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天真寺 日蓮宗。寛永19年(1642)の創建。当初は長福寺と称され、のち長寿寺と号した。明治34年(1901)、火災により全焼し、仏眼寺31世天真院日静により同39年(1906)に再建。その際に寺号を改めた。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.

正徳院(廃寺) 浄土宗の寺院であったが、現在は廃寺。天正15年(1587)横町済生寺の僧により創建され、浄光院と称した。宝永元年(1704)正徳院に改めた。もとは赤崎船倉の西隣にあったが、正徳年中(1711-1716)に現地に移転した。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
大山祇(おおやまずみ)神社
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大山祇(おおやまずみ)神社 九鬼嘉隆が鳥羽城築城の石垣を築くときに邪魔をしたという伝説の三鬼神が祀られていた場所。明治40年、横町、藤之郷、中之郷、錦町の村社として建てられた。 【現地案内板より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.

常安寺 曹洞宗。九鬼守隆が、父嘉隆の冥福を祈るため修造寄進したもの。多くの文化財が残されている。境内の九鬼家の廟所は鳥羽市指定史跡。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.

賀多神社(八王寺) 祭礼に奉納される神能楽に使用される組み立て式の能舞台は県指定文化財。鏡板裏面に嘉永7年(1854)の墨書がある。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.

妙性寺 真宗本願寺派。もとは浄土宗で、真楽寺5世教信の弟子教誓が寛永元年(1624)九鬼家の老臣野呂治左衛門の宅地に寺を建てたのが始まりという。その後、現寺号に改めた。開基の僧教誓は、慶安元年(1649)西本願寺において得度、真宗本願寺末の寺院となった。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.

西念寺 浄土宗。過去には鳥羽城三の丸の地にあったが、鳥羽藩主内藤氏が藤之郷に移し、内藤家の菩提寺とした。墓地の奥に内藤家廟があり内藤家3代の墓碑がある。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.

金胎寺 真言宗。観音寺と称したが、内藤忠政の代に観音院と改められた。明治維新後、稲垣家の祈祷所金胎寺を合し、観音院の名を廃した。伊勢西国三十三所観音霊場第6番札所 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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焼飯坂 峠御門跡からの上り坂。通称焼飯坂(やきめしざか。志摩郡史(鳥羽誌)には「強飯坂(こわめしざか)」とある)という。明治初期に掘削され、その面影をとどめていない。二基の碑と五輪塔がある。右の碑には、「元禄五壬申(1692)八月念七日」、左の碑には「延宝六午年(1678)五月五日」と刻まれている。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.

妙慶川の石垣 鳥羽城は全国的にも珍しい四方を海に囲まれた「海城(うみじろ)」であったが、明治の廃城以降の埋め立てにより堀の痕跡が残るのは妙慶川周辺のみとなった。相橋下の石積みは江戸時代から残る堀の一部で、当時の面影を残している。 【現地案内板より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.

妙慶川 妙慶川は、かつて伊勢・志摩両国の境となっていた川で、鳥羽城の堀としての機能も有していた。川の北側の岩崎には武家屋敷が集中していた。 【現地案内板より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.

唐人門跡 妙慶川の河口付近にあたり、江戸時代から船着場として、また鳥羽城下町の玄関口として機能した場所であった。明治10年(1877)に明治天皇が鳥羽に立ち寄られたときにもここから上陸されたとされている。 【現地案内板より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.

相橋 相橋が架かる妙慶川は、かつて伊勢・志摩両国の境となった川で、両国の人がそこで出会ったことから、「相橋」と呼んだとされている。武士たちが城に上がる際に使った橋で、「相橋門」といわれる城門があった。 【現地案内板より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.

三の丸広場 三の丸跡は、城の玄関口として整備された。現在の近鉄の線路と国道部分にニノ丸御殿があったと考えられている。 【現地案内板より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.

本丸南の石垣 本丸の南側(旧鳥羽小学校校舎付近)にも一部石垣が残っており、水抜き穴が確認できる。 【「三重県史跡 九鬼水軍の海城 鳥羽城跡」(鳥羽市観光協会)より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
旧広野家住宅(角屋)
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旧広野家住宅(角屋) 広野家は角屋と呼ばれ、江戸時代には大庄屋を務めた。主屋・内蔵・土蔵は国登録有形文化財。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.

峠御門(番所)跡 かつて峠御門(番所)があったが、明治2年(1869)に廃止された。鳥羽道を鳥羽城から西へ進むと左へ大きく曲がるところ。現在は民家となっている。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
