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六田館跡(東御所跡) no name
六田館跡(東御所跡) 北畠神社より八手俣川を隔てた字六田にある。北畠教具の子、政房一族の館で、東御所と称された。館跡に雪姫桜があり、小祠に雪姫大明神と稲荷大明神がまつられている。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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北畠氏館跡庭園 no name
北畠氏館跡庭園 北畠氏館跡で、枯山水のある築山や仁王石・達磨石と名付けられた石組みが庭園美を作りだしている。国指定名勝及び史跡。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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薬師堂橋 no name
薬師堂橋 薬師堂があったことに由来する。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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石造六地蔵笠塔婆 no name
石造六地蔵笠塔婆 西向院の南東、八手俣川の対岸にある。宝珠、請花を欠く。文明18年(1486)と刻まれている。県指定有形文化財 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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霧山城跡 no name
霧山城跡 伊勢国司の北畠氏が築いた山城。現在は鐘楼堂跡や土塁・堀切が残り、中世の城の形状をとどめている。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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大橋 no name
大橋 欄干を木製に復元。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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聖光寺 no name
聖光寺 浄土宗。建仁2年(1202)創立、開基は聖光上人。元和3年(1617)智誉上人により大修繕が行われ、聖光寺と称した。寛永元年(1624)、明治24年(1891)に焼失し、明治33年(1900)に再興された。絵図には描かれていない。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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伝 誉永寺跡 no name
伝 誉永寺跡 多気北畠遺跡の最南端にある寺院跡。絵図では「養(?)永寺」と記されている。「ヨヘイ」の伝承地名が残る。 【「多気城下絵図集成」(津市教育委員会)より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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伝洞院跡 no name
伝洞院跡 松月院跡の北隣の尾根末端部を削平して棚状の平坦地をつくっている。倒壊した五輪塔や石地蔵が多数放置されていたという。「デンドウイン」の伝承地名がある。絵図では「傳燈院」と記されている。 【「美杉村・多気の歴史遺産調査」(財団法人日本ナショナル・トラスト)より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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法光寺跡 no name
法光寺跡 跡地に国道368号線が通っている。現在は植林地である。山麓を削平して棚状の平坦地をつくる。敷地内東部にはかつて五輪塔があったという。 【「美杉村・多気の歴史遺産調査」(財団法人日本ナショナル・トラスト)より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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伝 大正寺跡 no name
伝 大正寺跡 浄土宗。明治12年(1879)廃寺。本尊木造阿弥陀如来立像は聖光寺へ移された。大小野面石の石垣で2段の棚状地をつくる。現在は子安地蔵堂が建てられており、上段地蔵堂北側には無縫塔、五輪塔、石地蔵がある。「タイショウジ」の伝承地名がある。絵図では「大正庵」と記されている。 【「美杉村・多気の歴史遺産調査」(財団法人日本ナショナルトラスト)より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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大蓮寺跡 no name
大蓮寺跡 現在は製材所敷地となっているが、かつて敷地内から20mほどの板石列が出土したという。この南側の発掘調査では、15~16世紀の瓦を含む遺物と礎石建物、掘立柱建物が見つかっている。聖光寺裏に「大蓮寺前住持」の銘のある無縫塔がある。「ダイレンジ」の伝承地名が残る。 【「美杉村・多気の歴史遺産調査」(財団法人日本ナショナル・トラスト)より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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伝 実中庵跡 no name
伝 実中庵跡 平谷川を見おろす山麓部にある。山裾を棚状に整形してあるが、周囲を土塁状に残し方形の深い窪地になっている。後世の土取り穴だともいう。 【「美杉村・多気の歴史遺産調査」(財団法人日本ナショナル・トラスト)より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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伝 長泉寺跡 no name
伝 長泉寺跡 伊勢本街道に面した町屋地区の東側の山裾に位置する。北畠晴具の菩提寺である。絵図では「長楽寺」と記されている。 【「多気城下絵図集成」(津市教育委員会)より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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慈恩院跡 no name
慈恩院跡 伝観音寺跡の南部。小字名に「慈恩院」、伝承地名に「ジオン」が残る。絵図では「慈恩寺」と記されている。津市美杉ふるさと資料館駐車場の西裏の棚状地。現在は植林地である。 【「多気城下絵図集成」(津市教育委員会)より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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伝 観音寺跡 no name
伝 観音寺跡 道より一段高い台地状地を広く整地し明るい平坦地としている。現在は茶畑となっている。「カンノンジ」の伝承地名がある。 【「美杉村・多気の歴史遺産調査」(財団法人日本ナショナル・トラスト)より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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景賞院跡 no name
景賞院跡 北畠館跡の対岸、東西幹線地割の東の延長線上に位置し、北畠一族の国永の和歌などにたびたび登場する。「ケショウイン」の伝承地名が残る。絵図では「華生院」と記されている。 【「多気城下絵図集成」(津市教育委員会)より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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伝 光栄寺跡 no name
伝 光栄寺跡 八手俣川東の広い平地部の微高地。『美杉村・多気の歴史遺産調査』(日本ナショナル・トラスト)によれば、敷地西部に多数の石地蔵が集められ、「光栄寺 享保二(1488)」の銘のある石碑があったとされているが、現在は民家または畑である。絵図では「光圓寺」と記されている。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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福寿院跡 no name
福寿院跡 六田を眺望する小高い棚状地。「フクジュ」の伝承地名が残る。現在は製材所の敷地となっている。 【「美杉村・多気の歴史遺産調査」(財団法人日本ナショナル・トラスト)より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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伝 薬師寺跡 no name
伝 薬師寺跡 八手俣川沿いの平地部に広がる水田の1枚に「ヤクシ」の地名が伝承されている。絵図では「薬師堂」と記されている。 【「美杉村・多気の歴史遺産調査」(財団法人日本ナショナル・トラスト)より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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伝 分寿院跡 no name
伝 分寿院跡 漆から流れる太夫坂川の西尾根末端部を削平し、2段の広い平坦地をつくっている。現在は荒れ地である。絵図では「有樹院」と記されている。 【「美杉村・多気の歴史遺産調査」(財団法人日本ナショナル・トラスト)より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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伝 金生神社跡 no name
伝 金生神社跡 尾根末端の小台地。敷地中央に方形の盛り土が残り、本殿基壇跡といわれている。明治期前半の地藉図によれば仲山神社の名でこの地に存在しており、『一志郡史』によれば明治40年(1907)に北畠神社に合祀されたという。絵図では「金生大明神」と記されている。 【「美杉村・多気の歴史遺産調査」(財団法人日本ナショナル・トラスト)より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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金国寺跡 no name
金国寺跡 小田地区北西部の山腹に位置。北畠氏の菩提寺であったといわれ、造成による平坦地に石垣が残る。かつては無縫塔、五輪塔などが残されていたという。本尊と伝えられる木造十一面観音立像(江戸末期)は西向院に移されている。「コンコクジ」の伝承地名が残る。 【「多気城下絵図集成」(津市教育委員会)より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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松月院跡 no name
松月院跡 天文年間(1532-1555)の五輪塔、大規模な石垣や平坦地が確認できる。北畠具教の妻の菩提寺である。「ショウゲツイン」の伝承地名が残る。絵図では「松月坊」と記されている。 【「多気城下絵図集成」(津市教育委員会)より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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伝鎮福利院跡 no name
鎮福利院跡 下多気六田地区の八手俣川右岸の丘陵上にある。長慶天皇を祀る祠がある。「チンプク(リ)イン」または「チンプクリン」の伝承地名が残る。絵図では「成福寺」と記されている。 【「多気城下絵図集成」(津市教育委員会)より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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西向院 no name
西向院 天台真盛宗。延徳2年(1490)北畠材親が真盛上人に帰依し草創。以来、北畠氏の菩提寺となった。永禄12年(1569)織田の兵火にかかり、元禄2年(1619)に再建された。絵図では「西迎院」と記されている。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.