30台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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岩戸の塩工房
岩戸の塩工房 古代から神宮の御塩づくりが行われている二見。そのゆかりの地で、自然塩を作っているのが岩戸の塩工房だ。神前海岸の伏流水を汲み上げて、2日間鉄釜で炊き上げる。ミネラル分が豊富なのでほのかな甘味もあり、この塩で作られた塩ようかんも評判だ。「本物の塩に親しんでほしい」と館長の百木さん。塩作り工程の見学もできる。 館の概要 館長名 百木 良太 開館時間 10:00~16:00火曜休館(不定休あり) 予約 要予約 体験 - 電話 0596-43-2122 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市二見町茶屋566-9 アクセス JR二見浦駅下車徒歩15分 駐車場 2台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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和具屋
和具屋 江戸時代から河崎で商う陶器問屋。建物の入口から奥までかつて荷物を運んだトロッコのレールが半分残ってなお64メートルあり、「伊勢の台所」と呼ばれた昔の河崎の繁栄がうかがえる。江戸末期から明治初期にかけての各地の陶器や錦絵のコレクションのほか、築300年といわれる奥の倉庫(見学料100円)も一見の価値がある。 館の概要 館長名 大西 きみ子 開館時間 9:00~17:00不定休 予約 予約不要 体験 - 電話 0596-28-2840 入館料 無料(奥の倉庫見学は100円) トイレ 無(和具屋から200m先の河崎商人館に有) 住所 伊勢市河崎2-19-32 アクセス JR・近鉄伊勢市駅下車徒歩約10分/近鉄宇治山田駅下車徒歩10分 駐車場 5台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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茶房 河崎蔵
茶房 河崎蔵 河崎にある築150年の蔵を改装した店。漆喰の壁に梁のある高い天井といったゆったりとした店内にシックな音楽が流れ、外の喧騒を忘れるような雰囲気のもと、焙煎したてのコーヒーを味わえる。「観光の方と地元の方との交流の場にもなっています」と店主の橋本信子さん。 館の概要 館長名 橋本 信子 開館時間 8:30~17:30水曜休館 予約 予約不要 体験 - 電話 090-1472-8713 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市河崎2-13-12 アクセス JR・近鉄伊勢市駅下車徒歩約10分/近鉄宇治山田駅下車徒歩15分 駐車場 4台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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賓日館
賓日館 伊勢神宮に参拝する皇族など賓客の休憩・宿泊施設として明治20年に建てられた。当時一流の建築家や職人の手により、柱や襖、障子一つひとつの細部にまで意匠が施され、特に貴人が宿泊した御殿の間や、百二十畳の桃山建築様式の大広間などは、部屋も展望も素晴らしい。二見浦のまちの歴史を紹介している資料室も見学できる。(国の重要文化財) 館の概要 館長名 NPO法人二見浦・賓日館の会 開館時間 9:00~17:00(最終入館16:30)火曜休館(祝日は開館し、翌日休館) 予約 予約不要 体験 - 電話 0596-43-2003 入館料 大人300円 小人150円(団体20名以上2割引き) トイレ 有 住所 伊勢市二見町茶屋566-2 アクセス JR二見浦駅下車徒歩15分 駐車場 40台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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小西萬金丹
小西萬金丹 腹痛など“お伊勢さんの霊薬”として参宮客の人気を呼んだ漢方薬の老舗(現在は健康食品として販売)。延宝4年(1676年)の創業時と同じ切妻妻入り建築の店舗の一部屋で往時の製薬道具を展示しており、漢方を調合した薬研や壺、江戸時代の時計、温度計などが昔と今を静かにつないでいる。 館の概要 館長名 小西 清香 開館時間 9:00~17:00水曜午後休館 予約 予約不要 体験 - 電話 0596-28-2647 入館料 無料 トイレ 無 住所 伊勢市八日市場町1-20 アクセス JR・近鉄伊勢市駅下車徒歩約10分 駐車場 無 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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真珠工芸館(ウラケイパール)
真珠工芸館(ウラケイパール) 老舗真珠店ウラケイパールの本社ギャラリーで、先代の故・浦口敬寿さんがデザインした本真珠の城や五重の塔など多彩な真珠工芸品を展示している。高さ約1メートルの大阪城は真珠を4万個も使用。神宮の内宮御正殿は音センターが仕込まれ、拍手を打つと扉が開いてマベ真珠の八咫鏡が出てくる遊び心も。昭和の夢が満ちている。 館の概要 館長名 浦口 寿人 開館時間 9:00~17:30日曜・祝日休館(月に2回程度土曜休館) 予約 要予約 体験 - 電話 0596-25-5500 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市船江1-6-16 アクセス JR・近鉄伊勢市駅から三交バス一色町・大湊行き船江下車徒歩5分 駐車場 2台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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岩田提灯店
岩田提灯店 嘉永五年(一八五二)に創業した提灯店で、神宮御用達。この道四十年以上の岩田茂男さんが手作りする提灯は丈夫なうえ、楷書や行書、隷書、勘亭流などいろんな書体の文字や絵柄を鮮やかに描き分けるとあって、県外からの注文も。古いアルバムもあり、多彩な提灯が町を飾っていた昭和の輝きに見入ってしまう。 館の概要 館長名 岩田 茂男 開館時間 9:00~17:00水曜・土曜・日曜・祝日休館 予約 多人数の場合要予約 体験 - 電話 0596-28-3041 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市船江2-4-19 アクセス JR・近鉄伊勢市駅下車徒歩約15分/近鉄宇治山田駅下車徒歩15分 駐車場 3台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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かどや民具館(二軒茶屋餅)
かどや民具館(二軒茶屋餅) かつて舟参宮の船着き場だった二軒茶屋で400年にわたり名物餅を売る角屋の川沿いの蔵を改装し、江戸時代から使っていた餅造りの道具や商売道具、生活雑器などを展示している。大きな民具や農具、さらに銭箱など今は見かけない物も手に取って見ることができ、昔の生活ぶりが興味深い。建物の一角は川の駅にもなっている。 館の概要 館長名 鈴木 宗一郎 開館時間 8:00~17:00無休 予約 団体10名以上の場合要予約 体験 - 電話 0596-23-3040 FAX 0596-28-3040 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市神久6-8-25 アクセス JR・近鉄伊勢市駅または近鉄宇治山田駅から三交バス鳥羽行き・今一色行き二軒茶屋下車 駐車場 30台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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味噌たまり蔵&地ビール蔵
味噌たまり蔵&地ビール蔵 昔ながらの天然醸造で、伊勢うどんのつゆなどに使われるたまりや醤油、味噌を作り続けている。麹の香りが漂う醸造場は大正時代に建てられ、背丈よりも大きな木樽は江戸期のものも。仕込みの工程をすべて見ることができ、生のたまりの試飲もOK。また、隣接する地ビール蔵では、地ビール「神都麥酒」ができあがる様子を見学できる。 館の概要 館長名 鈴木 宗一郎 開館時間 8:00~17:00無休 予約 団体10名以上の場合要予約 体験 - 電話 0596-23-3040/0596-23-2880 FAX 0596-23-3040 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市神久6-8-25 アクセス JR・近鉄伊勢市駅または近鉄宇治山田駅から三交バス鳥羽行き・今一色行き二軒茶屋下車 駐車場 30台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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汐湯・おかげ風呂舘 旭湯
汐湯・おかげ風呂舘 旭湯 勢田川沿いに建つ銭湯。館長の酒徳覚三さんは、参宮者が潮浴びをした二見浦へ毎朝夕出かけ、汲んだ海水で湯を沸かしている。「風呂場に切花を置いているのですが、蒸気の中でもとても長持ちします。入浴は体も心も癒すんです」と熱弁をふるう。館内には日本の銭湯の元祖といわれる伊勢与市翁の像など風呂ゆかりの品が並ぶ。 館の概要 館長名 酒徳 覚三 開館時間 12:00~0:30不定休(毎月1,2回) 予約 予約不要 体験 風呂学お話・風呂にまつわる所蔵品見学【無料】/体験入浴【要入泉料】 電話 0596-25-1126 入館料 無料(入泉料:大人380円 小学生150円 小学生未満70円) トイレ 有 住所 伊勢市神久1-1-16(清浄坊橋前) アクセス JR・近鉄伊勢市駅下車徒歩約5分/近鉄宇治山田駅下車徒歩5分 駐車場 30台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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伊勢 菊一
伊勢 菊一 伊勢市駅から外宮さんへといざなう外宮参道。そこに佇む明治創業の打刃物店「菊一文字本店」は、伊勢の文化を発信する寄合処「伊勢 菊一」として生まれ変わりました。全国の人々の寄合処、「伊勢 菊一」で神宮や伊勢のことをさらに理解してみませんか。店内には様々な包丁、鋏、爪切りなど日常使う刃物類が並び、オリジナル伊勢みやげ、神話占い、神宮を深く知るための書籍なども置いています。 館の概要 館長名 山本 武士 開館時間 9:00~17:00(無休) 予約 予約不要 体験 - 電話 0596-28-4933 入館料 無料 トイレ 無 住所 伊勢市本町18-18 アクセス JR・近鉄伊勢市駅下車徒歩約5分 駐車場 無 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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伊勢音頭資料館
伊勢音頭資料館 自宅の車庫を改装して作った資料館で、伊勢音頭の歴史が書かれた年表、レコード、三味線、写真、版画など約30点を展示しています。元々は伊勢神宮の遷宮のために用材を運ぶ木遣唄から始まったと言われる伊勢音頭は、江戸時代にはお伊勢参りの道中唄として親しまれ、参宮客の荷物にならない伊勢みやげとして全国に持ち帰られました。館内では、様々な伊勢音頭を聞くこともできます。 館の概要 館長名 畑 嘉高 開館時間 10:00~17:00毎日 予約 要予約 体験 - 電話 0596-28-2260(畑病院) 入館料 無料 トイレ - 住所 伊勢市辻久留1-175-5 アクセス JR・近鉄伊勢市駅または近鉄宇治山田駅から三交バス宮川中学校行き上ノ社下車徒歩3分 駐車場 - © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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式年遷宮記念神宮美術館
式年遷宮記念神宮美術館 正式名称を「式年遷宮記念神宮美術館」と言い、平成5年の第61回神宮式年遷宮を記念して創設されました。文化勲章受章者・文化功労者・日本芸術院会員・重要無形文化財保持者(人間国宝)といった当代を代表する作家によって、式年遷宮を奉賛して伊勢神宮に奉納された作品を収蔵・展示しています。当代美術の粋を一堂のもとに鑑賞できる、全国でも類のない美術館です。今後も崇敬の精神を伝える構想から、遷宮が行われるごとに多彩な秀作の奉納を受け、我が国の美術工芸のあゆみを展望できる美の殿堂を目指しています。 館の概要 開館時間 9:00~16:30(最終入館16:00)休館日 月曜(祝日の場合はその翌日)・年末3日間 予約 予約不要 体験 - 入館料 大人500円 大学・高校生300円 小・中学生 200円 トイレ 有 住所 伊勢市神田久志本町1754-1 アクセス 三交バス外宮内宮循環バス徴古館前下車徒歩3分/CANばす徴古館下車徒歩1分 駐車場 約40台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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山田奉行所記念館
山田奉行所記念館 山田奉行所記念館は、弘化2年(1845)に、ほぼ全焼した山田奉行所を、翌弘化3年(1846)に新築したときの図面「新造小林役所之図」などに基づき、書院、お白洲などその公的部分の一部を復元したものです。主屋81.3坪、門長屋19.6坪で、その広さは、往時の小林役所建物面積の凡そ6分の1にあたります。 館の概要 開館時間 9:00~16:00休館日 火曜(祝日の場合はその翌日)・11月23日・12月29日~1月3日 予約 予約不要(20名以上の場合要予約) 体験 - 電話 0596-36-8833 入館料 無料(当分の間) トイレ 有 住所 伊勢市御薗町上條1602 アクセス JR・近鉄伊勢市駅下車徒歩40分または車で15分 駐車場 約50台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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陸上自衛隊明野駐屯地明野航空記念館
陸上自衛隊明野駐屯地明野航空記念館 大正11年に建てられた建物で、中には明野陸軍飛行学校当時のものがおいてあります。フランス人が設計したモダンな造りになっています。事前の予約(申請書等の手続き)が必要となりまして、当日は案内人が館内の説明を行います。 館の概要 開館時間 平日のみ開館 予約 要予約 体験 - 電話 0596-37-0111 入館料 無料 トイレ 有(別施設の中) 住所 伊勢市小俣町明野5593-1 アクセス 近鉄明野駅下車徒歩15分 駐車場 有(駐車スペースは不明) © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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徳力富吉郎版画館
徳力富吉郎版画館 京都で代々絵所をつとめる家に生まれた徳力富吉郎氏は日本画・版画に頭角をあらわし、やがて華麗な多色刷りの木版画を完成させ、その第一人者となった人物です。「徳力富吉郎版画館」では1500点あまりの多彩な作品群の中から折々のテーマを設定し展示。美しい版画で伊勢志摩の四季365日を描ききった伊勢連作もすべてご紹介しています。あたたかく柔らかな線と色調、日本人の心を打つ木版画独特の世界をお楽しみください。 館の概要 開館時間 9:30~17:30(3月~6月・10月)/9:30~18:00(7月~9月)/9:30~17:00(11月~2月) 予約 予約不要 体験 - 電話 0596-23-8828 入館料 無料 トイレ 無(おかげ横丁内公衆トイレ) 住所 伊勢市宇治中之切町(おかげ横丁内) アクセス 近鉄五十鈴川駅徒歩21分/三交バス内宮前行き神宮前下車すぐ 駐車場 無(市営浦田駐車場に駐車可能) © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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二見シーパラダイス
二見シーパラダイス 動物たちを間近で見て、触れて、体温をじかに感じることができる水族館。芸達者なセイウチやかわいいゴマフアザラシ、キャッチボール好きなイルカなどとのふれあいイベントが盛りだくさん!大人の方もお子様も楽しんでいただけます。遊び心あふれる魚類の展示もぜひご覧ください。 館の概要 開館時間 9:00~17:00(季節により変更あり)休館日 12月に2日間メンテナンス休みあり 予約 団体の場合、要予約 体験 要相談(詳細はお問い合わせ下さい) 電話 0596-42-1760 入館料 大人1400円 小人(小・中学生)600円 幼児(3歳以上)300円 トイレ 有 住所 伊勢市二見町江580 アクセス CANバス「夫婦岩東口」下車すぐ/JR二見浦駅から徒歩約20分 駐車場 約120台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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五十鈴塾
五十鈴塾 3棟の伊勢の町屋を活用し、日本の伝統文化を学ぶことを目的とした、楽しくてためになる文化体験である。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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神宮徴古館
神宮徴古館 伊勢神宮の内宮と外宮の中間に位置する『神宮徴古館』は、伊勢神宮の博物館。神宮のおまつりや建物に関する資料を中心に、我が国の歴史・文化を知る上で貴重な資料を多数収蔵・展示している。特に20年に1度行われる式年遷宮の御料である御神宝類の展示は圧巻。赤坂・迎賓館の設計で知られる片山東熊の設計にかかる建築物で、明治42年に完成。化粧煉瓦石造りのルネサンス式建物は、明治時代建築の代表的遺構として国の登録有形文化財となっている。 館の概要 開館時間 9:00~16:30(最終入館16:00)休館日 月曜(祝日の場合はその翌日)・年末3日間 予約 予約不要 体験 - 電話 0596-22-1700 入館料 大人300円 大学・高校生150円 小・中学生100円(農業館と共通) トイレ 有 住所 伊勢市神田久志本町1754-1 アクセス 三交バス外宮内宮循環バス徴古館前下車徒歩3分/CANばす徴古館下車徒歩1分 駐車場 約40台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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伊勢古市参宮街道資料館
伊勢古市参宮街道資料館 参宮街道や江戸と上方の役者の登竜門でもあった伊勢歌舞伎。日本の三大妓楼のひとつとして著名であった古市妓楼などの関係資料を展示しています。2階には研修室があり、各種の講座・研修・会議などに広くご利用いただけます。 館の概要 開館時間 9:00~16:30休館日 月曜(祝日の場合は翌日)・休日の翌日(日曜日は除く)・年末年始(12月29日~1月3日) 予約 予約不要 体験 - 電話 0596-22-8410 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市中之町69番地 アクセス 三交バス三条前下車すぐ 駐車場 9台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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尾崎咢堂記念館
尾崎咢堂記念館 憲政の神様・尾崎行雄(咢堂)が少年時代に過ごし、第1回の衆議院議員選挙から出馬し当選を続けたゆかりの地である伊勢市に建てられた記念館です。館内は尾崎の考え方を紹介したスペース、尾崎の生涯を時系列でたどるエリア、尾崎に関する書籍や資料が整えられたコーナーがあり、尾崎の人となりや功績がわかりやすく展示されています。館内は展示室の他に会議室もあり、諸会合や講習会などに利用されています。 館の概要 開館時間 9:00~16:30休館日 月曜(祝日の場合はその翌日)・年末年始(12月29日~1月3日) 予約 予約不要 体験 - 電話 0596-22-3198 入館料 大人100円 小・中・高校生は無料 トイレ 有 住所 伊勢市川端町97-2 アクセス JR・近鉄伊勢市駅から車で10分/ 三交バス川端堤下車すぐ 駐車場 約20台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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お伊勢まいり資料館
お伊勢まいり資料館 お伊勢まいり資料館は江戸時代の全盛を極めたご連中さんの旅姿“おかげまいり”“参宮道中”など昔の民俗文化の再現に和紙人形を主軸にパノラマ式で展開し我が国初めての試みで、往時を偲ぶこの上もない資料です。 館の概要 開館時間 9:00~17:00休館日 火曜(祝日を除く)・12月31日~1月3日 予約 予約不要 体験 - 電話 0596-24-5353 入館料 大人300円 小中生・65歳以上100円 トイレ 有 住所 伊勢市宇治浦田1-15-20(株式会社浜幸パール2階) アクセス 三交バス宇治浦田町下車徒歩2分/三交バス猿田彦神社前下車徒歩2分 駐車場 10台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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式年遷宮記念 せんぐう館
式年遷宮記念 せんぐう館 せんぐう館は平成25年の第62回神宮式年遷宮を記念して、伊勢神宮・外宮に開館した新しい博物館です。伊勢参宮の新たな入口として、各種講座や体験学習などを行い、「式年遷宮」の理解をより深めることができます。また勾玉池を望むすぐれた景観を楽しむ、参拝者の憩いの場としての役割も果たします。 館の概要 開館 9:00~16:30(最終入館16:00)休館日 毎月第4火曜日(祝日の場合は翌日) 予約 予約不要 体験 各種講座や体験学習 電話 0596-22-6263 入館料 大人300円・小中学生100円 トイレ 有 住所 伊勢市豊川町前野126-1(外宮まがたま池) アクセス JR・近鉄伊勢市駅下車徒歩約5分 駐車場 有 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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四郷地区コミュニティセンター地域交流室
四郷地区コミュニティセンター地域交流室 同室は、四郷地区コミュニティセンターの1階にあります。同室では、地域住民が自分たちの住む地域の歴史や文化に愛着を持ち、自分たちの手で展示を手掛け、昭和初期の生活民具の常設展や、地域住民のパッチワーク・文芸・写真などの作品展示、年に3回テーマをかえて企画展を行っています。企画展では、テーマに沿うものを四郷地区の各町から収集して展示を行うなど、積極的に活動しています。 館の概要 開館 9:00~17:00(日曜16:00まで)土曜・祝日・年末年始休館 予約 予約不要 体験 - 電話 0596-22-2576 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市楠部町2484(四郷小学校横) アクセス 伊勢市コミュニティバス四郷小学校前下車すぐ 駐車場 有 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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神宮文庫
神宮文庫 神宮が運営する古典籍を主とした専門図書館です。館内に資料ミニ展示があり、年間4回展示替えします。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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伊藤小坡美術館
伊藤小坡美術館 当美術館では、京都画壇の中心の一人として活躍した伊藤小坡の作品を菟集展示し、親しまれてきましたが、この度大幅な改修を行い、リニューアルオープンを果たしました(平成23年4月1日~)。昭和初期の大作「幻想」を新しく収蔵品に加えるなど、展示の充実の他、調査研究、解説や講座の開催等、これまで以上に本格的な美術館活動に取り組んでまいります。 館の概要 開館時間 9:30~16:00休館日 月曜(祝日の場合はその翌日) 予約 予約不要 体験 - 電話 0596-22-2554(猿田彦神社) 入館料 一般300円 大学・高校生200円 中・小学生100円 トイレ 有 住所 伊勢市宇治浦田2-4-65 アクセス 三交バス猿田彦神社前下車 駐車場 有 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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山口誓子俳句館
山口誓子俳句館 山口誓子俳句館では、伊勢にゆかりのある山口誓子氏を俳句と映像で紹介しています。山口誓子氏は近代俳句の第一人者。伊勢をこよなく愛し、多くの作品に取り上げ、それによって伊勢を再発見して下さいました。その業績をたたえ、ここに俳句館が設立されています。 館の概要 開館時間 9:30~17:30(3月~6月・10月)/9:30~18:00(7月~9月)/9:30~17:00(11月~2月) 予約 予約不要 体験 - 電話 0596-23-8828 入館料 無料 トイレ 無(おかげ横丁内公衆トイレ) 住所 伊勢市宇治中之切町(おかげ横丁内) アクセス 近鉄五十鈴川駅徒歩21分/三交バス内宮前行き神宮前下車すぐ 駐車場 無(市営浦田駐車場に駐車可能) © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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マコンデ美術館
マコンデ美術館 当館は、彫刻のほか、鮮やかな色彩で描かれたティンガティンガのオリジナルや、ティンガティンガ派の絵画とバチック、 楽器、生活用具などの民俗資料をあわせて600点以上を展示し、アフリカの文化をより身近に感じていただけることと思います。なお当美術館は、三重県伊勢志摩国立公園の玄関口二見町。東側に伊勢湾の池の浦を見下ろす高台に位置し、二見浦の夫婦岩、伊勢神宮などに近接したすばらしい環境にあります。 館の概要 開館時間 9:00~17:00 休館日 火曜(祝日の場合は翌日)・6月、12月第2月曜~金曜 予約 予約不要 体験 - 電話 0596-42-1192 入館料 一般1000円 高校生800円 小・中学生600円 幼児無料 トイレ 有 住所 伊勢市二見町松下1799 アクセス 三交バス池の浦下車徒歩4分 駐車場 約30台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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金剛證寺宝物館
金剛證寺宝物館 金剛證寺は、伊勢志摩国立公園の最高峰標高555m朝熊山に在り、四季折々の草花に彩られ、春はつつじ、夏は睡蓮、秋は紅葉と大自然に抱かれ、森林浴も楽しめる最高の環境に立地しており、山頂からは波静かな鳥羽、志摩のリアス式海岸を眼下に見下ろし、よく晴れた日には、日本アルプス、富士山の姿を望むことができます。 館の概要 開館時間 9:00~16:00(但し、20名以上の団体に限る) 予約 要予約 体験 - 電話 0596-22-1710 入館料 一般400円 大学生300円 高校生300円 中学生200円 小学生100円 トイレ 有 住所 伊勢市朝熊町岳548 アクセス 車または登山(正月3日間はバスが運行) 駐車場 30台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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神宮農業館
神宮農業館 神宮農業館は日本最初の産業博物館で、明治24年、天照大御神と豊受大御神のご神徳を広めることを目的として外宮前に創設されました。明治38年に倉田山に移転し、平成13年には開館110年を迎えました。人間と自然の産物との関わりをテーマとし、伊勢神宮の神饌等お供え物を調える施設や、明治時代の殖産興業をしのぶ遺品など多く収蔵・展示しています。建物は徴古館と同じく、片山東熊の設計にかかり、平等院の鳳凰堂をイメージした和洋折衷の建築物です。明治建築の代表的遺構として国の登録有形文化財となっています。 館の概要 開館時間 9:00~16:30(最終入館16:00)休館日 月曜(祝日の場合はその翌日)・年末3日間 予約 予約不要 体験 - 電話 0596-22-1700 入館料 大人300円 大学・高校生150円 小・中学生100円(徴古館と共通) トイレ 有 住所 伊勢市神田久志本町1754-1 アクセス 三交バス外宮内宮循環バス徴古館前下車徒歩3分/CANばす徴古館下車徒歩1分 駐車場 約40台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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皇學館大学佐川記念神道博物館
皇學館大学佐川記念神道博物館 当館は、我が国の歴史・文化の源泉である神道及び神社の紹介を通じ、日本の文化及び歴史・伝統・信仰・思想等の様子を正しく伝える目的を持った大学付属の博物館施設です。神社と神道に関する展示、神様のお食事である神饌の展示、伊勢歌舞伎に関する展示、明治・大正・昭和の即位礼関係の資料や京都の絵図等に関する資料の展示等も行っております。 開館時間 9:00~16:00(平日)/9:00~正午(土曜)休館日 日曜・国民の祝日・振替休日・神宮神嘗祭(10月17日)・年末年始(12月28日~1月4日)・本学創立記念日(4月30日)・本学休業日・臨時休館日(当館が特に必要と認めた日) 予約 予約不要 体験 夏期に親子教室 電話 0596-22-6471 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市神田久志本町1704番地 アクセス 三交バス皇學館大学前下車徒歩5分/徴古館前下車徒歩2分 駐車場 約10台 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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伊勢市郷土資料コーナー
伊勢市郷土資料コーナー 伊勢市郷土資料コーナーは、伊勢市立郷土資料館閉館(平成23年3月31日)後の郷土資料の展示施設として、小俣総合支所1階のスペースに開設しました。庁舎内の限られたスペースですので、資料館の代わりになるものではありませんが、今後、定期的に展示物の模様替えを行い、来庁される方々に郷土史の一端なりともご紹介していきたいと考えています。 館の概要 開館時間 9:00~17:00休館日 土曜・日曜・祝日 予約 予約不要 体験 - 電話 0596-22-7884 入館料 無料 トイレ 有 住所 伊勢市小俣町元町540番地(小俣総合支所) アクセス JR宮川駅下車徒歩約10分 駐車場 有 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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おかげ座
おかげ座 「おかげ座」は江戸時代に起きた空前の参宮ブーム「おかげ参り」の謎に迫る歴史館。なぜ300万(当時の日本人口の5分の1)もの人々が伊勢に押し寄せたのか?どんな方法で?……往時の賑わいを2分の1スケールで忠実に再現した縮尺模型や映像シアターを巡りながら、数々の疑問を解き明かし、“おかげの心”に触れていきます。おもしろおかしい案内人の言葉に耳を傾ければ、そこは江戸の世。老若男女で賑わったありし日の伊勢参宮を、おかげ座でご体感ください。 館の概要 開館時間 10:00~17:30(7月~9月)/10:00~17:00(3月~6月、10月)/10:00~16:30(11月~2月) 予約 予約不要 体験 - 電話 0596-23-8844 入館料 大人300円 小人100円 団体(20名様以上) 大人200円 小人50円 トイレ 無(おかげ横丁内公衆トイレ) 住所 伊勢市宇治中之切町(おかげ横丁内) アクセス 近鉄五十鈴川駅徒歩21分/三交バス内宮前行き神宮前下車すぐ 駐車場 無(市営浦田駐車場に駐車可能) © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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橋本平八・北園克衛生家
橋本平八・北園克衛生家 伊勢市出身で、東西の宗教や哲学、芸術思想を研究して独自の彫刻思想を確立し、木彫で近代彫刻史に大きな足跡を残し、早逝した橋本平八(1897-1935)と、その弟で前衛詩人として活動し、戦後は写真によるプラスティック・ポエム(造形詩)の制作、書籍装幀などを行ってきた北園克衛(本名:橋本健吉、1902-1978)の異色の芸術家兄弟の生家。兄弟は上京するが、兄・橋本平八は生家に戻り、この地で亡くなるまで制作を続けました。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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朝熊山経塚群
朝熊山経塚群 かつてこの辺りは杉や桧の巨木が鬱蒼として茂り、昼なお暗いほどでありました。 昭和34年9月、伊勢湾台風が吹き荒れ、多くの樹木がなぎ倒されました。その荒れ跡から埋経信仰の遺品が見つかりました。 このことから昭和37年(1962)同38年両年の発掘調査は計40日に及びました。 調査はこの頂上部から東斜面を東西16m、南北24mの範囲で、計40余基の経塚を発掘しました。 主な出土品は、陶製経筒、同経甕、土師質経筒、金銅製経筒などであります。副納品として経巻残片、円形・方形・八稜形などの鏡をはじめ、青白磁の合子、漆塗合子、輪花皿、山茶碗、銅製杯、銅製水滴などで、その一部は国宝に指定されました。在銘のものは保元元年(1156)より文治2年(1186)まで30年間にわたっています。日本の経塚に関する膨大で有力な資料が、提供された意義は大きいとされています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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楠部の大五輪
楠部の大五輪 本塔は慶長年間(1596~1615)以前の古塔では県内最大の五輪塔です。地輪は高さより横幅が少し大きく、水輪は上から抑えられた感じで横への膨らみが大きくなっています。火輪の軒は厚く、下縁は隅で反らせていますが、上縁の反りは更に強くなっています。空輪(宝珠)のとがりは三角錐状でやや大きく、総じて大振りな仕様です。各輪とも無地で刻銘も種子(しゅじ)もありません。 本塔については、宇治山田合戦の供養碑など伝説は数多いですが、近年の研究ではこの場所が鎌倉時代後期に叡尊(興正菩薩)によって中興された旧弘正寺(楠部町)の所有地であるため、塔の規模や形状からも、奈良西大寺の律宗石工集団による叡尊五輪塔との比較が提起されています。 南北朝時代末から室町時代初期の形態的特徴をよく残すものとして重要な五輪塔です。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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伊勢安土桃山文化村
伊勢安土桃山文化村 テレビでしか見ることのできない「ちょんまげ」姿の侍・町人、忍者とも出会える異空間テーマパーク。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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桜木地蔵
桜木地蔵 当桜木町はもと上中之地蔵とよばれ、17世紀初めごろ、東側の中村から移住した六軒家から始まったようであります。 本尊は合祀の二尊とともに、このあたりに集落ができ始めたころのものと思われます。 また右手前の地蔵尊二体を刻んだ石像は、当地南方丘陵をめぐる道路ぎわに立てられていて<どうろくじん>(塞の神・道祖神)と呼ばれていたもののようであります。 桜木地蔵の名の由来は、大きな桜の木の下にまつられていたからとされています。 正徳年間(18世紀初め)了運尼・禅宜などの有徳が庵をかまえ、ご本尊を大切におまつりしていたと伝えています。 このあたりは勢田川の源流の一つでもあり、かつて近くに池を望み、すぐれた景観に恵まれていました。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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奥の院卒塔婆
奥の院卒塔婆 伊勢地方には、奥之院に塔婆を建て死者を供養する“岳参り”という風習があり、延命子安観音を本尊とする奥之院に続く道の両側には、高さ2~8mの卒塔婆が建立されています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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丁塚古墳
丁塚古墳 この古墳は、直径29m、高さ4mの円墳ですが、地籍図、字名からは水濠をもった前方後円墳とも考えられています。過去に器台、小型甕、杯身などの須恵器が出土しており、6世紀前半の築造と推定されています。平安時代には経塚となり、室町末期から近世初頭には墓所にもなった重複遺跡です。 付近には、カンジョ塚、中塚、中塚南、東、下稲葉などの古墳が明治初期まで散在(現在消滅)しており、市内古墳分布の一画を形成していました。 なお、墳頂部からは経筒が出土しており、平安時代末期に経塚として再利用されたことから、経塚古墳とも呼ばれています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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隠岡遺跡
隠岡遺跡 隠岡遺跡の発掘調査は、昭和58年に市営住宅建設に伴う事前調査として約2300平方メートルが発掘されました。当遺跡は、検出された主要な生活の跡(遺構)や、生活の道具(遺物)から“弥生時代後期のむらの跡”と“平安時代の建物群跡”が中心の遺跡であると考えられます。 ―弥生時代のむら― 弥生時代後期の竪穴住居22棟、主幹排水路が宮川右岸の神宮周辺地で初検出された貴重な遺構です。遺物には壷・甕・高杯などの土器や斧などの石器が出土しました。このことから、眼下に勢田川の沖積地を見下ろす台地上に“むら”が形成されていたことがわかりました。 ―平安時代の建物群― 一辺1mをこえる大型柱堀形柱穴で構成され、しかも建物の棟方向をほぼそろえた掘立柱建物6棟と北にほぼ柱通りをそろえた総柱建物3棟、土坑などの遺構や緑釉陶器、土師器(甕・杯・皿)、須恵器(杯・甕)、灰釉陶器、志摩式製塩土器などの遺物から、平安時代の建物群であったと考えられます。 建物の規模や特殊な土器の出土などから一般集落ではなく、当時“尾上長(おのえのかみ)”と称された外宮禰宜、度会康平・彦晴・貞雄などの禰宜層の居住地であったとも考えられています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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南山古墳跡
南山古墳跡 本古墳は、五十鈴川左岸、東鹿海集落及び付近の沖積地を見下す丘陵頂部に築造された径17m、高さ2mの円墳で、昭和54年3月に鉄塔建設に伴って発掘調査を実施しました。 小さな円墳でしたが、全国的にも珍しい羨道部石積横穴式木室<入り口は石積みで、埋葬する所は木の部屋>と木棺直葬墓2基の埋葬施設が検出されました。 出土遺物は、鉄地銀象嵌鍔付直刀・直刀・刀子・鉄鏃・馬具(轡・鐙)・乳文鏡・勾玉・管玉・棗玉・ガラス玉・須恵器・土師器などの豊富な副葬品が出土しました。なかでも銀象嵌の鍔は出土例も少なく被葬者の特異性がうかがえます。 この古墳が作られた時期は、6世紀ごろと考えられます。以降、7世紀前半頃までの追葬がみられることから、当地域の有力層の同族墓と推定されます。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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「河崎」川の駅
「河崎」川の駅 勢田川に面して造られたこの駅舎は、昔市内を走っていた路面電車の駅舎をモチーフにしたデザインです。舎内では勢田川資料などを展示しています。階段護岸が船着場になっています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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柳の渡し跡
柳の渡し跡 むかし、宮川には橋がありませんでした。2ヶ所の渡し場で渡し舟が人と物のすべてを運びました。下の渡し(桜の渡し)の上流に位置して、上方・西国・熊野からの参宮客をここで対岸山田へ渡したのが、この「柳の渡し」でした。江戸時代、参宮が盛んになった頃のこの水辺には、その名の通り青い柳がしげり、掛茶屋が軒をならべてにぎわっていました。ここを渡れば神都、念願のお伊勢参りの歴史を、柳の渡しはだまって見つづけてきました。柳の渡しは、明治30年、参宮鉄道の開通で、ほぼその役割を終え、同44年度会橋の架橋で終止符を打ちました。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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上條の渡し跡
上條の渡し跡 江戸末期に書かれた地誌本「勢陽五鈴遺響」の中に「豊宮川下流本邑の北にあり、上條より渡すところなり故に上條の渡しという」とあるように、この渡しは江戸期から利用されていた。 宮川の本流、支流が貫流していた御薗村では、往時から昭和の時代まで渡しの舟の利用度は高く宮川本流を渡り対岸の豊浜、北浜地区へ行くのに「上條の渡し」が利用されていた。 昭和18年5月には廃止届が提出された。その後も細々と続けられていたものの昭和22年頃自然消滅となり現在に至っている。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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阿竹の渡し跡
阿竹の渡し跡 この田尻地区はかつて三角州で、現在「勢田大橋」が架かるこのあたりに昭和21年まで渡しがありました。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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磯の渡し跡
磯の渡し跡 江戸時代、宮川にあった三つの渡し(他に柳の渡し、桜の渡し)の一つで、磯町と高向(御薗町)間の地方路線として、近在の人々が利用した。昭和27年、豊浜大橋の完成により廃止された。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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桜の渡し跡
桜の渡し跡 宮川は、東国から来ても西国から来ても、神都伊勢に入る者はかならず渡らなければならない、伊勢最大の河川でありました。 江戸時代のもっと昔から、対岸小俣とこちら山田宮川町を結んだのが「桜の渡し」であり、関東・東国あるいは京からの人々は、参宮者も勅使もみなこの渡しによりました。春には桜花が美しく咲き、茶屋が並び、御師の出迎えの看板が林立し、また、めでたく参宮を終えて帰る伊勢講を送る道中歌もひびきました。 人・かご・馬あるいは長持1棹何文と定めて、参宮の歴史のすべてを運んできた「桜の渡し」は、明治30年参宮鉄道の開通まで生きつづけました。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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「二軒茶屋」川の駅
「二軒茶屋」川の駅 江戸時代には、関東からの参宮道者は伊勢街道を通り、関西からの道者は伊勢本街道を通って参宮しました。しかし、志摩や尾張・三河(愛知県)、遠江・駿河(静岡県)などからは船で参宮し、「船道者」とか「どんどこさん」と呼ばれました。八丁櫓の漁船で、大湊から勢田川水域に入ると、ドンドコドンドコと太鼓や笛・鉦で囃しながら、景気よく繰り込んで来て、神社やここ二軒茶屋などに上陸しました。 二軒茶屋というのは、角屋(餅・現二軒茶屋餅)とその東に湊屋(うどんとすし)と呼ぶ2軒の茶屋があったことによります。角屋は天正3年(1575年)の創業と伝えられています。 また明治5年(1872年)5月に、明治天皇は西国ご巡幸の際、伊勢神宮にご参拝になりました。この時は軍艦で来られ、鳥羽でご一泊。25日二軒茶屋にご上陸、両宮御親拝の後、27日ご帰還になりました。供奉した者の中には新政府の参議、西郷隆盛ほかの名がみられます。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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「神社」海の駅
「神社」海の駅 港に面した和風の駅舎は伊勢市の施設。2階からは港の様子が一望でき、船で訪れる人の待合室として、歴史文化資料の展示、研修スペースとして、また地域の交流の場としても活かされています。NPO法人神社みなとまち再生グループが指定管路者として運営をまかされています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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山田奉行所公事屋敷跡
山田奉行所公事屋敷跡 山田奉行の創始は、徳川家康が江戸に幕府を開いた慶長8年(1603年)にさかのぼります。この年、長野内蔵允友秀が派遣され、このあと、明治維新まで48代、その治政は260余年に及びました。 初期の奉行は、伊勢の国奉行もしくは四日市代官が山田奉行を兼務しましたから、山田市内に下代を置いて、その役邸で公事を行いました。このため、市内には、ほかにも役所の名を冠した地名が残されています。「お屋敷」の名で呼ばれるこの公事屋敷跡は、六代岡田伊勢守善同が、寛永7年(1630年)に新設した役所跡です。 その後、花房志摩守幸次が山田奉行専任となると、現在の御園町小林に奉行所を建設、寛永15年(1638年)、有滝浦にあった船蔵や同心屋敷を、そこに移転しました。このとき、吹上2丁目の公事屋敷の機能も移されましたが、しばらくはそのまま使われたとも伝えられています。 吹上2丁目の公事屋敷跡は、今も「お屋敷」と呼ばれ、また、かつてその鎮守社であった「お屋敷稲荷」(北北東へ130m)は、今も多くの人の信仰を集めています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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山田奉行発祥の地「有滝」
山田奉行発祥の地「有滝」 徳川家康の一行が、天正10年(1582年)本能寺の変に遭い難を逃れるため、伊勢の白子浦から脱出した際、伊勢湾の入り口付近における海上の警備と取締の必要性を感じたのがきっかけとなり、慶長8年4月(1603年)有滝村の地先にあった小島の広山に山田奉行の始まりとも言うべき有滝陣屋が開設されました。 幕府は、初代奉行に長野内蔵允友秀を任じ、七代目奉行花房志摩守幸次までの各奉行は、天領代官を兼務し、有滝に陣屋を構え、公事裁判等公務の執行に当たっては、山田高柳の公時役所に出向いて職責を果たしていました。 有滝陣屋は、有滝町260番地付近にあったと推測されていますが確証はありません。 ところが、元和元年(1615年)大阪夏の陣の頃、伊勢志摩地方に大災害が発生して、有滝陣屋もその居住性が懸念される程の被害を受けました。また、従来からの不便さもあり、寛永12年(1635年)山田奉行は、御船蔵とともに一切が小林村(現御薗町小林)へ移って行きました。 御船蔵には奉行所用船の「虎丸」「孔雀丸」「千早丸」などの大きな軍船が係留されていました。この御船蔵跡(有滝町2022~2029番地付近)は今でも、「お蔵屋敷」としてその名が残り地域住民からも親しまれています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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離宮院址
離宮院址 かつて斎王が斎宮から伊勢神宮へ向かう途中に立ち寄る宿泊所があった場所。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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山田三方会合所跡
山田三方会合所跡 室町時代以来明治維新まで存続し、坂・須原・岩渕の三方年寄による自治行政役所跡。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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度会府庁跡
度会府庁跡 慶応3年(1867年)江戸幕府は、朝廷に大政を奉還しました。同4年7月、度会府が設置され、橋本実梁(さねやな)が度会府知事となり、小林村の旧山田奉行所に着任しました。あわせて宇治会合・山田三方会合の自治体も解体されました。 翌明治2年(1869年)8月、度会府は度会県と改称されました。同3年6月、県庁舎は一之木町の山田三方会合所から、箕曲町(現在地・岩渕2丁目)の新築庁舎に移りました。敷地は1万坪(33,000平方メートル)ありました。 明治4年11月には、新度会県の発足となり、一志・飯高・飯野・多気・度会・答志・英虞・南牟婁・北牟婁の9郡を所管し、北の安濃津県とともに、三重県を二分しました。 明治9年(1876年)4月、三重県(安濃津県から改称)と合併することになり、度会県の歴史は幕を閉じました。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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旧林崎文庫
旧林崎文庫 当文庫は外宮の豊宮崎文庫とともに、わが国図書館の先駆をなすものであります。 貞享3年(1686年)宇治会合所の大年寄らが山田奉行・岡部駿河守に請うて幕府の下賜金を得て、翌4年丸山に文庫を創設しました。 しかしこの地が湿潤であったので元禄3年(1690年)北隣の林崎に移しました。 天明2年(1782年)荒木田尚賢らが講堂、塾舎を増築しました。その後、文政6年(1823年)後方の高地に再建し今日に至りました。 この間、林信篤、伊藤東涯、竹内式部などの大儒が書を講じました。また、水戸光圀、大塩平八郎、村井敬義などがその著述や蔵書を多く寄進しました。明治6年(1873年)その一切を神宮に献納しました。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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旧豊宮崎文庫
旧豊宮崎文庫 この文庫は、内宮の林崎文庫とともにわが国における図書館史上に異彩をはなつ施設であります。 慶安元年(1648年)、外宮権禰宜・出口廷佳の首唱により、祠官、山田三方、町年寄等の協力のもとに創設されました。文庫の経営は、有志により行われました。寛文元年(1661年)、山田奉行・八木但馬守は幕府より文庫の永代修繕料として20石の寄進を受けました。 以来、外宮祠官子弟の修学道場として発達し、図書館と一種の学校の性格を併せもち、文庫内には書庫、講堂等がありました。また文庫令条を設け、毎月一定日に神典、儒書などの講義がありました。時に、貝原益軒、伊藤東涯、大塩中斎など多くの碩学の来講もありました。 明治元年(1868年)、この文庫は廃止され、宮崎学校が開設されました。同11年には火災により講堂が焼失しました。しかし、厄災を免れた2万余冊の書籍類は、神苑会を経て同44年に神宮へ献納され、現在は神宮文庫に所蔵されています。 境内のお屋根桜は、古くから伊勢市の春に彩りを添えてきました。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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御塩殿神社
御塩殿神社 伊勢神宮に奉納する塩である「堅塩」を古代より変わらぬ手法で2000年以上作り続けている。 毎年10月には御塩殿祭が行われている。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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明星寺
明星寺 寺伝では天正元年(1573年)東寂光禅師の開基とされています。 本尊阿弥陀如来坐像(県文)は桧材、寄木造り、漆箔像。もと字山田原の密厳寺(臨済宗東福寺派・廃)の本尊であったとされています。 収蔵庫内には、もと本尊薬師如来坐像(重文)を安置しています。像高103cm。桧材、寄木造り、もと漆箔像。現在は素地をあらわしています。 背板内側に次の墨書があります。 願主 荒木田神主 度 会 氏 久安元年(1145年) (「乙丑年二月廿二日」か) もと三津の廃寺、常泉寺の本尊と伝えています。 その他、不動明王立像(95cm)、毘沙門天立像(97cm)共に平安時代。阿弥陀如来坐像(57cm)室町時代などがあります。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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大林寺
大林寺 当寺は、寛永2年(1625年)、僧信空の開基と伝えられ、はじめ古市町東裏に創立されましたが、元禄4年(1691年)、現在地に移されて以来、遊里古市の中心地にあってその盛衰をみてきました。 境内にある遊女お紺と孫福斎(いつき)の比翼塚は、寛政8年(1796年)、当寺の左隣にあった古市三大妓樓の一つ油屋におこった刃傷沙汰「油屋騒動」(「伊勢音頭恋寝刃」という歌舞伎狂言)の主人公を悼んで建立寄進されたものです。 お紺の墓は、文政12年(1829年)、坂東彦三郎によって建てられ、さらに昭和4年(1929年)、実川延若によって孫福斎の墓も建てられました。 こうして当寺は、歌舞伎遊芸の人々と深い縁に結ばれてきました。 境内には、さらに郷土俳人の2つの句碑があります。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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志宝屋神社
志宝屋神社 この神社付近は大塩屋村といい、住民の多くは神職で伊勢神宮に調達する塩を焼いていました。 明応の大津波で塩田は跡形もなくなるという大被害を受け、志宝屋神社も流出しましたが寛永21年に再興し、その後、外宮の末社となりました。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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箕曲中松原神社
箕曲中松原神社 「みの」は、この土地の古名「美乃」「美野」、あるいは勢田川の流れが曲るところを意味する「水曲(みのわ)」「箕曲(みの)」に由来しているといわれます。中松原も地名で、「美乃社」「箕曲社」「中松原社」「大歳社」などさまざまに呼ばれて来たものが、後代現社名に定着しました。 創祀は古く、長徳3年(997年)の古記にこの社名があり、千余年前から水辺の美しい野にあって土地の人々に敬拝されてきたことがわかります。 主祭神大歳神は土地の豊饒と平安の神ですが、早く明治8年には「県社」に指定され、その後多くの神々が合祀されました。 この社は、日々の生活や商いや勉学のすべてをつかさどり、この土地に住む人々「産子(うぶこ)」の幸せを守る神々の社です。 なお、宝物の獅子頭2個は文化12年(1815年)、太刀は寛保2年(1742年)、それぞれ敬神家から寄進せられたものです。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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茜社
茜社 外宮神苑・勾玉池のほとりのこの地は、上古「赤畝(あかうね)」と呼ばれた土地。古くこの地に鎮座した本社は「赤畝の社」と呼ばれ、外宮の摂社であったものと推定されます。創祀は不詳ですが、14世紀ごろの記録『豊受大神宮禰宜補任次第』がそれを語っています。 しかし、やがて当社は、歴史の流れの中で荒廃し、室町時代に至って土地の人々の産土神としてよみがえります。かつての赤畝の社はなまって「あこね」となります。「茜」の字があてられたのは明治初期です。 以来、「あこねさん」は、域内の茜稲荷や茜天神とともに土地の人々(産子)の願いをきいてきました。五穀豊饒・商売繁昌・家内安全・学業成就など。 本社は、山田産土神の一つであり、また神宮御遷宮のたびにその残材の払いさげを受けて神宮にならって御遷宮をしてきたのは、このような歴史によるものです。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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祖霊社
祖霊社 明治2年、氏神神社の祠官・祠掌のより斎行された神葬祭が、当祖霊社歴史の始まりであります。 明治維新の大教宣布運動の流れの中で神宮司廳に神宮教院が設けられ、常明寺跡(現・倭町金刀比羅神社辺り)に説教所を開設、神道の普及活動が始まりました。 この説教所は明治9年に宮崎文庫へと移り「神風講社」と呼ばれました。頃を同じくして、西南の役に出兵、名誉の戦死を遂げた神部出身者の慰霊祭を浦田長民少宮司が初代の斎主として執り行い、今日の霊祭の源となりました。さらに明治11年、現在地に祖霊舎が創建され、御本殿に造化神、信徒の祖先神霊がまつられました。その後、神風講社はさらに全国に広がり、当所は神宮第一教区本部、大神宮祠でありました。 さらに明治38年には、財団法人「神都霊祭会」として固有の葬儀・霊祭を引き続き行うこととなりました。 のち昭和28年、宗教法人「霊祭講社」、同56年には「祖霊社」と名を改め、現在に至っています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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清雲院
清雲院 徳川家康の側室於奈津の方の心願により寛永7年(1630年)吹上町に開基、家康の像も安置し、東照山清雲院と称した。寛文10年の山田の大火により尾上町の寿厳院の近くに移転したが、明治時代の廃仏棄釈の影響で廃寺となった。その後、大正9年に現在の神社港に中興され、寿厳院に預けられていた寺宝を今に伝えている。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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光明寺
光明寺 当寺は、天平年間(8世紀)に聖武天皇の勅願によって前山に創建、鎌倉時代末に恵観禅師の中興と伝えます。 延元3年(1338年)には、南朝勢力ばん回のため、後醍醐天皇の皇子・義良親王を奉じて、北畠親房父子や結城宗広などが、当寺で東国下りの出帆の準備をしたとされています。 また古く「光明寺の一つ鐘」と呼ばれ、当地では鐘楼を持つただ一つの寺でした。 長く吹上町(伊勢市駅前)にありましたが、寛文(1670年)の大火で厄災し、現在地に移りました。 次のような寺宝があります。 一、木像勢至菩薩立像 平安後期(市文)一、光明寺残篇(結城宗広の軍中日記ほか) 鎌倉末期(重文)一、結城宗広並夫人書状 南北朝時代(重文)一、光明寺文書(豊臣秀吉朱印状ほか) 鎌倉~桃山時代(県文)一、伏見天皇口宣案 鎌倉時代(市文)一、結城宗広画像 江戸時代(市文) 境内の石塔群5基(南北朝~室町時代・市文)も貴重です。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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官舎神社
官舎神社 延暦16年(797年)8月3日、離宮院が創設された時、神宮祭主大中臣朝臣諸魚らが中臣氏祖神・春日明神を大仏山東麓津島崎から離宮院西方に遷座。 平安・鎌倉時代は、延喜式内「官舎神社」と同じ神として、歴代大宮司により氏神祭が行われました。 15世紀後半の離宮院廃絶に伴いこの社も廃れ、中世末から、近世にかけては社殿もないまま離宮の神としてまつられていました。寛文3年(1663年)、大宮司大中臣精長が、離宮の一角に中臣氏社を再興、離宮の神として一体のものとして明治に及びました。 明治12年村社官舎神社再興、同43年八柱神社を合祀、昭和19年県社に昇格しました。 社名は、大宮司の庁院や斎内親王の離宮の「官舎」に由来すると伝えられています。 「離宮さん」の愛称、「旅の宮」「大漁宮」とも呼ばれ、航空・交通安全や漁業者の信仰も集めています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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高向大社
高向大社 当社の草創は『高向村神社記』によりますと、聖武天皇の天平3年(731年)となっています。 かつての高向郷は、現在のほぼ御薗町全域、さらに伊勢市に属する隣接地区を含む広大な地域でありました。この高向郷の本邑高向に鎮座していたのが当大社でありました。 俗に上社(かみのやしろ)とも呼ばれ、近世には八王子社ともいわれていました。 明治4年(1871年)村社となり、同41年村社神村社・無格社山神社を合祀しました。 同年の御薗村の神社合祀には参加せず、孤立して孤高をたもちました。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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久留山威勝寺跡
久留山威勝寺跡 この寺は久留嘉左衛門尉威勝が天文年中(16世紀中ごろ)創建したとされています。 寛永20年(1643年)といわれる伊勢市最古の地図にも大きく描かれています。 境内の池をめぐる石組みの多い庭は、古い趣の中に風格を漂わせています。池辺に弁財天坐像(室町時代)<市文>をまつる小祠があります。 善光寺(吹上1丁目)本堂は、当寺のもと大師堂(寛永3年<1626年>在銘)でありました。またその近くに石造月待供養塔(元亀3年<1572年>在銘)もありました。 さらには門前に大永2年(1522年)在銘の石造六地蔵石幢(せきどう)もあったといわれています。 明治3年廃寺となりました。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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上社
上社 むかし、当社地には、外宮の摂社志等美(しとみ)神社・同大河内(おおこうち)神社 ・同末社打懸(うちかけ)神社があったと考えられています。 しかし、戦国時代、久しく殿舎の造替もされず荒れはてていたのを、この辺りの住民がこの地の神<産土神(うぶすなかみ)>としてまつって今日に至りました。 その故か主祭神は右神社のご祭神と同じです。しかし当社は、古く八王子また牛頭(ごす)社と称され、現に牛頭(ごす)さんと呼ばれています。 宮川堤防を守護している神も当社のご祭神です。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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猿田彦神社
猿田彦神社 猿田彦大神は天孫瓊々杵命をこの国に御案内された後、伊勢の地を中心に国土の開拓・経営に尽くされた地主神と伝えられています。 また大神の御裔の大田命は、皇女倭姫命が神宮御鎮座の地を求めて巡歴されたときに五十鈴の川上の地を献り、伊勢の神宮が創建されました。当社はその直系の子孫が祖神をまつってきた神社であります。 大神は全てのことに先駆け、人々を善い方に導き、世の中の行方を開く「みちひらき」の神として識られています。 その信仰は全国的な広がりをもち、方位除・災除・地鎮・事業繁栄・交通安全・開運などの御祈祷が連日行なわれています。 毎年5月5日に斎行される御田祭(県・無形民俗文化財)も古い伝統にもとづいています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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寂照寺
寂照寺 当寺は、延宝5年(1677年)、知恩院第37世・寂照知鑑によって、豊臣秀頼の室・千姫の菩提を弔うために創建されました。 以来その位牌・遺物を安置して供養して参りましたが、歴史の中で当時中興の祖と呼ばれるのは、安永3年(1774年)、京都から派遣された僧月僊(1741~1809年)でした。 月僊は名を玄瑞といい、円山応挙に師事した画僧であり、その特技によって寺名を盛んにし、山門や本堂を再建し経堂を建てるとともに、広く社会事業にも尽力しました。 次のような寺宝があります。 一、八角輪蔵 総ケヤキ回転式 県文一、同一切経 2091冊 市文一、仏涅槃図 月僊作 市文一、富士の図 月僊作 市文一、木造聖観音立像 123cm 鎌倉時代、市文 なお、34歳で来勢しここに没した月僊の墓があります。境内の「月仙上人の碑」はその翌年、弟子の定僊が建立しました。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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御食神社
御食神社 豊受大神宮 摂社 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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須原大社
須原大社 須原は「洲原」で、宮川の支流清川の流域で、この辺りが一面の河原であったことを意味しているといわれます。 外宮の門前町・山田には大きな勢力として、須原方・坂方・岩渕方などがありました。 須原大社は、この須原方の産土神でありました。 ご祭神の八王子とは、アマテラスオオミカミがスサノオノミコトと誓約した時に生まれたとされる五男三女の神々のことといいます。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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坂社
坂社 昔、この地方は山田ヶ原と称し、宮川の分流が幾すじも流れて堰や原野があり、水止野(しとみの)・清野(きよの)・前野・美野(みの)・坂野などと呼ばれていました。これらの地には、その土地の名をつけた産土神をおまつりしました。これらを産土神八社と称しました。当社も八社の一つで、坂野村社・坂村社などと称されてきました。創祭年代は明らかではありませんが、古記録などから、およそ1200年前の奈良朝末期にまつられた古祠と推察されます。 時代はくだって、中世、山田の地は、坂・須原・美野の三方にわけて自治が行なわれましたが(「山田三方」の名の由来)、当社は坂地方(八日市場から浦口に至る区域)の人々が、崇敬した産土神であります。 ところで中世、このあたりは、その町名からわかるように毎月八のつく日に市が立ってにぎわいました。境内社の上座蛭子社は、その市の護り神をまつる社です。 また、産土八社の一つ藤社は昭和20年に外宮宮域の整備のため当地に合祀されました。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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今社
今社 社名の「今」は、宮川分流の清川に面した地名「井庭(いば)」、または流水をたくわえる「井場(いば)」に発した名で、ここは、外宮摂社の清野井庭神社の跡地ともいわれるところです。 御祭神はこの沃野にあって五穀豊饒をつかさどる神です。しかし、文政5年(1822年)の記録『小祀拾』によりますと、昔の本社は「宝殿ナクシテ石壇鳥居アリ、社地広く老樹数株アリ」と言われるように石壇に霊石を奉安したのみの、原始の形をとどめたものでした。社殿がつくられたのは明治44年のこと。 そして、毎年2月、厳寒の御頭神事には、この神苑でドンド火をたきます。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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久昌寺
久昌寺 寺伝によると、当寺は建久元年(1190年)、平知盛(12世紀末)の草創としています。 知盛は壇ノ浦で入水することなく、平家の再興を期して、当地にかくれ住んだとされています。 本尊阿弥陀如来(重文)の胸板裏に、次の墨書銘があります。 沙弥西念 願主 比丘尼聞法 執筆沙門長圓 承久参年 辛巳 八月廿日辛未玄開(1221年) 大歳対歳徳合母倉復仏日奉 造始之 佛師僧幸賢 本寺には本尊のほか、次の寺宝があります。一、知盛位牌 2基、内1基は室町時代一、大般若経 永和2年(1376年)応永4年(1397年)ほか一、写経石(一字一石経)寛文8年(1668年)一、境内 知盛塚(五輪塔)15世紀末供養塔 平家一門墓 室町末期五輪塔など約40基 なお前庭に、山口誓子などの句碑があります。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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磯神社
磯神社 創立は垂仁天皇25年、倭姫命が天照大神を奉じて、当地の行宮に留まられたとき、そこを磯宮と称しました。大神が宇治の五十鈴川のほとりにご鎮座の後は、磯宮を磯神社と称し、延喜式内社の一つとして古くから広い信仰を集めてきました。 なお近くの字下条には神宮大宮司・大中臣公宗(在任1141~1153年)邸跡や、字袴田(こうだ)には南朝祠官で外宮長官であった宮後朝棟(在任1339~1341年)邸跡などがあります。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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二見興玉神社
二見興玉神社 この神社の御神体は海底にあり、その御神体を遥拝するかたちで夫婦岩が鳥居となっている。 縁結び、交通安全等のご利益で知られている神社。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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太江寺
太江寺 寺伝によりますと、天平年間に、僧行基の開基と伝えられております。当寺蔵の寛永12年(1635年)の勧進帳によりますと、延喜年間(901~927年)観音堂を建てたとしています。坂十仏の『伊勢太神宮参詣記』(康永元年)(1342年)には、寺運が衰退していた頃の当寺の様子がうかがえます。 貞享3年(1686年)落雷により全焼しますが、当寺は次の元禄期に再建されました。 ご本尊は榧材で四十二手。頭部に興玉神のご神体観音像が納められているといわれています。 その他、聖観音坐像(室町)などがまつられています。 境内の鎮守社は興玉神であります。本堂前にはもと層塔の基礎という鎌倉時代の手水鉢があります。 また寺の裏山には元亀3年(157年2)銘の阿弥陀三尊種子碑もあります。境内には藤と紫陽花がそれぞれの時季に見事な花を咲かせ、参拝者を楽しませています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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月夜見宮
月夜見宮 天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟神である月夜見尊(つきよみのみこと)をお祀りする外宮の別宮。外宮の北御門(裏参道入り口)から北へ神路通りを300m程の所に御鎮座しています。内宮の別宮である月読宮と同じ御祭神です。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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世義寺
世義寺 当寺は、天平年間(729~748)聖武天皇の勅願を奉じて、僧行基が前山町亀谷郷に建立したと伝えています。 中世、外宮宮域の西に移り、寛文10年(1670年)の山田大火には幸い類焼をまぬがれましたが、神域と寺門の接するのを憂えた山田奉行によって現在地に転じました。 この間、当寺は、大峰山修験道の先達寺院として盛時には10余坊の塔頭をかぞえましたが、歴史の中で今日にのこるのは護摩堂であったこの威徳院のみとなりました。 しかし、毎年7月7日に行う柴灯(さいとう)大護摩は、日本三大護摩の一つと呼ばれ、内外両宮の法楽から万民悦楽までを祈る激しい祈祷で当寺の伝統を残しています。 寺宝として次のようなものがあります。 一、陶製経筒 治承2年(1178年)銘(重文)一、愛染明王坐像 高さ106cm 鎌倉時代(県文)一、十一面観音立像 高さ107cm 平安後期(市文) なお、境内には神風館13世笹丘高(1756~1817年)・徳田椿堂(1758~1825年)その他の句碑があります。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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中山寺
中山寺 当寺は、慶安4年(1651年)、伊勢国亀山城主・石川主殿頭憲之(昌勝)が願主となり、妙心寺137代住持愚堂東寔(とうしょく)<大円宝鑑国師>(1579~1661年)の建立と伝えます。 境内の乾達婆堂は、釈迦八部衆の一である乾達婆神王(けんたつばじんのう)をまつり、小児のかん虫封じに300年の伝統をほこっています。 本堂は臨済宗本堂として規模壮大、古式方丈形式の手法をよく残し、県内屈指の遺構であります。 脇壇に木造愚堂国師像、2代目雪潭豊玉像を祀るほかに、著名な円空(1632~1695年)の彫像3体があります。 境内に、山田奉行三枝伊豫守(1841年没)小出豊前守(1848年没)の墓碑と、徳田椿堂(1758~1825年)の句碑があります。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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養草寺
養草寺 当寺は天文15年(1546年)、展徳慶伝上人の草創と伝えています。 もと箕曲郷鍛冶屋垣外の南端、桜堂橋の近傍(宮後2丁目)にありました。寛文10年(1670年)の大火で本寺にも厄災し、現在地に移りました。 近世古市の歌舞伎は全国的に知られていましたが、当地での初演は寛永年間に当寺で行われました。 桜堂とも呼ばれましたのは、境内に桜の木が多く、花見の人々でにぎわったからでした。桜堂は現在の薬師堂(延宝8年<1680年>再建)で、本尊薬如来(藤原前期)は「水の上薬師」と呼ばれ、清川の川上から流れ着いたとされています。 近世、越坂(おっさか)(宮後町・一之木町)には百ヵ寺が軒を並べていましたが、現在残っているのは当寺だけです。 境内に桜堂天神、家守稲荷をまつっています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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欣浄寺
欣浄寺 本寺は、天文9年(1540年)、易誉上人の開基と伝えます。法然上人(1133~1212年)の日本二十五霊場の十二番に数えられています。 寺宝に、著名な円光大師(法然上人)感得日の丸名号と円光大師満月像を伝えています。 日の丸名号というのは、承安5年(1173年)、法然上人が念仏弘通を願って神宮に参龍し、一心にお念仏を申されるとやがて大日輪が現れ、その中に六字の名号「南無阿弥陀仏」が光り輝いたという言い伝えです。 また満月像は、法然上人が讃岐国に流罪のとき、神宮へ納めるために自分の像を彫り、故あってその像をこの寺に納めることになったとき、当寺の住職も同時に満月が本堂に下りてきた夢を見た、とされていることから名付けられました。 本寺は多くの変遷の後、大正6年(1617年)、現在地に移りました。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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皇大神宮(内宮)
皇大神宮(内宮) 皇室の御祖先の神である天照大御神がお祀りされています。垂仁天皇の26年(紀元前4年)に、神路山・島路山を源とする五十鈴川の川上にご鎮座された『日本人の総氏神』です。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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豊受大神宮(外宮)
豊受大神宮(外宮) 食物・穀物を司る神である豊受大御神がお祀りされています。内宮創建から500年後に伊勢の山田原にご鎮座された『衣食住をはじめ、あらゆる産業の守り神』です。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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日保見山八幡宮
日保見山八幡宮 当社の創立は詳さではないが、後陽成天皇在位(1588-1611年)の後宸筆の石清水八幡宮の篇額二面が宝物として保存されて居ります。古くから大湊の産土神として尊宗され、従来単に八幡宮とか大湊八幡と称されていたが、明治4年7月 旧字名をとって日保見山八幡宮と称号した。主祭神は應仁天皇、神宮合祀に関しては天照大神・神功皇后・玉依姫・大物主命・宇受売命・素戔鳴命・大巳貴命・火結神をそれぞれ合祀している。水饗神社・水御饗都神鷲取翁を祀る境内神社である。 日保見山稲荷神社は旧輝騰庵(献忠寺前)に鎮座した稲荷社を境内に移転し他の無資格稲荷も合祀している。 稲荷社祭神は宇迦之御魂神である。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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旧慶光院
旧慶光院 “慶光院さん”と親しみを込めて呼ばれている 「旧慶光院客殿」(現在は、神宮祭主職舎)。 平成14年に国の重要文化財に指定された建物です。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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昌久寺
昌久寺 昌久寺の本堂と山門は、常磐町(旧上中之郷町)にあった御師・橋村大夫邸のもので、移築以前は神都公会堂(伊勢市観光文化会館の地に所在した)として利用されていました。市内に残る数少ない御師邸の遺構の一つです。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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安養寺跡(西行法師幽棲之地記念碑)
安養寺跡(西行法師幽棲之地記念碑) 安養寺は発掘調査等により平安時代末期から鎌倉時代にかけてその存在が確認されていますが、創健者や創建時期は不明です。西行が6年あまり住んだ伊勢二見浦の山寺を離れ奥州に向かった直後、鴨長明が「西行法師住み侍りける安養山といふ所」で一首の歌を残していることから、西行が住んでいた山寺とはこの安養寺のことを示していることがわかります。西行の没後まもなく廃寺となりました。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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世木神社
世木神社 「世木」は、水をせきとめる堰に由来する名。上古以来、宮川の分流・豊川の一部をせきとめて水田の用水とする堰があったので、この地が「世木」と呼ばれました。 主祭神の天牟羅雲命は、この地の豪族で代々外宮の禰宜をつとめる度会氏の遠祖とされる神ですが、その度会一族の一つがこの世木村に住み世木氏を名乗って本社を氏神とし、また治水を祈ってきました。 創祀の年代は不詳ですが、この世木氏の氏寺であった光明寺(現・岩渕3丁目)に残る古文書は、鎌倉時代のこの地の盛行を語っています。 しかし、15世紀中葉、この世木氏が他の土地に移住していくと、社は残った村人達の氏神となりました。 明治41年、周辺の藤里や岩渕にあった度会氏関係の社はここに合祀され、世木坐度会氏神社となり今日に至りました。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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金剛證寺
金剛證寺 当寺の草創は寺伝では欽明朝とし、弘法大師の中興としています。 朝熊山(553m)はこの近傍では、古くから霊山としてあがめられています。平安末期には、伊勢両大神宮の祠官を含む幅広い階層からの、埋経信仰にささえられていました。 この霊山信仰はその後、祖霊信仰と深くかかわって、この山麓地方は当山奥の院に卒塔婆(そとば)をたてる信仰習俗となっています。 寺宝の主なものに 経ヶ峰の出土品一部 (国宝)平安時代 木造雨宝童子立像 (重文)平安時代 瑞花双鳳八稜鏡 (重文)平安時代 源頼朝佩刀(吉包) (重文)鎌倉時代 紙本着色九鬼嘉隆画像 (重文)桃山時代 ほか多数 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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松尾観音寺
松尾観音寺 当寺は寺伝によりますと、伊勢国司北畠氏の一族木造(こつくり)城主(一志郡)の氏寺として、戦国末期に創建されたとされています。 また応永10年(1403年)、古堂の厄災に際し、堂裏の二つの池(竜池)から竜神が出現し、本尊を守護したという伝承は古くから広く知られています。 古来厄除け観音として名高く、とくに初午・二の午は、多くの参詣者でにぎわいます。本堂屋根の銅製の露盤には、文政3年(1820年)、本堂再建のときの般若心経の写経1万巻が納められています。 境内には龍神をまつる鎮守の宇須大明神、祐天上人(1637~1718年)筆の六字名号碑、洒高(しゃこう)・阿竹其白・大主耕雨らの句碑、金森得水の歌碑などがあります。 また堂内には近世末から近代にかけての額、絵馬が数多く奉納されています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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倭姫宮
倭姫宮 倭姫命をお祀りする内宮の別宮。倭姫宮は第11代垂仁天皇の皇女で2代目の斉王として天照大御神に奉仕し、諸国を巡幸したあと、伊勢の国に入り現在の地に神宮を創建した功神と云われています。神宮の中では大正12年に御鎮座されたという極めて新しいお宮となっております。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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朝熊神社
朝熊神社 皇大神宮 摂社 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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鏡宮神社
鏡宮神社 皇大神宮 末社 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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櫲樟尾神社
櫲樟尾神社 櫲樟尾神社は、八王子社に祭られた氏神の櫲樟尾神と「日本書紀」にも現れる田上社(田上神)との合祀により生まれました。 田上神は、4世紀ごろ倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照大神を五十鈴川の上流にお定めになるまでの仮宮となった「家田田上宮」(矢田宮、西の森ともいう)の守護神で、楠部の産土神(うぶすなかみ)として尾崎(神社旧跡)で祀られ、信仰されてきました。 「櫲(よ)」も「樟(しょう)」も楠木と同じ意味を持つ古語で、二語重ねて「櫲樟(くす)」と発音することから、明治3年(1870年)「櫲樟尾神社」と改名しました。 明治40年には、町内の樛木神社、上山神社、下山神社、月峯神社などの4社を合祀し、さらに明治41年(1908年)には四郷地区の各神社が統合され「村社 四郷神社」となり、現在地へお祀りしました。昭和26年(1951年)分祀され、ふたたび楠部のみの氏神さまとして奉祀され現在に至っています。 御神遷は20年に一度おこなわれ、江戸時代前半にあたる延宝6年(1678年)からの記録が残っており、現在も引継がれております。 特に「土地の守り神」として、五穀豊穣・家内安全・学業成就の御神徳がございます。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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菩提山神宮寺跡
菩提山神宮寺跡 聖武天皇の発願により行基が建立した神宮寺のひとつ。天平16年(744年)に創建されたといわれる。明治2年廃寺となった。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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月読宮
月読宮 天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟神である月読尊(つきよみのみこと)をお祀りする内宮の別宮。外宮の別宮である月夜見宮(つきよみのみや)と同じ御祭神です。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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古市芝居跡
古市芝居跡 役者の登竜門といわれた古市歌舞伎の口の芝居小屋跡 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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福島みさき大夫門
福島みさき大夫門 神宮文庫の入り口にある門。伊勢神宮信仰を全国に布教して回った御師の一人、福島みさき太夫邸の門を移築したもの。鯱を付けたその風格は、御師の繁栄ぶりを物語る。伊勢市指定文化財。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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御師丸岡宗大夫邸跡
御師丸岡宗大夫邸跡 丸岡宗大夫は御師制度が廃止されるまで代々御師を営むとともに町年寄りの一員として山田の自治を担いました。 烏帽子世古に残るこの建物は、戦災を免れ、伊勢市に現存する唯一の御師邸であり、慶長年間からこの地に存在する貴重な歴史遺産です。 丸岡宗大夫は大阪や信州に8000軒ほどの檀家を持つ中規模程度の御師で、邸内には当時の御師の接待の様子を伺い知ることができる古文書や食器なども残されていました。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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油屋跡
油屋跡 旧古市遊廓の代表的妓楼。寛政8年(1796年)に起こった「油屋騒動」を題材にした歌舞伎「伊勢音頭恋寝刃」の舞台で知られる。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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おかげ横丁
おかげ横丁 内宮門前町の一角にあり、江戸期から明治期にかけての伊勢路の代表的な建築物が移築・再現されたおかげ横丁。約2700坪の敷地内には、伊勢志摩ならではの食べ物屋やおみやげもの屋が建ち並ぶなど、1日では回りきれないほどの楽しいスポットがいっぱいです。 また、江戸時代に庶民の間で流行した「おかげ参り」が体感できるお伊勢参り歴史館・おかげ座や神恩太鼓の演奏などもあり、毎日がお祭りのように賑わい、いつもたくさんの観光客であふれています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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おはらい町
おはらい町 伊勢神宮・内宮前で栄えるおはらい町。宇治橋から五十鈴川に沿って続くおよそ800mの美しい石畳の通りには、お伊勢さん特有の切妻・入母屋・妻入り様式の町並みが軒を連ねます。通りにはたくさんの土産物店・飲食店や商家が建ち並び、参拝後の町歩きがお楽しみ頂けます。また、神宮道場や祭主職舎などの歴史的建造物などもあり、お伊勢さんらしいレトロな雰囲気がたっぷり詰まっています。 さらに、おはらい町の通りから世古と呼ばれる趣のある細い路地を歩いて行けば、清き流れの五十鈴川へ到着。川沿いをのんびり散歩しながら楽しめる、風情あふれるおすすめスポットです。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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お杉お玉興行跡
お杉お玉興行跡 この街道沿いで江戸時代中期からお杉お玉と称した大道芸人が、三味線などをひいて参宮道者に興を添えていた。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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葉山大夫門
葉山大夫門 御師(「おんし」・「おし」)とは、御祈祷師(おいのりし)・御師匠の語がつづまったものといわれています。 参宮道者が神都伊勢の街にまいりますと、御師の家に宿泊し、御師の邸宅にて神楽を奏上し、そして外宮・内宮に参拝して帰国しました。 御師はその参宮者を檀家と呼び、年末になると神宮のお祓大麻(神札)を檀家に届け、檀家は応分の初穂料を献じたものであります。 安永6年(1777年)の記録では、神都における御師の数は、宇治(内宮)に271家、山田(外宮)に479家、計750家とあります。 葉山大夫は榎倉大夫の分家筋にあたり、町年寄家をつとめ、檀家は主として、江戸、安房、紀伊国にありました。 この門は、常磐町にあった葉山大夫の薬医門で、総欅造り瓦葺きです。 鬼瓦に「嘉永六年(1853)十一月 田丸在岡村 瓦や長左衛門」の銘があります。明治40年亀谷環氏(2代目院長)が葉山安次郎氏より譲り受け、亀谷病院の門となっていましたが、昭和36年神宮司庁に献納され、同40年現地に移築されています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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大湊波除堤
大湊波除堤 この堤は山田奉行20代保科淡路守正純が享保14年(1729年)に幕府より普請料を得て修築した。かつてこの地には燈明台があり現在はその基礎部のみが残存する。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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月の輪堤
月の輪堤 昔は、鶴松浜新田の東に流れる汐合川(現五十鈴川)から田を守るために、堤には二ヶ所の「圦(いり)」(一色ではユルと言う)があった。 堤も圦も貧弱で風水害、地震等により度々決壊し、その都度、奉行所へ願い出ては借金して修復した。 一色古文書によれば、1849年(嘉永2年)の修復では、より堅牢なものを造ろうと、大切戸と戸部の二ヶ所に月の輪型の水門が二重になっている仕組みの堤を工夫した。 作るに当たっては、再三専門家の意見を聞き、また奉行所へも工事修正などを申し出て作った労作である。 今残っているのは、この大切戸のもの一ヶ所である。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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宇治橋
宇治橋 五十鈴川にかかる長さ約102mの総檜造りの橋。 橋の両側に立つ二つの鳥居は、内宮・外宮の正殿の旧棟持柱で作られる。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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虎尾山
虎尾山 古くは山から三基の古墳が見つかり、土器なども多数出土した。明治末期に虎ヶ尾という名で登場し、大正時代に入ると当時の案内図では笠松山として呼ばれるようになる。この時代、山上に笠松という立派な木があった。その木が枯れ、伐採されたことがきっかけか、以後は虎尾山と表記されて登場する。時代は昭和に移り、昭和3年4月に現在も山頂に残る明治聖代戦没記念碑が建設される。日露戦争に関する記念碑で、頂上には金色のトビが飾られていたが今はない。同時期に山全体を公園のように整備し、戦後まで虎尾山遊園地として親しまれるようになる。現在もこの頃の名残が所々に見受けられる。虎尾山入口には昭和2年11月に架けられた清渓橋がある。下を流れる小川を虎尾川と呼び、虎尾山の名称の由来とされる。そのほか、公衆便所や石段、崩れた祠、戦争時の塹壕などが当時を偲ぶ虎尾山の記憶である。最近では、伊勢市を舞台にした小説「半分の月がのぼる空」の作中で、主人公とヒロインに縁の深い場所としても知られている。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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神宮神田
神宮神田 神宮新田では、地元楠部の保存会の奉仕により、御田祭が行われる。 御田祭は、笛、楽、ささら、太鼓、小鼓が噺すなか、まず御田植えが行われ、終了後、蛭子、大黒をそれぞれ描いた2本の大団扇を田の中央で打ち合わせる団扇合わせとなる。神田における行事が終わると、大団扇持ち、楽員、舞人の順で神社境内へ踊り込む祝入りが行われ、最後に舞人による稲作の一連の流れを模した田舞が行われる。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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平岩の露頭
平岩の露頭 大陸の一部だった日本列島の地殻は、新生代新第三紀に東北日本は反時計まわり、西南日本は時計まわりに回転しながら太平洋に向かって移動し、大陸との間が深く割れて日本海ができました。 東北日本や、東北日本と西南日本の間の折れ目になった部分は引っ張られて大きく落ち込み、海底の地層が厚く堆積しました。 目の前の伊勢市辻久留の宮川の河床「平岩」は、1800万年前ごろの浅い海に堆積した一志層群高倉層と呼ばれる地層の一部です。高倉層は伊勢市の中央構造線の北側の丘陵にみられます。 「平岩」は砂岩とれき岩が混ざっています。れき岩のれきは、遠くから運ばれながら角が取れた丸いれきが多く、大きさは不ぞろいです。このことから川が砂やれきを運ぶ力が変化する河口近くの浅い海に堆積した地層と考えられます。 高倉層の平岩のれき岩のれきには、花こう岩、はんれい岩、高温変成岩の片麻岩やホルンフェルス、中央構造線ぞいで変形したマイロナイトなどの領家変成帯からのれきがたくさんみられます。一部には三波川変成帯から運ばれた結晶片岩れきも見つかります。砂岩れきやチャートれきもあります。これらのれきは中央構造線をまたいでいた川が運んできたのでしょう。花こう岩れきの中には1cm以上の大きなピンク色のカリ長石をふくむ眼球状花こう岩があり、松阪市飯南町横野の櫛田川ぞいの花こう岩によく似ています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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忘れ井
忘れ井 倭姫命が天照大神を奉じて諸国を巡行された折、大湊においでになり御水を求められ、鷲取の翁が差上げたところたいそうお喜びになり、「水饗社」を定められました。 祭神は水戸御饗都神、清水を汲んだ井戸は「忘れ井」と言われ、明治40年(1907年)「水饗社」は日保見山八幡宮境内へ移されました。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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大湊波除堤石垣跡
大湊波除堤石垣跡 大湊の波除堤は八幡宮裏から海岸べりの高州に沿って勢田川河口まで築かれた石積みの大堤防。 享保13年(1728年)の暴風雨で海岸線が大被害をうけたため、時の山田奉行保科淡路守に対し幕府の費用による堤防の建設を請願し翌年380両 寛政7年(1795年)には総工費1620両余に及ぶ当時としての大工事でした。 仕様としては総延長949m 梯形上辺の幅1.8m 梯形下辺の幅16m 高さ2.7mでした。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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朧が池
朧が池 古来より、雲を起こし雨を降らせ水に潜って天に昇っていく、この地の大切な神とされてきました。現在でも龍を神とする根強い信仰が各地にあり、農作物に天からの恵みの雨を降らせてくれる龍神様として祀られています。 当境内社に龍姫命としてお祀りしており、「龍形九似」として扱われてきました。「龍形九似」とは龍の各体の部位が九つの動物に似ていると言うことからきています。 頭--駝に似る 角--鹿に似る 眼--鬼に似る 耳--牛に似る 項--蛇に似る 腹--蛟に似る 爪--鷹に似る 掌--虎に似る © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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横輪桜
横輪桜 全国で横輪町にのみ存在することから、この地域では、横輪桜と呼ばれています。 横輪桜は、今から150年前に、桂林寺にあったものを、村人が各々の家に持ち帰り増やしたものとされています。 大きな特徴は、おしべが変化し、花びらになり、開花と同じくして、葉もつき始めることです。 開花時期はソメイヨシノより、数日遅れ、花の大きさも、2~3倍大きく、濃いピンク色の大輪が年を重ねるごとに増え、 15年くらい経つと、12枚ほどの花びらをつけるものもあります。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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蓮台寺柿
蓮台寺柿 伊勢市天然記念物(昭和33年)指定 伊勢市勢田町の南部高台には、神宮祭主大中臣永頼(祭主・補任991~1000年)が正暦年中(991~994年)に建てた鼓嶽山蓮台寺(真言宗、明治2年廃)がありました。元禄期(1688~1703年)に近くの鎮守の社跡から古鏡1面を掘り出しました。 瑞花蝶鳥八稜鏡と呼ばれるもので、唐鏡から和鏡へ移る過渡期の、9世紀ないし10世紀のものとされています。地鎮具と考えられ、おそらくは神宮の撤下品であろうと思われます。現在区有となっています。 また、この区で生産される柿は蓮台寺柿といわれ、もとは蓮台寺の住僧が請来したものと伝えます。大きな平の渋柿で、熟したものか渋を抜いて賞味します。他に見られない独特の風味があります。「神都名勝誌」(明治28年刊)にも、「その果実の圓く且大にして味の甘美なること、他国に比類なかるべし」と絶賛しています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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臥竜梅公園
臥竜梅公園 市の天然記念物に指定されている梅です。 枝が低く伸び、まるで竜が横たわっているかのような姿をしていることから、この名がつけられました。 臥竜梅の花は、紅白の八重で、1つの花にめしべが多数あり、2月~3月にかけて実を多く結びます。 「座論梅(ざろんばい)」または「八房(やつふさ)の梅」とも呼ばれています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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神宮御園
神宮御園 開園は明治32年(1899年)。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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伊勢の浜萩
伊勢の浜萩 神風乃伊勢の浜萩折り伏せて旅寝やすらむ荒き浜辺に 万葉集 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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御塩浜
御塩浜 北に大湊の港がはるかに望まれる景勝の地、清流五十鈴川の河口に程近いこのあたりは、海水と淡水がほどよく混合して細かいよい塩ができる場所であります。 松林に囲まれた御塩浜の広さは、6,600㎡。入浜式塩田の構造を持ち、約1mの干潮満潮の差を利用して御塩浜に海水を導いています。 濃い塩水を採る採鹹(さいかん)作業は、1年で最も暑い7月から8月の土用中に約1週間行われます。 朝、海水でしめった砂をまく「浜をひろげる」作業、昼、その砂を乾きやすくするための「浜をかえす」作業、そして、夕方この砂を沼井(ぬい)という穴に集め海水を注ぐ「潮をおそう」作業と1日がかりです。こうして鹹水とよばれる15~16度の濃い塩水が1日約1石6斗(290リットル)採取されます。 ここで採れた鹹水は、1km程はなれた御塩殿で堅塩となり、神宮の御神饌のうち最も重要なお物としてお供えされ、またお祓、お清めの神事にも使われます。 入口には神さびた黒木の鳥居が立ち、ここが大神さまの大切な浜であることを示しています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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夫婦岩
夫婦岩 夫婦岩は、沖合660mの海中に鎮まる興玉神石の鳥居とみなされており、日の出の遙拝所として古くから知られています。 男岩と女岩を結ぶ大注連縄は「結界の縄」と称され、大注連縄の向うを常世神が太平洋の彼方から寄りつく聖なる場所、そして手前を俗世という隔たりを持ち張られています。 この大注連縄は、文保年間(1317~1319)、既に張られており、現在も氏子により大注連縄張替の神事が年3回、5月5日・9月5日と12月の第3日曜日に行われています。 夫婦岩の大きさは、男岩高さ9m、女岩高さ4mで2つの岩を結ぶ大注連縄は長さ35mで、男岩に16m、女岩に10mが巻かれ、その間が9mあります。 夫婦岩の間からの日の出は、5月から7月頃が見ごろで、その絶景は深い感動を与えています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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鷲嶺の水穴
鷲嶺の水穴 外宮のほぼ南約7kmに鷲嶺(548m)があります。その南南東約1kmの南麗の標高230m地点に水穴があります。 秩父古生層に属するこの地域には、覆盆子洞や未調査の洞穴があります。 いずれも砂岩中のレンズ状石灰岩内に生成されたもので、100万年ないし300万年を経ていると推定されています。水穴洞窟は古くから神聖視されていて、入口には注連縄が張られています。奥行300m以上あり、多くの支洞に分岐しています。 洞内には石筍・鍾乳石の跡形があり、清水が流出している個所もあります。 また、山頂付近には、鷲嶺観音があります。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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野口みずき記念碑
野口みずき記念碑 アテネ五輪女子マラソンで伊勢市出身の野口みずき選手が金メダルを獲得した功績を祝い、倉田山公園野球場前に建てられました。学生時代に実際に練習したコースを“みずきロード”と呼んでいます。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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沢村栄治生家跡
沢村栄治生家跡 沢村賞制定のもとになった大投手で、プロ野球の投手が憧憬する澤村榮治 「大正6年(1917年)2月1日 父賢二 母みち江の長男としてこの地で生まれ育つ」 昭和19年12月2日 27歳の若さで、台湾沖にて戦死を遂げる。 彼の偉業を称え、この日を建立する。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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橋本平八顕彰碑
橋本平八顕彰碑 題字は文化勲章を受章した木彫家・平櫛田中によるもので、碑の前の大きな自然石は平八の代表作である「石に就て」をイメージしています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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日蓮上人誓いの井戸
日蓮上人誓いの井戸 日蓮上人(1222~1282年)は、鎌倉・比叡山などで修業し、仏法の真髄は「法華経」にあることを悟りました。建長5年(1253年)関東下向の途中、伊勢神宮内院といわれていた旧常明寺(倭町)に参籠し、境内の井戸で潔斎して 我 日本の柱とならん 我 日本の眼目とならん 我 日本の大船とならん の、三つの誓いを立て、それを皇大神宮に誓願いたしました。この年日蓮宗は立教開宗されました。 大正13年(1924年)(財)正法護持財団により、上人の遺跡の聖域や井戸を整備修複し、誓願塔を建てましたが、平成3年には新しく石造宝塔を造りこれにかえました。 塔の下には全国からの多数の信者の経石が納められています。 かつてそこに建てられていたとされる、日蓮上人初筆の題目石と呼ばれるものは、今も市内一之木・常明寺に、寺宝として収蔵されています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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西村幸生記念碑
西村幸生記念碑 倉田山公園野球場入り口には、戦前のプロ野球を支えた読売巨人軍・沢村栄治、阪神タイガース・西村幸生両投手の胸像があります。ここに来たら、伝説の名投手になれるかも! © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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沢村栄治記念碑
沢村栄治記念碑 倉田山公園野球場入り口には、戦前のプロ野球を支えた読売巨人軍・沢村栄治、阪神タイガース・西村幸生両投手の胸像があります。ここに来たら、伝説の名投手になれるかも! © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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小津安二郎記念碑
小津安二郎記念碑 小津安二郎が通学した宇治山田中学跡地は、先の大戦で空襲に遭い、今は船江公園(船江1丁目)となっており、隣接地の寄宿舎跡地には赤レンガの煙突が残り、それぞれに名前を刻んだ石柱が立つ。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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明治天皇上陸の碑
明治天皇上陸の碑 舟参宮の着場であった神久地区は、当時茶屋が2軒あったことから地名を二軒茶屋と名付けられました。明治5年、明治天皇が海路で神宮参拝をした時の記念碑が残されています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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竹内浩三詩碑
竹内浩三詩碑 アア戦死ヤアハレ兵隊ノ死ヌルヤアハレコラヘキレナイサビシサヤ国ノタメ大君ノタメ死ンデシマフヤソノ心ヤ 竹内浩三 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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北園克衛詩碑
北園克衛詩碑 BLUE(抄)北園克衛白とブルーの縞にみちた海のブルーを見ている人の細い背中もブルーである © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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荒木田守武句碑
荒木田守武句碑 句:元日や神代のことも思はるる 荒木田守武(1473~1549年)は、先祖代々内宮の禰宜を勤めた薗田家に生まれ、15歳で禰宜、59歳で長官、従三位に叙せられ、薗田桃神主家をひらきました。 百年余にわたり式年遷宮中絶の戦国の乱世にあって、3度の仮殿遷宮を奉仕するなどの神宮勤仕のかたわら、和歌や連歌をよくし、約束ごとの多い連歌から、平易・滑稽を旨とする俳諧の連歌を確立させました。後の俳句のルーツとも言えましょう。その業績は日本文学史上に燦然と輝き、俳諧の鼻祖と仰がれています。 句碑は歿後410年を記念して、合祀の宇治神社や、かつて「守武松」で知られていた旧宅跡にほど近い地に建立されました。(右の坂の上、神宮バラ園の中にあります) 「守武忌」は季語として、秋の歳時記に収載。毎年9月15日、俳祖守武翁顕彰会主催のもと、遺徳を慕う俳人らによって守武祭並びに記念俳句大会が、盛大に執り行われています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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何木塚
何木塚 句:何の木の花とはしらすにほひかな はせを 建立は明治14年頃。 貞亨5年(1688年)2月松尾芭蕉が伊勢に詣でた折に西行の句「何事のおはしますかは知らぬども添なさに涙こぼるる」を想い、神宮の尊さ・神秘性を詠んだ句といわれます。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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松井孫右衛門人柱碑
松井孫右衛門人柱碑 江戸時代に、毎年洪水を起こしていた暴れ川・宮川から田畑や家を守ろうと、自ら人柱となった庄屋・松井孫右衛門。その功績から神様として祀られ、石碑と社が建てられています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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磯部百鱗顕彰碑
磯部百鱗顕彰碑 磯部百鱗(1836~1906年)は四条・円山派のながれをくみ、人物・山水を描き特に歴史画にすぐれた作品を残した。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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筋向橋
筋向橋 関西方面からの参宮道、相可・川端などを通る伊勢本街道と、関東・中部方面からの参宮道、津・小俣などを通る伊勢街道は、ともに筋向橋で一つになりました。ここからは整然と市内に入りました。 もと道筋と橋の板が、すじかいになっていたことからこの名があります。古くは反り橋でしたが大正4年(1915年)から平橋になり、昭和3年(1928年)からコンクリート橋になりました。下を流れる川は、宮川の支流の清川です。昭和45年暗渠になりました。 古くから造替のときは、地元からの寄金でまかないました。嘉永2年(1849年)には飾りの擬宝珠もつけ、それに主な寄附者の名を14名刻んでいます。 橋の近くに、もと当市の道路元標もありました。 またJR(旧国鉄)も明治30年(1897年)開通以来筋向橋駅でありましたが、大正6年に山田上口駅と改称しました。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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小田の橋
小田の橋 勢田川のこのあたりはむかし「御贄(おんべ)川」と呼ばれた時代がありました。御贄とは神様に奉る御供物のことで神宮の御饌(御供物)をここを通って運んだからでした。 小田の橋はこの川に古くから架かっていました。そして江戸時代になると多くの文書にその名が書かれています。それはこの橋が外宮と内宮をむすぶ参宮街道にあってよく知られた橋だからです。 この橋を渡ってむこうにみえる尾上坂をのぼり日本の五大遊里の一つ古市(間の山)を経て内宮へいたる道は、かつてお伊勢参りの人々がたどった歴史的な道。往時のにぎわいが偲ばれるところです。 またその当時内宮・外宮の御遷宮用材がこの橋詰に着き、両宮への御木曳きがここから行なわれたこともありました。 新しい小田の橋は勢田川の改修にともなって昭和63年3月造替。長さ33.2m巾7.2m。欄干を飾る擬宝珠はかつて徳川3代将軍家光の乳母である春日の局が寄進したという故事にならって造られました。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.
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錦水橋
錦水橋 外宮から御幸道路を東に進んで、勢田川を渡る橋が錦水橋です。全長36.7m。幅16m。青銅製の無銘の擬宝珠が12基ついています。 明治36年(1903年)8月、倉田山に開館予定の神宮徴古館への道路として、勢田川をまたぐ新しい橋が架橋され、錦水橋と名付けられました。 古来、伊勢市の名所の一つとして著名な岡本の里は、錦河内・錦の小河などと呼ばれていました。少し上流の小田の橋から岡本町の南を流れる辺りは外宮の東に当たり、宮崎沖とも呼ばれ、秋ともなると辺りの山々は錦に彩られました。 錦は秋の紅葉をたとえた言葉であり、錦水の名の由来となっています。 当時の古荘嘉門(ふるしょうかもん)三重県知事の撰であり書である「錦水橋」の石標は、今も橋の西詰めに建ち、静かに水と時の流れを見つめています。 © 2012 Ise Burari. All rights reserved.