日光御成道「鳩ヶ谷宿」散策マップ

このMapは、徳川将軍の日光社参に利用された御成道の宿駅である「鳩ヶ谷宿」全長約472㍍を辿り、僅かに残された文化財を中心に、さらには周辺の寄りたくなる見どころを紹介するためのものです。 ベースとなる「鳩ヶ谷町絵図」(埼玉県川口市教育委員会所蔵)は、江戸後期のもので農耕地を主体としたものですが、街道周りの耕地状況や道筋、見沼代用水からの分水がよく描かれており、町割や各道筋はほぼ辿ることができます。宿並周辺の小名(小字)である的場耕地・後谷耕地・町屋原・稲荷前耕地・沼田耕地・宮ノ下耕地の区分が明確にわかり、宿と隣接する浦寺(現桜町)・慈林・里・辻・小渕(現三ツ和)・赤井村境も描かれています。また、近年の再開発により宿の面影を残すものが少ないが、できるだけ江戸時代の宿を追体験ができるよう、スポット毎に「日光道中絵図」(国立公文書館)の該当箇所の絵を組み入れるようにしました。 本Mapは、川口市教育委員会協力のもと、高崎経済大学地域政策学部西沢淳男ゼミナールが作成しました。※絵図と地図の形状とに歪みが大きいため、GPS利用時少しズレがあります。
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地蔵院入口の道標 : 歴史を見てきた道標
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日光御成道と越ヶ谷道の分岐点。右へ行くと日光街道の越ヶ谷宿(現越谷市)へ至ります。左へ延びるのが日光御成道。道標は1822年建立のものです。 リンク:川口市文化財解説

かつて鳩ヶ谷宿で開かれていた三八市の守護神です。毎月3・8の日に市が立つ六斎市で、特に2月28日、4月28日、5月3日、7月13日、12月23日・28日の市は最も賑わい、近在から雑穀・土物・青物・飼葉・茶・藁灰などを持寄り売買が盛んにおこなわれていました。 リンク:川口市文化財解説

1629 年、代官伊奈忠治により八丁堤が築かれ、約1200ha におよぶ見沼溜井(現さいたま市)が完成しました。その後、見沼溜井を干拓するにあたって新たな水源を利根川に求め、用水を引くことになりました。この利根川から引かれた用水は、見沼に代わる用水として「見沼代用水」と呼ばれています。
千住道入口(とんぼ橋)
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日光街道の千住宿(現足立区)へ至る幹線道路です。ここには平柳用水に架かる石橋「とんぼ橋」があり、その石材が残されています。 リンク:川口市文化財解説
不二家ケーキスタンド
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これは不二家の自動販売機であり、店外に設置されているため、24 時間365 日いつでも気軽に不二家のスイーツを購入することができます。散策で一息つきたいときに一緒に購入してはいかがですか。
慈林薬師 " 行基開基の歴史ある寺院"
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奈良時代の僧侶である行基によって造られたと伝えられる寺院。護摩祈祷や花祭りなど1年を通じて様々な年中行事が行われています。江戸時代初めに建立された仁王門は、左右二体の仁王像が参拝者を出迎えてくれます。 リンク:慈林薬師HP 川口市文化財解説

紀州徳川家鷹場の東南端、旧辻村との境に位置します。8代将軍吉宗による鷹場復活により1720年8月に設けられた10本の鷹場杭の一つで、21㎝角、長さ約4mあり、鳥見役所・鷹野役所の管理下にありました。ここより内側・江戸側が将軍家の鷹場、ここより外側・宿側が御三家(紀州家)鷹場です。定杭脇には平柳用水から岡田悪水路への杁樋が見えています。

千手院が別当。鳩ヶ谷周辺の富士講信者の修行の場で、絵図(新編武蔵風土記稿)に見られるように凡そ3000坪の境内を有していましたが、1907年氷川神社へ合祀され廃社となります。しかし1978年千手院により再興されました。
本寺は鳩ヶ谷宿に隣接する里村にある曹洞宗遠江国石雲院の末寺。1476年太田道灌が開基し、1498年に再建され、徳川家康の関東入国後1591年、家康から寺領10石(御朱印地)を賜ります。その際「保正寺」から「法性寺」と改められました。境内は川口市の保全緑地で、裏山には樹齢500年以上ともいわれるクスノキがそびえ立っています。 リンク:法性寺HP
ベーゴマ製造日三鋳造所
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昭和の時代、子供達の遊びの主流であったベーゴマ。キューポラのまちであった川口では、多くの鋳物工場で、あまった金属を使ってベーゴマが作られていました。現在では日本で唯一の製造所となった日三鋳造所です。一つ購入して遊んでみませんか。 リンク:日三鋳造所HP

伝承では、関ヶ原の戦いで徳川家康に敗れた西軍の将石田三成の遺児がこの地に逃れ、先祖を祀るために建てた神社。もともとは遺児が世話になった家の屋敷神である熊ヶ谷稲荷でした。それを大正年間に石田明神として熊ヶ谷稲荷を祀り現在のようになりました。
















