Koyasan Guide Map

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This is a sightseeing map of Koyasan, located in Ito County, northern Wakayama Prefecture. Koyasan is one of the sacred sites of Japanese Buddhism and has been known as a place for ascetic practices since the Heian period (794-1185).

update date: 2024.04.17

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Number of spots : 26spots

  • 金輪塔

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    本尊は作者不明の金輪仏頂尊きんりんぶっちょうそんであり、塔名の由来となっています。興廃については不明な点が多く、何度焼失と再建を繰り返したかはわかりませんが、伝承では、第二十世検校の明算めいざん(1021-1106)が建立し、その骨を安置したとされており、そのため別名を「菩提院」といいます。その場合は平安時代から存在したことになります。 天保五年(1834)に何度目かの再建がなされた可能性があることを史料上で確認できます。現在の塔はこのときに再建されたものです。

  • 浪切不動尊

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    東大寺の子院である南院の僧・子島真興僧都によって創建された。本尊の浪切不動明王は、空海が唐より帰国する時に嵐に遭った際、船上で空海が自ら赤栴檀しゃくせんだんの霊木で彫り上げたものであるという。空海はその不動明王に祈願するや、不動明王から光が発せられて荒波を切り、嵐を鎮めて無事に帰国できたと伝わる。そのことから名を波切不動明王という。波切不動明王像は当初は壇上伽藍の山王院に安置されていたが、南院住職が維範大徳の時(平安時代)に当院に移された。

  • 金剛峯寺

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    高野山は、平安時代のはじめに弘法大師によって、開かれた日本仏教の聖地です。「金剛峯寺」という名称は、お大師さまが『 金剛峯楼閣こんごうぶろうかく一切いっさい 瑜伽瑜祇経ゆがゆぎきょう』というお経より名付けられたと伝えられています。東西60m、南北約70mの主殿(本坊)をはじめとした様々な建物を備え境内総坪数48,295坪の広大さと優雅さを有しています。 公式サイト https://www.koyasan.or.jp/kongobuji/

  • 国宝多宝塔

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    貞応2(1223年)、源頼朝、実朝両公菩提のため、政子が覚智入道に命じて建立したのが、この多宝塔です。元仁2年(1225年)10月13日、入仏供養の際、栄西禅師が導師となり、北条時房が二位禅尼の代参として法廷に臨んだと伝えられています。鎌倉初期の建立とされる石山寺の多宝塔についで古く、石山寺のものと同じく裳層を広くとり、安定感に富んでいることが特徴です。石山寺多宝塔が台輪を用いているのに対し、これは頭貫だけで、その点からいっても、この方が多宝塔本来の姿を示すものともいわれています。内部には五智如来(重要文化財)がまつられており、塔建立と同時期の造立考えられています。 公式サイト https://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html#okunoin

  • 徳川家霊台

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    寛永20年(1643年)に三代将軍・家光によって建立されました。一重いちじゅう宝形ほうぎょう造づくりの建物が二つ並んでおり、向かって右が東照宮家康公霊舎おたまや、左が台徳院秀忠公霊舎となっています。境内の東端には三代将軍以下および御三家の尊牌堂そんぱいどうがありましたが、明治21年(1888年)に焼失してしまいました 公式サイト https://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html#tokugawa

  • 六時の鐘

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    伽藍の入り口の高い石垣にある鐘楼は、福島正則公が父母の追福菩提を祈って、元和4年(1618年)に建立されました。福島候といえば、豊臣秀吉と柴田勝家かついえとの戦いで、賤ヶ岳しずがたけ七本槍しちほんやりといわれた、豊臣家きっての勇将でした。寛永7年(1640年)に、正則の子である正利によって再鋳されましたが、その鐘銘がかなまじり文であることで有名です。現在でも午前6時より午後10時まで、偶数時に時刻を知らせています。 公式サイト https://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html#danjogaran

  • 御供所

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    御廟で入定しているとされる弘法大師の食事を作っている場所。 毎朝、行法師が御供所で食事を作り、まず嘗味あじみ地蔵じぞうに供えて味見ののち、弘法大師御廟に運びいれる。 奥の院の寺務所でもあり、御守り等の販売所でもある。

  • 国宝不動堂

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    建久8年(1197年)、鳥羽上皇の皇女である八條はちじょう女院にょいん内親王というお方が発願され、行勝ぎょうしょう上人によって建立されました。もともと一心院谷(現在の金輪塔きんりんとう所在地付近)に建てられていましたが、後世になって伽藍へ移築されました。現在の建物は14世紀前半に再建されたものです。お堂の四隅はすべて形が違い、四人の工匠こうしょうがそれぞれの随意に造ったためと伝えられています。当初は阿弥陀堂であったと推定されていますが、後に不動明王を本尊とし、八大はちだい童子どうじが奉安されました。この八大童子は運慶の作として有名で、現在は霊宝館に収められています。 公式サイト https://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html#fudodo

  • 大師教会

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    金剛峯寺をはじめ、高野山に伝えられている貴重な仏画・仏像などの文化遺産を保護管理し、一般にも公開する目的で大正10年(1921年)に開設された、博物館相当の施設です。建物は宇治平等院を模して建造され、高野山でも数少ない大正建築として登録指定文化財に指定されています。 公式サイト https://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html#taishikyokai

  • 女人道

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    高野山は八葉の峰と呼ばれる1,000m前後の山々に囲まれた山上の盆地で、明治5年に女人禁制が解かれるまで、厳しく女性の入山を規制してきました。高野山への参詣道として俗に「高野七口」と呼ばれる街道が通じており、かつては各入口に女性のための籠り堂として女人堂が建てられ、女人信者は弘法大師空海の御廟を拝みたいと、女人堂から女人堂へ八葉蓮華の峰々を辿ったといわれ、この道を「女人道」と呼んでいます。 このコースは、弘法大師御廟を取り囲むようにそびえる魔尼山・楊柳山・転軸山の高野三山を巡る女人道トレッキングコースです。

  • 汗かき地蔵

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    汗かき地蔵は、つねに衆生の苦を代わって受けて汗を流していると信じられている。これは、「十輪経」のなかに、地蔵尊は「諸地獄ニ遊戯ゆうけシテ、決定けつじょう苦ヲ変リテ受ク」と信じられていることから生まれた信仰である。事実、現在の汗かき地蔵尊は、周囲が白い石に五輪が刻してあり、そのなかの黒色の石に地蔵尊が刻まれ、いつも汗をかいているように見える。

  • みろく石

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    和歌山県の霊場高野山の奥之院の御廟橋を渡ってすぐ左側の中にある祠に納められた石。祠には、片手が入る小さな穴があり、触れると弥勒菩薩の御利益があるという。さらに、持ちあげると願いが叶うと云われている。

  • 御廟の橋

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    御廟へと向かう参道の最後の橋。厳かな雰囲気に包まれながら、ここを越えるといよいよ聖域に足を踏み入れることになるため、服装を正し、一礼してから渡るのが参拝の作法です。橋は36枚の橋板と橋全体を合わせて37枚と数えられており、金剛界37尊を表し、さらに橋板の裏には梵字で36尊を表しています。

  • 霊宝館

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    金剛峯寺をはじめ、高野山に伝えられている貴重な仏画・仏像などの文化遺産を保護管理し、一般にも公開する目的で大正10年(1921年)に開設された、博物館相当の施設です。建物は宇治平等院を模して建造され、高野山でも数少ない大正建築として登録指定文化財に指定されています。 公式サイト https://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html#reihokan

  • 助けの地蔵

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    お助け地蔵は、別名「一言地蔵」や「一願地蔵」と呼ばれており、一つだけ願い事を叶えてくれるというお地蔵さんで有名で、地元はもちろん、全国各地から多くの人がお参りにきます。 また、お助け地蔵尊からの夕日は絶品で、空気の澄んだ日は遠く淡路島から四国まで見渡せ、「和歌山県の朝日・夕日百選」にも選ばれています。

  • 町石道

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    高野山町石道は、弘法大師・空海が高野山を開創した際、木製の卒塔婆を建てて道標とした表参道です。 やがて、大師信仰の広まりとともに多くの人々が参拝に訪れるようになり、高野山へ通じる7つの道が開かれ、「高野七口」と呼ばれました。 中でも高野山町石道は主要参詣道として利用され、町石は単なる道標ではなく、参拝者が卒塔婆形町石に礼拝をしながら山上を目指したことを今に伝えています。

  • 大門

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    高野山の入口にそびえ、一山の総門である大門。開創当時は現在の地より少し下った九十九折つづらおり谷に鳥居を建て、それを総門としていたそうです。山火事や落雷等で焼失し、現在の建物は1705年に再建されました。五間三戸さんこの二階二層門で、高さは25.1メートルあります。左右には金剛力士像(仁王さま)が安置されています。この仁王像は東大寺南大門の仁王像に次ぐ我が国二番目の巨像と云われ、江戸中期に活躍した大仏師である運長と康意の作です。正面には「日々の影向ようごうを闕かかさずして、処々の遺跡を檢知す」という聯れんが掲げられています。この聯は、「お大師さまは毎日御廟から姿を現され、所々を巡ってはわたしたちをお救いくださっている」という意味であり、同行二人信仰を表しています。 また、大門の横手には弁天岳登山口があり、山頂には弘法大師が勧請された嶽弁才天だけのべんざいてんがまつられています。 公式サイトhttps://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html#daimon

  • 壇上伽藍エリア

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    お大師さまが高野山をご開創された折、真っ先に整備へ着手した場所です。お大師さまが実際に土を踏みしめ、密教思想に基づく塔・堂の建立に心血を注がれました。その壇上伽藍は、〈胎蔵曼荼羅〉の世界を表しているといわれています。高野山全体を金剛峯寺という寺院と見たとき、その境内地の核にあたる場所で、古来より大師入定の地である奥之院と並んで信仰の中心として大切にされてきました。以後の各諸堂の案内順番は、高野山に伝わる『両壇りょうだん遶堂にょうどう次第』に則っています。 公式サイトhttps://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html#danjogaran

  • 女人堂

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    その昔、高野山には七つの登り口があり、高野こうや七口ななくちと呼ばれていました。明治5年(1872年)に女人禁制が解かれるまで、女性の立ち入りが厳しく制限され、そのため各登り口に女性のための参籠所が設けられ、女人堂と呼ばれました。現在の女人堂は唯一現存する建物です。 公式サイト https://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html#nyonindo

  • 苅萱堂

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    苅萱かるかや道心どうしんと石道丸いしどうまるの話は、悲話として広く知られています。このお堂は苅萱道心が出家し、実の子である石道丸とともに父子を名乗ることなく仏道修行に明けくれたと伝えられています。 公式サイト https://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html#karukayado

  • 奥之院エリア

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    高野山の信仰の中心であり、弘法大師さまが御入定されている聖地です。正式には一の橋から参拝します。一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、おおよそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいます。 公式サイト https://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html#okunoin

  • 弘法大師御廟

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    大師信仰の中心聖地であり、現在でも肉身をこの世にとどめ、深い禅定に入られており、わたしたちへ救いの手を差し伸べていらっしゃるという入定信仰を持つお大師さまの御廟所です。現在も参られる方々を救い続けていると信じられ、日夜多くの参拝者が絶えません。 公式サイト https://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html#okunoin

  • 御影堂

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    もとは、お大師さまの持仏堂として建立されましたが、後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し、御影堂と名付けられました。桁行15.1メートル、梁間15.1メートルの向背付宝形ほうぎょう造りで、堂内外陣にはお大師さまの十大弟子像が掲げられています。このお堂は高野山で最重要の聖域であり、限られた方しか堂内に入ることは許されませんでしたが、近年になって旧暦3月21日に執行される「旧正御影供」の前夜、御逮夜おたいや法会ほうえの後に外陣への一般参拝が許されるようになりました。 公式サイト https://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html#okunoin

  • 根本大塔

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    お大師さま、真然しんぜん大徳だいとくと二代を費やして816年から887年ごろに完成したと伝えられます。お大師さまは、この大塔を法界体性塔とも呼ばれ、真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立されたので古来、根本こんぽん大塔だいとうと呼んでいます。多宝塔様式としては日本最初のものといわれ、本尊は胎蔵大日如来、周りには金剛界の四仏しぶつが取り囲み、16本の柱には堂本印象画伯の筆による十六じゅうろく大菩薩だいぼさつ、四隅の壁には密教を伝えた八祖はっそ像が描かれ、堂内そのものが立体の曼荼羅まんだらとして構成されています。 公式サイト https://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html#danjogaran

  • 金堂

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    高野山御開創当時、お大師さまの手により御社に次いで最初期に建設されたお堂で、講堂と呼ばれていました。平安時代半ばから、高野山の総本堂として重要な役割を果たしてきました。 現在の建物は7度目の再建で、昭和7年(1932年)に完成しました。梁間23.8メートル、桁行30メートル、高さ23.73メートル、入母屋造りですが、関西近代建築の父といわれる武田五一博士の手によって、耐震耐火を考慮した鉄骨鉄筋コンクリート構造で設計、建立されました。 内部の壁画は岡倉天心に師事し日本美術院の発展に貢献した木村武山ぶざん画伯の筆によって、「釈迦しゃか成道じょうどう驚覚きょうがく開示かいじの図」や「八供養はっくよう菩薩像ぼさつぞう」が整えられました。本尊の阿閦如来(薬師如来、秘仏)は、洋彫刻の写実主義に関心をよせ、江戸時代までの木彫技術に写実主義を取り入れて、木彫を近代化することに貢献された、高村光雲仏師によって造立されました。 公式サイト https://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html#danjogaran

  • 中門

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    金堂の正面手前の一段低い所にある中門。五間二階の楼門で、両脇には持国天じこくてん像(東)・多聞天たもんてん像(北)がまつられていましたが、天保14年(1843年)に壇上を襲った大火により、西塔のみを残して、ことごとく焼き尽くしました。その後長らく再建はされていませんでしたが、高野山開創1200年記念大法会の記念事業として、平成26年(2014年)に中門を再建、翌27年(2015年)4月2日に落慶法要が執り行われました。なお、再建するにあたって増長天ぞうちょうてん像(南)と広目天こうもくてん像(西)が現代の大仏師・松本明慶により新造され、天保14年に類焼をまぬがれた二天像と共に四天王像が中門を、ひいては伽藍全域を守護しています。 公式サイト https://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html#danjogaran