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水都大阪まちあるきマップ

水都大阪まちあるきマップ

水都大阪の象徴的スポットである「水の回廊」の魅力を詰め込んだマップです。大阪の水辺の見どころスポットが表示されますので、水辺のまちあるきにご活用ください。

水都大阪コンソーシアムPosted by水都大阪コンソーシアム更新日:
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すべてのスポット情報

107件のスポット

橋

玉江橋

玉江橋の由来である玉の光と、ほたるまちのメタルをイメージし、桁へのライトアップともに、高欄にも光の演出が行われています。公式HP

難波橋

ライオン橋の愛称で親しまれている。南北の橋梁下部を光のトンネルとして照らしだし、重厚な石造りの高欄など自然な光で演出しています。公式HP

天神橋

水都大阪を代表する風景を創造する橋で、天神祭の灯りをテーマに灯篭をイメージした光で橋梁のエッジを彩ります。公式HP

天満橋

天満は大阪の商いを活気づけた「ガラス発祥の地」で、天満の地の歴史を印象付けるガラスの切子模様を側面に投影しています。公式HP

水晶橋

当初は河川浄化を目的として建設された橋。2つのアーチが絶妙なバランスをなし、水面に揺らめく光は水晶の名に相応しい美しさを演出しています。公式HP

淀屋橋

最初の淀屋橋は、江戸時代の豪商淀屋が架けたと伝えられています。市民には人気の高い橋で、周辺には多くの文化財や史跡があります。公式HP

堂島大橋

中之島の西ゲートとしてその優美な鉄骨そのものをライティング。 夕刻よりゆっくりと光の色が変化します。 公式HP

中之島ガーデンブリッジ

中之島歩行者専用道と堂島公園を結ぶ歩行者専用橋。シャープな桁のラインを活かしたライティングにより、都心の日常をスマートに演出しています。公式HP

錦橋

ギャラリーを橋上に有する元可動堰。石造りの美しい橋梁側面部が特徴です。公式HP

大江橋

淀屋橋と共に意匠が一般公募され、大谷龍雄によるデザインです。昭和10年完成。重要文化財に指定されています。 公式HP

鉾流橋

天神祭の「鉾流神事」がこの橋のたもとで行われることにちなんで名づけられました。高欄、照明灯、親柱など日本調にクラシックなデザインです。 公式HP

高麗橋

東横堀川に架かる大阪初の鉄橋。1604年には擬宝珠をもつ立派な橋となっていました。現在の橋は1929年に架け替えられたもので、欄干の擬宝珠や西詰にあった櫓屋敷を模した親柱が、橋の歴史を物語っています。 公式HP

大阪ドームから、対岸の南堀江4丁目を結ぶ木津川に架かる歩行者専用橋。京セラドームと、対岸の南堀江へのアクセスが容易となった。

九之助橋の架かる東横堀川は、大坂城外堀として豊臣秀吉により、1585年に開削されたものと言われています。江戸時代初期の慶安~万治年間(1648~1660)の絵図には、既に九ノ介橋として記載されていることから、最初の橋は東横堀川の開削後しばらくのちに架橋されたものと考えられています。橋名は、関係者の人名に由来するものと想像されますが、その由来は不明のままとなっています。 本橋の西詰北側には、住友家の銅吹所(銅の精錬所)があり、鋳物屋、鍛冶屋などの工業の町でした。対岸の東詰は、幕府御用瓦師、寺島家の請地で多くの瓦ふき職人や瓦仲仕が住んでいました。 木橋であった九之助橋は、第1次都市計画事業により1926年、上路アーチ形式の永久橋に架け替えられ、さらに改修しアーチ形式や御影石積みの 親柱など旧来の景観を保全するよう配慮し、照明灯は1926年当時のものをモチーフとしてデザインとしています。公式HP

岩崎運河の東端に大正11年、新しく岩松橋が架けられました。岩崎橋との間、尻無川護岸壁に区民の手で描かれた「描こう!わがまち大正ギャラリー」が整備されています。

旧松島(西区本田一丁目)辺りは、尻無川の分流点にあたり、江戸時代には寺島と呼ばれていました。川沿いには造船所が多く、時々進水の祝いがあって賑やかであったといいます。寺島の北端には松の古木があって松の鼻とも呼ばれ、この風景を賞するため遊客を乗せた船が集まりました。 明治の初めに川口に居留地が造られたこともあって、松島には市中の遊所を集めて、大阪最大の遊所が開かれました。この開発を促進するため明治2年に松島橋が架けられました。この橋は明治18年の大洪水によって流されたため、直後に鉄杭をもった木桁橋が架けられました。 松島橋が現在のような近代橋になったのは、戦前の都市計画事業です。3径間のゲルバー式の鋼桁橋という当時の一般的な形式が採用されています。公式HP

明治41年6月に長堀川北岸を通る市電の東西線が木津川を超える、松島橋と千代崎橋の間に新しく市電専用の橋として伯楽橋が架けられました。橋長67.7m、幅員8.2mの規模を持っており、市電は橋の西詰めから木津川沿いに南下していました。伯楽の名はその昔、この付近にあったとされる伝説の島の名前からとられたと言われています。 その後、戦前の都市計画事業によって、昭和15年に架替えられました。橋長は65メートル、幅員は23メートルで、上部工は三径間連続の鋼鈑桁となっています。西大阪のように地盤の悪いところで、連続桁が採用されたのは珍しいことです。連続桁は基礎の不同沈下に弱い面を持っているため、伯楽橋では橋脚と橋台の基礎が一体構造でつくられ、弱点をカバーしています。 現在の橋は、平成18年に拡幅し架け替えられています。公式HP

中之島公園と万博記念公園を結ぶ大規模自転車道の一環として架設されました。景観を重要視した橋として、土木学会の賞を受けています。

中之島公園の東西に分かれたバラ園に架けられたアーチ橋で、公園の中にはバラ園が存在し、バラにちなんで付けられた名前となっています。現在の橋は1990年に完成しました。橋の北側は堂島川で、南側は土佐堀川となっています。公式HP

江戸時代、中之島には諸藩の蔵屋敷が建てられ、船場との連絡のために土佐掘川には多くの橋が架けられていました。栴檀木橋もそうした橋の一つでした。橋名の由来は『摂津名所図会』ではこの橋筋に栴檀ノ木の大木があったためとされていますが、詳細は不明となっています。 明治になっても木橋のままであった栴檀木橋は1885年の大洪水で流失し、再び架けられたのは1914年のこととされています。これは1904年に、大阪府立図書館が建てられ、明治末には大阪市庁舎の建設が決定されるなど、橋が再び必要となっていたためであろうと言われています。 その後、1935年に架け替えられた橋は桁の高さが一定のシンプルな美しさを強調した設計でした。1985年、新しい橋に架け替えられましたが、旧橋のイメージを大切にしながら橋面などは大阪府立中之島図書館や大阪市中央公会堂など、背景にある歴史的建築物との調和を考えてデザインされました。 また、センダンノキをモチーフにした欄間パネルが取付けられており、由来碑と大正時代の親柱は橋梁の橋詰に設置され、橋の歴史が一目でわかるようになっています。公式HP

江戸時代、肥後橋の北詰の中之島に肥後藩の蔵屋敷があり、このあたりは肥後島町と呼ばれていました。1657年の「新板大坂之図」には肥後殿橋とあり、古くはこう呼ばれたこともあったと言われています。肥後藩の蔵屋敷は元禄時代になって中之島西部の越中橋北詰へ移転しましたが、橋名と町名はそのまま残りました。 肥後橋が渡辺橋の通りに移ったのは1888年に鉄橋化されたときからです。1885年の洪水で流失した後、渡辺橋と共に鉄橋で架けられました。肥後橋・渡辺橋の通りは、1874年にすでに造られていた大阪駅へのメインストリートであったため、早くに鉄橋化されたものと思われます。 1926年に第一次都市計画事業によって完成した橋は、中央部がスパン27.0mの鋼アーチよりなっており、両側に橋台兼用のコンクリートアーチがありました。意匠の様式はスパニッシュルネッサンス式と呼ばれており、河川上の橋脚の位置に豪華な飾塔を立て、非常に華やかで、かつ重厚な作りの橋でした。 この橋も戦後になって四ツ橋線の地下鉄工事に伴って架け替えられました。円盤状の支柱をもつユニークな高欄をもっていたが、1994年に橋面と高欄部の改装が行われ、より華やかなデザインのものになりました。公式HP

木津川の分流点に昭和橋が架けられたのは昭和7年のことです。この路線は計画道路梅田九条線(土佐堀通)に当たっており、市電路線でもありました。主橋部には支間長69mのタイドアーチが適用されましたが、橋が土佐堀通りから川口へ斜めに渡るため、67度近い斜橋となっているため斜めになったアーチ橋という大変設計の難しい構造となっています。 大きな橋体の重量を支える基礎には、軟弱地盤であることを考慮に入れ、長さ22~25mの木杭が、両側で千本以上も打ち込まれています。 宮本輝氏の『泥の河』は、この橋の描写から物語が始まっています。公式HP

初代の千代崎橋は明治5年に架けられましたが、中央の桁が引込式の可動橋となっていたため、そろばん橋とも呼ばれ、随分話題となりました。木津川には高い帆柱をもった船がさかのぼったため、舟運と陸上通行を両立させる工夫がなされました。また、この橋の反りは大きく、端部の最急勾配は18%にもなっていました。 この珍しい橋も明治18年の大洪水によって破壊され、その後に鉄柱をもった普通の木桁橋が架けられたのが、港の機能が次第に下流へ移っていったことを示すものと言えます。 千代崎橋は松島橋、伯楽橋と同様に戦前の都市計画事業によって、現在の橋に架け替えられました。なお、地盤沈下によって橋が低くなったこともあり、昭和31年に嵩上げ工事が行われています。公式HP

工業地帯として発展していた現在の大正区の区域(当時は西区の一部)と、対岸の大阪市街地を結ぶ目的で、1915(大正4)年に架設された初代の大正橋は、当時の日本では最も長いアーチ橋でした。大正時代に架橋されたため「大正橋」と命名されました。1932年に新設された「大正区」の区名は、当橋に由来すると言われています。 都市化が進むなか、渡し以外に川を渡る手段がなかった地域住民は、架橋とともに市電の敷設拡充を強く望みました。その要望から生まれた旧大正橋は、市電の軌道分も含めて幅員が19m、支間長が91.4mという破格のサイズでした。このような大スパンになったのは、当時、上流にあるガス会社の原料用石炭輸送が船によって頻繁に行われており、その点に配慮をしたためでした。このアーチ橋は、戦後になって変形と揺れがひどくなりました。地盤沈下や荷重増加に伴い、橋台の不等沈下や東詰橋台の後方への水平移動などが起こり、徐々に危険な状態となっていきました。 1952年から本橋の耐荷力調査、橋台基礎土質調査などが行われ、1956年からは調査結果に基づく補強工事(国庫補助補修工事)を行い、老朽橋の維持管理に努めました。一連の補強工事に関しては、小西一郎京都大学教授ら第一線の学者や技術者が多大な貢献をされており、現在、わが国の橋梁工学の分野で活躍中の多くの方々が、当時、学生や研究生の立場から実験、解析などに参加されています。 1966年から、都市計画道路泉尾今里線の拡張整備に伴い、この旧大正橋の架け替えが2分割で施工された。第1期工事分として、1969年に新橋の半幅が下流側に完成し、交通が切り替えられました。第2期工事は、先に在来橋撤去が、1971年に行われ、1974年には、第2期に架設された半幅と、第1期分の桁が連結され、大正橋は、わが国初の3径間連続のプレストレスしない合成箱桁形式として生まれ変わりました。 橋長は約80m、幅員は41mあり、戦後著しく進んだ大阪市の合成桁技術の一つの到達点を示す橋であるといえるでしょう。なお、第2期工事は取付け道路の嵩上げに多大な日数を要し、全面開通は1977年1になりました。 橋の欄干には、ベートーヴェン作曲・交響曲第9番『歓喜の歌』の楽譜がデザインされており、歩道にはメトロノームとピアノの鍵盤がデザインされています。公式HP

1893年、久左衛門町と九朗右衛門町を結ぶ本橋が架けられました。「大阪府誌」では新蛭子橋と書かれており、橋長が39.4m、幅員6.1mの木橋とされています。その後、1920年にほぼ同規模の木橋に架け替えられ、1932年に大規模補修が行われたましたが、戦災で焼け落ちたと言われています。 戦後の1951年に地元の協力により、木造鉄骨の橋が架橋され、ヒノキ造りの高欄は朱色の美しいものであったといわれています。現在の橋は、橋長39.7m、幅員7.0mで、1963年に架けられました。 1992年に歩道設置ならびに橋面整備が行われ、2007年に道頓堀川水辺整備事業に併せ改修工事(歩道拡幅、橋面整備、耐震対策、修景整備)を行い、2008年に完成しました。先代の橋の高欄が朱色であったことから、フレームに朱色を取り入れ、歩道には白御影石、地覆には黒系の塗装を施し、高欄フレームの朱色と調和を図っています。さらに、高欄にはガラスではさみこんだ和紙のパネルをはめこみ、夜間には高欄外側からの照明により和紙を浮かび上がらせています。公式HP

この橋の東南角で歌舞伎の小屋を開いた興行師の大坂太左衛門に、橋の名前は由来すると言われており、道頓堀の芝居町を中心にして周辺の町々の負担でこの橋は維持されてきました。織田作之助の作品に『女の橋』『船場の娘』『大阪の女』という三部作がありますが、ストーリーの節目に太左衛門橋が一場を構成する重要な役割を与えられています。 太左衛門橋は昭和になっても狭い木橋のままでしたが、大阪大空襲の際に焼失し、地元の人々によって復旧されました。 近年は、道頓堀川の水辺整備に合わせて、橋の西側と東側に側道橋が整備されましたが、整備にあたっては、有識者から成る道頓堀川遊歩道・橋梁デザイン検討委員会において、橋のデザイン検討を行っています。今回改修した橋は、その名前が、かつてこの地で歌舞伎の興行を行っていた興行師に由来することや、多くの芝居小屋があったことから、木を基調とする歴史的な意匠を取り入れた橋となりました。公式HP

江戸時代、現在の新鴫野橋とほぼ同じ位置に鴫野橋という公儀橋がありました。この橋は大坂城の城内にあり、一般の人々が利用できない公の性格の強い橋でした。初めて架けられた時期は明確ではありませんが、豊臣時代の城絵図や冬の陣・夏の陣を描いた絵には見あたらず、この時期にはまだ架けられていなかったものと思われます。 明治になって弁天島の地が軍の用地となり、橋も陸軍の施設となったため、橋に関する詳細は伝えられていませんが、この時期に鉄橋になりました。その後の新鴫野橋は、橋長約55m、幅員8mの規模で、昭和10年3月に架け替えられたものと伝えられています。 近くの寝屋川には、地名から鴫野橋と命名された橋がありますが、戦後、軍管理の橋が大阪市に引き継がれる際に新鴫野橋と命名されたため、公儀橋の鴫野橋とは場所が入れ替わってしまいました。近年の発掘調査で発見された大坂城の石垣の配置からも、古い鴫野橋が現在の新鴫野橋とほぼ同じ位置に架けられていたことが確認されています。 現在の橋は昭和63年に架け替えられたもので、擬宝珠(ギボシ)が付けられ、由来碑も整備されています。公式HP

源八橋が架かる大川(旧淀川)には、江戸時代初期からの長い歴史をもつ”源八渡”がありました。与謝蕪村は”源八をわたりて梅のあるじかな”という句を詠んでいます。右岸の天満側は大阪城代配下の役人の官舎街、左岸の都島区側は農村地帯でしたが、京街道に近いため多くの利用者があったと思われます。 都島区一帯は明治に入ってものどかな田園風景がみられましたが、1935年に城北運河の開削により、周辺の工業開発がにわかに進みました。源八橋は、第二次都市計画事業として架橋されたもので、1936年に完成しました。 橋の形式としては、6径間のゲルバー式鋼板桁が採用されています。新しい橋の名前をつけるにあたっては、由緒ある”源八”の名前を残すよう地元からの強い陳情があり、この名が採用されました。 昭和30年後半から自動車が急増し、源八橋も交通渋滞が定常化したことから、1971年になり、東行きの左折レーンを増やすため、橋の半分だけが上流側へ拡幅されました。 また、1999年には、再度の拡幅と橋面の改装工事が行われ、同時に、顕彰碑も設置されています。公式HP

大阪城新橋は、1983年に開催された大阪城築城400年祭に間に合わすべく、約10ヶ月という短縮工期で完成されました。京橋ターミナルから、祭りの主要会場であった大阪城公園や大阪城ホールへ至るアクセス路となっており、大阪城歩行者専用道整備の一環(第1期工事)として第二寝屋川に架設された橋です。また、災害時に北部方面から大阪城公園への避難路の役割も果たしています。工期短縮とともに、周辺景観との調和という課題を負っての設計と施工となりました。公式HP

豊臣秀吉が大阪城を築城した際に、東横堀川の開削に伴って架けたとされる橋です。公式HP

江戸時代、周辺は芝居町やお茶屋街など大変華やかな雰囲気があり、「相合橋」という艶のある名前がつけられたのであろうと言われています。

単に通行するだけの橋ではなく、芝生やベンチなどの「たたずみスペース」を利用し、周辺の風景を眺めながら、ゆっくりと語り合える憩いの場所です。

戎橋は心斎橋筋の利用客のみならず観光客に親しまれてきました。水辺へ降りながら移りゆく景色を眺める楽しさなどを考慮したデザインになっています。公式HP

旧桜宮橋とデザインを合わせるため、アーチの高さは同じに、国内初のボルトなどによる連結を一切行わない施工。通称「銀橋」完成時、(昭和5年)には日本最大のアーチ橋だった。平成18年には、北隣に新桜宮橋が完成。公式HP

水門水門

東横堀川水門

水門は、高潮の防御、水位の制御などの治水的な役割に加え、水質の浄化機能や閘門機能などを備えています。水門操作による河川浄化などの様々な水質改善対策を行ってきた結果、水質は年々向上し、水都大阪の再生に寄与しています。公式HP

平成13年3月に完成した水門で、東横堀川水門と対になって機能しています。公式HP

船着場船着場

詳しくは大阪水上バスHP(リンク)

詳しくは水都大阪コンソーシアムHP(リンク)

太左衛門橋船着場からは定期船「とんぼりリバークルーズ」に乗船することができます。詳しくはとんぼりリバークルーズHP

日本橋船着場からは定期船「大阪ワンダークルーズ」「道頓堀パイレーツクルーズ」に乗船することができます。詳しくは大阪ワンダークルーズHP、道頓堀パイレーツクルーズHP

詳しくは水都大阪コンソーシアムHP(リンク)

詳しくは大阪水上バスHP(リンク)

詳しくは水都大阪コンソーシアムHP(リンク)

詳しくは水都大阪コンソーシアムHP(リンク)

詳しくは水都大阪コンソーシアムHP(リンク)

詳しくは大阪水上バスHP(リンク)

詳しくは大阪水上バスHP(リンク)

八軒家浜船着場からは定期船「NAKANOSHIMA NIGHT VIEW CRUISE」「大阪ワンダークルーズ」に乗船することができます。詳しくは大阪水上バスHP、大阪バスワンダークルーズHP

大阪城港からは定期船「アクアライナー」「アクアmini」に乗船することができます。詳しくは 大阪水上バスHP

船着場周辺施設船着場周辺施設

ほたるまち港

船着場周辺施設

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ほたるまち港

朝日放送、ABCホール、堂島クロスウォーク、堂島リバーフォーラムなどで構成。レストランやカフェもあり、ほたるまち港では中之島リバークルーズも運航中です。 中之島リバークルーズ公式HP

大阪市中央卸売市場

青果・水産物とその加工品や加工食料品を扱う、中央卸売市場。取扱高は東京都の豊洲市場に次いで日本国内第2位。事前予約をすれば市場内を見学できます。公式HP

中之島バンクス

船着場周辺施設

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中之島バンクス

開業13周年。大阪の真ん中に位置しながらすぐそばの喧騒を忘れさせられてしまうほど穏やかな空気が流れるこの場所は、都会に残る豊かな自然と、これからの暮らしの形が調和する憩いの空間として、愛されています。BANKSは「3つのブロック」「3つのテーマ」で構成されており、EAST棟はアパレル、CENTER棟ではフード&ドリンク、そして、WEST棟ではグッズ&アクセサリーを展開。幅広いサービスを提供中です。「BANKS」という言葉には「土手、堤防、堆積」などといった意味があり、江戸時代の中之島は天下の台所、情報と文化の発信地として発展。人々が集い暮らしが形成された、発展の歴史と施設を重ね合わせています。公式HP

中之島LOVE CENTRAL

船着場周辺施設

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中之島LOVE CENTRAL

恋人や愛する家族、友だちと過ごすレストラン、カフェは、水辺の空間も楽しめるベストビュー。ウエディングスペースや、水都大阪の魅力を発見するクルージングも。公式HP

中之島公園(ローズポート)

大川が分流する中之島一帯は、水都大阪を代表する風景となっています。多彩なバラが咲き誇るバラ園には、船着場「ローズポート」があります。剣先の大噴水も見ものです。公式HP

川の駅はちけんや(八軒家浜)

カフェやレストランをはじめ、様々な水辺アクティビティが楽しめる、川の駅としては関西初の施設です。公式HP

β本町橋

船着場周辺施設

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「遊ぶ」「学ぶ」「働く」「暮らす」ことの可能性を広げる水辺の実験基地。動力船・人力船・レンタルスペース・曜日替りランチやドリンクなどが楽しめます。公式HP

美術館・図書館美術館・図書館

大阪中之島美術館

美術館・図書館

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大阪中之島美術館

大阪と世界の近現代美術および近現代デザインを収集方針とする美術館です。大阪の実業家・山本發次郎(1887~1951)の収集作品約600点をはじめとする約6000点でコレクションを構成しています。公式HP

国立国際美術館

美術館・図書館

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国立国際美術館

1977年、現代美術を中心とした作品の収集・展示を目的として開館、2004年に新築された。建物のデザインは竹の生命力と現代美術の発展・成長をイメージしており、歴史と文化の街中之島における新たな文化拠点となっています。公式HP

中之島図書館

美術館・図書館

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中之島図書館

大阪府内初の公共図書館として1904年に開館。1922年には住友家第15代住友吉左衞門友純が重厚な図書館建物と資金を寄贈し、増築した今の府立中之島図書館が完成。なんと蔵書数は約50万点。公式HP

こども本の森 中之島

無限に広がるような大きな本棚に、色とりどりの表紙。テラスでひときわ目を引く「青リンゴ」は、建築家、安藤忠雄によるフォトジェニックなオブジェです。入館は事前予約が必要。大人だけでも入館できます。公式HP

中国陶磁・韓国陶磁を中心に展覧する、世界的にも珍しい美術館です。国宝2点と重要文化財13点を含む約2,700点を収蔵しています。公式HP

藤田美術館

美術館・図書館

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常設展示は行っておらず、春と秋に3ヵ月ずつ企画展示の形でのみ開館するのが特徴である。公式HP

観光スポット・施設観光スポット・施設

中之島フェスティバルシティ

中之島の中心に、高さ200mの「中之島フェスティバルタワー」「中之島フェスティバルタワー・ウエスト」がそびえたち、新しいランドマークとなっています。ビル内にはレストラン・ショップ、ホテル、フェスティバルホールがあります。公式HP

大阪市役所

観光スポット・施設

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大阪市役所

初代庁舎は西区江之子島上之町にあった木造2階建ての仮庁舎で1899年から使用されました。現庁舎は1986年竣工の4代目。ロビーには、当時使われていた彫刻やステンドグラスが飾られています。公式HP

北浜テラス

観光スポット・施設

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北浜テラス

北浜テラスとは、栴檀木橋~葭屋橋エリアで土佐堀川に面する飲食店舗の桟橋席です。水辺の景色を楽しみながらの飲食で、水都大阪ならではの憩いのひと時を。公式HP

大阪取引所

観光スポット・施設

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難波橋の南東に建つレトロ建築で有名な大阪取引所(旧、大阪証券取引所)。株式、先物などの証券市場について学ぶことができる施設「OSEギャラリー」は、自由に見学が可能です。公式HP

大阪国際会議場

観光スポット・施設

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大阪国際会議場

同時通訳設備や大型映像設備を備えた特別会議場や各種会議室のほか、約2750名収容可能なホールなど、さまざまな催事ニーズに対応できる施設です。施設内には飲食店舗もあり、どなたでも気軽にご利用いただけます。公式HP

天満天神繁昌亭

観光スポット・施設

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天満天神繁昌亭

天神祭でおなじみの大阪天満宮の敷地内北側にある落語専門の定席。ベテランから若手まで、さまざまな落語家が登場するほか、マジック・漫才・太神楽など、落語以外の色物も上演します。 公式HP

ダイビル本館

観光スポット・施設

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ダイビル本館

元は1925年に竣工した地上8階、地下1階、塔屋1階のネオ・ロマネスク様式のビルでしたが、老朽化により立て替えられました。現在のビルは2013年に竣工され、旧ダイビル本館の外観復元や内部デザインが取り入れられています。公式HP

大阪ビジネスパーク

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近代的なビルと緑、川が一体となって美しい風景を創り出しています。公式HP

公式HP

JO-TERRACE OSAKA

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大阪城公園利用者の為に設立された、飲食等も楽しめる複合施設。総合インフォメーションや、大阪土産も揃う公式ショップを併設。公式HP

MIRAIZA-OSAKA JO

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大阪城本丸広場の歴史的建造物「旧第四師団司令部庁舎」(もと大阪市立博物館)が、飲食店や物品販売店などが揃う複合施設として生まれ変わりました。屋上に行けば、天守閣を最も身近に感じながら、食事が楽しめます。公式HP

津波・高波ステーション

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高潮被害の写真や映像と音による津波疑似体験により、津波や高潮の怖さを知り、その猛威から自分の身を守る、避難方法などの正しい知識を身に付けることができる情報基地。公式HP

木津川遊歩道

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水都再生事業の一環として、遊歩道が整備されています。育てられた様々な草花・果実などが四季を通して鑑賞でき、地域の人々の憩いのスペースになっています。公式HP

川口基督教会

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ゴシック風で簡潔なデザインにまとめられている建物は、煉瓦造、2階建塔屋付の教会堂で、礼拝堂は一室、奥には床面を一段高めて祭壇部が設けられている。公式HP

日常におけるアートとの触れ合いや、クリエイターと企業、市民、府民との交流の場を設けることをテーマに、企画展やイベント、セミナーなどを開催している。公式HP

京セラドーム大阪

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大阪ドーム周辺には大阪ドームシティもあり、飲食店やアミューズメント施設が集結する、家族で楽しめるスポットです。公式HP

松屋町筋商店街

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ひな人形をはじめ、おもちゃ、駄菓子、和紙などさまざまな種類の問屋や専門店が100軒以上並んでいる。「松屋町に行けばなんでも揃う」と人気がある。

大阪企業家ミュージアム

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大阪を舞台に活躍した企業家の事績を、パネルとゆかりの品々で紹介する施設。企業経営のヒントが得られるかも。公式HP

キャナルテラス堀江

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マスコミにも取り上げられる大阪のお洒落スポット。特徴ある5店舗(和・洋)がランチタイム~深夜営業中。

とんぼりリバーウォーク

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大阪らしい観光地としてその名を知られる道頓堀の水辺の散歩道。様々なイベントが行われ、川沿いには美味しいお店がたくさんあり散策にもおすすめ。公式HP

湊町リバープレイス

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湊町リバープレイスは、なんばhatchを核とした複合施設で、その斬新なフォルムから水辺のランドマークとして親しまれています。公式HP

天満天神 繁昌亭

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大阪が誇る伝統芸能の上方落語。ここでは落語を中心とした寄席で、漫才、俗曲などの色物も公演している。笑いの真髄を満喫したい人はぜひ。公式HP

天神橋筋商店街

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天神橋筋商店街は日本一長い商店街。JR大阪駅から一駅JR天満駅にあり南北に2.6km約600店舗がひしめき合い、梅田やミナミのように大阪の人気スポット。公式HP

THE GARDEN ORIENTAL OSAKA

観光スポット・施設

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半世紀にわたり大阪の迎賓館として利用されていた大阪市公館の跡地を、レストラン・婚礼会場としてリノベーションした施設。公式HP

造幣局

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構内には造幣博物館のほか、約130品種、約350本の桜が満開を迎える4月中旬には「桜の通り抜け」があり、大勢の花見客で賑わっている。公式HP

OAP

観光スポット・施設

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オフィス、ホテル、住宅などが建てられ、大きな公開空地が確保されています。公式HP

ふれあいの水辺

観光スポット・施設

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毛馬桜之宮公園の貯木場跡を利用して作られた人工ビーチ。イベントも色々と開催され家族連れで楽しめる。公式HP

大阪城

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最上階からの展望、兜・陣羽織の試着体験を楽しめるほか、豊臣秀吉や大阪城にまつわる貴重な文化財を展示する博物館としても楽しめる。公式HP

タグボート大正

観光スポット・施設

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大阪・大正ならではの飲食店がぎゅっと16店舗つまった複合施設。ライブやDJスペースから聞こえる音楽や水辺の景色と一緒に、バラエティ豊かな食を楽しめます!詳しくは大阪水上バスHP(リンク)

歴史的建造物歴史的建造物

日本聖公会川口基督教会

ゴシック風で簡潔なデザインにまとめられている建物は、煉瓦造、2階建塔屋付の教会堂で、礼拝堂は一室、奥には床面を一段高めて祭壇部が設けられています。公式HP

日本銀行大阪支店旧館

緑青の色が美しい円屋根を持つ、レンガと石造りの洋風建築です。1903年にベルギーの国立銀行をモデルにして建てられました。事前予約をすれば見学もできます。公式HP

中央公会堂

歴史的建造物

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中央公会堂

一介の大阪市民、岩本栄之助氏の寄附をもとに、市民文化の拠点として1918年に完成。ネオルネッサンス様式を取り入れた格式高い建築。地下1階展示室には公会堂に関する歴史や品物を展示しており、自由に見学できます。公式HP

適塾・緒方洪庵旧宅

1838年に、緒方洪庵を中心として開かれた私塾。現在の建物は1964年に国の重要文化財に指定され、周辺は史跡公園として整備されているほか、内部は洪庵が居住していた当時の姿に復元されています。公式HP

大阪天満宮

歴史的建造物

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大阪天満宮

学問の神様として信仰される菅原道真公が祀られています。毎年7月24日・25日には、1000年余前からつづく「天神祭」が催され、活気に溢れています。公式HP

記念碑記念碑

福沢諭吉誕生地碑

明治の文明開化啓蒙思想家として活躍した福沢諭吉は、ここ大阪の地で生まれました。慶応義塾を開設し、「学問ノススメ」を発刊するなど、時代を象徴する思想家として名を残しました。公式HP

堂島米市場跡の碑

1697年頃、堂島新地の振興策として、米市が北浜の路上から堂島に移されることになりました。堂島米市場は、日本における取引所の起源とされるとともに、世界における組織的な先物取引所の先駆けとして広く知られています。公式HP

蛸の松

江戸時代の中之島は、蔵屋敷前に各藩自慢の松が植えられていました。1596~1615年に、当時の広島藩主・福島政則が植えたと伝えられる黒松は、蛸の泳ぐ姿に似ていることから「蛸の松」と呼ばれ親しまれていました。公式HP

ホテルホテル

ANAクラウンプラザホテル大阪

大阪の中心を流れる堂島川の水辺に立つシティリゾートホテル。機能的な設備と快適なサービスで、迎えてくれます。公式HP

世界のVIPを迎える、創設80年の西の迎賓館。豪華なレストランやホテイチ、ショップ、フィットネスがそろい、ホテルステイを存分に満喫できます。公式HP

天満橋駅より徒歩1分。洗練された和の雰囲気と、機能的な客室、選べる豊富なメニューの朝食バイキングが人気です。公式HP

天満橋駅上に位置するターミナルホテル。リバーサイドにあり景色も抜群。落語や漫才が楽しめる「天満天神繁昌亭」や日本一長い「天神橋筋商店街」は徒歩圏にあります。公式HP

天満橋駅から徒歩1分。“現代の旅籠(はたご)”をイメージした、木や竹を使用した落ち着きのある空間でホッとひと息つけます。公式HP

都心でリゾート気分を満喫できるホテル。無料で解放されている天然温泉の足湯を楽しめます。公式HP

眼下には桜の名所、毛馬桜之宮公園と大川の流れ。花と緑に囲まれ、四季折々の風景を楽しめる都市型リゾートホテルです。公式HP

緑あふれる大阪城公園に隣接する都市型リゾートホテル。客室やレストランからは大阪城や周辺の景色が眺められる絶好のロケーション抜群。公式HP