古地図で巡る駿州の旅【藤枝宿編】
江戸時代に描かれた詳細な絵地図「東海道分間延絵図」を用いた、日本遺産「駿州の旅」(静岡市・藤枝市)を楽しむことができるマップです。古地図を見ながら歩くと、現代の景色の中にもたくさんの江戸時代の名残があることがわかります。古地図は全8エリアに分かれており、どの宿場町も見どころ満載です。江戸時代の宿場町を想像しながら、まちあるきにでかけてみませんか?
update date: 2023.06.04
このマップ(地図)を見るNumber of spots : 37spots
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三の丸土塁・家老屋敷
「三の丸」は、田中城の本丸を囲んでいた三重目の堀の内側にあたる区画で、江戸時代には、藩主を助けて藩政を行った本多家譜代の家老・馬淵新右衛門などの家老らの屋敷が置かれていました。現在は、屋敷跡と土塁の一部が残されています。 史跡 住所藤枝市田中2丁目
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松原木戸跡
「松原木戸」は、藤枝宿から田中城へ通じる城の入り口に置かれた木戸(門)で、道の両側に松を植えたため、松原木戸と呼ばれました。江戸時代はじめ頃までは、田中城の東にあった「平島口」が田中城の正門とされ、東海道から平島口に通じる「御成街道」と呼ばれる道がありましたが、慶長6年(1601)に初代田中藩主の酒井忠利により城の北側に、藤枝宿と田中城を結ぶ「大手口」が設けられ、入城ためのメインルートとされたため、この松原木戸が田中城の正門となりました。 史跡 住所藤枝市田中2丁目
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三の堀
「三の堀」は、本丸を囲んでいた三重目の堀です。現在は池のような姿で、円形にめぐっていた堀の一部が残されており、堀の北側からは今でもきれいな水が湧き出ています。堀の東側に見える西益津中学校が建つ場所は、かつて田中城の「御殿」があったところです。 史跡 住所藤枝市田中1丁目
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大手一の門跡
「大手一の門」は、藤枝宿と田中城を繋ぐ大手道に設けられていた2つの門のうちのひとつで、田中城では最も規模の大きな門でした。慶長6年(1601)に初代田中藩主の酒井忠利が行った大改修の際に、それまで主に使われていた平島口から付け替えられ、メインの入口として使われるようになりました。内桝形と呼ばれる城の内側に作った出入口で、味方が出陣する際に待機でき敵の進入も防ぎやすい形になっていました。 史跡 住所藤枝市田中2丁目
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二の堀
「二の堀」は、本丸囲む二重目の堀で、この付近には、藤枝宿から本丸に入るための「大手二の門」と呼ばれる門がありました。現在は、堀の一部が池のような形で残されており、当時の様子をうかがい見ることができます。また、堀を渡るために架けられていた橋が再現されています。 史跡 住所藤枝市田中1丁目
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三の丸土塁
「三の丸」は、田中城の本丸を囲んでいた三重目の堀の内側にあたる区間で、ここには三の丸の土塁の一部が残されています。三の丸の土塁は、総延長が544間(約980m)ほどあったとされています。(土塁部分には立ち入りができませんので、道路側からの見学をお願いします) 史跡 住所藤枝市田中2丁目
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平島一の門跡
「平島一の門」は、江戸時代以前は、田中城の城内に入る正門として使われていた門で、櫓の下に門がある「渡り櫓門」と呼ばれる形をしていました。慶長6年(1601)に初代田中藩主の酒井忠利により城の北側に、大手口(正門)が設けられたため、その後は使われなくなり、「開かずの門」とも呼ばれていました。 史跡 住所藤枝市田中2丁目
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平島木戸跡・御成街道
「平島木戸」は、田中城の東に設けられていた城内への入口「平島口」に置かれた木戸(門)です。江戸時代のはじめ頃まで、田中城の正門として使われており、旧東海道の八幡橋からこの平島木戸までを結ぶ道を通って、大名・武将が行列を従え田中城に出入りしていました。大御所家康が駿府城から鷹狩りのため田中城に来るときにこの道を通ったことから「御成街道(おなりかいどう)」と呼ばれていました。 史跡 住所藤枝市郡
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馬上の清水
徳川家康が鷹狩りの際に田中城へ立ち寄った際、馬に乗ったまま、ここの湧き水を飲んだと伝えられることから「馬上の清水」と呼ばれています。この池は、外部からの使者が田中城に入る前に旅姿を整えたり、登城の心構えをした場所とも言われ、現在もきれいな水が湧き出ています。 史跡 住所藤枝市平島281
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三日月堀跡
武田信玄が田中城を攻め落とした後(1570年頃)に作った堀の跡地です。三日月の形が特徴で、馬出曲輪(うまだしくるわ)とも呼ばれています。敵が城内に侵入するのを防ぐための備えの一つで、田中城には計6か所築かれていました。ここは、下級武士たちの侍屋敷があった新宿から本丸に入るための「新宿二之門」があった場所で、門の外側を囲むように、三日月堀が造られていました。 史跡 住所藤枝市田中1丁目
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新宿一の門跡
下級武士たちの侍屋敷があった新宿と田中城の本丸を結ぶ道には、2つの門が置かれていました。この付近は、本丸を囲んでいた3重目の堀と土塁があった場所で、「新宿一の門」と呼ばれる門がありました。 史跡 住所藤枝市田中2丁目
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新宿木戸跡
六間川を境に北側が城内、南側は下級武士たちの侍屋敷がある新宿でした。ここは、城内と新宿の境目にあたり、城内に出入するための「新宿木戸」と呼ばれる木戸(門)が置かれていました。豊富な水量があった六間川は、田中城の外堀としても利用されていました。 史跡 住所藤枝市田中2丁目
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馬場・馬見所
この場所には、田中藩に仕える馬を飼育するための小屋(厩)や、藩主が馬の訓練の様子を見るための「馬見所(ばけんしょ)」がありました。厩の長さは90mほどあり、25頭の馬が飼育できるほどの大きさがあったと言われています。 史跡 住所藤枝市田中2丁目
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新宿二の門跡
下級武士たちの侍屋敷があった新宿と本丸を結ぶ道に設けられていた2つの門のうちの1つ「新宿二之門」があった場所です。本丸を囲んでいた2つ目の堀と土塁があった場所に置かれていた門で、門の外側には、敵の侵入を防ぐための「三日月堀」が築かれていました。 史跡 住所藤枝市田中2丁目
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本丸跡
田中城は徳川家康が鷹狩の際に度々滞在したと伝えられ、駿府城の西の守りとしても重要な役割を担っていました。田中城の中心である本丸には、天守閣を持たない平城が築かれ、本丸を中心に4つの曲輪と掘が同心円状に造られた全国的にも珍しい城郭の城でした。亀の甲羅のような形をしていたことから、「亀城」、「亀甲城」などとも呼ばれていました。現在、本丸の跡地には、西益津小学校が建っていて、当時の城は見ることができませんが、防衛や見張りのためのに本丸に置かれていた「本丸櫓」が、史跡田中城下屋敷に移築され、当時の様子を間近に見学することができます。 史跡 住所藤枝市田中1丁目
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御殿跡
「御殿」は、田中藩の政務を行っていたほか、藩主家族の生活の場となる建物など重要な施設があったところです。御殿の西側には、「清水御門」と呼ばれる門と、その外側に、本丸を囲んでいた3重目の堀「三の堀」があり、現在はその堀の一部が残ってます。 ※現在、跡地には西益津中学校校舎が建っています。学校敷地内には立ち入りができませんのでご注意ください。 史跡 住所藤枝市田中1丁目
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大手二の門跡
「大手二之門」は、藤枝宿と田中城を繋ぐ大手道に設けられていた2つの門のうちのひとつです。本丸を囲んでいた2つ目の堀と土塁があった場所に置かれていた門で、堀に架けられた橋を渡って門に入っていました。現在は、堀を渡るために架けられていた橋が再現されています。 史跡 住所藤枝市田中1丁目
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上本陣址
本陣とは、参勤交代の大名や勅使、院使、門跡、公家、高家、旗本などが、休憩、宿泊をするところでした。現在は空き地になっており、跡地を示す路面表示があります。 史跡 住所〒426-0025静岡県藤枝市藤枝
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浜小路
現在では、成田山前から藤枝北高校までの小さな道となってしまいましたが、かつては、田中城に通じる大手通りの東にあり、焼津の港に通じる道でした。戦前までは、商店が並び、活気がありましたが、道路の整備などでこの道を通る人も少なくなり、すっかりさびれてしまいました。成田山前には跡地を示す標木が建てられています。 史跡 住所〒426-0018静岡県藤枝市本町
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問屋場跡(下り)
藤枝宿の問屋場跡。幕府の公用旅行者のために人や馬の手配を行うところでした。現在は、上伝馬交番となっており、跡地を示す路面表示があります。 史跡 住所〒426-0025静岡県藤枝市藤枝3-1-23
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問屋場跡(上り)
藤枝宿の問屋場跡。幕府の公用旅行者のために人や馬の手配を行うところでした。現在は、民家になっており、跡地を示す路面表示があります。 史跡 住所〒426-0018静岡県藤枝市本町3-2-22
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一里塚跡(上青島)
上青島の一里塚は、江戸から51里(約200㎞)の地点にありました。昭和57年に発掘され、塚のかたちを表す円形の石積みが見つかりました。現在は駐車場となっていますが、道脇に石碑が建てられています。 史跡 住所〒426-0036静岡県藤枝市上青島
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一里塚跡(志太)
志太の一里塚は、江戸から50里の地点にあり、瀬戸川堤から西へ約50m、岡野歯科医院の裏と、熊切商店の前の街道の両側にありました。現在は、勝草橋のたもとに石碑が建てられています。 史跡 住所〒426-0071静岡県藤枝市本町3-3-22
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下本陣址
参勤交代の大名や勅使、院使、門跡、公家、高家、旗本などが、休憩、宿泊をするところです。現在は駐車場になっており、跡地を示す路面表示があります。 史跡 住所〒426-0025静岡県藤枝市藤枝
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田沼街道蹟
田沼街道は、藤枝宿と相良城を結ぶ全長約28kmの道です。相良藩主だった田沼意次がお国入りの時に、拡幅改修して整備されたものといわれています。藤枝宿の西木戸近くの瀬戸川堤付近から牧之原市の荻間川に架かる湊橋まで続いています。 史跡 住所〒426-0071静岡県藤枝市志太4-14
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東木戸門跡
藤枝宿の東の入口にあたる東木戸跡。木戸は朝6時に開けられ、夕方6時に閉まりました。以前はこの場所に跡地を示す標木が建てられていましたが、現在は西へ約70m進んだ東海道沿いに場所を移して建てられています。写真は、現在建てられている標木です。 史跡 住所〒426-0018静岡県藤枝市本町
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下屋敷跡
「下屋敷」は、城主の別邸のことで、江戸時代後半になると、田中城の南東隅に位置するこの場所に別荘庭園が置かれました。下屋敷には、築山や泉水、茶屋などが造られ、四季の景色を楽しんだといわれています。現在は、田中城の本丸にあった本丸櫓など、田中城ゆかりの建物4棟(市指定文化財)を移築、庭園が復元され、田中城跡めぐりの拠点となる史跡公園になっています。 文化財 観光名所 日本遺産構成文化財 住所藤枝市田中3丁目14−1
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田中城下屋敷
江戸時代後期の田中城主の下屋敷(別荘)が置かれていた場所で、本丸櫓を含むゆかりの建物を移築、復元し、美しい庭園とともに楽しむことができます。 田中城は駿府城の西の守りとして重要な役割を担っていたほか、徳川家康が鷹狩の際に度々滞在したと伝えられています。本丸を中心に4重の同心円を描く全国的にも珍しい城郭が特徴で「亀城」、「亀甲城」などとも呼ばれていました。かつての本丸は、小学校に姿を変えましたが、堀や土偶の一部が残され、円を描くように延びる街路からも当時の面影を感じることができます。 文化財 観光名所 日本遺産構成文化財 住所〒426-0012静岡県藤枝市田中3-14-1 URLhttps://www.city.fujieda.shizuoka.jp/kyodomuse/19/1445918025035.html
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旧東海道の松並木 (上青島地区)
浮世絵にも多く描かれる松並木は、冬は旅人の風や雪除け、夏は緑陰を与えていたほか、路標としての役割も持っていました。瀬戸の立場から少し西に行った上青島地区には約150mに渡り松並木が残されていて、往時の面影をたたえています。 自然・景観 日本遺産構成文化財 住所〒426-0036静岡県藤枝市上青島
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大慶寺 久遠の松
大慶寺は1253年頃の開創と伝わる古刹で、江戸時代には田中城の祈願寺として多くの信仰を集めました。境内の正面に大きくそびえる松は、約750年前に日蓮聖人がお手植えしたものと伝えられ「久遠の松」とばれています。根周り約7m、樹高約25mのクロマツで、「日本の名松100選」のほか、静岡県の天然記念物にも指定されている名木です。藤枝宿のほぼ真ん中に位置し、高い建物の無かった江戸時代には、藤枝宿の目印として多くの旅人を導きました。 神社・仏閣 観光名所 日本遺産構成文化財 住所〒426-0025静岡県藤枝市藤枝4-2-7 URLhttps://www.daikeiji.jp/
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蓮生寺
平家物語「敦盛の最期」で敦盛の首をとり、のちに出家した熊谷次郎直実ゆかりの寺です。藤枝宿の長者であった福井氏が、熊谷次郎直実(法名・蓮生)の法力を畏敬し、弟子となり家財を投げうって建立したと伝えられています。田中城藩主・本多氏の菩提寺としても有名で、境内のイブキは藤枝市の天然記念物に指定されています。 神社・仏閣 観光名所 住所〒426-0018静岡県藤枝市本町1-3-31
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飽波神社
仁徳天皇6(318)年創建と伝えられる、志太平野最古の社で、平安時代に編纂された「延喜式神名帳」に記載のある格式高い神社です。地元では「あくなみさん」と呼ばれ、開運厄除のほか、サッカー上達祈願などでも親しまれています。長唄・三味線・囃子方の演奏で地踊りを披露し、屋台を曳き回す「藤枝大祭り」が3年に一度、盛大に執り行われます。このお祭りは江戸時代の藤枝宿場町の祭礼にルーツを持つとされ、明治時代以降に現在の形式が定着したようです。神社の境内でも踊りが奉納され、「飽波神社大祭の奉納踊り」として市の無形民俗文化財にも指定されています。(「飽波神社大祭の奉納踊り」は日本遺産構成文化財です) 神社・仏閣 観光名所 住所〒426-0025静岡県藤枝市藤枝5-15-36 URLhttps://akunami.amebaownd.com/
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姥ケ池
江戸時代、田中城では木や竹で作った水道管をこの池から城内まで延ばし、飲料水を引き入れていました。池の形から「ひょうたん池」とも呼ばれ、今でもきれいな水が湧き出ています。池には、3年に一度開催される「藤枝大祭り」の山車の車輪(木で作られたタイヤ)が、保管のために沈められています。 自然・景観 住所藤枝市立花2丁目
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六間川
六間川は、田中城の西側にある青池を水源とした豊富な水量により田中城の外堀として使われるなど重要な役割を果たしていました。また、瀬戸川を経て焼津湊や小川湊とも結びついていて、田中城からの舟運に使われていたとされています。江戸時代には、現在の史跡田中城下屋敷の敷地内を流れていたとされ、その形跡が復元されています。 自然・景観 住所藤枝市田中2丁目
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姥ヶ池
池の形から別名「ひょうたん池」とも呼ばれています。現在でもきれいな水が豊富に湧き出していて、藤枝の大祭りの山車の車輪を沈めている地区もあります。江戸時代、田中城ではここから木や竹で作った水道管を城内まで延ばし、飲料水を引き入れていました。 自然・景観 観光名所 住所〒426-0013静岡県藤枝市立花2-9-10
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染飯茶屋跡
瀬戸の染飯は、東海道が瀬戸山の尾根伝いに通っていた頃から尾根の茶店で売り始めたといわれ、天正10年(1582)の「信長公記」に、その名が記されています。東海道が平地を通るようになっても現在の茶屋蹟で江戸時代の終わり頃まで売られていました。現在は店舗となっていますが、跡地を示す石碑が道路の脇に建てられています。 文化財 史跡 住所〒426-0036静岡県藤枝市上青島37
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千貫堤・瀬戸染飯伝承館
東海道名物の「染飯(そめいい)」と、大堤防「千貫堤(せんがんづつみ)」を中心とした資料を展示しています。染飯は、クチナシの実で黄色く染められたご飯(おにぎりのようなもの)で、その歴史は戦国時代にまで遡るといわれ、足腰の疲れに効く食べ物として人気を集めました。「東海道中膝栗毛」の中でも名物として登場するほか、茶店で田舎おやじにまんまと騙され、酒代を散財してしまう滑稽なエピソードも描かれており、日本遺産の構成文化財のひとつにもなっています。千貫堤は、大井川の氾濫から村を守るために長さ360mにわたり路銀一千貫を投じて築造された堤防で、現在はその一部が残され、市指定史跡となっています。 観光名所 住所〒426-0035静岡県藤枝市下青島1006-3 URLhttps://www.city.fujieda.shizuoka.jp/bunka/bunka/denshokan/1465364838991.html