古地図で巡る駿州の旅【興津宿編】

江戸時代に描かれた詳細な絵地図「東海道分間延絵図」を用いた、日本遺産「駿州の旅」(静岡市・藤枝市)を楽しむことができるマップです。古地図を見ながら歩くと、現代の景色の中にもたくさんの江戸時代の名残があることがわかります。古地図は全8エリアに分かれており、どの宿場町も見どころ満載です。江戸時代の宿場町を想像しながら、まちあるきにでかけてみませんか?
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史跡

白凰年間に設けられていた関所で清見関と呼ばれていました。関所の鎮護として仏堂が建立され、それが清見寺の創建として伝えられています。現在はその跡地に石碑が建っています。 史跡 住所〒424-0206静岡県静岡市清水区興津清見寺町付近 URL-->

興津宿の二軒の本陣の内、西町にあったことから西本陣と呼ばれ、代々手塚家が本陣職をつとめていました。現在は跡地とされる場所に石柱が建てられ、旧態は残っていませんが、相当に広い屋敷であったといわれています。 史跡 住所〒424-0205静岡県静岡市清水区興津本町170 URL-->

身延道は、駿河と甲州を結ぶ交易路として整備されましたが、江戸時代には日蓮宗の総本山・身延山久遠寺への身延詣の道として確立されていました。駿州往還(甲斐往還)とも呼ばれ、現在の山梨県甲府市から万沢(山梨県南巨摩郡南部町)から分岐し、岩淵(富士市)、由比、興津の東海道と交わっていました。その身延道の入口とされる場所には、石塔寺という小さな寺がありました。現在は身延道入口之碑の道標が立っています。 史跡 住所〒424-0204静岡県静岡市清水区興津中町付近 URL-->
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風光明媚な高台にあり、東海道屈指の名刹。 清見関が設けられた際にその守護として仏堂が建立されたのが始まりといわれています。1261年に再興され、足利尊氏、今川義元の帰依を受けました。徳川家康公の幼少期に教育を受けた手習いの間、家康公が接木したといわれる臥龍梅などがあり、江戸時代は徳川家の帰依を受けていました。朝鮮通信使の接待がここで行われ、域内全域が朝鮮通信使遺跡として国の史跡に指定されているほか、室町時代や江戸時代の貴重な絵画・彫刻、書、工芸品などを所蔵し、庭園は国の名勝に指定されています。 日本遺産構成文化財 住所〒424-0206静岡県静岡市清水区興津清見寺町418 URLhttps://seikenji.com
神社・仏閣
自然・景観
観光名所

明治以降、興津は風光明媚な海岸があり、政財界の実力者の別荘地でした。 坐漁荘は明治・大正・昭和にわたる大物政治家、西園寺公望公が政治の第一線から退いた後に建てた別荘で、ときの首相や政府関係者が相談に訪れ「興津詣で」と呼ばれました。現在の建物は2004年に復元されたものですが、当時の優れた職人の技術が忠実に再現されています。 観光名所 住所〒424-0206静岡県静岡市清水区興津清見寺町115 URLhttps://ayu-dream.com/zagyoso/index.html



