Number of spots : 57spots
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新中川水管橋
H 中川緑道 越谷市と吉川市を結ぶ、水管橋です。2020年に「お色直し」工事が終わり真っ赤な橋が青い空によく映えます。JR武蔵野線の南側に位置し、市内東町ののどかな風景が望めます。ただし、ここは歩行者と自転車しか通れないのでご注意ください。長さ258m
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ポラス暮し科学 研究所
H 中川緑道 ポラスグループの木造住宅のための研究機関です。専門の研究スタッフ陣と業界最大級の実大実験棟など高度な研究環境を整え、耐震性能や住環境・デザイン性の向上を図るため、日々様々な研究開発を行っています 。
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最初に
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越谷市立児童館 コスモス
B 新方川緑道 天体と物理をテーマとした科学体験施設としての機能を併せ持つ、特色ある児童館です。2階、3階には宇宙・科学をテーマとした楽しい展示物やプラネタリウムがあり、屋上には大型望遠鏡があります 。
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念佛橋
B 新方川緑道 現在の橋は1990年に架け替えられましたが、最初の橋は人一人がやっと通れるような小さな丸木橋だったようで、人々は落ちないように恐る恐る渡っていたそうです。この橋を渡る安国寺の住職も必ず念仏を唱えていたので、念佛橋という名前がついたとも言われています。
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B-1 新方川と平新川の合流点
B 新方川緑道 川幅や周辺の建物など、大正時代と今とはとても変わりました。今は奥に大杉橋が架けられ、水門の左奥に見えるのは、老人福祉センターくすのき荘です。 (下記写真:大正時代の様子)
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B-2 大吉調節池
B 新方川緑道 大吉調節池は、新方川流域の浸水被害を軽減するために整備された施設で、40万tの洪水調節容量があります。平常時は、人と自然がふれあえる空間となるよう、水辺の生態系を復元した親水公園となっています。また、堤防上に整備された1周1.2㎞のジョギングコースは、健康増進の場として多くの市民に利用されています。
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B-3 定使野橋(じょうつかいのばし)
B 新方川緑道 新方川に架かる県道越谷野田線定使野橋の上流側には、葛西用水(逆川)が新方川の下を潜る「伏せ越し」があり、昭和60年(1985)に潜る上下を逆転させて竣工しました。定使野橋の南西詰の上流側には定使野公園があり、新方川(右岸)の堤防上には、逆川緑道(左岸)の起点と新方川緑道(右岸)が交わる地点があります。
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B-4 キャンベルタウン野鳥の森
B 新方川緑道 平成7年(1995)9月オーストラリアキャンベルタウン市との姉妹都市提携10周年を記念し、設置されました。約3,000㎡のバードケージ内には、キャンベルタウン市より寄贈された鳥類などが放鳥されており、オーストラリアの「自然」を体験することができます。
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B-5 越谷総合体育館
B 新方川緑道 越谷市立総合体育館は、関東地方において第1級の規模を誇ります。メインアリーナとなる第1体育室は、収容人員は固定客席2,224席、ロールバックスタンド(半固定席)2,220席、その他合わせて4,500名近くを収容することができ、スポーツ競技や国際試合、各種イベントに対応できます。
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B-6 越谷いちごタウン
B 新方川緑道 平成27年(2015)にオープンした関東最大級のいちご狩り観光農園です。栽培面積約1haにある8棟のビニールハウスでは、約64,000株のイチゴが高設栽培で育てられており、さまざまな品種のイチゴを食べ比べて楽しむことができます。
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谷古田領元圦
C 逆川・葛西親水・四ケ村用水・東越谷緑道 谷古田用水は、延宝8年(1680)に通水され、現在は草加市に農業用水を送っています。その取水口である本施設は、国内で現存する最古の煉瓦水門として、(公社)土木学会の刊行する「日本の近代土木遺産〜現存する重要な土木構造物2800選」に選ばれています。
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C-5 旧赤水門スポット広場
C 逆川・葛西親水・四ケ村用水・東越谷緑道 江戸時代初期に草堰、前期に石堰であった瓦曽根堰は、大正13年(1924)に鉄筋コンクリート造りの門10門を備える堰として竣工。その色彩により赤水門(赤門)と呼ばれ親しまれましたが、その後取り壊されて平成9年(1997)に現在の姿となりました。花壇や舗道に四季折々の花が咲く潤いスポットです。
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C-6 東越谷緑道
C 逆川・葛西親水・四ケ村用水・東越谷緑道 東越谷緑道は、平成18年から22年にかけて整備されました(全長800m)。緑道の下流側の起点の西には東越谷ボタン公園、その南には、地域の汚水と雑排水を「中川流域下水道中央幹線」に送水する施設である東越谷第一ポンプ場があります。
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C-1 鷺高第五公園(キャンベルタウン公園)
C 逆川・葛西親水・四ケ村用水・東越谷緑道 ここ鷺高第五公園は、オーストラリアキャンベルタウン市と越谷市の姉妹提携を記念して整備された公園です。このため、公園内にはオーストラリアのエアーズロックをイメージした遊具が整備されています。また、夏にはじゃぶじゃぶ池があり、水と親しみながら遊べる広場となっています。
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C-2 伏せ越し
C 逆川・葛西親水・四ケ村用水・東越谷緑道 葛西用水は元荒川と合流してきれいな水を農業用水に送っていましたが、カスリーン台風(1947)以後の抜本的な「水害対策」として、埼玉県では昭和35年から約7年間を要して、元荒川の下を伏越樋管(ふせごしひかん)でくぐらせる、いわゆる川の立体交差工事を行いました。
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C-3 四ヶ村用水緑道
C 逆川・葛西親水・四ケ村用水・東越谷緑道 瓦曽根溜井から取水されている四ヶ村用水が暗渠になり、その上に整備された緑道。距離は300mと短いですが、東屋なども造られ、趣のある緑道になっており、地域のボランティア団体によってきれいに管理されています。 ちなみに、“四ヶ村”とは灌漑している流路上の旧埼玉郡八条領瓦曽根村・西方村・登戸村・蒲生村になります。
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C-4 瓦曾根溜井
C 逆川・葛西親水・四ケ村用水・東越谷緑道 慶長年間(1596~1615)に造成されたと推定されている瓦曽根溜井は、昭和35年~42年に行われた葛西用水と元荒川とに分ける用排水分離工事により、新たに葛西用水として造成された流路の西側が埋め立てられて、現在の越谷市役所や県の地方庁舎が建設されました。
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D-1 八条用水緑道
D 八条用水・谷古田河畔・西幹排・東京葛西用水緑道 八条用水は、江戸時代前期の慶長年間(1596~1615)にかけて、埼玉郡八条領の灌漑用水として開削されました。 この八条用水沿いに整備された、全長約3.5km余りの緑道です。
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D-2 東京葛西用水緑道
D 八条用水・谷古田河畔・西幹排・東京葛西用水緑道 埼玉県水辺再生100プラン により平成20年度~平成21年度(2008~2009)に東京葛西用水の右岸に整備された総延長3.7kmの緑道です。緑化団体「伊原緑の会」が発足し、日々の除草・清掃・植栽などの管理を実施しています。
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D-3 谷古田河畔緑道
D 八条用水・谷古田河畔・西幹排・東京葛西用水緑道 江戸時代には五ヶ村(ごかそん)用水と呼ばれ、綾瀬川と古綾瀬川に囲まれた旧・谷古田領五ヶ村(現・草加市)に流れていましたが、現在は綾瀬川に合流しています。地元の古老は「さんが」と呼んでいますが、これは流路の旧埼玉郡八条領西方村・登戸村・蒲生村の「三ヶ村(さんかそん)」の転訛と推定しています。
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D-4 西幹排緑道
D 八条用水・谷古田河畔・西幹排・東京葛西用水緑道 本来の出羽堀の流路跡のほとんどが住宅地になっていて、西幹排の暗渠として再利用された区間の内、東武鉄道の高架線の西より県道足立越谷線付近までの暗渠の上部が、西幹排緑道として整備されました。くねくね道の緑道と並行する岩槻道(槍先通り)は、江戸時代とほぼ変わらない道筋で、途中に久伊豆神社が2社鎮座しています。
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D-6 藤助河岸(とうすけかし)
D 八条用水・谷古田河畔・西幹排・東京葛西用水緑道 藤助河岸の成立年代は不明ですが、綾瀬川と出羽堀(現蒲生愛宕川)が合流し、日光道中とも接する交通の利便性の高い場所にありました。大正2年(1913)に武陽水陸運輸会社を設立し興隆を極めましたが、昭和初期には廃業したと推定されています。現在、当時の面影を伝えるものとして、荷物の積み下ろし小屋の一部が復元されています。
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D-5 蒲生一里塚
D 八条用水・谷古田河畔・西幹排・東京葛西用水緑道 蒲生の一里塚は綾瀬川と蒲生愛宕川が合流する蒲生愛宕町にあります。 文化年間(1804~1818)に編纂された「日光道中分間延絵図」には、一里塚が東西に描かれていますが、現在は東側のみが残されており、県内の日光道中沿いに残る唯一の一里塚となっています。 ※ 県指定文化財(記念物・史跡) 指定日:昭和60年3月5日
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間久里川(都市防災河川)について
E 須賀用水・根河原・間久里川緑道 間久里川は、田畑に水を送る水路として古くから親しまれ、守られてきました。現在は、地中に水路として埋設され、地表には遊歩道とせせらぎが流れる水辺空間へと形を変えています。また、地中に埋められた水路は、農地へ水を送る用水路としての機能と災害などの緊急時に水をくみ上げ使用できる機能を持たせており、遊歩道とせせらぎは、地域住民も季節の花の手入れや清掃などに協力し、うるおいとやすらぎの場所として親しまれています。 (写真:越谷市・新方領用悪水路土地改良区 間久里川説明看板より)
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E-1 須賀用水緑道
E 須賀用水・根河原・間久里川緑道 西大袋土地区画整理地内に位置し、平成18年度~20年度(2006~2008)の3ヶ年に整備され、総延長は620m。水路に沿って4m~4.5mの歩道が設置されています。須賀用水緑道の下流側の起点の北東には、間久里川緑道の上流側の起点もあります。昭和3年以前の「須賀用水」の下流は、現在とは異なり、この地点より北東方向へ流れていました。
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E-2 間久里川緑道(まくりがわりょくどう)
E 須賀用水・根河原・間久里川緑道 間久里川緑道は、旧須賀用水の流路を変更した間久里川を暗渠にしてその上を緑道として整備したものです。南には、埼玉県内で23ヶ所確認されている「河畔砂丘」の内の「袋山河畔砂丘」があります。
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E-3 根河原緑道(ねがわらりょくどう)
E 須賀用水・根河原・間久里川緑道 根河原緑道は、かつての利根川本流であった「(袋山)古川」の旧河道の内、東武鉄道の西側から元荒川へ合流する地点にある外野合ポンプ場付近までを暗渠にしてその上部に整備された緑道です。緑道の経路上にはかつての梅林がそのまま残る民有地の側を通過している区間があります。
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一之橋
F 綾瀬川・末田用水・新川緑道 綾瀬川に架かる県道161号(越谷川口線)の橋で草加市長栄4丁目にありますが、一つ下流に同じ名前の一ノ橋があり、こちらは越谷市大間野町にあります。草加市長栄にある一の橋水位観測所には河川監視用のライブカメラが設置されています。
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なかよし レインボー公園
F 綾瀬川・末田用水・新川緑道 末田用水緑道の起点にある公園で2003年に末田代用水の改修工事の際に建設されました。隣接する荻島小学校の生徒が未来の用水の絵を描き、その絵を基に工事が行われたので、関わった生徒全員でこの名前に決めたそうです。
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F-6 綾瀬川緑道
F 綾瀬川・末田用水・新川緑道 綾瀬川は乱流を繰り返した河川ですので、かつての村境を成していた河道も変遷し、越谷市・草加市・川口市の市境が入り組んでいます。 左岸に草加市の区間、右岸に越谷市の区間もあり、越谷市に相当する区間の右岸には緑道が整備されています。この緑道を歩くと綾瀬川の旧河道の名残が感じられます。
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F-5 出羽堀ポンプ場
F 綾瀬川・末田用水・新川緑道 最上流部のある荻島小学校の東の根井堀用水より最下流部のある出羽堀第1号雨水幹線の綾瀬川への合流地点までを含む約600haの出羽堀排水区の主な排水の役割を担うのが、出羽堀第1号雨水幹線と出羽堀第2号雨水幹線で、綾瀬川の合流地点で内水氾濫等を防ぐ役割を担うのが出羽堀ポンプ場です。
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F-4 新川緑道
F 綾瀬川・末田用水・新川緑道 新川は排水路として大部分の区間を県道岩槻蒲生線に沿いながら綾瀬川に合流します。現在、上部は緑道、下部は管渠の都市下水路としての工事が進行しており、いずれは全区間が緑道として整備されることが期待されます。
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F-3 出羽公園
F 綾瀬川・末田用水・新川緑道 昭和63年(1988)開園で広さは9.2ha(平成19年4月現在)。多目的広場(野球場)、冒険広場、相撲場、体育館、憩いの広場、ゲートボール場、テニスコート、児童広場、池などがあります。3月末から4月にかけて桜が満開になり、毎年4月には地域の方や小・中学生が大切に育てたチューリップの鉢植えを一堂に集めてチューリップフェスタが開催されます。
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F-2 県民健康福祉村
F 綾瀬川・末田用水・新川緑道 緑の中の健康増進施設として設置された県民健康福祉村。中心施設となる「ときめき元気館」には屋内温水プールとトレーニングジム、屋外にはテニスコート8面、ソフトボール場、多目的グラウンドがあります。公園エリアは、一周約1.8kmのジョギングコースとウォーキングコース、その外周は約2kmのサイクリングコースとなっています。
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F-1 末田用水緑道
F 綾瀬川・末田用水・新川緑道 荻島小学校の北の末田用水と根井堀用水が分流する地点より県民健康福祉村の北の三ツ又堰までが整備されています。国道463号線より北部の区間の大部分は、戦時中にあった陸軍越谷飛行場の南東側の敷地に沿って緑道があります。
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ポラス建築技術 訓練校
G 大相模調節池(レイクタウン) レイクサイドウォーク 【番外編】 ポラスグループの木造建築技能者を育成するための施設です。一貫施工を支える技能集団として、「現代の名工」を育成する環境を整備しています。また、安全・安心な家づくりを支えるため、伝統的な技術や知識にとどまらず、新しい技術や知識も幅広く学ぶことができます。
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G-6 せいたかしぎ橋
G 大相模調節池(レイクタウン) レイクサイドウォーク 【番外編】 この大相模調節池には大小合わせて7箇所の橋梁があり、主な橋梁にはレイクタウンにふさわしく水鳥の名前が付けられています。セイタカシギの名を付したこの橋は、地区の南側のゲートともなり、照明柱が特徴的です。
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G-5 キャナルゾーン
G 大相模調節池(レイクタウン) レイクサイドウォーク 【番外編】 センター街区に隣接し、河道幅員の狭いキャナル状の空間特性を活かし、街並みとあわせた景観を楽しむゾーンとして整備されています。 このキャナルをはさんで東側が集合住宅、西側が戸建住宅地となっています。
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G-4 ビオトープ
G 大相模調節池(レイクタウン) レイクサイドウォーク 【番外編】 北池北西部のビオトープ空間は、植栽した樹木が大きく生長し、その後自然に生育した植生と相まって一帯を被い、湖畔林となっています。ここに湿地に依存する生物が生息して街全体をエコアップする装置となっています。
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G-3 旧東方中村家住宅
G 大相模調節池(レイクタウン) レイクサイドウォーク 【番外編】 旧東方村中村家住宅はもと武蔵国埼玉郡八条領東方村にあったもので、東方村下組の名主を勤めた中村家の居宅です。安永元年(1772)に建築されたと記されていて、建築年代の確認できるものでは越谷市最古の住宅といわれています。
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G-1 エントランスゲート
G 大相模調節池(レイクタウン) レイクサイドウォーク 【番外編】 来訪者を迎える街の顔として景観に配慮して整備されたシンボルゲート。北池の広大な水面が見渡せ、水上ステージ、桟橋、モニュメントなどが点在する越谷レイクタウンを代表する特徴的な空間を形成しています。
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G-2 水辺のまちづくり館
G 大相模調節池(レイクタウン) レイクサイドウォーク 【番外編】 地域住民や来街者による地域交流やまちづくりの情報発信拠点として活用することを目的に、UR都市機構が整備し越谷市に移管されたもので、現在は観光協会の活動拠点として、池の管理・運営やイベント等の実施を行っています。(2009年3月竣工)
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大沢宿場跡公園
A 元荒川緑道 埼玉県の川の国埼玉はつらつプロジェクトの一環で整備された公園で多目的トイレが設置されています。この工事に伴い試掘調査を行ったところ、遺跡が発見されたため埋蔵文化財包蔵地(大沢宿饂飩屋跡)として登録しています。また、大沢宿本陣の福井家にあった明治天皇行幸記念碑が移設されています。
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おいてけ堀
A 元荒川緑道 八坂神社裏手わきに昔は沼があり、そこに内池弁天が祀られていました。この沼は天明6年(1786)の関東洪水のときに、元荒川の堤防が決壊してできたものです。この沼には大きな白蛇がおり、人が通ると「オイテケオイテケ」と呼びかけ、沼に引き込むといって子どもたちを近づけなかったと言う、おいてけ堀伝説があります。
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A-7 宮前橋
A 元荒川緑道 天嶽寺の前の元荒川に架けられた橋の名称の変遷は、天嶽寺橋、寺橋、宮前橋の順で、江戸時代前期に、元荒川の河道の直道化に伴い発生した地域の分断の解消のために架橋されたと推定されます。現在の橋は、昭和34年(1959)に竣工した宮前橋を、平成15年(2003)に人や自転車などが往来するための橋に架け替えたものです。
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A-6 土手のシバザクラ
A 元荒川緑道 平成21年度に埼玉県の水辺再生100プラン事業により、延長約1.1kmの緑道が整備されました。土手のシバザクラは神明町一丁目付近の住民で組織する「あゆみ会」が中心となり、地元自治会やボランティアによって、平成13年度から植栽や管理活動を行っています。
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A-5 北越谷桜まつり
A 元荒川緑道 北越谷の元荒川(左岸)堤上約2km(北越谷第5公園から東武スカイツリーライン高架橋まで)の区間は、約300本のソメイヨシノが連なる桜並木となっており、開花時は壮観な眺めが楽しめ、多くの花見客で賑わいをみせます。
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A-4 押立(おったて)堤と石仏
A 元荒川緑道 江戸時代後期に越ヶ谷宿本陣を勤めた福井家の7代目となる福井猷貞(ゆうてい)の著した地誌『越ヶ谷瓜の蔓(うりのつる)』に、奥州古道の通過地点として押立堤の記載があり、旧大房村(現・北越谷4・5丁目)の元荒川(左岸)の堤防を押立堤として推定しています。
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A-3 宮内庁埼玉鴨場
A 元荒川緑道 江戸時代、紀州藩は将軍家から関東に広大な鷹場を与えられていましたが、このうち越谷地域は明治時代になって皇室専用の御猟場に指定され、鴨の飛来が少なくなった東京の浜離宮の代替地として、明治41年に完成しました。毎年、皇族や外国大使、国賓などを招待して鴨猟が行われています。総面積は約11万6,400㎡。
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A-2 越谷梅林公園
A 元荒川緑道 かつて梅の名所として知られていた「越谷古梅園」や、梅林が多く見られていた地区に、昔の面影を再現すべく、梅林公園を整備したものです。 園内には、白加賀、梅郷、紅梅など約40種約300本の梅が植えられています。 3月には梅祭り、6月には梅の実収穫体験が行われます。
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A-1 砂原土手バス停と石仏
A 元荒川緑道 「砂原土手」バス停の付近は、元荒川緑道(右岸)と埼玉県道越谷岩槻線が近接して並行しており、朝日自動車が運行する「越谷駅西口-水上公園-岩槻駅線」のバス停「砂原土手」を利用する場合は、越谷駅西口から(まで)約17分です。リバーウォークの途中で利用するのに便利なバス停です。
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A-9 しらこばと橋
A 元荒川緑道 県道八潮越谷線の元荒川と葛西用水に架かる橋。白い大きな主塔から斜めに張ったケーブルで橋を支える市内唯一の斜張橋です。その姿は、翼を広げて寄り添い、大空に向かって飛び立つ2羽のシラコバトをモチーフにしています。夜間はライトアップされます。平成6年(1994)開通、橋長145.1m、幅員13.0m、高さ51m。
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A-10 こいのぼりフェスティバル
A 元荒川緑道 子どもたちの健やかな成長を願い、毎年4月29日(昭和の日)に不動橋・相模町スポット広場周辺で開催しています。近隣の幼稚園・保育所(園)や小学校の子どもたちが描いた色鮮やかな5mの巨大こいのぼりの泳ぐ様子は一見の価値があります。 不動橋の架橋前には、上流側に不動の渡しがありました。
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A-11 大相模調節池取水施設
A 元荒川緑道 大相模調節池は、元荒川流域の浸水被害を軽減するために設置された施設です。この調節池に貯めることができる水量は120万t(東京ドームおよそ1杯分)になります。なお、本取水施設は、元荒川の水位上昇に伴い、雨水を取り込むための施設となります。
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A-12 中島橋
A 元荒川緑道 元荒川緑道の下流側(左岸)の起点と、新方川緑道の下流側の起点付近となる元荒川に架かる中島橋の北東詰の下流側には、昭和5年(1930)5月造立の「荒川橋開通記念石碑」があります。現在の中島橋の2代前の橋が通行料を徴収した荒川橋で、架橋以前は南百(なんど)の渡しがありました。
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A-8 平和橋
A 元荒川緑道 江戸時代に現在の平和橋の下流に、瓦曽根橋(溜井橋)の名で橋が架かっていて、戦時中に橋はなく、戦後の昭和24年(1949)に平和橋と名を変えて再建されました。昭和35年~42年(1960~1967)の用排水分離工事に伴い、昭和41年5月に元荒川に架かる新平和橋、昭和42年夏に葛西用水に架かる平和橋が、上流に移転して竣工しました。