大津町古絵図(市指定文化財) 江戸時代 個人蔵

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「大津町古絵図(大津市指定文化財)」は、江戸時代中期に作られた現在の大津百町エリアの地図です。このエリアは、江戸時代に東海道の宿場町、琵琶湖の玄関口としての港町、三井寺の門前町として、町がかたち作られました。その後、明治以降の鉄道開通や湖岸の埋め立てなどによって町の様子は変化し、琵琶湖岸の様子は大きく変化しましたが、町なかの様子は現在のマップと比べても変化が少なく、江戸時代の町割りが色濃く残されていることがわかります。周囲の安全確認しながら、地図を切り替えて確かめてみてください。
 また、マップには大津市歴史的風致維持向上計画の策定の過程で確認された、大津百町エリアの観光、文化財、四季、祭、人々の営みがわかるスポットを紹介しています。古い写真や動画を盛り込んでおり、楽しく学べるマップになっていますので、ぜひご活用ください。
 最後に、「大津町古絵図」は、山が上、湖が下と、現在のマップと比べて南北が逆に描かれています。大津百町を描いた絵図は、ほかにも現存しますが、ほとんどが南北が逆に描かれています。このデジタルマップでは北を上にしていますので、見づらいかもしれませんが、ご了承ください。

update date: 2023.09.01

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Number of spots : 31spots

  • 大津祭曳山展示館 大津祭曳山展示館 no name

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    所在地:〒520-0043 滋賀県大津市中央一丁目2-27 営業時間:9:00-18:00 定休日:月曜日、年末年始、月曜日が祝日の場合は翌日 公式HP 大津百町を東西に通じる三本の通りの中央、中町通りに建てられた湖国三大祭の一つ大津祭をテーマにした展示館です。正面には原寸大の曳山ひきやまの模型があり、大津祭の流れやからくりの映像、おはやしの体験コーナーなどもあります。2階には13基の曳山を飾る幕や金具類が交代で展示されています。祭りの本番は、10月のスポーツの日の前日ですが、祭の時以外でもダイナミックに展開される祭りの賑やかさ、楽しさを体感することができます。

  • 大津百町館 大津百町館 no name

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    所在地:〒520-0043 滋賀県大津市中央一丁目8-13 営業時間:9:00~16:00 定休日:月曜、お盆、年末年始、不定休貸館で使用中の場合は、入室できない可能性があります。 大津百町を東西に通じる三本の通りの中央、中町通りに所在し、大津町家を見学できる唯一の施設です。施主は洋服店を営む今井辰次郎で、明治32年(1899)12月大工棟梁太田嘉七により棟上げされたことが知られます。大正から昭和期には文泉堂という書店でした。表は看板建築になっていますが、内部には大津町家の特徴でもある大広間と落ち着いた佇まいの中庭に商家の趣を感じます。南北の通りは、昭和初期に道路拡幅があったため、曳き家をしてナカノマを切り縮めています。また、同時期に離れが新築されました。

  • 大津市歴史博物館 大津市歴史博物館 no name

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    常設展示(大津市歴史博物館蔵) 所在地:〒520-0037 滋賀県大津市御陵町2-2 営業時間:9:00-17:00 定休日:月曜日(月曜日が祝日の場合は、翌日) 公式HP 東西交通の要地として重視され、各時代に日本史の表舞台に登場してきた大津市の、文化財や歴史資料を収集、保管、調査研究し、広く市民に公開することを目的に平成2年(1990)に開館しました。大津・近江にかかわる一級の文化財を展示する年数回の企画展と、「大津の歴史と文化」をテーマに映像やまちなみ模型、各種資料でわかりやすく紹介する常設展があります。2階の展望ロビーからの眺めも、展示の一部といえるかもしれません。ちなみに、この場所は江戸時代までは園城寺おんじょうじ(三井寺)の境内で、子院があった場所です。

  • 川口公園 川口公園 no name

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    大正時代(大津市歴史博物館蔵) 所在地:〒520-0047 滋賀県大津市浜大津三丁目8 営業時間:24時間 定休日:年中無休 豊臣秀吉の命によって築城された大津城は、遺構として地下に眠っていて、我々が目にすることはできません。しかし、地上にはいくつかの痕跡が残されています。その一つが、京阪電車の“びわ湖浜大津駅”と“三井寺駅”のほぼ中間、線路と直角に交わる細長い敷地の川口かわぐち公園です。この公園は、江戸時代の大津にあった荷揚げ場の一つ、川口堀を埋め立てて造られたものですが、元をたどれば大津城の堀を再利用したものです。桜の名所でもある川口公園、春の一日、桜の下でかつての大津城をしのんでみてください。

  • 大津市旧大津公会堂 大津市旧大津公会堂 no name

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    旧大津公会堂(昭和30年代) 昭和戦前の風景(大津市歴史博物館蔵) 所在地:〒520-0047 滋賀県大津市浜大津一丁目4-1 営業時間:9:00~22:00 昭和9年(1934)に建設された旧大津公会堂は、名称や用途を様々に変えながら市民の交流の場として親しまれて来ました。縦長の窓など直線的なデザインを基本に、丸窓や半円形のアーチ窓が設けられ、外壁には昭和初期に流行した縦線模様のスクラッチタイルが張られている鉄筋コンクリートの公共建築で、国の登録有形文化財です。平成15年から、中心市街地の集客交流拠点として整備され、建築当時の洋館の雰囲気をそのままに、平成22年に4つの飲食店が入った交流・商業施設として大きく生まれ変わりました。

  • 石場の常夜燈 石場の常夜燈 no name

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    琵琶湖文化館前のころ(昭和50年代)(大津市歴史博物館蔵) 大津警察署前のころ(昭和戦前)(個人蔵) 所在地:〒520-0806 滋賀県大津市打出浜15あたり 営業時間:24時間 定休日:年中無休 江戸時代に対岸の矢橋やばせとの渡し船で賑わった石場いしばに、弘化こうか2年(1845)に建てられた、高さ約8.4メートの石造常夜燈です。石場常夜灯じょうやとうは大津宿の先で、京都を出立して東海道を下った旅人が、初めて琵琶湖に出会う場所でした。元々は現在の大津警察署の場所にありましたが、琵琶湖文化館前に移り、さらに滋賀県警察本部の建設にともなって再度移転しました。2度も警察によって移転を余儀なくされた常夜燈ですが、今は琵琶湖ホールの横で静かに琵琶湖を見守っています。

  • 小舟入の常夜燈 小舟入の常夜燈 no name

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    大正末から昭和初期の風小舟入(大津市歴史博物館蔵) 昭和30年代の小舟入(大津市歴史博物館蔵(谷本勇撮影)) 所在地:〒520-0043 滋賀県大津市中央四丁目7-5 営業時間:24時間 定休日:年中無休 大津宿から対岸の矢橋やばせへの渡し船が通った小舟(船)入こふないりに、文化5年(1808)に伊勢両宮の常夜燈じょうやとうとして建立されました。高さは約4.9mで、石造の基壇きだんに石柱を建て、木造の火袋ひぶくろをのせます。琵琶湖の埋め立てで市街地に取り残されていますが、かつての湖岸を示す貴重な生き証人です。早く目的地に着こうと思うなら、危険な近道より遠くても安全な方をとれという「急がば回れ」の諺は、矢橋の渡しよりも瀬田橋経由の陸路をとった方が早いということに由来します。大津市の有形民俗文化財に指定されています。

  • 牛塔 牛塔 no name

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    牛塔 明治時代の牛塔(大津市歴史博物館蔵) 所在地:〒520-0054 滋賀県大津市逢坂二丁目3-23< 営業時間:24時間 定休日:年中無休 旧東海道から、京阪電車を渡って石段を登った長安寺ちょうあんじの門前にある、高さ約3.3メートルの石造宝塔ほうとうです。平安時代、逢坂関おうさかのせきの近くにあった関寺せきでらには、都にも知られた関寺大仏がありました。平安時代の中期、地震によって被害をうけた伽藍の再建に、清水寺から寄進された役牛が迦葉仏かしょうぶつ(釈迦以前に出現した仏)の化身だという噂が広まり、藤原道長ふじわらのみちながをはじめとする貴族たちも関寺に参詣しました。霊牛が入滅にゅうめつすると牛を埋めたあとに供養塔が建てられました。これが牛塔ぎゅうとうと呼ばれ、重要文化財に指定されています。

  • 園城寺(三井寺) 園城寺(三井寺) no name

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    金堂(提供:園城寺) 絵馬堂(提供:園城寺) 観音堂(提供:園城寺) 観音堂から市街(明治時代)(大津市歴史博物館蔵) 観月舞台(提供:園城寺) 所在地:〒520-0036 滋賀県大津市園城寺町246 営業時間:8:00 ~ 17:00(受付終了16:30)文化財収蔵庫は8:30 ~ 16:30(受付終了16:00) 定休日:年中無休 天台寺門宗てんだいじもんしゅう総本山。大友皇子(弘文こうぶん天皇)の子、与多王よたおうの寄進により創建し、貞観じょうがん8年(866)智証大師円珍ちしょうだいしえんちんが天台別院として再興しました。 同寺の湧水を天智てんじん・天武てんむ・持統じとうの三天皇が産湯としたことから御井寺みいのてら=三井寺とも呼ばれました。 国宝の金堂こんどうを始めとして数多くの建造物があり、高台の観音堂は西国三十三所観音巡礼さいこくさんじゅうさんしょかんのんじゅんれいの14番札所ふだしょとして賑わっています。江戸時代の初めに近江八景おうみはっけいが選定されると、その一つ「三井晩鐘みいのばんしょう」の舞台となりました。大津百町の西半分は、園城寺おんじょうじの門前町として発展してきたといえます。

  • 平野神社 平野神社 no name

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    平野神社 明治時代の平野神社 (大津市歴史博物館蔵) 蹴鞠奉納祭 平野神社例祭(提供:平野神社) 所在地:〒520-0807 滋賀県大津市松本一丁目8-25 営業時間:24時間 定休日:年中無休 大津百町を東西に通じる3本の通りのうち、京町通り(東海道)と中町通りの合流する山手に鎮座しています。社伝によれば、 天智 てんじ 天皇が近江大津宮に都を移した時、都の3里以内の守護神として 大鷦鷯皇命 おおささぎのすめらみこと ( 仁徳 にんとく 天皇)を祀ったのがはじまりといいます。 皇極 こうぎょく 天皇の代に 京都 西洞院滋野井 にしのとういんしげのい にまつられた 蹴鞠 けまり の神、 精大明神 せいだいみょうじん ( 猿田彦命 さるたひこのみこと )を松本の狐谷に移し、 後の 天正 てんしょう 2年(1574)現在地に再度移しました。 毎年8月9日、古式ゆかしい蹴鞠の奉納があります。境内には 火袋 ひぶくろ が鞠の形をした灯籠もあり、サッカーの上達祈願にぜひお参りを。

  • 関蝉丸神社下社 関蝉丸神社下社 no name

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    昭和58年撮影(大津市歴史博物館蔵) 明治時代の鳥居前(大津市歴史博物館蔵) 関清水(明治時代)(大津市歴史博物館蔵) 『伊勢参宮名所図会』に描かれた下社(蝉丸宮)(大津市歴史博物館蔵) 時雨燈籠 所在地:〒520-0054 滋賀県大津市逢坂一丁目15-6 営業時間:24時間 定休日:年中無休 関蝉丸神社せきせみまるじんじゃは、小野岑守おののみねもりにより弘仁こうにん13年(822)に旅人を守る神を祀ったのに始まるとされ、天慶てんぎょう9年(946)(平安時代末ともいわれます)に逢坂山おうさかやまに隠れ住んだと伝えられる琵琶の名手で歌人の蝉丸を合祀ごうししました。蝉丸を祀るようになったことで、音曲芸能の神として信仰されるようになり、江戸時代には諸国の説教者を統括するようになりました。旧片原町の上社と、そこから700メートルほど下った旧関寺町の下社の二社からなります。下社には重要文化財の時雨燈籠しぐれどうろうや、平安時代の歌人として知られる小野小町塚があります。

  • 天孫神社 天孫神社 no name

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    明治時代の天孫神社(大津市歴史博物館蔵) 大津祭(昭和30年代)(大津市歴史博物館蔵) 昭和30年代の大津祭(大津市歴史博物館蔵) 『伊勢参宮名所図会』に描かれた大津祭(四宮祭礼)(大津市歴史博物館蔵) 所在地:〒520-0044 滋賀県大津市京町三丁目3-36 明治維新までは四宮しのみや神社と呼ばれていた天孫てんそん神社は、延暦えんりゃく20年(801)桓武かんむ天皇が大津の旧都に行幸した際に、湖南地方を鎮護する神として彦火火出見尊ひこほほでみのみことを勧請したと伝えます。現在は大津百町の内の40町余が氏子となっています。10月のスポーツの日の前日を本祭り、その前日を宵宮よいみやとする「大津祭」は、湖国三大祭の一つに数えられ、絢爛豪華な曳山ひきやまが、からくりを演じながら、大津の街中を巡行します。

  • 大津別院 大津別院 no name

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    大津別院本堂 大津別院書院(明治時代)(大津市歴史博物館蔵) 所在地:〒520-0043 滋賀県大津市中央二丁目5-25 真宗大谷派しんしゅうおおたにはの別院。かつて石山本願寺で織田信長に抗戦し、後に真宗大谷派(東本願寺)の始祖となった教如きょうにょが創建しました。慶長けいちょう6年(1601)に本堂が完成したと伝えますが直後に焼失し、慶安けいあん2年(1649)に再建されました。再建にあたっては、直参門徒じきさんもんとが費用の多くを捻出して尽力したことが知られています。また書院しょいんは、寛文かんぶん2年(1662)の大地震で倒壊後、同10年に再建されました。上段の間をはじめとする3室は、狩野派かのうはの手になる豪華な障壁画しょうへきがで飾られています。本堂・書院共に重要文化財に指定されています。

  • 早尾神社 早尾神社 no name

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    所在地:〒520-0038 滋賀県大津市山上町736 定休日:年中無休 大津百町をはるかに望む長等山系の一角に境内を構えるのが、早尾はやお神社です。社伝によれば、貞観じょうがん年間(859~877)に、智証大師円珍ちしょうだいしえんちんが園城寺おんじょうじ(三井寺)を再興したとき、坂本の日吉大社の早尾社を勧請し、鎮守にしたのが始まりとされています。祭神は建速素戔嗚尊たけはやすさのおのみことで相殿あいどのには猿田彦命さるたひこのみことをまつります。本殿をはじめとする建物は、老朽化のために昭和57年(1982)に建て替えられましたが、宝暦ほうれき3年(1753)の銘がある灯籠や、明治45年(1912)の狛犬などが残されています。

  • 三尾神社 三尾神社 no name

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    三尾神社 拝殿 三尾神社(昭和10年代)(個人蔵) 神紋 提灯 所在地:〒520-0036 滋賀県大津市園城寺町251 営業時間:9:00~17:00 定休日:年中無休 三尾神社みおじんじゃは園城寺おんじょうじ(三井寺)の鎮守社の一つで、本神の赤尾神が卯うの年・卯の月・卯の日・卯の刻・卯の方角から出現したことから、兎うさぎ(卯)が神の使いとされます。祭神である伊弉諾尊いざなぎのみことが長等山ながらやまに降臨した際、身につけた腰帯が赤(赤尾神)・白(白尾神)・黒(黒尾神)の三本の尾を引いたように見えたことから、三尾明神と名付けられたと伝えます。江戸時代までは園城寺の境内にありましたが、明治9年(1876)に境外の現地に移りました。本殿は重要文化財に指定され、建物の瓦や彫刻、石造物などにはウサギの意匠があしらわれています。

  • 長等神社 長等神社 no name

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    長等神社楼門 長等神社本殿 昭和30年代の長等神社門前(大津市歴史博物館蔵(谷本勇撮影)) 明治時代の長等神社(大津市歴史博物館蔵) 所在地:〒520-0034 滋賀県大津市三井寺4-1 定休日:年中無休 長等神社ながらじんじゃは、西国三十三所観音巡礼さいこくさんじゅうさんしょかんのんじゅんれいの14番札所、三井寺観音堂への登り口に鎮座します。社伝によれば、天智てんじ天皇のころに都の鎮護を目的に須佐之男大神すさのおのおおかみを祀り、後に園城寺おんじょうじ(三井寺)を開いた智証大師円珍ちしょうだいしえんちんが、日吉大神を勧請して三井寺の鎮守社としたといいます。新宮権現祠しんぐうごんげんし、山王新宮さんのうしんぐう、新日吉社いまひえしゃとも呼ばれていました。境内には本殿、拝殿、楼門のほか馬神神社、両御前神社をはじめとする7つの境内社があります。楼門は明治38年(1905)の竣工ですが、室町時代の様式を踏襲したもので、大津市の文化財に指定されています。

  • 義仲寺 義仲寺 no name

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    明治時代の義仲寺(大津市歴史博物館蔵) 木造松尾芭蕉像 所在地:〒520-0802 滋賀県大津市馬場一丁目5-12 営業時間:3月から10月:9:00から17:00 11月から2月:9:00から16:00 定休日:月曜日 義仲寺ぎちゅうじは、平家追討で知られる源義仲みなもとのよしなか(木曾きそ義仲)を葬った塚のあるところから名付けられました。江戸時代の俳人松尾芭蕉まつおばしょうがしばしば滞在し、門人への手紙には「木曾塚の坊」と表現しています。元禄げんろく7年(1694)、芭蕉が大坂で客死すると、遺言により義仲寺に葬られました。門前を通る東海道から境内に入ると、木曾義仲の墓、松尾芭蕉の墓、松尾芭蕉の坐像を祀る翁堂おきなどうや多くの句碑があり、国の史跡に指定されています。江戸時代の『東海道名所図会とうかいどうめいしょずえ』や『伊勢参宮名所図絵いせさんぐうめいしょずえ』には、境内を描いた挿絵とともに紹介されています。

  • 札の辻(道路元標) 札の辻(道路元標) no name

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    『伊勢参宮名所図会』に描かれた札の辻(大津市歴史博物館蔵) 所在地:〒520-0045 滋賀県大津市6番6号 営業時間:24時間 定休日:年中無休 江戸時代、幕府は法令を板に墨書して多くの人の目にふれるよう、掲示しました。この板は目立つように高く掲げられたことから高札こうさつとも呼ばれ、大津宿でこの高札が掲げられたのが札の辻ふだのつじです。札の辻は京都から江戸へ向かう東海道と、琵琶湖の西岸を北国へ向かう北国海道ほっこくかいどう(西近江路)の分岐点にあたり、多くの旅人や荷物を運ぶ馬などが行き来する賑やかな場所でした。その名残として、大正9年(1920)制定の旧道路法によって定められた大津市の道の基準点となった道路元標どうろげんぴょうが、西南の角に今も残されています。

  • 逢坂の関跡の碑 逢坂の関跡の碑 no name

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    所在地:〒520-0062滋賀県大津市逢坂 営業時間:24時間 定休日:年中無休 逢坂の関おうさかのせきは古代から交通の要衝で、延暦えんりゃく14年(795)に関所廃止の記録があるところから、これ以前に前身の施設が置かれていたようです。平安時代の中頃には不破ふわ・鈴鹿すずかと並ぶ三関の一つとして、重視されました。関所の位置ははっきりしていませんが、京阪電車の大谷駅から琵琶湖側へ少し戻った場所に、「逢坂山関址」の碑と逢坂の関記念公園が整備されています。逢坂関が近江国(滋賀県)と山城国(京都府)との境界に置かれたとの説明は、園城寺観音堂下から山科に通じる小関越こぜきごえを含めた広い範囲が、逢坂関であったと理解されていたことによります。

  • 旧逢坂山トンネル(東口) 旧逢坂山トンネル(東口) no name

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    明治時代の大津-京都間時刻表(大津市歴史博物館蔵) 所在地:〒520-0054 滋賀県大津市逢坂一丁目18 営業時間:24時間 定休日:年中無休 初代の逢坂山おうさかやまトンネルは、鉄道草創期にあたる明治13年(1880)、大津―大谷間に開通した全長約665メートルのトンネルです。当時、鉄道敷設は外国人が指導していましたが、日本人のみの手で施工された最初のトンネルとして、鉄道記念物になっています。右側には、明治31年に複線化された時のトンネルが残りますが、大正10年(1921)の路線変更により廃止され、現在は東口のみが残っています。トンネルの上に刻まれた「楽成頼功らくせいらいこう」の文字は、三条実美さんじょうさねとみの筆になります。トンネルから線路が通じていた先には、道をまたいで架けられた鉄橋のレンガ積み橋台が、京阪電車線路脇の壁に残されています。

  • 琵琶湖疏水(鹿関橋) 琵琶湖疏水(鹿関橋) no name

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    提供:大津観光フォトライブラリー 提供:大津観光フォトライブラリー 明治時代(大津市歴史博物館蔵) 昭和10年代(個人蔵) 三井寺観音堂からを望む(明治時代)(大津市歴史博物館蔵) 所在地:〒520-0034 滋賀県大津市三井寺町7 営業時間:24時間 定休日:年中無休 琵琶湖疏水びわこそすいは明治時代、琵琶湖の水を京都に引くために作られた水路で、飲料水・物資輸送・農業用水・発電などに利用するために立案されました。第1疏水そすいは明治18年(1885)、青年技師田邉朔郎たなべさくろうを工事主任として着工、同23年に開通しました。3ヵ所の隧道ずいどう(トンネル)の出入り口には、三井寺観音堂下の伊藤博文いとうひろぶみによる「氣象萬千」きしょうばんせんをはじめとして、山県有朋やまがたありとも、井上馨いのうえかおる、西郷従道さいごうつぐみち、松方正義まつかたまさよし、三条実美さんじょうさねとみと、明治前期の政治家として高校の日本史教科書に登場する有名人の手になる題字が、はめこまれています。国の史跡に指定されています。

  • 大津事件の碑 大津事件の碑 no name

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    大津事件現場写真(明治24年)(個人蔵) 所在地:〒520-0044 滋賀県大津市京町二丁目 営業時間:24時間 定休日:年中無休 明治24年(1891)5月11日、大津遊覧中のロシア皇太子ニコライが、旧東海道の下小唐崎町で警備にあたっていた巡査の津田三蔵つださんぞうに斬りつけられた「大津事件」の現場付近に建ちます。ロシアを恐れる明治政府は、津田三蔵を大逆罪たいぎゃくざい(天皇・皇太子などを殺害しようとした罪)で死刑にするよう迫りましたが、 大審院長だいしんいんちょうの児島惟謙こじまこれかたは外国の皇太子には適用できないとして、刑法どおり無期徒刑とし、司法権の独立を貫きました。実際に事件が起こったのは、この碑の場所から少し東側のようです。

  • 大津城跡 大津城跡 no name

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    浜大津バスターミナル発掘調査(昭和50年代)(大津市歴史博物館蔵) 所在地:〒520-0047 滋賀県大津市浜大津五丁目2-29 営業時間:24時間 定休日:年中無休 公式HP 天正てんしょう14年(1586)頃、豊臣秀吉の家臣浅野長吉(長政)により、坂本にあった城を移して築かれました。今の”明日都浜大津”から京阪電車の”びわ湖浜大津駅”あたりが琵琶湖に突き出した本丸でした。 慶長けいちょう5年(1600)9月の関が原合戦を前に籠城戦がくりひろげられ、東軍(家康軍)の勝利に貢献したことは有名です。戦後、城は膳所ぜぜに移されて廃城となりましたが、天守は最後まで落城しなかったことで縁起がよいとして、彦根城の天守に移築されました。

  • 大津宿本陣跡 大津宿本陣跡 no name

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    本陣にあった天井画(大津市歴史博物館蔵) 所在地:〒520-0057 滋賀県大津市御幸町6-13 営業時間:24時間 定休日:年中無休 大津宿は東海道五十三次の53番目の宿場で、大名などが宿泊するための本陣ほんじんが2軒、脇本陣わきほんじんが1軒ありました。この碑の建つ場所は、本陣の1軒、大塚本陣(大坂屋嘉右衛門宅)の跡です。当時の本陣は3階の楼上からの琵琶湖の眺めが絶景だったといわれています。ところで、なぜ本陣跡の碑ではなく、「明治天皇聖跡」めいじてんのうせいせきの碑が建っているのでしょうか。それは、明治元年(1868)9月20日京都御所を出発して江戸へ向かった天皇一行が、最初に宿泊したのがこの大塚本陣だったからでした。

  • 粋世 粋世 no name

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    所在地:〒520-0046 滋賀県大津市長等三丁目3-33 大津百町を東西に通じる三本の通りのうち最も北側の浜(町)通りに、昭和8年(1933)米商人の住まいとして建てたられた木造2階建ての町家です。通りから見える正面は、昭和初期の御影石磨みかげいしみがき仕上げの腰壁こしかべと上半分が木格子と欄間で構成され、黒い大津壁は建てられた当時のままに復原されました。2 階内部は中廊下形式で、居室は独立性が高く洋間もあり、それらをそのまま生かして改修し、大津で最初の町家の宿「粋世いなせ」として開業しました。国土の歴史的景観に寄与しているものとして、登録有形文化財となっています。

  • 餅兵 餅兵 no name

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    行器 所在地:〒520-0043 滋賀県大津市中央二丁目5-37 営業時間:9:30~18:30 定休日:月曜日 東海道沿いに店を構える「御饅頭処おんまんじゅうどころ 餅兵もちひょう」は、創業が江戸時代の宝暦ほうれき年間(1751〜1764)という長い歴史を持つ和菓子店です。店名の「餅兵」は、創業者の餅屋兵祐もちやひょうすけの名前からつけられました。昔は店の前に床几しょうぎを置き、ここで旅人が足を休めて一服したといいます。店内には創業当時の看板や大津祭の見送り幕の写真、慶事で紅白饅頭を配るときに使った豪華な行器ほかいなどがあり、大津百町の歴史を感じることができます。

  • 鶴里堂 鶴里堂 no name

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    所在地:〒520-0044 滋賀県大津市京町一丁目2-18 営業時間:9:00-18:00 定休日:日曜日 大津宿の中心、札の辻ふだのつじから東海道を進んだすぐにある、明治29年(1896)創業の和菓子店です。店名の「鶴里堂かくりどう」とは、大津百町にちなんだものです。琵琶湖岸を底辺に逢坂山おうさかやまの麓まで広がる町の姿を羽をひろげた鶴、その先に延びる東海道を鶴の首から頭にたとえ、大津百町が「鶴の里」と呼ばれていたことからつけられました。木造桟瓦葺さんがわらぶきの建物は明治時代後期の建築と推定され、正面を飾る庇看板は大正期の書家・山本竟山やまもときょうざんの揮毫きごうになります。

  • 阪本屋 阪本屋 no name

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    明治時代の鮒すし製造風景(大津市歴史博物館蔵) 所在地:〒520-0046 滋賀県大津市長等一丁目5番21号 営業時間:9:00-18:00 定休日:日曜日 江戸時代の大津百町では多彩な商業活動が行われていましたが、札の辻ふだのつじで東海道から別れた北国海道ほっこくかいどう(西近江路)を進んだ先にある阪本屋は、明治2年(1869)創業の鮒寿司ふなずし専門店です。店舗兼主屋は昭和11年(1936)の建築で、木造2階建、切妻造桟瓦葺きりづまづくりさんがわらぶき。1階は向って左側を店舗とし、右側は腰に御影石張みがいしばりとしています。2階は黒色の艶のある小ぶりのタイルを貼り、中央に看板用の小屋根を出しています。国土の歴史的景観に寄与しているものとして、登録有形文化財となっています。

  • 平井商店 平井商店 no name

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    酒造りの様子(提供:平井商店) 所在地:〒520-0043 滋賀県大津市中央1丁目2-33 営業時間:10:00~19:00 定休日:不定休 大津百町を東西に通じる三本の通りの中央、中町通りに店を構える平井商店は、万治まんじ元年(1658)創業の造り酒屋です。大津の水は酒造りに向いているとされ、江戸時代には「京都の酒に劣らず」と言われていました。同店の銘柄「浅茅生あさぢを」は、後水尾ごみずのお天皇の皇子・聖護院宮道寛親王しょうごいんのみやどうかんしんのうから賜った和歌から命名されました。アーケードの中にあるお店は、間口が広く、屋根の軒下には杉玉が吊るされ、造り酒屋の雰囲気を醸し出しています。

  • 豆信料亭棟 豆信料亭棟 no name

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    豆信料亭棟・門塀 所在地:〒520-0046 滋賀県大津市長等三丁目3-26 営業時間:11:00~22:00 定休日:不定休 大津百町を東西に通じる三本の通りの最も北側の浜(町)通りに、大正7年(1918)に料亭旅館として建られたのが、豆信まめしんです。前面の浜通りが昭和9年(1934)に拡幅されたため、軒切りと同時に大改造し、虫籠窓だった正面の外観は、2 階建てガラス窓の現在の姿になりました。旅館はやめていますが、2 階の大広間や洗面などの内部にその名残を残しています。現在も料亭として使われ、大津では大変希少価値の高い料亭旅館建築で、国土の歴史的景観に寄与しているものとして、門塀・蔵とあわせて3棟が国の登録有形文化財となっています。

  • 大津絵の店 大津絵の店 no name

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    所在地:〒520-0034 滋賀県大津市三井寺町3-38 営業時間:10:00~17:00 定休日:第1、第3日曜 江戸時代、東海道の追分・大谷辺りで、土産物とし売られていたのが大津絵です。大津絵という言葉は、元禄げんろく4年(1691)に松尾芭蕉まつおばしょうが詠んだ「大津絵の筆のはじめは何仏なにぼとけ」を最初とします。当初は仏画が多かったようですが、やがて鬼の念仏おにのねんぶつ、雷公らいこう、鷹匠たかじょう、藤娘ふじむすめなど定番の画題がうまれました。大津絵の店は、西国三十三所観音巡礼さいこくさんじゅうさんしょかんのんじゅんれいの14番札所三井寺観音堂と長等ながら神社の参道にあり、当時の技法そのままに大津絵を描き、展示・販売をしています。