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鳥羽城跡 no name
鳥羽城跡 志摩国を平定した九鬼嘉隆が、天正14年(1586)磯部の恵利原にある「天の岩戸」に参籠し、愛染明王の神託を得て、当時、前島(観音山とも)と呼ばれ、三方を海に囲まれた要害を城地と定め、大阪城築城用に三河国幡豆から海上輸送した石材の一部をもって石垣を築き、文禄3年(1594)8月に完成したという。 寛永9年(1631)守隆が没するまで九鬼水軍の本拠であった。その後、内藤、土井、松平、坂倉、松平、稲垣氏と城主が変わり、明治4年に廃城となった。県指定史跡。 【現地案内板より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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家老屋敷跡 no name
家老屋敷跡 城内の家老屋敷があった場所。周囲には野面積みで現存する数少ない鳥羽城の石垣のひとつがある。 【現地案内板より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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峠御門(番所)跡 no name
峠御門(番所)跡 かつて峠御門(番所)があったが、明治2年(1869)に廃止された。鳥羽道を鳥羽城から西へ進むと左へ大きく曲がるところ。現在は民家となっている。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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旧広野家住宅(角屋) no name
旧広野家住宅(角屋) 広野家は角屋と呼ばれ、江戸時代には大庄屋を務めた。主屋・内蔵・土蔵は国登録有形文化財。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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本丸南の石垣 no name
本丸南の石垣 本丸の南側(旧鳥羽小学校校舎付近)にも一部石垣が残っており、水抜き穴が確認できる。 【「三重県史跡 九鬼水軍の海城 鳥羽城跡」(鳥羽市観光協会)より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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本丸西側の石垣 no name
本丸西側の石垣 城の中心部で最も良好に石垣が残存している。 【現地案内板より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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家老屋敷裏の石垣 no name
家老屋敷裏の石垣 近年発見された石垣であるという。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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三の丸広場 no name
三の丸広場 三の丸跡は、城の玄関口として整備された。現在の近鉄の線路と国道部分にニノ丸御殿があったと考えられている。 【現地案内板より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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相橋 no name
相橋 相橋が架かる妙慶川は、かつて伊勢・志摩両国の境となった川で、両国の人がそこで出会ったことから、「相橋」と呼んだとされている。武士たちが城に上がる際に使った橋で、「相橋門」といわれる城門があった。 【現地案内板より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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唐人門跡 no name
唐人門跡 妙慶川の河口付近にあたり、江戸時代から船着場として、また鳥羽城下町の玄関口として機能した場所であった。明治10年(1877)に明治天皇が鳥羽に立ち寄られたときにもここから上陸されたとされている。 【現地案内板より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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妙慶川 no name
妙慶川 妙慶川は、かつて伊勢・志摩両国の境となっていた川で、鳥羽城の堀としての機能も有していた。川の北側の岩崎には武家屋敷が集中していた。 【現地案内板より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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焼飯坂 no name
焼飯坂 峠御門跡からの上り坂。通称焼飯坂(やきめしざか。志摩郡史(鳥羽誌)には「強飯坂(こわめしざか)」とある)という。明治初期に掘削され、その面影をとどめていない。二基の碑と五輪塔がある。右の碑には、「元禄五壬申(1692)八月念七日」、左の碑には「延宝六午年(1678)五月五日」と刻まれている。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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妙慶川の石垣 no name
妙慶川の石垣 鳥羽城は全国的にも珍しい四方を海に囲まれた「海城(うみじろ)」であったが、明治の廃城以降の埋め立てにより堀の痕跡が残るのは妙慶川周辺のみとなった。相橋下の石積みは江戸時代から残る堀の一部で、当時の面影を残している。 【現地案内板より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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済生寺 no name
済生寺 浄土宗。延宝8年(1680)江戸霊厳寺の僧相蓮社伝誉上人が鳥羽を訪れた際、空庵となっていた法泉庵を再興し済生寺と号した。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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光岳寺 no name
光岳寺 曹洞宗。享保11年(1726)に稲垣摂津守昭賢が鳥羽城主となる際に移してきた。稲垣氏の菩提所であり、境内には稲垣家ゆかりの品のほか、日本丸(九鬼嘉隆の戦艦)の板戸絵4枚(鳥羽市指定文化財)が残されている。 【現地案内板より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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金胎寺 no name
金胎寺 真言宗。観音寺と称したが、内藤忠政の代に観音院と改められた。明治維新後、稲垣家の祈祷所金胎寺を合し、観音院の名を廃した。伊勢西国三十三所観音霊場第6番札所 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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西念寺 no name
西念寺 浄土宗。過去には鳥羽城三の丸の地にあったが、鳥羽藩主内藤氏が藤之郷に移し、内藤家の菩提寺とした。墓地の奥に内藤家廟があり内藤家3代の墓碑がある。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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妙性寺 no name
妙性寺 真宗本願寺派。もとは浄土宗で、真楽寺5世教信の弟子教誓が寛永元年(1624)九鬼家の老臣野呂治左衛門の宅地に寺を建てたのが始まりという。その後、現寺号に改めた。開基の僧教誓は、慶安元年(1649)西本願寺において得度、真宗本願寺末の寺院となった。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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賀多神社(八王寺) no name
賀多神社(八王寺) 祭礼に奉納される神能楽に使用される組み立て式の能舞台は県指定文化財。鏡板裏面に嘉永7年(1854)の墨書がある。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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常安寺 no name
常安寺 曹洞宗。九鬼守隆が、父嘉隆の冥福を祈るため修造寄進したもの。多くの文化財が残されている。境内の九鬼家の廟所は鳥羽市指定史跡。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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本照寺 no name
本照寺 真宗高田派。万治2年(1659)釈文可の創建という。降棟鬼瓦に正徳3年(1713)の銘がある。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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大山祇(おおやまずみ)神社 no name
大山祇(おおやまずみ)神社 九鬼嘉隆が鳥羽城築城の石垣を築くときに邪魔をしたという伝説の三鬼神が祀られていた場所。明治40年、横町、藤之郷、中之郷、錦町の村社として建てられた。 【現地案内板より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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正徳院(廃寺) no name
正徳院(廃寺) 浄土宗の寺院であったが、現在は廃寺。天正15年(1587)横町済生寺の僧により創建され、浄光院と称した。宝永元年(1704)正徳院に改めた。もとは赤崎船倉の西隣にあったが、正徳年中(1711-1716)に現地に移転した。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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天真寺 no name
天真寺 日蓮宗。寛永19年(1642)の創建。当初は長福寺と称され、のち長寿寺と号した。明治34年(1901)、火災により全焼し、仏眼寺31世天真院日静により同39年(1906)に再建。その際に寺号を改めた。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.