歩いて、触れて。東信州中山道歩き方マップ

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江戸五街道の一つ「中山道」は険しい山間部をつなぐ街道で、宿場や本陣、一里塚などが歴史的に残り、多くの観光客が歩く人気スポットである。

江戸からのその道中は碓氷峠が入口となり、その先 雄大な浅間山を望みながら軽井沢、沓掛を進む。
善光寺へと続く北国街道との分去れとなる追分、 姫君に愛された小田井。
佐久平の盆地をゆるゆると行けばかつての城下町岩村田。
千曲川のせせらぎを渡る塩名田、良質な米の産地、五郎兵衛新田に近い八幡。
駒の里として歌人に詠まれた望月、造り酒屋の美酒を味わう茂田井。
峠には松の並木が続く芦田、竪町と横町が直角に交わる長久保。
やがて中山道最高地点、標高約一六〇〇mの難所が迫る和田。
その和田峠を越えれば、諏訪へと下りが続く。
軽井沢から和田までの十一の宿場を「東信州中山道」として親しみながら旅してもらいたい。

update date: 2023.09.19

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Number of spots : 124spots

  • 東信州 中山道を歩く 東信州 中山道を歩く

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    歩いて、触れて。 江戸五街道の1つ「中山道」は険しい山間部をつなぐ街道で、六九の宿場を持つ。 東信州の入口は碓氷峠を起点とし、雄大な浅間山を望みながら進んでいく。 延々と進む先には中山道最大の難所、標高一六〇〇メートルを誇る和田峠が迫り、超えれば諏訪湖へゆるゆる続く。 さまざまな様相を見せてくれる信濃の東側、軽井沢宿から和田宿まで十二宿「東信州中山道」が私たちを楽しませてくれる。 地図内アイコン スポット情報 各スポットの情報を紹介しています。 Information(インフォメーション) マップのタイトル・説明がご覧いただけます。 Communication(コミュニケーション) ルームを設定すると、友人同士、家族同士等の限られた人とマップ上で現在地や歩いたルートの共有のほか、チャット機能が利用できます。 SPOT LIST(スポットリスト) スポット一覧を確認できます。カテゴリーごとに表示・非表示を変更することができます。 GPS Button(GPSボタン) GPSのオンオフを切り替えます 「 (白色)」をクリック →現在地共有を開始 「 (青色)」をクリック →現在地を中心に表示 Googleマップとの切替が可能です。 方角リセットボタン タッチパネル形式の端末では、2本の指で画面を回転させるとマップの向きを変更することができます。元の向きに戻したい時はこのボタンを押してください。

  • 宝珠院 宝珠院

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    永正年間(1515~1520年)の開創と言われています。敷地内のシダレザクラは推定300年という古木です。また、高さ20mの見事な枝張りのアカマツがあり、御代田町の天然記念物に指定されています。 住〒389-0206 御代田町大字御代田1814 ℡0267-32-2613(問い合わせ先) 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 長倉・諏訪神社 長倉・諏訪神社

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    樹齢が推定200~300年の木々が立ち並ぶ長倉・諏訪神社は、天正16年に当地に遷座してから小田井宿と共に歩んできました。毎年、初午の日には道祖神祭りが行われます。 住〒389-0206 御代田町御代田1828 ℡0267-32-8922  (お問合せ:浅間縄文ミュージアム) 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 御代田町交通記念館 御代田町交通記念館

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    交通記念館は御代田駅の東側に位置します。信州を走り続けた蒸気機関車D51-787号が昭和46年4月からこの地に静かにたたずんでいます。 住〒389-0206 御代田町御代田2454-5 ℡0267-32-8922  (お問合せ:浅間縄文ミュージアム) 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 問屋跡(安川家) 問屋跡(安川家)

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    物資の輸送業務を行っていました。切妻造で享和~文化頃の建物とみられます。 ℡0267-32-8922  (お問合せ先:浅間縄文ミュージアム) 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 小田井宿 小田井宿

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    小田井宿は江戸板橋宿から数えて21番目の宿場町です。追分宿、岩村田宿の間にあり、天保14年の記録では旅籠がわずか5軒ほどの静かな宿場町でした。その規模から参勤交代の大名が隣の追分宿に宿をとり、小田井宿には姫君など女性が多く休泊したことから「姫の宿」とも呼ばれています。 ℡0267-32-8922  (お問合せ:浅間縄文ミュージアム) 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 問屋跡(尾台家) 問屋跡(尾台家)

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    本棟造、元は板葺き石置きの建物でした。安川家と尾台家は半月交代で問屋の業務にあたりました。 ℡0267-32-8922  (お問合せ先:浅間縄文ミュージアム) 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 本陣跡 本陣跡

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    文久元年に皇女和宮が御休憩、御昼食をされたのを始めとして、輿入れなどのために多くの姫君達が休憩や宿泊をしました。 ℡0267-32-8922  (お問合せ先:浅間縄文ミュージアム) 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 馬頭観世音移設 馬頭観世音移設

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    住〒389-0115北佐久郡軽井沢町追分1155-8 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 追分節発祥の地碑 追分節発祥の地碑

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    住〒389-0115北佐久郡軽井沢町追分1155-7 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 芭蕉句碑 芭蕉句碑

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    住〒389-0115北佐久郡軽井沢町追分 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 江戸時代から残る石橋 江戸時代から残る石橋

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    住〒389-0115北佐久郡軽井沢町追分 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 常夜灯 常夜灯

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    住〒389-0115北佐久郡軽井沢町追分 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 追分郷土館 追分郷土館

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    住〒389-0115 北佐久郡軽井沢町追分1155-8 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 浅間神社 浅間神社

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    住〒389-0115 北佐久郡軽井沢町追分1155-7 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 追分宿本陣の裏門 追分宿本陣の裏門

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    追分宿の本陣は歴代土屋市左衛門を世襲した。追分宿が宿場の 機能を持つのは慶長7年(1602)中山道の伝馬制度を徳川家が 整備した以降である。中山道の宿場中、塩尻宿、上尾宿次ぐ 大きな宿泊施設を備えていた本陣である。明治26年に信越線が全線開通すると、追分宿を利用した宿継の荷駄・旅人は他の交通手段に代わり、宿場としての機能を失う。本陣の門(裏門)は明治末期頃追分宿に近い御代田町塩野地区の内堀家の表門として移築され、約100年の間大切に扱われてきた。平成17年に内堀家により軽井沢町へ寄贈せれた。 住〒389-0115 北佐久郡軽井沢町追分 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 脇本陣油屋跡 脇本陣油屋跡

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    追分宿には脇本陣が二軒ありそのうちの一軒が油屋 小川助右衛門家脇本陣時代は「平入切妻造り」の建物でした。 住〒389-0115 北佐久郡軽井沢町追分655-3 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 追分高札場跡(貫目改所跡) 追分高札場跡(貫目改所跡)

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    高札場は問屋前の路中央にあった、法度、掟書きなどを記した。また、さらし首、重罪人の罪状を記し、高く掲げた版札を高札という。昭和58年、当時の古文書等から、高札場を復元した。ここに掲示してある高札は複製品で現物は追分宿郷土館に保管展示されている 住〒389-0115北佐久郡軽井沢町追分602-8 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 追分宿分去れ 追分宿分去れ

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    北国街道と中山道の分岐点にあるのが「追分の分去れ」です。 江戸から来た場合、右は北国街道の更科や越後方面、左は京都、吉野など関西へ向かう分岐点。昔長旅の途中で親しくなった旅人同志が別の行き先を前に別れを惜しみともに袂を分けて旅を続けたといわれるのがその名の由来です。「さらしなは右みよしのは左にて月と花とを追分の宿」 住〒389-0115 長野県北佐久郡軽井沢町追分558 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 桝形の茶やつがる屋 桝形の茶やつがる屋

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    宿内の防衛のため見通しがきかないように、道を鍵の手に曲げて石垣状の土手で囲ったものがありました。この桝形にあった茶屋のことです。 住〒389‐0115 北佐久郡軽井沢町追分568 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 中山道69次資料館 中山道69次資料館

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    浅間山麓の信濃追分にある資料館です。日本橋から京都三条大橋まで、旅の体験ができます。資料館内の他、庭でえ英泉や広重が描いた頃と今を比較しながら歩いてみませんか。 住〒389-0115北佐久郡軽井沢町追分120 営10:00〜16:00 休火、水、木、金曜日   冬期(12月~3月) ℡0267-45-1737 料金入館料:大人500円 団体400円 小中高生200円 公式HP https://nakasendo69.sakura.ne.jp 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 遠近宮 遠近宮

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    平安時代に書かれた『伊勢物語』には在原業平を主人公とした歌物語があり「信濃の国、浅間の嶽に煙立つを見て、信濃なる浅間の嶽に煙 遠近人の見やはとがめね」とうたわれている。遠近宮社叢町文化財 住〒北佐久郡軽井沢町長倉4751 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 女街道入口 女街道入口

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    下仁田街道(姫街道、女街道)追分宿から東側の「借宿」にある女街道入口の案内看板には…江戸時代には「入り鉄砲」「出女」と言って当時恐れられていた武器鉄砲の動きや江戸屋敷に住まわせていた諸大名の奥方など女人の出入りを取り締まった。従って女人は関所を避けて裏街道を通るようになった。これを女街道、またわ姫街道ともいう。 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 追分の一里塚 追分の一里塚

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    旅人に道程を示す道しるべとなり、憩いの場所として小高い塚を築き、そこにエノキを植えて一里塚をつくった。 国道18号線の左右に一山ずつあります。 住〒389-0115 北佐久郡軽井沢町追分一里塚道上 1138-3 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 本陣跡 本陣跡

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    住〒389-0115北佐久郡軽井沢町追分602 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 沓掛時次郎碑 沓掛時次郎碑

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    沓掛時次郎(くつかけときじろう)は、長谷川伸が1928年[1]に発表した戯曲。博徒の男が、行きがかりで殺害した男の妻子とともに旅をする物語。いわゆる「股旅もの」の傑作と評され[1]、演劇以外の媒体でも作品化された。本作ではこれらの映像化作品、楽曲、漫画についても記述する。 住〒389-0111 北佐久郡軽井沢町大字長倉6-2 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 旧近衛文麿別荘 (市村記念館) 旧近衛文麿別荘
(市村記念館)

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    記念館の建物は、大正時代に洋風住宅建築会社『あめりか屋』によって建てられたもので、大正15年に近衛文麿が別荘として野沢源次郎から購入しました。昭和7年に政治学者で近衛と親交があった市村今朝蔵が購入し、翌年に南原に移築されました。その後、平成9年に現在の場所、雨宮池の東端に移築され、市村家のご遺族より町に寄贈されたものです。近衛文麿や、南原の別荘地としての開発に尽力した市村今朝蔵とその妻で名誉町民となったきよじ、雨宮敬次郎の資料が展示されています。平成28年5月24日付けで、軽井沢町文化財(指定第19号)に指定されました。 住長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉2112-21 営9時~17時(入館は16時30分まで) 休 月曜日(祝日の場合は開館)※7月15日~10月31日は無休   11月16日から翌年3月31日まで冬期休館 ℡0267-46-6103   旧近衛文麿別荘(市村記念館) 料金大人400円(団体300円)    子ども200円(団体150円)    資料館と共通。団体は20人以上です。※乳幼児は無料    ※身体障害者手帳     療育手帳     精神障害者保健福祉手帳を保持する方     その介添者(1名)は手帳提示により無料となります。 公式HP https://www.town.karuizawa.lg.jp/www/contents/1001000000931/index.html 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 長倉神社 長倉神社

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    長倉神社(ながくらじんじゃ)は長野県北佐久郡軽井沢町にある神社。『延喜式神名帳』に記載される式内社であり、旧社格は村社。創建は不明だが、社伝によれば天長年間に旧東山道の長倉駅が開発されたころ、長倉山に鎮座し、旧社地は「元八幡」と称した。沓掛宿は安永2年(1773年)に火災で移転するまでは、現在地の南方400メートルほどに位置し、長倉神社も同時に遷座したと推測される[1]。 住 〒389-0111 北佐久郡軽井沢町大字長倉2283-1 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 草津道への道標 草津道への道標

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    沓掛宿(くつかけしゅく)は、中山道六十九次のうち江戸から数えて19番目の宿場。草津温泉に向かう分岐路もあった。 住〒389-0111 北佐久郡軽井沢町大字長倉3281 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 脇本陣つた屋跡 脇本陣つた屋跡

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    中軽井沢交差点先の八十二銀行駐車場奥に「脇本陣蔦屋跡碑」(左)が建てられている。 住〒389-0111 北佐久郡軽井沢町大字長倉3036-4 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 一里塚 一里塚

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    しなの鉄道中軽井沢駅南口を東に向かって歩く 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 前沢馬頭観音 前沢馬頭観音

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    「馬頭観音」とは、六観音(ろっかんのん)の一つで、馬頭観世音(ばとうかんぜおん)とも呼ばれます。頭の上に馬の頭をいただいていることから、馬の守護神として昔から広く信仰されています。 怒りが強ければ強いほど馬頭観音の人を救う力が大きく馬の頭を頂いた観音様の姿を見て、馬とともに生活する当時の人々が、馬の無病息災を祈る民間信仰が生まれ、農家では農耕馬の、馬の産地では生まれ育つ仔馬たちの、そして馬によって稼いでいた人々にあっては馬と歩む道中の安全を祈っ足り死んでしまった馬の冥福を祈った。 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 庚申塔 庚申塔

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    古くからの集落や街道筋、道の分岐点などには石碑や石塔、あるいは石仏が建てられています。 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 軽井沢町 歴史民俗資料館 軽井沢町
歴史民俗資料館

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    縄文時代の土器や、中山道の宿場の歴史など、道の文化史に関する資料と、明治以後の別荘地としての発展を紹介する資料、高冷地のくらしを支えた生活道具などの資料を保存・公開している施設です。また、故吉沢三朗氏のコレクションによる中国陶磁器も展示しており、入口脇の館庭には中軽井沢の山荘あとから移築された杉浦翠子の歌碑があります。 住長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉2112-101 営9時~17時(入館は16時30分まで) 休月曜日(祝日の場合は開館)※7月15日~10月31日は無休   11月16日から翌年3月31日まで冬期休館   ※冬期休館中に見学希望の場合は、    平日のみ、10人以上で受け付けています。    事前にご連絡下さい。 ℡0267-42-6334 ℻0267-42-6334 料金大人400円(団体300円)  子ども200円(団体150円)   旧近衛文麿別荘(市村記念館)と共通。    (団体は20人以上です)    ※乳幼児は無料    ※身体障害者手帳     療育手帳     精神障害者保健福祉手帳を保持する方     とその介添者(1名)は手帳提示により無料です。 公式HP https://www.town.karuizawa.lg.jp/www/contents/1001000000930/index.html 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 旧雨宮邸 旧雨宮邸

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    旧雨宮邸は雨宮御殿とも呼ばれ重要な文化遺産である。雨宮敬二郎は明治時代一代にして財閥を築いた人物であり、軽井沢の開発者として知られる。この離れ山に事務所として100坪の邸宅を建設した。また明治の末期には120坪の新座敷建設し政財界の賓客を迎えた(現在公開) 住長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉2112-21 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 軽井沢観光会館 軽井沢観光会館

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     木造のクラシックな外観はまさに旧軽井沢商店街のシンボル的存在。町の観光情報の提供を行う案内所であり、散策やショッピングの合間の休息スペースになっています。特産品を紹介する展示スペース、有料公衆トイレなどがあります。 住北佐久郡軽井沢町軽井沢739番地2 営開館時間:9時~17時 (GW・夏期 延長あり) 休年末(例年12/28~12/31) ℡0267-42-5538 公式HP https://www.town.karuizawa.lg.jp/www/contents/1001000000682/index.html 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • つるや旅館 つるや旅館

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    江戸時代初期に中山道街道筋の宿場町・軽井沢宿の休泊茶屋「旅籠鶴屋」として開業。明治時代に入り、宣教師たちが軽井沢へやって来るようになり、「つるや旅館」は日本風の建物のまま西洋風の趣を取り入れて、1886年(明治19年)に旅館業に転じる。以降、大正から昭和中頃にかけて多くの作家が常宿とするようになった。 住〒389-0102長野県北佐久郡軽井沢町旧軽井沢678 営チェックイン15:00 チェックアウト11:00 ℡0267-42-5555 公式HP https://tsuruyaryokan.jp 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 軽井沢ショー記念礼拝堂 軽井沢ショー記念礼拝堂

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    日本聖公会中部教区に属する軽井沢の教会です。旧軽井沢銀座商店街を通り抜けた木立の中に佇んでいます。現在の礼拝堂の原形は1895(明治28)年に軽井沢最初の教会建造物として建立され、1922(大正11)年までに増改築を行いほぼ現在の形になりました。その後、修復を重ねながら今日に至っています。 住389-0102長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢57-1 公式HP https://nskk-chubu.org/church/16shaw/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 熊野皇大神社 熊野皇大神社

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    社殿は群馬県安中市と長野県北佐久郡軽井沢町にまたがっており参道と本宮の中央を県境が通る。長野県側は神社庁により特別神社に指定され、熊野皇大神社と称する。 主な社宮は3つであり、本宮では伊邪那美命(イザナミノミコト)、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が鎮座。加えて、群馬県側にある新宮には速玉男命(ハヤタマオノミ コト)、長野県側にある那智宮には事解男命(コトサカオノミコト)が鎮座しています。 第二次世界大戦後に宗教法人が制定された際、都道府県ごとに宗教法人の登記が必要となった。このため一つの神社でありながら県境を挟んで長野県側が熊野皇大神社、群馬県側が熊野神社という別々の宗教法人となった。 住〒389-0101 長野県北佐久郡軽井沢町峠町1 営年中無休 9時~16時 ℡0267-42-5749 熊野皇大神社のHP https://kumanokoutai.com/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 芭蕉句碑 芭蕉句碑

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    そこにひっそりとあるこの句碑は、地元の門下生である俳人小林玉蓬によって天保14年(1843年)に建てられたもの。 住〒389-0102 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢 公式HP https://www.town.karuizawa.lg.jp/www/sp/contents/1001000000714/index.html 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 室生犀星記念館 室生犀星記念館

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    室生犀星は、大正期から昭和中期にかけて活躍した、日本文学を代表する詩人・小説家です。この記念館は、昭和6年に建てられた別荘を改修したもので、犀星は亡くなる前年の昭和36年まで毎夏をここで過ごしました。この家では、堀辰雄、津村信夫、立原道造、川端康成、志賀直哉ら多くの作家と交流がありました。 住長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢979-3 営9時〜17時まで(最終入館は16時30分まで) 休4月29日から11月5日まで(期間中無休) 料金無料 公式HP https://www.town.karuizawa.lg.jp/www/sp/contents/1590985603807/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 明治天皇行在所の碑 明治天皇行在所の碑

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    明治5年から18年にかけて、明治天皇は地方視察のため国内を巡幸された。この中でも特に大規模な地方巡幸の一つであった1878(明治11)年北陸東海巡幸は中山道を利用され、長野県を巡幸された。 住長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢605-7 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 三面観音 三面観音

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    軽井沢町教育委員会は6月5日、野沢家から寄付を受けた三面馬頭観音像を、町有地の旧軽井沢ロータリーに移設した。石像は1853年、伊那市高遠の石工が制作。3つの顔と6本の腕を持ち、頭頂に馬の頭があるのが特徴。一塊の石から像の全体を掘り出す「丸彫り」の立像で、教育委員会によると「丸彫りの三面馬頭観音像は、全国的にも珍しい」という。もともとは旅と馬の安全祈願のため、二手橋近くにあったもので軽井沢で別荘地を開発した実業家の野沢源次郎が手厚く保護していた。 住北佐久郡軽井沢町軽井沢15-1 公式HP https://www.karuizawa.co.jp/newspaper/news/2017/06/post-52.php 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 県境 県境

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    長野県と群馬県の境目 住〒389-0101 長野県北佐久郡軽井沢町峠町1 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 万葉歌碑 万葉歌碑

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    見晴台の入口近くに、万葉歌碑があります。東歌と防人歌から二首が並べて刻まれています。右に見えるのは副碑。昭和42年5月に軽井沢町によって建立されました。 住〒389-0101 長野県北佐久郡軽井沢町峠町1 公式HP https://www.town.karuizawa.lg.jp/www/contents/1001000000731/index.html 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 旧中山道碓氷峠道跡標識 旧中山道碓氷峠道跡標識

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    碓氷峠越えの険しさを旅人は、 「旅人の身を粉に砕く難所道 石のうすいの峠なりとて」 「苦しくも峠を越せば花の里 みんな揃って身は軽井沢」 と唄っていた。 峠の頂上には道中安全の神、熊野権現が祀られている。現在の道(舗装路)は明治天皇後巡幸道で、明治11年に改修された道である。 住長野県北佐久郡軽井沢町峠町付近 公式HP https://www.jinriki.info/kaidolist/nakasendo/sakamoto_karuizawa/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 室生犀星文学碑 室生犀星文学碑

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    長野県軽井沢町、旧軽井沢のメインストリート(かつての中山道軽井沢宿)を抜けた二手橋から旧碓氷峠方向に5分ほど歩いた、矢ヶ崎川の河畔に立つのが室生犀星文学碑(むろうさいせいぶんがくひ)。『かげろふの日記遺文』で「野間文芸賞」を受賞(昭和34年12月)した記念に、昭和35年秋、室生犀星が自らが設計し建立したもの。 住北佐久郡軽井沢町軽井沢821 公式HP https://www.kanazawa-museum.jp/saisei/saisei/monument.html 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 三千僧接待碑 三千僧接待碑

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    江戸時代中頃に諸国遍歴の僧の供養、接待を願い信定寺別院の慈眼寺境内に建立されましたが、千人の僧の接待を達成した後に三千人の僧の接待を願い、寛政7年(1795)に現在地に移りました。 住〒386-0701   長野県小県郡長和町和田754-6 公式HP https://nakasendo.nagawa.ne.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 若宮八幡神社 上組一里塚跡 若宮八幡神社 上組一里塚跡

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    本殿は江戸時代中頃の享保6年(1721)の建立。 境内には戦国時代の天文22年(1553)に武田晴信(信玄)と戦って敗れた和田城主大井信定父子の墓碑が建立されています。近くの上組一里塚跡は江戸より49里。 住〒386-0701   長野県小県郡長和町和田1215-1ほか 公式HP https://nakasendo.nagawa.ne.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 歴史の道資料館かわちや(国史跡) 歴史の道資料館かわちや(国史跡)

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    幕末の文久元年(1861)3月の和田宿大火後に再建された門付旅籠で、奥座敷には上段の間が設けられています。和田宿の旅籠のなかでは規模が大きく、出桁造りで格子戸が付いた宿場建物の代表的な遺構として、幕末の建築様式を伝えています。 住〒386-0701   長野県小県郡長和町和田2629-1 営9:00-16:00 休月曜日   6月~7月第3週目の火曜日   11月最終月曜日から3月末 ℡0268-88-2794 料金大人300円、小人150円   本陣、大黒屋、黒耀石石器資料館と共通入館券 公式HP https://nakasendo.nagawa.ne.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 和田宿本陣(国史跡) 和田宿本陣(国史跡)

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    幕末の文久元年(1861)3月の和田宿大火後に、同年11月の和宮御降嫁を受けて再建されました。明治維新後は役場庁舎、農協事務所として使用され、昭和61年から5ヶ年の歳月をかけて往時の姿に復元されました。出桁造りの間口12間、奥行9間に及ぶ宿場最大の建物です。 住〒386-0701   長野県小県郡長和町和田2854-1 営9:00-16:00 休月曜日   6月~7月第3週目の火曜日   11月最終月曜日から3月末 ℡0268-88-2348 料金入館料大人300円、小人150円   かわちや、大黒屋、黒耀石石器資料館と共通入館券 公式HP https://nakasendo.nagawa.ne.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 鍛治足一里塚跡 鍛治足一里塚跡

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    江戸より50里となる一里塚跡で、中山道と国道142号線交点に位置しています。大正15年に建立された道標には「右 諏訪街道(中山道) 左 松澤歩道」と記されています。 住〒386-0701   長野県小県郡長和町和田3201-11 公式HP https://nakasendo.nagawa.ne.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 唐沢一里塚(国史跡) 唐沢一里塚(国史跡)

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    江戸より51里となる一里塚で、江戸時代の早い時期にこの辺りの中山道の道筋が変更されたため、山中にそのまま残されました。五街道のなかでも珍しい対で現存する一里塚です。 住〒386-0701   長野県小県郡長和町和田3453-7ほか 公式HP https://nakasendo.nagawa.ne.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 三十三体観音 三十三体観音

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    かつては付近にあった熊野権現社の回りに並んでいましたが、中山道の退廃とともに山中に埋もれていたものを、昭和48年(1973)の発掘調査により29体が確認され、ここに安置されました。 住〒386-0701   長野県小県郡長和町和田   和田山国有林1137は林小班 公式HP https://nakasendo.nagawa.ne.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 永代人馬施行所(国史跡) 永代人馬施行所(国史跡)

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    江戸呉服町の豪商かせや与兵衛が、峠越えで苦労する人々を少しでも救おうと幕府に金千両を寄付して、利子の半分の50両が和田宿に下付されて文政11年(1828)に設置されました。11月から3月まで旅人に粥と焚火が、牛馬には年中桶一杯の煮麦が施されました。 住〒386-0701   長野県小県郡長和町和田5376-10 休冬季閉館  (12月1日~翌4月第1週の土曜または日曜) 公式HP https://nakasendo.nagawa.ne.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 東餅屋茶屋跡 東餅屋茶屋跡

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    和田峠を挟んで和田宿側に「東餅屋」、下諏訪宿側に「西餅屋」という休憩所が設けられていて、東餅屋には5軒の茶屋があり、江戸時代初期の寛永年間より幕府から1軒ごとに1人扶持(一日玄米5合)が支給され、旅人の救護にもあたりました。茶屋で提供された「力餅」が地名の由来にもなっています。 住〒386-0701   長野県小県郡長和町和田5355-1ほか 公式HP https://nakasendo.nagawa.ne.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 和田峠(古峠) 和田峠(古峠)

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    和田宿から下諏訪宿までは5里18町(約22km)もある長い道程で、そのほぼ中間に位置する和田峠(標高1600m)は、中山道最高地点にして、急坂も多く最大の難所でした。峠の頂上には御嶽山遥拝所や賽の河原地蔵が安置されています。 住〒386-0701   長野県小県郡長和町和田   和田山国有林1136き林小班 公式HP https://nakasendo.nagawa.ne.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 長和の里歴史館・長和町文書館 長和の里歴史館・長和町文書館

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    長和町内の考古、民俗、文献資料を収蔵展示しています。 史跡中山道及び長久保宿和田宿を担当する長和町教育委員会文化財係の事務所を兼ねていますので、お気軽にお問い合わせください。 住〒386-0701   長野県小県郡長和町和田147-3 営9:00-16:00 休月曜日、年末・年始 ℡0268-88-0030 料金入館無料 公式HP https://nakasendo.nagawa.ne.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 落合橋 落合橋

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    「木曾海道六十九次」シリーズのうち、歌川広重が描いた「長久保宿」がここにあった落合橋です。江戸時代中頃の延享元年(1744)には、長さ8間半、幅1間半の土橋が架けられていました。 住〒386-0601   長野県小県郡長和町大門字落合 公式HP https://nakasendo.nagawa.ne.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 四泊一里塚跡 四泊一里塚跡

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    江戸より48里となる一里塚跡。「エノミの木のある所」として地元の人々に親しまれた榎の大木がありましたが、昭和35年(1960)の道路改修の際に伐採され、後に旧地を町史跡に指定してます。 住〒386-0602   長野県小県郡長和町長久保2601-1 公式HP https://nakasendo.nagawa.ne.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 釜鳴屋 釜鳴屋

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    江戸時代前期の17世紀中頃より、酒造業と醤油の醸造を手掛け宿場の役職も兼ねていました。主屋は間口9間半、奥行10間半の切妻造りの平入で、屋根の端部には妻壁を高く突出させ小屋根をつけた「本うだつ」がみられます。玄関先の最も古い享保16年(1731)の祈祷札に打ち替えた跡がなく、長野県内では最も古い町屋建築といわれています。 住〒386-0602   長野県小県郡長和町長久保579 公式HP https://nakasendo.nagawa.ne.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 長久保宿本陣(国史跡) 長久保宿本陣(国史跡)

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    長久保宿竪町のほぼ中央に位置しています。宿場の創設当初から江戸時代を通じて本陣と問屋を勤め、四代目当主のもとには真田信繁(幸村)の長女が嫁いでいます。当時の建物としては、「御殿」と呼ばれる座敷棟のほか表門や土蔵が現存し、御殿は17世紀後半の建築と推定され、中山道最古の本陣建築といわれています。 住〒386-0602   長野県小県郡長和町長久保589 ℡0268-88-0030 (問合せ先:文化財係) 公式HP https://nakasendo.nagawa.ne.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 長久保宿歴史資料館一福処濱屋 長久保宿歴史資料館一福処濱屋

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    明治時代初期に旅籠として建てられましたが、中山道の交通量が減ったため開業には至りませんでした。出梁(出桁)造りが特徴的な総二階建ての建物です。持ち主から寄付を受けて宿場を訪れる方の休み処として、また、関連資料の展示の場として改修整備を行い公開しています。 住〒386-0602   長野県小県郡長和町長久保600-1 営9:00〜16:00   (長和町教育委員会文化財係) 休 月曜(月曜が祝祭日の場合は翌日休館)   冬季間(12月1日から翌年3月31日) ℡0268-88-0030(文化財係) 料金入館無料 公式HP https://nakasendo.nagawa.ne.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 長久保宿丸木屋 長久保宿丸木屋

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    長久保宿竪町の上位に位置する旅籠で、幕末の慶応3年(1867)の建築ですが古い規模様式を伝えていて、片土間2列の奥行がある間取りで出梁(出桁)造りとなっています。久しく空き家となっていましたが、長久保宿では数が少なくなった江戸時代の宿場建物として保存するとともに、地域交流センターとして開放しています。 住〒386-0602   長野県小県郡長和町長久保603-2 営9:00〜16:00   (長和町教育委員会文化財係) 休 月曜(月曜が祝祭日の場合、翌日休館)  冬季間(12月1日から翌年3月31日) ℡0268-88-0030(文化財係) 料金入館無料 公式HP https://nakasendo.nagawa.ne.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 吾一庵 吾一庵

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    長久保宿竪町の江戸方端部に位置する幕末期の建物で、兼農で馬を扱っていたと伝えられています。広い土間をもつ「田字型四間取り」農家に類似する間取りは、農家型の遺構として貴重な建物です。私設資料館として民具や文献資料が展示され、一般公開されています。 住〒386-0602   長野県小県郡長和町長久保617 公式HP https://nakasendo.nagawa.ne.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 松尾神社 松尾神社

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    京都の松尾神社から祭神を分社して奉祀し、往時より酒造りの守護神として近隣の酒造家の信仰を得ています。本殿は諏訪の名匠三代立川和四郎富重の作で、万延元年(1860)に再々建されました。神社はもともと宿場下方にありましたが、旧長久保小学校の校庭拡張のため昭和33年(1958)に現在地に移転されました。 住〒386-0602   長野県小県郡長和町長久保791-1 公式HP https://nakasendo.nagawa.ne.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 笠取峠下原道 笠取峠下原道

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    笠取峠下の国道142号線と旧国道の間には、数百メートルにわたって往時の道跡が現存しています。『中山道分間延絵図』には、この辺りを「大坂」、やや長久保宿側へ下って「石原坂」、続いて「寺所坂」との記載があり、また、寛文5年(1665)の「長窪新町覚」には、「長窪より芦田まで1里16町。大坂で石道である。」と記載されています。 住〒386-0602   長野県小県郡長和町長久保字峠 宮所 公式HP https://nakasendo.nagawa.ne.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 笠取峠 笠取峠

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    笠取峠(現標高887m)は、小県郡と佐久郡との境に位置し長久保宿と芦田宿の間にある峠で、当時は2軒の立場茶屋が置かれていました。当時の峠は現在の国道142号線が通過する箇所よりやや南側に位置し、道も今よりも7、8mほど高所を通過していましたが、明治時代初期の路線変更とその後の切り通し開削のため面影を失っています。 住〒386-0602   長野県小県郡長和町長久保字峠   北佐久郡立科町字芦田 公式HP https://nakasendo.nagawa.ne.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 笠取峠のマツ並木(県天然記念物) 笠取峠のマツ並木(県天然記念物)

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    中山道・芦田宿の西側から笠取峠にかけて、約2㎞にわたり続く松並木。その名前の由来は諸説ありますが、江戸時代から残る歴史ある松並木、ぜひ歩いて味わってみてください。 住〒384-2305   長野県北佐久郡立科町大字芦田3797-2 駐車場駐車場あり トイレトイレあり(冬季閉鎖) 公式HP https://www.town.tateshina.nagano.jp/soshiki/kyoiku_iinkai/shakai_jinken/609.html 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 酢屋茂 酢屋茂

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    1893(明治26)年創業の歴史ある老舗醸造所。信州みそや醤油をお試しください。 住〒384-2305   長野県北佐久郡立科町大字芦田2618 ℡0267-56-1001 Facebookアカウントはこちら 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 光徳寺 光徳寺

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    この一帯を治めた武士芦田氏の菩提寺。 正面入り口「不開門(あかずのもん)」の彫刻(立川流)は見事なもの。 住〒384-2305   長野県北佐久郡立科町大字芦田424 ℡0267-56-1193 駐車場あり 公式HP https://www.town.tateshina.nagano.jp/soshiki/kyoiku_iinkai/shakai_jinken/637.html 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • ふるさと交流館 芦田宿 ふるさと交流館 芦田宿

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    史料コーナー、オープンキッチン、移住サポート、テレワークセンターの機能が集約された複合施設。気軽にお立ち寄りください。 住〒384-2305   長野県北佐久郡立科町大字芦田2602-1 営午前9時~午後5時 休年中無休   ※年末年始(12月29日~1月3日)休館 ℡0267-78-5645 ℻0267-78-5646 メールt-iju@sas.janis.or.jp 駐車場10台程度(高さ制限あり) トイレあり 公式HP https://www.town.tateshina.nagano.jp/soshiki/kikaku/chiikishinko/744.html 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 旧芦田宿本陣土屋家住宅(長野県宝指定) 旧芦田宿本陣土屋家住宅(長野県宝指定)

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    土屋家は芦田宿の開設に尽力し、代々本陣を務めた。現在の客殿は寛政12年(1800)に建替えられ、建坪は163坪(537㎡)。 往時は門の左に高札場、右に問屋場、後方には間口5間の荷蔵、主屋、酒造蔵などがあった。 客室部は妻入瓦葺きで、玄関は幅2間、玄関内の広間は27畳あり、奥の上段の間は、優れた意匠の京風な造りとなっている。 住〒384-2305   長野県北佐久郡立科町大字芦田2610 ℡内見は事前予約制   0267-56-2311(立科町役場) 公式HP https://www.go-nagano.net/topics_detail6/id=4235 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 津金寺 津金寺

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    正式名を慧日山修学院津金寺といい、江戸時代は信濃天台5ヶ寺の一つに数えられた名刹。この寺は天台宗に属し、今から約1300年前の大宝2年(702)に僧、行基によって開山されたといわれている。その後、最澄、円仁により学僧育成の寺として天台談義所が設けられて今日に至る。 観音堂、阿弥陀堂、妙見堂、仁王門、鐘楼、石造多重塔、五輪塔、宝篋印塔、保科五無斎記念碑、山野草(カタクリ他) 住〒384-2307 長野県北佐久郡立科町大字山部279 ℡0267-56-0505 公式HP http://www.janis.or.jp/users/tuganeji/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 大澤酒造・高札場跡 大澤酒造・高札場跡

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    武重本家酒造をさらに西に進むと、元禄2年(1689年)創業の「大澤酒造」がある。300年以上続く老舗の蔵元だが、なんと、創業時の酒が白磁古伊万里の徳利に入れられて保存されていたとのこと。また、古い巨大な鉄釜が外に転がしているのは見ものである。  大澤酒造では、酒蔵の中に民族資料館、しなの山林美術館、書道館を併設しているので、時間が許せば見学を勧めたい。  大澤家の塀のはずれに「高札場跡」の表示があり、簡単な説明書きが添えられている。それによると、「大澤家は元文2年(1737年)から明治4年(1872年)まで茂田井村の名主を務めた家柄であった」とある。  天保12年(1841年)には、村高967石、家数139軒(88軒往還町並、38軒裏屋、13軒古町)、人別626人、家並通りは10丁12間(1,113m)余り、とある。また、下組高札場、上組高札場の二か所に高札場があった。 住〒384-2206 佐久市茂田井2206 ℡0267-53-3100 公式HP http://osawa-sake.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 武重本家酒造 武重本家酒造

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    坂を下ると、白壁の土蔵に白壁の母屋がある。宿の左には川が流れ、静かな街道に白壁の土蔵が続く町並みは、懐かしさいっぱいの景色である。  白壁の先に酒林(さかばやし)が下がっているが、ここは明治元年(1868年)創業の造り酒屋「武重本家酒造」であるが、土日は休業するため、入口の一部分しか見学できないので注意を必要とする。銘柄、御園竹を製造する酒蔵でもある。  映画監督の山田洋次郎氏が映画ロケ地として武重酒造周辺を使い、「たそがれ清兵衛」や”家族はつらいよ”シリーズの第3作品「妻よ薔薇のように」を撮影した。 住〒384-2206 佐久市茂田井2179 営月~金 8:00~17:00 休土・日・祝日、年始、旧暦の盆 ℡0267-53-3025 公式HP https://takeshige-honke.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 牧水歌碑 牧水歌碑

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    酒と旅をこよなく愛した詩人若山牧水はこの地を度々訪れていたということから、武重本家酒造の正面に「若山牧水歌碑」が建てられている。 よき酒とひとのいふなる御園竹けふ飲みつよしと思えり 牧水 白玉の歯にしみとおる秋の夜の酒はしずかに飲むべかりけり 牧水 ひとの世にたのしみ多し然れども酒なしになにのたのしみ 牧水 歌碑にある最初の句は酒を愛した牧水が大正14年に武重本家酒造を訪れた際に詠んだ御園竹の歌、その3年後には43歳で亡くなっている。 住〒384-2206 長野県佐久市茂田井 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 茂田井一里塚 茂田井一里塚

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    一里塚は石割坂を過ぎた宿のほぼ西外れにあり、東は瓜生坂一里塚、西は笠取峠一里塚へと続く。天保年間(1830〜1844年)に編纂の「茂田井村差出帳」には街道の両側に土盛があり榎の根本が残っていた、とあるが今は石祠だけである。立科町指定史跡。江戸から数えて45番目になる。 住〒384-2211 長野県北佐久郡立科町茂田井846 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 石割坂 石割坂

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    茂田井村は蓼科山の北麓に位置し、東西に延びる坂道(中山道)沿いの集落である。西の芦田宿側の近くに、石割坂という地名がある。ここは、坂の途中に大きな岩があるため迂回して通らなければならない急な道だった。中山道を整備する際にこの岩を砕いて、通りやすくしたことから、ここを石割坂と呼んでいる。 住〒384-2211 長野県北佐久郡立科町茂田井856 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 無量寺 無量寺

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    寺小路を登っていくと赤い六地蔵が見える、石段の向こうに本堂がある。天台宗比叡山延暦寺の末寺で、本尊は薬師如来(やくしにょらい)とされ来迎山無量寺という。この寺は、平安時代の長保(ちょうほ)5年3月(1003年)創建といわれる。開山は僧恵心院源信(そうえしんいんげんしん)とされているが、中期に兵火を被(こうむ)り、かつて茂田井南側にあったものを現在の地に移したといわれる。 住〒384-2211 長野県北佐久郡立科町茂田井1577 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 諏訪神社・夫婦道祖神群 諏訪神社・夫婦道祖神群

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    馬頭観音石碑横の寺小路を少し歩き、左奥に「諏訪社」が見える。端整な社殿は文化15年(1818年)、宮大工・田中圓蔵が建てたもの。周囲の彫刻が見事。文久元年(1861年)に建てられた神楽殿は老朽化のため、平成30年に解体された。回り舞台があり、正面の欄間には鏝絵(こてえ)、左右中二階部分から飛び出しなどのできるからくり出窓が付いていたとされる。  境内のはずれに「夫婦道祖神」が並んでいるのだが、なんと大小9基もある。茂田井村各地にあったのを集めたとのこと。  また、集落の南側にあった「日の出地蔵」もここに移されている。鳥居の近くに芭蕉の句碑もある。 住〒384-2306 長野県北佐久郡立科町宇山972 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 神明社 神明社

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    東の集落のはずれに在って、江戸時代の宝永6年(1709年)、この地の大澤茂右衛門が願主となって建立した。祭神は天照大神で本殿は、神明造りである。境内には、「宝永12年7月11日・奉寄進大澤資利」と刻まれた一対の灯篭がある。神明宮ともいい伊勢神宮のことである。 住〒384-2206 長野県佐久市茂田井2166-1 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 望月歴史民俗資料館 望月歴史民俗資料館

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    望月宿の本陣跡地に建設され、平成3年(1991年)8月に開館した。歴史的景観を損なわぬよう配慮された外観と、内部には江戸時代の民家を解体した梁を使うなど、趣のある造りとなってる。  豊かな自然と培われてきた歴史的風土の中に存在しており、望月の地に残されているさまざまな歴史的資料をもとに、「郷土の歴史と文化」「中山道望月宿」「人々の暮らしと伝統」の3つのテーマに分けて展示されている。 住〒384-2202 佐久市望月247番地 営9:00~17:00 休 月・火(祝日の場合は翌日)   祝日の翌日(土日祝の場合は開館)   年末年始(12月29日~1月3日) 料金観覧料:一般 310円    高専大学生 260円    小中学生 150円 公式HP 佐久市文化施設情報 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 天来記念館 天来記念館

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    昭和50年(1975年)に開館、美術館法ができて第1号の書道美術館、天来、小琴、門流の3部門の展示をし、漢字、かな、漢字仮名交じり、前衛書の現代書家まで網羅している。建設に当たっては全国の書道関係者や書道愛好者、学校などの寄付によって実現したものである。   収蔵する作品は、比田井天来は、20才代から絶筆までと落款印などの常設展示、比田井小琴は、かな書家で教本や作品の常設展示、また門流は、桑原翠邦をはじめ現代書家までの作品を入れ替え展示しています。  全国の書家作品を展示している書道美術館として有名です。(天来記念館は、駒の里ふれあいセンター北側にあります。)  比田井天来(1872年~1939年)は、明治5年(1872年)佐久郡協和村片倉(現佐久市協和)に生まれ明治30年(1897年)26歳で上京、日下部鳴鶴に学ぶ。昭和7年(1932年)鎌倉に書学院を建設。昭和14年(1939年)68歳、1月4日没、書学院殿大誉万象居士。  その活動は、20世紀日本の書道の基盤を作り、その生涯の多くを遊歴に費やした。北は樺太から南は台湾まで、膨大な数の作品が残されている。故郷である長野県には、多くの作品が大切に保存され、その書業を伝える優れた名品がそろっている。 住〒384-2202 佐久市望月305番地2 営9:00~17:00 休 月・火(祝日の場合は翌日)   祝日の翌日(土日祝の場合は開館)   年末年始(12月29日~1月3日) 料金観覧料:一般 310円    高専大学生260円    小中学生 150円 公式HP 佐久市文化施設情報 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 望月城址 望月城址

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    城光院の裏山が本城、そこから南へ1.5㌔mの支城まで続く。主郭、二の郭、三の郭とあり空堀や帯曲輪、腰曲輪が残っている。城址の標高は小海線八千穂駅と同じ780m、鹿曲川からの比高は110m、登山時間20~30分で主郭部分に到達する。  その歴史は古く、滋野氏の流れを汲む滋野三家の望月氏によって築かれた。建武2年(1335年)8月の中先代の乱に、信濃守護の小笠原貞宗が経氏に命令し攻撃・落城したとあるが、望月氏は滅亡せず、室町時代に新たに築城された。天文12年(1543年)には、武田信玄によって陥落するが、望月氏が武田氏の支配下となることで城は存続し、その後改修・大拡張されたと思われる。  武田氏滅亡後、信長の支配下に入り、本能寺の変後、北条氏と一年も籠城戦を戦い、大軍を動員していた北条方が兵糧等の戦費が負担になり、望月氏と和睦をするも、天正10年(1582年)に徳川軍の依田信蕃によって佐久の諸城は攻略され、望月城も1ヵ月半の籠城戦の後に落城した。その後、再建はならずその役目を終えている。 住〒385-0051 長野県佐久市望月1730 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 大伴神社 大伴神社

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    望月の御桐谷(おとや)にあり、佐久式内三社の一つ。また御嶽(みたけ)神社も同地にある。大伴神社は創建当初、別なところにあったが、望月宿を造営後、この地に移転された。  祭神の天忍日命(あめのおしひのみこと)は、馬に乗ってこの地へ来たと伝承されている。乗って来た馬を種馬として駒の改良繁殖をはかリ、この地は、多数の優良な馬を産する地となったと言われている。毎年8月15日には、数百人の人が松明を持ち、山を駆け下り望月橋から鹿曲川に松明を投げ込む神事、榊(さかき)祭りがある。  鳥居の前の「大伴神社」の碑は比田井天来の揮毫である。 住〒384-2202 佐久市望月223 ℡0267-53-4853 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 問屋・旅籠 大和屋(真山家) 問屋・旅籠 大和屋(真山家)

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    屋号を大和屋といい、問屋と旅籠を兼ねていた。焼失した後、明和3年(1766年)に再建されて以来、昭和51年(1976年)の解体修理で手が付けられていないことが確認され、国の重要文化財に指定されている。望月宿最古の旅籠でもあった。2階が1階よりも前方に突き出ている出桁(だしげた)造りは貴重であり、ここにも木鼻彫刻が刻まれている。 住〒384-2202 佐久市望月201 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 脇本陣 鷹野家 脇本陣 鷹野家

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    脇本陣は、問屋役も兼ねて鷹野家が行っていた。本陣の斜めにある鷹野家脇本陣跡は、出桁に木鼻彫刻が印象的である。 住〒384-2202 長野県佐久市望月198 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 井出野屋旅館 井出野屋旅館

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    1976年と2006年に角川映画で、金田一耕助を演じる石坂浩二主演で「犬神家の一族」で那須ホテルとしてロケに使われた。建物は大正14年に料亭として建てられ、現在も旅館として使われている。 住〒384-2202 長野県佐久市望月254 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 蟠龍窟・弁財天・豊川稲荷 蟠龍窟・弁財天・豊川稲荷

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    鹿曲川右岸の岩壁を穿った石窟に祠を設け、市杵島媛(いちきしまひめ)神を祀ってあり、蟠龍窟といい、弁財天である。その断崖の上の台地に、豊川稲荷が祀ってある。  この弁財天は、永正年中(1504年~1521年)に信永院開山道厳禅師が、琵琶湖の竹生島より勧請したとある。  安永年間(1,772〜80年)に信永守殿禅師と大森久左衛門が宝殿を再興、岸壁上部には魔除けの為に「三日月」「蟠龍窟(ばんりゅうくつ)」と篆書(てんしょ)の文字(大森曲川の揮毫)が刻まれている。入口に句碑「駒曳きの木曽や出るらん三日の月」と去来の句碑がある。「聖徳太子」の碑は比田井天来の揮毫である。  豊川稲荷は、江戸末期ごろ、三河の豊川稲荷から勧請したとあるが、詳細は不明である。 住〒384-2202 長野県佐久市望月1662 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 望月山城光院 望月山城光院

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    望月城麓に位置する曹洞宗の寺で、文明7年(1475年)、望月城主望月遠江守光恒の開基で、望月氏代々の菩提寺。甲州北巨摩郡大八田村清光寺の末寺。本堂は享和期(江戸後期)の建築であるが、本尊阿弥陀如来坐像は、室町初期の作。望月氏の祖と称せられる善淵王像は、江戸中期安永の造像。本堂裏に、室町末期永正年間の宝筐印塔(ほうきょういんとう)2基がある(望月町史では望月氏の墓3基とある)。山門を入ると左に多くの庚申塔(青面金剛像)や鞍掛石の他、右に月の模様が丸く浮き出ている「月輪石(つきのわいし)」が置かれている。 ここの鐘楼は時の鐘として戦国の世から昼夜撞き、江戸では鐘撞料として御蔵籾年18俵寄付されていた。今でもこの鐘の音を聴くことができ、情緒のある町になっている。 住〒384-2202 長野県佐久市望月1432-7 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 音正寺跡 音正寺跡

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    安養山音正寺は、江戸時代の初期、慶安4年(1651年)建立。佐久穂町の千手院の末寺で、天台宗の寺だったが明治4年廃寺となった。寺の跡には、宝暦4年(1753年)建立の「大乗妙典五千部供養塔」と「当寺六世法印顗庶民」の石碑が残されている。 住〒384-2202 長野県佐久市望月1467-1 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 信永院 信永院

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    「金峯山信永院(しんにょういん)」の本堂は、江戸末期の建築。本堂前にある根元から十数本の幹を生じた珍しい榧(カヤ)の巨木は、樹齢約500年。上野の国多古群神保村仁曳寺(じんそうじ)の末派で曹洞宗の寺院である。  戦国時代末期の天文元年(1532年)創建で、当初は蟠龍窟の対岸にあったが、この地に移転。本尊は釈迦如来像(江戸中期の作)。武田信玄の甥にあたる武田左京太夫義勝が望月氏を継いだ時に建立し、長篠の戦いで討死の後寺号が改められた。 住〒384-2202 長野県佐久市望月1486 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 長坂石碑群と大応院 長坂石碑群と大応院

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    旧道は狭く曲がりくねった坂道で、途中の長坂には「石尊大権現」「道祖神」「御岳神社」「百万遍供養塔」「馬頭観音」など修験道関係の多くの石碑がまとめられていて、これらは戌の満水の際集めたものかもしれない。 石仏の里と言われる望月は、道祖神140基、馬頭観世音445基、聖観世音菩薩180基など3000基以上と言われている。 大応院は、当山派(真言宗)の修験寺で昔は月輪山郷東寺と号していた。寺社奉行からでる命令や交渉ごとを司った触頭も勤めていた(上田市横谷家文書)。また、ここから2㌔mほど下がった古宮の鹿曲川左岸の断崖にあった「佐久補陀山観清寺」の別当も兼ねていたが、本尊馬頭観音坐像や飯綱権現立像など、また長坂の古碑群を残して明治5年に廃寺になり、今は住宅となっている。 石碑群の残る長坂を下り、長坂橋を渡ると望月宿に入る。 住〒384-2202 長野県佐久市望月 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 瓜生坂・一里塚 瓜生坂・一里塚

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    古くは、瓜生峠とも呼ばれた。百沢から、山間の坂道(金山坂)をしばらく上ると頂上の手前に「瓜生坂一里塚」がある。形が崩れているが南側はほぼ形をとどめ、北側はかなり削り取られているが対の形跡がうかがえる。左右両塚ともほぼ存在する貴重な一里塚である。  瓜生坂の頂上をこえたところに、石碑「中山道瓜生坂」「奉供養普門品1万巻念仏百万編塔」「大乗妙典供養塔」があり、また、北側に峠の茶屋が大正初期まであったと言われている窪地がある。急な坂道(瓜生坂)をさらに下ると鹿曲川右岸の長坂に出る。 住〒384-2203 長野県佐久市布施 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 八幡神社 八幡神社

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    江戸方枡形の北側にあり、かつての蓬田村、桑山村、八幡村の三ヶ村の鎮守社。本殿、瑞垣門、随神門、算額は佐久市有形文化財である。造営は平安時代、貞観元年(858年)祭神は誉田別命(応神天皇)・息長帯姫命(神功皇后)・玉依姫命。幕府御用彫刻師の高松亦八郎の手によるものとされる、極彩色の本殿の彫刻は一見の価値がある。また額殿には安永9年(1780年)に奉納された県下最古と言われる算額がある。 住〒384-2107 佐久市蓬田101-1 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 富岡街道のわかされ 富岡街道のわかされ

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    本陣の近くから、南へ富岡街道が、明治に入って作られ、野沢を経て下仁田・富岡へ通じていた。古くは「根ぎわ道」と呼ばれる脇往還があり、山際を伝うように、八幡宿から鶴沼・上原、根岸・小宮山・前山を経て、佐久甲州道の野沢宿へ出る道で、現在でも地域の人の重要な生活道路である。 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 五郎兵衛用水 五郎兵衛用水

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    市川五郎兵衛は江戸初期に産業振興の道を選び私財を投じ曽祖父の代に所領があった佐久地域の新田開発にのりだした。徳川家康の朱印状や小諸藩から寛永3年(1626年)許可を得て、蓼科山中の水源から約20キロに及ぶ用水路を、5年を要して築いた。これにより、かつて何もない原野だった矢嶋原は、五郎兵衛新田といわれる美田に生まれ変わった。用水は約400年を経た今日まで、地域住民が脈々と受け継ぎ、維持管理されている。平成30年(2018年)には歴史的・技術的・社会的価値のある農業用水利施設として、ICID(国際かんがい排水委員会)に「世界かんがい施設遺産」として登録された。 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 御井(みい)大神 御井(みい)大神

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    下原入口のバス停脇にある石碑は、大国主大神第一子木俣(このまた)大神を主神とする水神様である。下原は水に恵まれない土地で、五郎兵衛用水の水を農業用水だけでなく飲み水にも利用した。そのため地区4か所にため池(別名:寄池)を作り他の池の付近にも「生井(いくい)大神」や「生水(いくすい・いきすい)大神」等の神様を祀っている。山本喜一家の水道紀功碑によると、寄池の水をそれぞれ濾過してトンネルを掘り、そこへ井戸を掘り下げ、昭和の時代まで飲料水とされていた。 住〒384-2104 佐久市甲1371付近 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 高良社 高良社

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    八幡神社の境内にある、八幡神社の旧本殿。延徳3年(1491年)望月城主滋野遠江守光重を中心に、御牧七郷の総社として再建。天明3年(1783年)に新たに本殿が建立された際に、現在地に移された。建物は棟札とともに、国の重要文化財に指定されている。また高良社は「高麗社」で、この周辺に定住した望月牧に関する朝鮮半島からの渡来人の社といわれている。 住〒384-2107 佐久市蓬田101-1 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 升形 升形

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    八幡宿の江戸方の升形は、八幡社の前に設けられた。今でも神社前の幾分広くなっている場所がそこである。京方の升形については、作られたとする記録や形跡はない。 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 常泉寺 常泉寺

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    八幡宿往還の東端から北側へ200メートルほど入ったところに、耳取村の曹洞宗玄江院末寺で八幡山(はばんざん)常泉寺がある。所在地は蓬田(よもぎだ)村。当初は御牧ケ原の南斜面にあったが、八幡宿が作られたころ宿内に移り、さらに現在地へ移動した。 住〒384-2107 佐久市蓬田78 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 脇本陣・問屋跡 脇本陣・問屋跡

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    千曲川の増水などで足止めをされる、いわゆる「川止め」の宿泊者の需要などもあり、八幡宿は脇本陣が多くあったことで有名で、記録には鷹野半三郎(蓬田)松沢弥八郎(桑山)依田太郎兵衛(八幡)小松勘左衛門(蓬田)の記録がある。 住〒384-2107 佐久市八幡 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 本陣・問屋跡 本陣・問屋跡

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    八幡宿の中央北側にあり、小松五右衛門家が代々、本陣、脇本陣を勤めた。現在残されている門は、中山道の宿場本陣の中で最古といわれている。皇女和宮の宿泊時に使用したゆかりのものや、多くの書物、大名の関札(宿札)も多く残されている。 住〒384-2106 佐久市蓬田 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 塩名田神社 塩名田神社

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    寛文13年(1673年)正月、塩名田宿鎮護の神社(山王権現社)として祀られ、明治4年(1971年)に「日枝社」と改称した。明治41年(1908年)12月、神社併合で滝大明神社・秋葉社、社口社・天神社と統合して「塩名田神社」となった。 住〒384-2102 佐久市塩名田277 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 千曲川の渡し(中津橋) 千曲川の渡し(中津橋)

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    「近郷無類の荒川」と称された千曲川の度重なる氾濫により、もとは平橋であったものが、御馬寄側の左岸は刎橋(はねばし)、塩名田側の右岸は平橋といったかたちになるなど、多くの財と知恵、人足をもって何度も架けなおされた橋。明治26年に県営で木橋がかけられ、中津橋となった。浅間山の眺望も素晴らしく、「日本百名橋」に選ばれている。 住〒384-2102 佐久市塩名田 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 大日如来像 大日如来像

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    中津川を渡り切った上り坂を登りきる手前、街道から少し高くなった場所に、白い頭巾と前掛けをしている石造の大日如来像がある。横に芭蕉の句碑「涼しさや 直(すく)に野松の枝の形(なり)」とある。大日如来と、後方の雄大な浅間山を写真におさめるカメラマンも多い。 住〒384-2103 佐久市御馬寄849 周辺 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 舟つなぎ石 舟つなぎ石

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    明治6年(1873年)に千曲川に9艘の船を繋いでその上に板を架けて橋とする「船橋」方式により渡川を確保した。その際に船をつなぎとめるために使われたのが、上部に穴を開けた大きな岩石で「舟つなぎ石」と呼ばれ、現存している。 住〒384-2102 佐久市塩名田 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 滝の水 滝の水

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    江戸時代は瀧大明神の境内で、欅の根元から滝のような水があふれており、旅人の喉を潤し、近隣の茶屋の茶の水であり、また佐久鯉の養殖にも用いられた。現在は滝ほどの水勢は無いものの、趣のあるスポットである。傍らの「十九夜塔」は旧暦の4月、女性が集まって十九夜念仏を唱和して健康の増進、出産の無事を記念する行事を示したもの。 住〒384-2102 佐久市塩名田 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 休み茶屋 休み茶屋

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    千曲川に沿った川原宿には、川魚料理などの店と、「御や須ミ所 嘉登屋(かどや)」と時代をしのばせる古い街並みが残っている。この嘉登屋を含め数件の建物が、3階建や4階建もあり、これは新しく架けられた橋により国道の位置が高くなり、それに合わせてかつての2階建てに床増しして出入り口を増設したもの。今ではなかなか目にすることのできない情緒豊かな雰囲気を味わうことができる。交通の要衝であったことから明治以降、料亭などが開業し、その後は花街として栄えた。 住〒384-2102 佐久市塩名田1311 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 真楽寺へ道標 真楽寺へ道標

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    中津橋の東側約200メートルの場所に「真楽寺 是より三里」の道標がある。真楽寺は「浅間山の噴火を鎮めるために奈良時代に建立された寺院」であり、御代田町に現存する。浅間山信仰集団(講)の往来の標としてもとは滝明神社の近くにあったが、文化2年(1805年)、街道の整備によって現在の位置に移された。 住〒384-2102 佐久市塩名田 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 筆塚、正縁寺、斑稲荷神社 筆塚、正縁寺、斑稲荷神社

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    中山道と正縁寺の間にある筆塚は、代々儒学者であった佐藤家が開いた寺子屋跡で、嘉衛6年(1853年)に小諸藩の典医・漢学者、加川謙助が携わり建立された。正縁寺は浄土宗知恩院の末寺で山号は向択山。伝統的に阿弥陀如来の信仰の篤いこの地域で信仰を集めた。境内にある斑稲荷神社は天明7年(1787年)2月、正一位稲荷大明神を勧請したもの。養蚕が盛んな時代には賑わった。 住〒384-2102 佐久市塩名田462 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 町屋佐越 佐藤家宅 町屋佐越 佐藤家宅

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    宿場で最も古い様式を伝える「町家佐越、佐藤家宅」は、天保2年(1831年)に建てられたもので当初は農家であったものが町家の造りに変わったもの。間口五間、奥行七間半、格子の美しい旅籠づくりの建物。隣の白壁、土蔵造りの「蔵元」は、かつての旅籠風に復元されている。 住〒384-2102 佐久市塩名田1831 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 本陣・問屋後 本陣・問屋後

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    塩名田宿の丸山家は、宿場の北側と南側に本陣が2軒あり、北側の本陣は問屋を兼ねていた。この北側の本陣「丸山新左衛門家」は、上段の間付の御殿と称された部分は失われたが、間口八間奥行十一間半の主屋は江戸時代中期の建築物として現存している。南の本陣(丸山善兵衛家)は、明治以降「大井屋」として雑貨商を営み、建物は昭和50年代まで保存されていた。 住〒384-2102 佐久市塩名田1385 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 小諸道(蔵小路) 小諸道(蔵小路)

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    塩名田宿の中宿と下宿の間から、耳取を経て小諸宿へ至る小諸道がある。この道は小諸藩にとって領内支配の主要道路で、明治2年(1869年)の川西騒動では小諸藩兵がこの道を通り塩名田宿へ入り、千曲川を挟んで御馬寄部落へ集結した一揆勢と対峙した。 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 西念寺 西念寺 CsvImport_1

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    浄土宗で、京都知恩院の末寺。山号は一行山。  当初、南西へ1㌔mほど離れた閻魔大王鵜などを祀る蔦石付近の十王道で、浄土宗の布教を弘治元年(1555年)に始め、永禄3年(1560年)に岌往(おうきゅう)上が開山、武田信玄が開基で、本堂を建立した。  境内には、仙石秀久の墓所、同六男政直墓のほか、吉澤鶏山、詩人山室静、岩村田藩士の墓などが数多くある。  岩村田藩の陣屋で亡くなった、五代目藩主の内藤正国の墓所が、境内外の南西に祀られている。  境内にある大銀杏は、和合の木として一枝だけ実がなる。また、墓地の南西には、鼻顔稲荷の南側にあった上州道(下仁田道)の道標が移設されている。 住〒385-0022 佐久市岩村田本町1188 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 佐久甲州道 佐久甲州道 CsvImport_1

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    佐久甲州道の信州側の起点は、中山道岩村田宿の南に位置する。西宮神社の西方約30mの所に、中山道から南へ延びる佐久甲州道の分岐がある。韮崎宿で、江戸から下諏訪へつながる甲州街道に合流する。  古くから甲州往還と呼ばれ、中世以来善光寺参りの道であり、茶・塩など食料から材木を運ぶ物資輸送の大切な道であった。また、戦国時代、武田信玄の信濃攻略の極めて重要な軍用道路の一つだった。 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 伊勢屋敷跡 伊勢屋敷跡 CsvImport_1

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    明治11年(1878年)頃まで、伊勢屋敷と呼ばれる伊勢神宮の出張所があった。伊勢神宮の御師(おんし)が駐留するための建物や、参拝者の宿泊所、土蔵、天照大神を祀る社など多くの建物があった。敷地はこの公園と南に200mほどの下仁田みち付近まで、広大な敷地を有していた。  当時ここにあった大神宮は、ここから1㌔mほど東にある鼻面稲荷神社の境内に、神明神社は北西の三宝荒神社境内に移されている。  その後、長野県の支所や警察署などが建てられたが、現在は、岩村田中央公園として市民のいこいの場所となっており、祇園祭の祭は神輿の休憩所などに使われている。 住〒385-0022 長野県佐久市岩村田 762-1 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 子育て地蔵 子育て地蔵 CsvImport_1

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    江戸時代の宝永5年(1705年)は、度重なる自然災害で未曾有の大飢饉となり、同年11月4日に岩村田の子供40人を蔦石に集めて「まびき」を行なった。蔦石に、40人の乳幼児の霊を慰める「子育て地蔵」が建てられ、その後郵便局横に移設された。  江戸時代は、冷害による飢饉や追い打ちをかけるように浅間の噴火などが起き、人々の暮らしは決して楽なものではなかった。ここの子育て地蔵は、西念寺で欠かさず供養が行われ、現在でも近隣から多くの参拝者が訪れ、子宝・子育ての地蔵尊として祀られている。 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 篠澤家(佐久ホテル) 篠澤家(佐久ホテル) CsvImport_1

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    室町以前から続く豪商で旅館業などを営み、江戸時代には名主、割元(郡代、代官級の士族扱いで、登城の際は裃に2本差しを許されていた)、郷宿を務めていた。伊勢の御師による「一万度御祓大麻」が14体残されている。  宿泊者には、俳人の小林一茶や浮世絵師葛飾北斎らの文化人が逗留し、多くの大名や伊勢神宮への料理を献上し、将軍家や皇室などの感謝状等が数多く残されており、中には、佐久鯉の料理書なども残されている。  明治に建てられた建物には、明治天皇の専用室などがあったが、昭和60年(1985年)に取り壊され、現在の建物になっている。(「ささざわ」の読みは、室町中期の寛正5年(1464年)、宮中より賜ったとのことである) 住〒385-0022   佐久市岩村田中山道今宿553番地 ℡0267-67-3003 公式HP http://www.sakusaku.co.jp/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 住吉神社 住吉神社 CsvImport_1

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    岩村田宿の江戸方の枡形があった場所に近く、この付近から岩村田宿が始まる。この神社は、宿場の形態を整えるため戦国時代の文明年間(1469年~1487年)にこの地に祀られた。  祭神は、大阪の住吉神社に起神し、社には、庚申塔6基、道祖神20基、石祠13基などが合祀されている。  また、神社より南に30mほどの所に善光寺道の道標があったが、昭和に入り事故で破損したため、ここに旧道標が移設され、旧道標の場所には新たな道標が建てられている。 住〒385-0022 佐久市岩村田887 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 円満寺 円満寺 CsvImport_1

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    真言宗・智山派で、山号は大悲山。平安時代の康治3年(1143年)に、興教大師が円満寺北の芝間に創建したと伝えられている。戦国時代の永禄年間(1558年~1570年)紀州の僧雄伝が開山、武田信玄が開基となり、施無畏堂(観音堂)を建立した。  現在の観音堂は、江戸時代の延享4年(1747年)に内藤氏が再興したもので、木造11面観音立像が安置されている。明治以降は不動明王と中尊大日如来座像が主尊となっている。  境内には、明治期の国会議員立川運平像や、軽井沢の慈善家カナダ宣教師のキャンベル夫妻の供養塔などがある。また境内奥の藤は、戦国時代の永禄年間に京都の本山から野田藤を移植したが、焼失。江戸時代の延宝年間(1673年~1681年)に再移植し、現在は二代目の藤である。 住〒385-0022 佐久市岩村田430 ℡0267-67-3886 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 龍雲寺 龍雲寺 CsvImport_1

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    鎌倉時代の正中元年(1324年)、地頭の大井氏が開基し、文清禅師を開山に招き、町南東部の羽毛平に臨済宗大智山(だいちざん)龍雲寺を創建した。その後、戦国時代の文明15年(1483年)に天英祥貞禅師により再建され、曹洞宗に改められ、太田山龍雲寺としたが、翌年文明16年(1484年)の兵火で焼失した。  武田信玄の支配地となりその庇護により、龍雲寺が再興され、北高禅師を招き、佐久郡における曹洞宗寺院の中心的な存在となった。元亀3年(1572年)には戦乱の犠牲者を供養する千人法幢(せんにんほうとう)が行われた。翌年、信玄は伊那郡駒場で死去、分骨が北高禅師により龍雲寺に運ばれ埋葬したと伝わっている。  昭和6年(1931年)境内から、信玄のものと思われる遺骨と短刀(島田助宗作)や袈裟環が発見されている。  山門には「東山法窟」の勅額が掲げられている。正親町天皇(おおぎまち)の宸筆で、元亀3年に下賜された。(東日本一の道場、という意味) 住〒385-0022 佐久市岩村田415 ℡0267-67-3632 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️

  • 岩村田城址 岩村田城址 CsvImport_1

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    江戸時代中期、元禄16年(1703年)に内藤正友(まさとも)が、1万6千石で移封(いほう:国替え)となり、岩村田のほぼ中央に陣屋を構えた。岩村田藩は7代続き、6代目の正縄(まさつな)の時、幕府要職に起用されたことから、幕末に7代目の正誠(まさのぶ)が岩村田の上ノ城地籍に岩村田城(別名・藤が城)を建設したが、明治4年(1902年)7月の廃藩置県によりわずか10年でその幕を閉じた。  その後、陣屋跡は、公共施設の建物が建てられ、陣屋を巡っていた水路も地下に埋設され、現在はその遺構を見る事は出来ない。 住〒385-0022 長野県佐久市岩村田3107-2 公式HP https://www.sakucci.or.jp/nakasendo/ 🚶歩いて、触れて。東信州中山道🚶‍♀️