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20 聖醫桜所石川先生誕生之地
20聖醫桜所石川先生誕生之地せいいおうしょいしかわせんせいたんじょうのち 上沼字籠壇66-1先 幕末・明治の激動の時代に医学で国に 貢献した、石川櫻所誕生の地です。 伊東玄朴に西洋医学を学び、長崎にて 蘭学を学んで技術を習得しました。 仙台藩医員となり、その後江戸幕府の 徳川慶喜に仕えました。 明治4年(1871)からは軍医として 活躍した登米市偉人の一人です。
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19 絵馬・鏡山沖之右衛門
19絵馬・鏡山沖之右衛門えま・かがみやまおきのえもん 桜場 八幡神社 上沼字舘浦118 鏡山沖之右衛門は桜場村要害に生まれ、 日本相撲史上の知名人。 絵馬は、元禄6年(1693)祈願成就の 礼拝の際、氏が奉納したもので、二人の 強豪が土俵上で、がっぷり四つに組んで いる姿が描かれています。 ▼「宮城の絵馬」より
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18 奥州桜場城跡
18奥州桜場城跡おうしゅうさくらばじょうあと 永壽山 保昌寺 上沼字舘浦90 桜場城は、延元3年(1338)、里見蔵人太郎 義実が桜場邑の初代城主として入封以来、 天正19年(1591)、11代城主桜場新六郎 帯刀の代に滅亡するまで、253年の長きに 亘ってその役割を果たし続けた由緒ある城です。 ●お問合せ:0220-34-6755 ▲令和3年3月建立 文化財説明看板
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17 御室の藤
17 御室の藤おむろのふじ 上沼字舘15-2先 桜場館の「三宝荒神」を祀る御室社にあります。 昔から土地の人々は「三宝荒神」を信仰し、 悪疫流行から守護されているといわれています。 すでに親株は枯れ、子株のみ数本残存し、現在は 私有地となっています。
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16 桜場高石
16 桜場高石さくらばたかいし 上沼字要害94 宮城県登米総合産業高校の敷地内にあり、 坂上田村麻呂将軍が征夷の際、王化に浴し た土地に建てた標石であるなどと伝えられ ています。
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15 大日神社と正中二年の碑
15 大日神社と正中二年の碑だいにちじんじゃとしょうちゅうにねんのひ 上沼字要害38先 尾張の知多郡から天照皇大神を勧請し、 当所に奉祀しました。 後に大日如来となり「正中二年の碑」 (1325)を建てました。 明治9年(1876)、大日神社(大日霊神)に 改められました。
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14 南殿の桜(飯綱神社)
14 南殿の桜なでんのさくら 飯綱神社 上沼字境前58先 市指定天然記念物。 武烈天皇舟遊びの折、襟につい ていた桜の枝が海に落ち、この地 に漂着したものを里人が植えたと いわれています。 「桜場」の地名はこの桜樹に よるものと伝わっています。
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12 愛宕神社
12 愛宕神社あたごじんじゃ 上沼字弥勒寺 寺山1-1先 弥勒寺の四十八坊の一つで、愛宕大権現を、 龍頭山に祀ったのが始まりとされています。 明治2年(1869)に発せられた太政官令に より神仏混淆を改め、神社として今日に至っています。
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11 朝日館跡
11 朝日館跡あさひだてあと 上沼字長崎63先 州崎城ともいわれ源頼朝の家臣、一栗入 道一秀の居城でしたが、北上川氾濫により 将来性がないと考え、玉造郡一栗村に移住し、 この城を菅原右近利通に譲ったといわれています。
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10 粧坂の鏡石
10 粧坂の鏡石けしょうざかのかがみいし 大泉粧坂 上沼字大泉門畑12先 大泉天神山と伊勢山の山間を流れる沢に 「鏡石」はありました。現在は基盤整備の 際に土地改良区が建立した石碑があります。 昔は二つ並んでいて平らな石の面に沢の 水を掛けると鏡のように顔が映ることから 「鏡石」呼ばれていました。 これにまつわる伝説が多くありました。
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9 大白山 長承寺(奥州三十三観音 第23番札所)
9 大白山 長承寺たいはくさん ちょうしょうじ 奥州三十三観音 第23番札所 上沼字大泉門畑18 本尊は釈迦牟尼仏。 弘仁元年(810)慈覚大師が東奥巡錫の 折、大泉に柴庵を結び、千手観世音菩薩坐 像や諸尊像を自ら彫刻されたと伝えられて います。 境内に観音堂、妙理堂及び子安堂があります。 ●お問い合わせ:0220-34-6771
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8 本宮遺跡
8 本宮遺跡もとみやいせき 上沼字新本宮236-1先 大泉遺跡ともいわれています。 1200年から1300年前の住居跡と思われます。 昭和22年(1947)9月の大泉堤防決壊の時に 発見されました。他に木柱10本、大甕11個、稲、 大麦、小麦、茄子などの種子が出土しました。
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7 経壇森
7 経壇森 きょうだんもり 上沼八幡神社先 上沼字八幡山47先 八幡神社の東北に位置し、7ヵ所の壇(塚) があることから七ツ森ともいわれています。 治暦年中安倍貞任が反逆を企てたので、 追討のため鎮守府将軍源頼義が出陣し、 ここに屯営を構え、祈誓の経文を七個の 塚に築いて旌旗とともに埋めたといわれています。
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6 上沼 八幡神社
6 上沼 八幡神社うわぬま はちまんじんじゃ 上沼字八幡山47 天喜5年(1057)源義家が安倍貞任、 宗任追討のためこの山に屯営し戦勝を 祈願しました。 凱旋にあたり治暦年間(1065~1069)に この地を選び一社を創建しました。 この時に杉二本が手植えされ、姥杉として 市指定天然記念物になっています。 ●お問い合わせ:0220-34-6747 ▼秋のもみじ
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5 隆池山 大龍寺
5 隆池山 大龍寺りゅうちざん だいりゅうじ 上沼字本宮111 寛文元年(1661)奕葉山昌傳庵十二世 意天存的和尚により開堂されました。 隆池山の由来は寺の周囲に大小様々の 池があり、寺の後方の山には樹齢二百年 を数える鬱蒼とした松林、前方には大き な沼があり北の松島といわれた景観を擁 し、さながら龍の遊ぶ池のようであった といわれています。 ●お問合せ:0220-34-3446
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4 上沼小学校跡「金屋敷」
4 上沼小学校跡「金屋敷」うわぬましょうがっこうあと「かなやしき」 上沼字浦沼86 明治6年(1873)大泉、上沼、弥勒寺、 桜場に4校を創設し、大龍寺の仮設校舎で 開始しました。8年、大泉、上沼、弥勒寺 の三村が合併し上沼村となり、上沼小学校 は大泉、弥勒寺校の2校と統合しました。 明治11年上沼村中央の「金屋敷」に新築 移転し、大正12年(1923)まで使用されました。
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3 上沼城址
3 上沼城址うわぬまじょうし 上沼字浦沼124先 上沼城または別名鶴ヶ館(城)ともいわ れています。 千葉備後守正傳が初代(享徳元年1452年没) 以後約140年間この地を治めました。 七代 千葉豊後守の時代に、豊臣氏の軍勢 に攻められ落城、豊後守は家臣伊藤和泉祐 国をたより鴇波村(現在の豊里町)に落ち 延びました。 城址周辺に沼があり上沼と呼んでいたこ とが地名の由来になったといわれています。
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1 上沼中央尋常小学校(通称:住吉学校)
1 上沼中央尋常小学校(通称:住吉学校) うわぬまじんじょうしょうがっこう(つうしょう:すみよしがっこう) 上沼字弥勒寺住吉73-3先 明治33年(1900)上沼村の中央地区である 弥勒寺住吉に上沼中央尋常小学校を創設しま した。 通称 住吉学校といわれ、明治33年から大正 15年(1926)までの26年間弥勒寺学区の子弟 教育の任を果たしました。
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13 長徳山 弥勒寺
13 長徳山 弥勒寺ちょうとくさん みろくじ 上沼字弥勒寺寺山63 木造弥勒菩薩如来が御本尊です。 建立は白鳳5年(649)。弘法大師が 御巡鍚のおり、弥勒尊の大法を修したと 伝えられています。平泉藤原氏の祈願所 とも伝えられており、山内には、不動堂、 山王堂、十王堂、千体地蔵堂、宝珠堂など 文化財が点在し一見の価値があります。 ●お問い合わせ:0220-34-6763
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2 奥の細道(芭蕉の道)
2 奥の細道(芭蕉の道)おくのほそみち(ばしょうのみち) 上沼字弥勒寺住吉39-1先 松尾芭蕉が通った道といわれていますが、 明らかではありません。 石巻~柳津~戸今(登米)~上沼~花泉を 通過したといわれています。 随行の曽良の旅日記には「上沼新田町」 「長根まち」を通って「阿久津(涌津)」 「加沢(金沢)」そして「一関(現在の平泉)」 に至る記述があります。