#あちこちのすずさん 長野大学

長野大学の社会福祉学部と環境ツーリズム学部の有志9人で制作しました。 長野県上田市在住で戦争を体験された清水立義さん(93)と塩崎武彦さん(82)に、2021年7月に上田市でインタビューをしました。 地図は信濃毎日新聞が「まちなかキャンパスうえだ」で開催したワークショップで制作しました。
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清水さんの戦争と平和
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小県(ちいさがた)郡真田出身の清水さんは、7人兄弟の長男です。昭和17年に父を亡くしてから、学校をやめ、家業を継ぎました。19年には特攻を志願し、翌年入隊しました。静岡、神奈川と移り、7kgの爆薬を持って地雷の役割を果たす訓練も受けました。ここまでには、国を挙げて戦争に向けた軍事教育が行われてきました。国のためならば苦しさを感じず、兵士として戦争に行きたい一心でした。終戦後を生きてきた今では、二度と戦争があってはならない、戦争以外の方法を模索するべきだと強調します。 清水さんに「平和とは何ですか?」と質問しました。すると、清水さんは「とんとんとんからり」と、「隣組」という歌を歌い、その歌こそが平和を表すと仰いました。「隣組」には、みんな仲間だから困ったときには助け合おうというメッセージが込められています。清水さんの話を聞いて、日本が平和であるためには、「隣組」にある助け合いの精神を忘れないことが重要だと感じました。 語り:清水立義さん
当時の遊びで行っていた「戦争ごっこ」
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取材をさせて頂いた清水さんと塩崎さんのどちらも当時、遊びの一環として「戦争ごっこ(兵隊ごっこ)」を行っていました。当時、全国の男の子の間で流行していたこの遊びはお二方も行い、同年代の子どもと小学校などの近所で行っていました。当時戦争をしていたアメリカだけでなく、ドイツなどの他国を相手に見立てて遊んでいました。当時の兵隊ごっこなどの遊びは戦意高揚の為に、学校教育に取り入れることもありました。 「戦争ごっこ」は当時の子どもの主流な遊びでありましたが、その他の楽しみはほとんどなかった印象が残っているそうです。 語り:清水立義さん/塩崎武彦さん
えっ。お弁当箱に穴が空いちゃった…。
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さーてと。お昼にしようかな…。 えっ、なんで梅の部分だけ穴空いてるの? えええ!? 大切にしていた弁当箱なのに…。 お、お母さんー!!! 「メンパ」というヒノキで作られたお弁当箱から、アルマイトで作られた金属製のお弁当箱へと変わりました。 その金属製のお弁当箱で、飯の中心に副食として赤い梅干しを乗せた「日の丸弁当」が作られたり、当時米が貴重だったため、大豆を混ぜたご飯が詰められていました。 日の丸弁当は、特に戦時中、興亜奉公日(毎月1日)の食事に奨励されたことで知られており、戦時中の代表的な食べ物の一つとも考えられています。 梅干しの酸味成分により、梅干しと触れている部分に穴が空いてしまうという現象が起きていました。 語り: 塩崎武彦さん
アメリカの薬莢は高く売れる
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戦争中は様々なものが充実をしていませんでした。例えば、食べ物は自分たちで自給自足の生活が始まりました。(お米やお野菜、麦など)特にお米の価値というのは高く、そのため当時は「もったいない精神」を基に人々は生活を送っていました。こういった時代であるため、もちろん子どもが親からお小遣いをもらえるというものはあり得ませんでした。アンゴラウサギの毛皮を剥ぎ、お金に換算してもらっていました。他にも畑に落ちている機関砲の薬莢は高く売れました。そのため子どもたちはいろんな人のお家の畑に忍び込み、薬莢を拾っては屑屋に行きお金に換算してお金を貯めていたのです。 取材した感想として、このお話からお金の大切さと価値、そして生きていく力を感じました。 語り:塩崎武彦さん