古地図で巡る駿州の旅【興津宿編】

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江戸時代に描かれた詳細な絵地図「東海道分間延絵図」を用いた、日本遺産「駿州の旅」(静岡市・藤枝市)を楽しむことができるマップです。古地図を見ながら歩くと、現代の景色の中にもたくさんの江戸時代の名残があることがわかります。古地図は全8エリアに分かれており、どの宿場町も見どころ満載です。江戸時代の宿場町を想像しながら、まちあるきにでかけてみませんか?

update date: 2022.04.15

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Number of spots : 9spots

  • 清見寺 清見寺 no name

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    風光明媚な高台にあり、東海道屈指の名刹。 清見関が設けられた際にその守護として仏堂が建立されたのが始まりといわれています。1261年に再興され、足利尊氏、今川義元の帰依を受けました。徳川家康公の幼少期に教育を受けた手習いの間、家康公が接木したといわれる臥龍梅などがあり、江戸時代は徳川家の帰依を受けていました。朝鮮通信使の接待がここで行われ、域内全域が朝鮮通信使遺跡として国の史跡に指定されているほか、室町時代や江戸時代の貴重な絵画・彫刻、書、工芸品などを所蔵し、庭園は国の名勝に指定されています。 日本遺産構成文化財 住所〒424-0206静岡県静岡市清水区興津清見寺町418 URLhttps://seikenji.com

  • 宗像神社 宗像神社

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    平安中期に創建された神社です。祭神は奥津比売命を中心とした宗像三女神で、航海安全の神様です。このオキツヒメが興津の地名の由来とされています。江戸時代に弁天信仰と同化され境内の池を弁天池、境内の森は女体の森と呼ばれ、駿河湾の船人からよく見えたことからここを目当てに舟を漕いだといわれています。7月31日の例祭では、探湯や茅の輪くぐりの神事が行われます。 神社・仏閣 住所〒424-0204静岡県静岡市清水区興津中町554

  • 興津川 興津川

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    興津宿の東側を流れる興津川は、歌川広重の浮世絵『東海道五拾三次之内 奥津 興津川』として描かれています。浮世絵にもあるとおり、江戸時代は駕籠で担いで川を渡されていました。10月5日から3月5日までは仮板橋が架けられ無賃で渡ることができました。 自然・景観 住所424-0203静岡県静岡市清水区興津東町付近

  • 興津坐漁荘 興津坐漁荘

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    明治以降、興津は風光明媚な海岸があり、政財界の実力者の別荘地でした。 坐漁荘は明治・大正・昭和にわたる大物政治家、西園寺公望公が政治の第一線から退いた後に建てた別荘で、ときの首相や政府関係者が相談に訪れ「興津詣で」と呼ばれました。現在の建物は2004年に復元されたものですが、当時の優れた職人の技術が忠実に再現されています。 観光名所 住所〒424-0206静岡県静岡市清水区興津清見寺町115 URLhttps://ayu-dream.com/zagyoso/index.html

  • 一碧楼 水口屋跡(脇本陣)(水口屋ギャラリー) 一碧楼 水口屋跡(脇本陣)(水口屋ギャラリー)

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    興津宿の西町にあった脇本陣の跡地。明治時代以降は政治家や皇族、財界人等の別荘旅館として愛されていました。昭和60年に旅館は廃業しましたが、現在はギャラリーとして代々水口屋に受け継がれてきた貴重な資料が展示されています。 観光名所 住所〒424-0205静岡県静岡市清水区興津本町36 URLhttps://www.suzuyo.co.jp/suzuyo/verkehr/annex/index.html

  • 興津宿東本陣跡(興津宿公園)

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    興津宿には本陣が二軒ありましたが、東町にあったことから東本陣と呼ばれていました。現在は、跡地に興津宿公園が整備されており、宿場の風情を感じさせる憩いの場となっています。 史跡 住所〒424-0205静岡県静岡市清水区興津本町234

  • 清見関跡

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    白凰年間に設けられていた関所で清見関と呼ばれていました。関所の鎮護として仏堂が建立され、それが清見寺の創建として伝えられています。現在はその跡地に石碑が建っています。 史跡 住所〒424-0206静岡県静岡市清水区興津清見寺町付近

  • 興津宿西本陣跡

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    興津宿の二軒の本陣の内、西町にあったことから西本陣と呼ばれ、代々手塚家が本陣職をつとめていました。現在は跡地とされる場所に石柱が建てられ、旧態は残っていませんが、相当に広い屋敷であったといわれています。 史跡 住所〒424-0205静岡県静岡市清水区興津本町170

  • 身延道道標・石塔寺跡

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    身延道は、駿河と甲州を結ぶ交易路として整備されましたが、江戸時代には日蓮宗の総本山・身延山久遠寺への身延詣の道として確立されていました。駿州往還(甲斐往還)とも呼ばれ、現在の山梨県甲府市から万沢(山梨県南巨摩郡南部町)から分岐し、岩淵(富士市)、由比、興津の東海道と交わっていました。その身延道の入口とされる場所には、石塔寺という小さな寺がありました。現在は身延道入口之碑の道標が立っています。 史跡 住所〒424-0204静岡県静岡市清水区興津中町付近