古地図で巡る駿州の旅【岡部宿編】

江戸時代に描かれた詳細な絵地図「東海道分間延絵図」を用いた、日本遺産「駿州の旅」(静岡市・藤枝市)を楽しむことができるマップです。古地図を見ながら歩くと、現代の景色の中にもたくさんの江戸時代の名残があることがわかります。古地図は全8エリアに分かれており、どの宿場町も見どころ満載です。江戸時代の宿場町を想像しながら、まちあるきにでかけてみませんか?
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日本遺産構成文化財

岡部宿を代表する旅籠(=宿)で、国の有形文化財に登録されています。2度の焼失を経て江戸時代後期(1836年)に再建された主屋は、当時の旅籠の様子を見ることができる貴重な歴史資料館です。「東海道中膝栗毛」の中で、弥次さん喜多さんが岡部宿に宿泊していることから、1階には、女将のおもてなしを受ける2人の様子を再現した人形が置かれ、来館者を出迎えてくれます。その他、カフェや物産館も施設内に併設され、家族で1日楽しめる施設となっています。 文化財 グルメ・飲食 観光名所 日本遺産構成文化財 住所〒421-1121静岡県藤枝市岡部町岡部817 URLhttps://www.city.fujieda.shizuoka.jp/bunka/bunka/kashibaya/shisetu/1465361812276.html SNS

本陣とは、江戸時代に大名や旗本などが利用した格式高い宿泊施設のこと。内野家は、明治時代に宿場制度が廃止になるまでの180年間、この地で本陣職を継いでいました。現在は、再現された門塀や平面に表示された建物の間取りから、往時の佇まいを感じることができます。「岡部宿本陣址」として市の史跡に指定されています。 文化財 観光名所 日本遺産構成文化財 住所〒421-1121静岡県藤枝市岡部町岡部817 URLhttps://www.city.fujieda.shizuoka.jp/bunka/bunka/kashibaya/shisetu/1465362004688.html
旧東海道の松並木(内谷地区)
日本遺産構成文化財

岡部宿を西に出て、藤枝宿へと向かう街道沿いに残る松並木です。約560mほど続く松並木は、江戸時代以降も松を植えて街道の景観を守り伝えているものです。 文化財 自然・景観 日本遺産構成文化財 住所〒421-1131静岡県藤枝市岡部町内谷
史跡

高札場は、宿場内の目立つところや人の多く集まるところに、幕府からの法度や掟、また犯罪者の罪状などを記した板札を立てた場所です。現在は駐車場の片隅に跡地を示す石碑が建てられています。 史跡 住所〒421-1131静岡県藤枝市岡部町内谷

問屋場は、幕府の公用旅行者のために人や馬の手配を行うところでした。旅行者は旗本や御家人、大名などで、人数や荷物があらかじめ伝えられ、当日は、人馬を割り振る業務を行っていました。岡部宿には、2軒あった問屋場のひとつで、現在は民家となっていますが、跡地を示す石碑が民家の脇に建てられています。 史跡 住所〒421-1121静岡県藤枝市岡部町岡部

東海道の宿場の出入口などで、道が何度か直角に折れ曲がっているところがあり、これを「桝形」といいます。たやすく敵が侵入できないように城下町などにもよく設けられた構造です。現在は、真っすぐな道路となっていますが、かつてはこの付近に桝形があり、跡地を示す石碑が建てられています。 史跡 住所〒421-1121静岡県藤枝市岡部町岡部

岡部の一里塚は、江戸から48里の地点にありました。文献(岡部町史補巻版)によると、慶長9年に一里塚を築いた頃の東海道は、岡部川とその南に位置する道永山の間を通っていました。しかし、洪水により東海道の一部と片側の一里塚が流失したため、岡部川の北側に新しく東海道を作ると、古道の脇にあった一里塚は不要になり、少なくとも文化初年以降は田んぼになってその姿を消してしまったようです。現在は、その場所を特定することはできませんが、文献などから写真の場所(十石坂観音堂向かい側)付近の川の対岸あたりに、あったものと推測されます。 史跡 住所〒421-1121静岡県藤枝市岡部町岡部

旧東海道沿いの横内は、江戸時代、美濃国岩村藩領の領地だったため、代官が美濃国から派遣されていました。代官の居所を陣屋といい、横内陣屋では駿河15か村の支配を行っていました。代官の中には、横内で亡くなった人もいて、陣屋跡の少し東にある慈眼寺には代官の墓地があります。名代官であった3代目代官の田中清太夫は、「代官地蔵」として慈眼寺に祀られています。 史跡 住所〒426-0002静岡県藤枝市横内








