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  • 一株院

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    一株院 文禄元(1592)年三原城主小早川隆景は、徳川家康が九州に向かう途中、匡真寺(宗光寺)を宿舎に用意しました。家康は「城中より高いところに泊まるのは、失礼にあたる」と、境内下にあった小早川家16代小早川繁平の菩提所である当所に泊まったといわれます。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 順勝寺

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    順勝寺 古くは、高山城(本郷町)の麓にありましたが、三原城築城にともないこの地に移されました。この寺は真宗寺の代表格で蓮如上人の数珠など貴重な品物が多くあります。この寺で、頼山陽の父春水が3年間勉学をしました。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 宗光寺

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    宗光寺 天正5(1577)年小早川隆景が親の毛利元就夫婦を弔うため、新高山城内(本郷町)に建てたものですが(匡真寺)三原城築城にともないこの地に移されました。国重要文化財の山門(四脚門の切妻造)、七重塔(市重要文化財)、福島正之の墓(市史跡)、浅野忠長の墓(市史跡)等があります。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 大善寺

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    大善寺 かつて新高山城(本郷町)の麓にあり、隆景室の菩提所でしたが、天正8(1580)年この地に移されました。寺の境内には、日光東照宮の修復に尽力した「鈴木方衛」、須波の波止(市史跡)を築いた「楢崎正員」、法曹界の大御所「花井卓蔵」の墓があります。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 神明本殿

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    神明本殿 東町のはずれに小さな祠があります。その祠には伊勢の皇大神宮(天照皇大神)が祀られています。神明さんはもともと伊勢信仰として全国各地で(旧正月の神明祭や左義長祭り)行われていました。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 本陣跡

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    本陣跡 三原は城下のため旅人はこの地に泊まることを避けていましたが、不便なため本陣、客屋、平旅籠がつくられました。三原の本陣として造酒屋の山科屋がこれをつとめ、客屋は山科屋の分家と西町の沢屋がつとめました。本陣の殿様の寝所は、賊が床下に入り込まないように漆喰で固めていたそうです。 ※ 非公開 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 古浜塩田①

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    古浜塩田① 元禄13(1700)年に作られた塩田は、南北300間、東西150間の堤防に囲まれた15浜の塩田でしたが、享保14(1729)年8月の大雨高潮のため、堤防の数箇所が破損しました。同年10月に堤防を修復して、汐留めに成功し、南北200間に短縮し、東西を50間広げ、200間として9浜の塩田としました。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 明善堂跡

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    明善堂跡 三原城の二之丸にあたるこの場所に、三原浅野家の学問所「明善堂」がありました。文政2(1819)年第10代三原浅野家当主、浅野忠敬は家臣の子弟教育のために三原城内に明善堂を開きました。その後、多くの有為の人を輩出しましたが、文久3(1863)年に広島城下の朝陽館(藩校)と合併しました。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 神明大橋

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    神明大橋 城下の東側を流れる和久原川に架かる大橋です。現在は神明大橋と呼んでいます。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 極楽橋(石柱有り)

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    極楽橋(石柱有り) 恵下谷川を挟んで大善寺、寿徳寺、香積寺、浄念寺の間に架かる橋です。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 御作事通り

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    御作事通り この道の南側に作事奉行所があったので、この通りを御作事通りと言います。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 大島神社参道

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    大島神社参道 三原城築城以前、島に祀られていた大島神社がこの地へ移されました。そこへ通じる道で、七基の赤鳥居があります。境内には隆景が勧請した厳島神社、もと小島にあり福島氏が移したと言われる小島稲荷社、西町の町人が勧請した久井稲生社など四社があります。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 西浜雁木通り(敷石)

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    西浜雁木通り(敷石) 西港と呼ばれた三原で唯一の港でした。船が楽に方向転換出来るほど広い港で雁木が敷き詰められていました。船を繫ぐもやい柱が敷石記念として残されています。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 竪町通り

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    竪町通り 東町から中之町(かつては山中村)へ通じる道です。道の両側にはお寺があり、山手には稲荷大明神があります。古くは三原城が出来るまでの本通りでした。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 西町(西国街道)

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    西町(西国街道) 城から西側方面に向けて西町を通り、新倉へと続く街道です。当時の西国街道の雰囲気がしのばれます。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 通り丁(西国街道)

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    通り丁(西国街道) 三原は城内を京都から下関をつなぐ西国街道が通っていました。東西の大手門の間を通り丁と呼んでいました。暮れ六つから明け六つまで東大手門、西大手門が閉まるため、通行することが出来ませんでした。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 極楽小路

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    極楽小路 極楽寺山門下から地蔵堂へ通じる小路です。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 我里屋小路

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    我里屋小路 我里屋という店の名前からついた小路です。創業万延元(1860)年の造酒屋「醉心山根本店」横にあります。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 新八小路

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    新八小路 新八という人の名前からついた小路です。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 松林小路

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    松林小路 ここに小早川家に仕えた水野松林軒という医者が住んでいました。この小路の下にある石積の下水溝は隆景が松林の偉業に対して報いたものです。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 中庵小路

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    中庵小路 ここは中庵という医者が住んでいた小路です。かつては三原で最も栄えた通りでした。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 久玻小路

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    久玻小路 西国街道と新町をつなぐ小路です。久玻屋という店の名前からついた小路です。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 瓦場小路

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    瓦場小路 瓦を焼く仕事場があったところに通じる小路です。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 正法寺小路

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    正法寺小路 西国街道から正法寺へ通じる小路です。江戸時代には大徳院小路と言いました。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 香積寺小路

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    香積寺小路 香積寺へ通じる小路です。香積寺門前には餓死者の霊をまつる石碑があります。三原では延宝3(1706)年に大飢饉があり、多数の人々が餓死しました。33年目に餓死者を供養して建てられました。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 河原小路

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    河原小路 恵下谷川の東側の世羅に通じる「甲山通り」とも呼ばれている小路です。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 大善寺小路

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    大善寺小路 西国街道と大善寺を結ぶ三原で一番長い小路で古くは県道でした。小路沿いには「かもめの水兵さん」「赤い帽子白い帽子」などを作詞した童謡詩人武内俊子の生誕地である浄念寺や正明寺があります。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 順勝寺小路

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    順勝寺小路 順勝寺小路の曲りには小さな石を埋め込んだ石塀もあり、当時の人々の工夫の跡がみられます。この小路は境内からの眺望が素晴しい釜山寺、万福寺へと通じています。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 西大手門跡

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    西大手門跡 西側の街道から城中に入る西大手門です。途中の道は城郭建築特有の鍵型路で中門まで続いていました。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 東大手門跡

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    東大手門跡 東側の街道から城中に入る東大手門です。明け六つから暮れ六つまでの開門で城の守りの門でした。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 桜山城跡

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    桜山城跡 標高182.5mの三角状の山で、伝聞によると文応、文永(1260~74)の頃、備中、備後の大守、山名権左衛門源氏正が桜山を居城としていました。今も頂上に「千丈敷」という二段の地形や古井戸があり、わずかに城の面影を残しています。西側に降りる曲輪と東に下りる帯曲輪があり「馬場」と呼ばれています。「三原要害」と考えられています。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 本丸南端

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    本丸南端 本丸南の端で一番櫓から船入櫓まで櫓が高さ3.6mの石垣の上に築かれていました。江戸時代、内側は浅野家や家老の屋敷がありました。現在の駅前広場やペアシティ三原西館の南側の道路から南は海でした。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 中門跡

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    中門跡 西から西国街道を通って二之丸から本丸へと入る門の跡で,福島時代に築かれました。北側は福島時代の石垣ですが、南側は明治時代に修復されました。現在の中門は、昭和56年に濠の復元整備を行っています。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 本丸跡

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    本丸跡 永禄10(1567)年、瀬戸内海を制する目的で沼田川河口の三原湾に浮ぶ大島と小島つなぐ自然の地形を生かして築いた三原城は、中心に本丸を置き二之丸、三之丸を東西に配置しました。本丸の上段には天主台を配置しました。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 後藤門跡

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    後藤門跡 ここから三原城内に入りました。平成27年度に後藤門の石垣が復元されました。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 刎(はね)

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    刎(はね) 和久原川西沿いの鋭角に突き出た石垣で、川の流れを緩和し城内に水が流れ込まないようにしていました。当時の新しい技術です。城の外堀として使うため、元の和久原川を西に曲げて作られました。刎は神明大橋の南北に現在5ヶ所確認できます。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 天守台跡

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    天守台跡 天主台としては日本有数の規模で、形状は東西50m南北55m堀からの高さ13.5mの曲輪で本丸との並列構造になっています。北側の山々が天然の要害となり、南側は海で守りが堅く、隆景がこの地を城と定めた一つの要因と考えられます。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 天主台西面石垣

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    天主台西面石垣 西面の隅の石垣には角石が並び、特に下部が顕著で左右の面が内側にすぼんでいる角石を少しずつ振り分けながら組み入れています。この石垣は隆景時代の石垣です。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 高架下石垣

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    高架下石垣 鍛冶曲輪の南側のJR三原駅高架下に櫓跡の石垣が保存されています。新幹線三原駅建設工事の際に一度石垣を解体したあと、積み直した石垣です。天主台から南東に伸びています。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 船入櫓石垣

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    船入櫓石垣 石垣は入江に作られていて、他に比べ一段と高く積まれています。(約7m) もともと三原湾に浮かぶ小島にあたり、自然の地形を生かして南東に突き出た形で、石垣の隅は算木積みで福島時代に作られたものとされています。櫓の石垣の南東隅には岩礁の上に石垣が積まれており、小島を利用した築城の様子を知ることが出来ます。東側が船入です。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 鍵型小路

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    鍵型小路 城下町特有の片側が壁になっている鍵型の小路です。この辺りは古くからの小路の雰囲気が残っています。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 宗光寺小路

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    宗光寺小路 西国街道と宗光寺を結ぶ三原で二番目に長い小路です。かつては小路の両側に七つの塔頭(たっちゅう)が並んでいました。道幅は現在も当時のままです。小早川隆景、徳川家康も歩いた道です。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 魚屋小路

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    魚屋小路 この辺りにあった「魚店(うおのたな)」には魚、蒲鉾、経木の弁当箱などを売る店が並んでいました。一角に井戸があり、その蓋石の上に小さな地蔵堂が置かれています。ここには以前石畳が敷かれていました。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 今小路

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    今小路 今橋に通じる小路です。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 勧請院鼻切

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    勧請院鼻切 中之町から東町に流れる和久原川の東側、堤防の上手には「勧請院切」という人工で堤防を切る仕掛けがありました。洪水が城側に流れ込みそうになると、石垣をくずして水を東町の方へ流し城を守りました。江戸時代に2回、明治時代に1回堤防が切られました。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 河原谷川

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    河原谷川 三原城城郭の西側を流れて三原湾へと注ぐ川で、かつては堀として城を守る役割も果たしていました。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 順勝寺山門

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    順勝寺山門 作事奉行所の門を明治10(1877)年に移築したものです。素朴な中に歴史が感じられる山門で、当時の状況を伝える貴重な遺構となっています。屋根は材木を運びやすくするため、梁が高く作られています。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 正法寺

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    正法寺 三原市長谷町鶴ヶ巣にあった七堂伽藍は、三原城築城に際し天主台堀の北側に移され、その後福島正則の代に城の鬼門にあたる中之町に移されました。明治23(1890)年、末寺4ヶ寺と合併して現在地へ移転、三原城主の祈願所でもありました。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 成就寺

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    成就寺 小早川八代貞平の菩提所として高山城下にありましたが、天正19(1591)年にこの地に移されました。この寺は隆景の内室の実父十五代正平の菩提所でもあります。また、江戸時代人形浄瑠璃の黄金時代を築いた脚本家並木宗輔が僧侶断継の名で修業した寺です。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 妙正寺

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    妙正寺 三原城主浅野家の菩提寺として延宝2(1674)年米田山の麓に建立され、その後現在地に移されました。晴れた日には瀬戸内海の島々や四国連山まで見える眺望絶景の地です。広島藩絵師、岡岷山が描いた「絹本著色登覧画図」(市重要文化財)の一部が三原駅舎南側の陶板画図となっています。三原市重要文化財を多く有しています。 © 2017 三原市. All rights reserved.