古地図で巡る駿州の旅【江尻宿編】
江戸時代に描かれた詳細な絵地図「東海道分間延絵図」を用いた、日本遺産「駿州の旅」(静岡市・藤枝市)を楽しむことができるマップです。古地図を見ながら歩くと、現代の景色の中にもたくさんの江戸時代の名残があることがわかります。古地図は全8エリアに分かれており、どの宿場町も見どころ満載です。江戸時代の宿場町を想像しながら、まちあるきにでかけてみませんか?
update date: 2022.04.15
このマップ(地図)を見るNumber of spots : 15spots
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三保松原
富士山と人間の世界を結びつける存在である三保松原は天女の伝説として古くから人々に親しまれ、富士山とともにその視覚的な美しさを源泉に様々な芸術を生み出してきました。江戸時代においても御穂神社の領地として徳川家康公をはじめとした歴代将軍によって庇護を受けるとともに広重や北斎をはじめ数々の浮世絵師にその景色が描かれてきました。2013年6月に世界文化遺産に登録された「富士山-信仰の対象と芸術の源泉-」の構成資産です。 日本遺産構成文化財 住所〒424-0901静岡県静岡市清水区三保1338-45 URLhttps://miho-no-matsubara.jp/center
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江尻宿名物 追分羊羹
東海道五十三次の名物として300年の伝統を持つ追分羊羹。徳川三代将軍家光公の時代に箱根山中で倒れた明の僧を介抱した際に製法を教わったことが起源とされており、餡を竹皮で堤竹ひもでむすび蒸しあげる昔ながらの味を守り続けています。徳川十五代将軍慶喜公にも好まれていました。日本遺産「日本初『旅ブーム』を起こした弥次さん喜多さん、駿州の旅」の構成文化財になっています。 日本遺産構成文化財 住所〒424-0841静岡県静岡市清水区追分二丁目13-21 URLhttp://www.oiwakeyokan.com/
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清水湊
清水湊は港のない城下町駿府の外港としての役割を果たしていました。山間部の多い静岡市域は慢性的な米不足に悩まされており、清水湊に集められ山梨に送られる甲州廻米をいかに駿府に流通させるかが重要な課題であり、清水湊は重要な役割をになっていました。 観光名所 住所〒424-0922静岡県静岡市清水区日の出町10
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御穂神社・神の道
平安時代の書物に記録が残されている古社で、羽衣伝説ゆかりの神社。天女の羽衣の切れ端が所蔵されているといわれています。羽衣の松に来臨した神が樹齢300年ほどの約500mの松並木「神の道」を経て美保神社に迎えられます。 神社・仏閣 住所〒424-0901静岡県静岡市清水区三保1073 URLhttps://shizuoka.tokaido-guide.jp/location/76
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江浄寺
徳川家康の長男として生まれ、謀反の疑いを掛けられ自害した武将・岡崎三郎信康の菩提所です。彼の死後、遺髪をここへ埋葬して松を植え、小さい五輪塔を建てたといいます。 神社・仏閣 住所〒424-0815静岡県静岡市清水区江尻東三丁目6-6
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江尻城跡
戦国時代、海陸交通の要所となっていた江尻ですが、1568年に武田信玄がこの地を占領し、江尻城が築かれました。江尻城には穴山梅雪が守将として入り、城を大改築しました。「勧国楼」という高層の楼閣を建て、江尻を城下町とする城となりましたが、1582年に攻めてきた徳川家康公に降伏し明け渡しました。1601年に廃城。現在はその跡地は清水江尻小学校の敷地となっており、江尻城跡の看板が立っています。 史跡 住所〒424-0818静岡県静岡市清水区江尻町12-30付近
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久能寺観音道 道標
安永七年(1778年)に造立された道標。久能寺観音道は、この道標がある平川地から有東坂、今泉、船越、矢部、妙音寺を通り鉄舟寺につながる道のことを言います。久能寺は武田信玄が久能山城を築いた際に現在の清水区村松に移され、明治維新で廃止となった後に山岡鉄舟により再興され、鉄舟寺と改められました。 史跡 住所〒424-0872静岡県静岡市清水区平川地付近
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「是より志三づ道」道標
東海道から清水湊へ抜ける近道を示す道標。地名に残る追分の由来になったとも言われています。現在も追分羊羹の店の横に建っています。 史跡 住所〒424-0841静岡県静岡市清水区追分二丁目13
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甲州廻米置場跡
江戸時代に甲州や信州からの年貢米が集められた場所です。集められた年貢米はここから江戸に運ばれていました。現在は巴川沿いのその跡地に「甲州廻米置場跡」の石碑が立っています。 史跡 住所〒424-0943静岡県静岡市清水区港町一丁目-1
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江尻木戸跡
江尻宿の西の入口、西木戸跡とされる場所です。現在はその跡地に「江尻宿木戸跡」の石柱が建てられています。 史跡 住所〒424-0831静岡県静岡市清水区入江付近
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久能山道
江尻宿には東海道と久能山道の分かれ道があります。現在の入江南町にその分岐がみられます。 史跡
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船高札跡
江戸時代初頭、河川交通の要所であった巴川畔に船高札という掲示板が建てられていました。その掲示板には、暴風などの際には助け舟を出し合い難破させないようにすることや船が破損したときは力を合わせ荷物を引き上げることなどが定められていました。 史跡 住所〒424-0831静岡県静岡市清水区入江付近
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稚児橋(河童伝説)
家康公の命により1607年に巴川に橋が架けられ、江尻宿にちなんで江尻橋と命名されることとなりました。その渡り初めの祝典の際に、突如現れた童子が橋に上り、入江方面に消え去ったという伝説があります。集まった人たちは突然のことに大変驚き、巴川に住む河童が童子の姿になって祝典に参加したのではとこの橋の名前を江尻橋ではなく「稚児橋」としました。 史跡 住所〒424-0817静岡県静岡市清水区銀座12-18付近
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江尻宿寺尾本陣跡
江尻宿の本陣は二軒あったとされていますが、場所が明確であるのはこの寺尾本陣跡だけになります。寺尾家はもともと今川家に仕えていましたが、今川氏没落後、武田氏に仕え姓を寺尾と改めました。その後、徳川家康により伝馬朱印状を与えられこの地に寺尾本陣を築きました。慶長十二年(1607年)には徳川家康公が宿泊したされています。現在はその跡地を示す石碑が建てられています。 史跡 住所〒424-0818静岡県静岡市清水区江尻町4付近
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細井の松原
辻村の東から西久保にかけて細井の松原と呼ばれた松並木が続いていました。2代将軍秀忠公により街道沿いに植えられ、1703年の検地によると206本の松が並び「松原せんべい」を売った茶屋もあったと伝えられています。太平洋戦争の際に航空機燃料の原料として伐採された。現在は跡地として石柱が建てられ、松が植樹されています。 史跡 住所〒424-0806静岡県静岡市清水区辻三丁目7付近