文化財マップ(中央地区)
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「あきたおさんぽマップ」は、秋田市の観光・飲食や文化財の情報、昭和や江戸時代後期の古地図を見ることができるデジタルマップです。
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update date: 2024.11.11
このマップ(地図)を見るNumber of spots : 43spots
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大手門の遊歩道
浮桟橋タイプの遊歩道は、JR秋田駅から千秋公園までの新たな歩行者動線として利用できるほか、例年7月上旬頃に開花するハスの花を間近で見ることができます。ハスに囲まれながら散策をお楽しみください。 URL オフィシャルサイト
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千秋美術館
国内外の優れた作品による企画展等を開催。 佐竹曙山・小田野直武らの秋田蘭画、平福穂庵・百穂、木村伊兵衛など秋田ゆかりの作家作品を多く所蔵。 幽玄主義の抽象絵画としてニューヨークで高い評価を受けた岡田謙三の記念館を併設。(秋田蘭画の展示期間についてはお問い合わせください。) 開館時間 10時〜18時(入館17時30分まで) 休館日 年末年始、アトリオン全館点検日、臨時休館あり アクセス 秋田駅から徒歩約5分 URL オフィシャルサイト
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那波伊四郎商店倉庫《国登録有形文化財》
レトロな雰囲気の倉庫。昭和10年頃の建築。
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御隅櫓 おすみやぐら
久保田城内には八つの御隅櫓がありましたが、市政100周年を記念して復元された御隅櫓は本丸の北西隅に位置していたものです。 櫓とは、見張り場としての役割と「矢倉」すなわち武器庫としての役割を持っていました。 近世の櫓は、隅櫓と多聞櫓(多聞長屋)に分けられますが、土塁や石垣等の城の囲いに沿って建てられる多聞櫓に対して、城の囲いのコーナー部に建てられる櫓を隅櫓と呼んでいます。物の内部では、佐竹氏の歴史を解説したパネル展示を行っていて、城下町の模型は緻密で、当時の町がよくわかります。 久保田城御隅櫓は、史料に記されている2階造りを基本とし、その上に展望室を加えて復元されたものです。 展望台から市街が一望できます。 開館時間 9時〜16時半 休館日 12/1〜3/31 アクセス 秋田駅から徒歩約15分 URL オフィシャルサイト
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千秋公園(久保田城跡)《市指定名勝》
慶長7年(1602年)から、明治2年(1869年)の版籍奉還まで、12代267年間続いた秋田藩20万石佐竹氏の居城、久保田城跡です。 常陸から国替えとなった初代秋田藩主佐竹義宣が、慶長8年に自然の台地を利用して築城したもので、石垣や天守閣を持たない平山城であったことが特徴です。 明治29年(1896年)に近代公園設計の先駆者で祖庭ともいわれる長岡安平の設計により公園として整備され、秋田県出身の漢学者狩野良知が千秋公園(当時は「千秋園」)と命名しました。 その由来は、秋田の「秋」に長久の意の「千」を冠し、長い繁栄を祈ったものといわれています。 昭和59年(1984年)佐竹氏15代故義榮氏の遺志によって秋田市に寄贈されました。 100年以上の歴史をもつ全国の城跡公園および近代公園のさきがけとして貴重です。 桜の名所でもあり、秋田市民の憩いの場で昔は公園内に動物園がありました。 URL オフィシャルサイト
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鐘楼
毎日午前7時と午後9時に鳴らしている鐘。 時鐘は、寛永16年(1639年)二代藩主佐竹義隆が城内二の丸の一角に鐘楼を設置したのが始まりとされ、幾度かの改鋳、移転を経て、明治25年(1892年)現在の位置に建設されました。 昭和18年(1943年)に太平洋戦争により供出されましたが、同23年「平和の鐘」として復活しました。 しかし同43年には、鐘楼(当時木造)の老朽化等の理由により廃止されました。 現在の鐘は同48年に三たび復活したもので、公募による愛称「千秋の鐘」として親しまれています。 URL オフィシャルサイト
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秋田県立美術館
「レオナール・フジタ」と呼ばれパリで活躍した洋画家・藤田嗣治など、公益財団法人平野政吉美術財団所蔵作品の展示をメインとしている美術館。 秋田の祭りと暮らしを描いた世界最大級の大壁画「秋田の行事」(高さ3.65m、幅20.50m)は必見です! 秋田市の中心市街地にある千秋公園を望む地といった特徴を活かし、「ここにしかない魅力のある美術館」をコンセプトに設計されました。 また、旧県立美術館の持つ最大の特徴であり県民の皆様の心に溶け込んでいる三角形屋根に呼応するように、三角形をモチーフとしたデザインになっています。 設計者は、独学で建築を学び、プリツカー賞、文化勲章など数多くの賞を受賞し、国内はもとより海外からも高い評価を得ている安藤忠雄。 壁の支えや柱のない螺旋階段、水庭越しに千秋公園の美しい風景を存分に楽しむことが出来る解放感あるラウンジ空間、そして美術館と街とをつなぐ大きな三角形吹抜けのエントランスホールなど県立美術館にはたくさんの見どころがあります。 展示物だけでなく、時間や四季により表情の異なる美術館建物をぜひご覧ください。 開館時間 10時〜18時 休館日 不定休 アクセス 秋田駅から徒歩約10分 URL オフィシャルサイト
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旧金子家住宅《市指定有形文化財》
金子家は、江戸時代後期に質屋・古着商を開き、明治初期に呉服・太物(綿織物・麻織物)卸商を創業し、昭和57年までこの建物で商売が営まれていました。 明治20年(1987)建築で、江戸時代後期の秋田の町家形式をよく伝えています。 平成8年に所有者から秋田市へ寄贈され、平成9年に江戸時代後期の伝統的な建物として、秋田市の有形文化財として指定されました。 建物は、主屋一棟と土蔵一棟からなっています。 屋根の上の防火用の天水甕に注目! 開館時間 9時半〜16時半 休館日 年末年始 アクセス 秋田駅から徒歩約15分 URL オフィシャルサイト
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民俗芸能伝承館 (ねぶり流し館)
秋田市を代表するまつり「竿燈まつり」をはじめ、土崎神明社祭の曳山行事や太平山三吉神社の三吉梵天祭など、秋田市の民俗行事に関する資料を展示しています。 1階ホールでは本物の竿燈に触れ持ち上げることができ、定期的に竿燈会により行われる実演も間近で見ることができます。 開館時間 9時半〜16時半 休館日 年末年始 アクセス 秋田駅から徒歩約16分 URL オフィシャルサイト
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武家屋敷
藩政期に建てられたと考えられる建物です。 細い路地に建ち、近世の武家町を今に伝えます。
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秋田の竿燈《国指定重要無形民俗文化財》
提灯を揺らめかせ、稲穂に見立てた竿燈を操りながら力と技を競う竿燈まつり。 国重要無形民俗文化財に指定され、東北三大まつりのひとつにも数えられている夏の風物詩です。 竿燈まつりの由来は諸説ありますが、夏の睡魔やけがれ、悪疫などを払う「ねぶり流し」「眠り流し」と呼ばれる七夕行事を起源とする説が有力です。 厄よけやみそぎをして五穀豊穣を祈る行事として、何百年もの間庶民に受け継がれてきました。 真夏のまつりは数多くありますが、竿燈まつりは何よりも職人芸で観衆を熱狂させるのが特徴です。 夜竿燈では、灯りをともした280本もの竿燈が大通りに勢ぞろい。 「ドッコイショー、ドッコイショー」の掛け声が響くなか、差し手たちは大きな竿燈を手のひら、額、肩、腰へと自在に操ります。 そんな職人芸は、子どもの頃から鍛えてきたバランス感覚や日々の訓練の賜物。 これを昼竿燈(竿燈妙技会)で競い合い、技を高め合い、次の世代へと受け継いでいくのです。 また、夜竿燈を終えた後は、各町内で「もどり竿燈」を見ることができます。 名残惜しいお囃子の音色とまつりの余韻とともに、真夏の夜はふけていきます。 ★竿燈について知る→竿燈まつり ★竿燈を体験する→体験 URL オフィシャルサイト
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石敢当 いしがんとう(せきがんとう、敢当石〈かんとうせき〉ともいう)
石敢当とは、中国発祥の魔除けの石標。 県内でも数十基確認されており、ここの石敢当は市内で最大と考えられます。 近くには土に埋もれている頑固者の石敢当も! T字路の突き当たりに多く設けられているので、みんなも探してみよう。
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新政酒造《国登録有形文化財》
銘酒新政の酒蔵で嘉永5年(1852)創業。 日本醸造協会で発売されている、昭和5年(1930年)に採取された「きょうかい6号酵母」の発祥蔵としても有名です。 新政酒造は、秋田駅の南西側にある秋田市大町地区に位置します。 県内最大河川である雄物川で運ばれた米が、旭川の川岸で荷揚し備蓄されたため、大町地区は古くから酒造業が盛んでした。 嘉永5年(1852)に旧四十間堀川反町(現大町の一部)に米問屋の佐藤卯兵衛が創業した新政酒造の酒銘「新政」は、明治政府が施策の大綱とした「新政厚徳」に共感した卯兵衛が名付けたものです。 大正元年(1912)に合名会社佐藤卯兵衛商店として、昭和28年(1953)に新政酒造株式会社として法人組織となりました。 屋根の庇を大きく張り出す鞘屋根は、雪国である秋田の特徴を示しています。 また、旧感恩講東籾蔵及び米蔵と旧感恩講西籾蔵については、貧民救済施設「感恩講」の遺構としても大変貴重な建物です。 ★詳しく知る→新政酒造 URL オフィシャルサイト
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川村鐵工所
当地域は旧町名を鍛冶町と言い、江戸期には鍛冶屋さんが多く見られました。 現在はこの川村鐵工所ほか数軒が残るのみ。 向かいには金神様を祀る金神社が鎮座しています。
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旧松倉家住宅《市指定有形文化財》
旧松倉家住宅が所在する旧馬口労町(きゅうばくろうまち)は、久保田城下の外町(とまち)の南に位置し、羽州街道と酒田街道(羽州浜街道)が交わる箇所にあります。江戸時代には馬市が開かれ、旭川にかかる刈穂橋(かりほばし)のたもとに船着場があるなど、大変にぎわった交通の要衝でした。 松倉家は寛延2年(1749)頃に始まる商家で、当初は油屋を営み、明治になり大地主として穀物の取り扱いなども行っていました。 旧松倉家住宅は、主屋(おもや)〈明治39年(1906)〉、米蔵〈天保10年(1839)以前〉、文庫蔵〈慶応2年(1866)〉、覆屋(おおいや)〈明治末期〉で構成される県内屈指の大規模な町家で、建物は主屋の間口に切妻(きりつま)屋根をかけた妻入り造り、内部は通り庭に沿って各部屋を2列に配置し、さらに前部に座敷を続けて鍵座敷型の間取りにするといった造りとなっています。 江戸時代後期以降の秋田の町家形式をよく伝える貴重な建造物として、平成29年(2017)に秋田県の有形文化財に指定されました。 現在は、当時のたたずまいをいまに伝える貴重な文化財として未来へ継承しつつ、貸室として座敷や米蔵を貸し出したり、一部をフリースペースとして開放したり、さまざまなイベントを開催したりと、気軽に立ち寄り、人が集いつながる、にぎわいをもたらす空間へと生まれ変わりました。 アクセス 秋田駅から徒歩約27分。 URL オフィシャルサイト
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あきた文学資料館
あきた文学資料館は、秋田県立図書館の分館として平成18年4月に秋田市中通に開館しました。 秋田にゆかりのある作家の資料等を収集・保存・公開し、あわせて県民の多彩な文学活動の拠点となっています。 文学講座や展示を通じて、文学の楽しさを幅広く発信します。 開館時間 10時〜16時 休館日 月曜日 年末年始、特別整理期間 アクセス 秋田駅から徒歩約10分 URL オフィシャルサイト
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那波紙店《国登録有形文化財》
那波紙店は、秋田駅の南西側にある秋田市大町地区に位置します。 明治11年(1878)に初代那波伊四郎氏が、秋田藩御用聞商人の那波商店から分家して現在地に創業しました。 以前は茶・砂糖などの販売が中心でしたが、明治19年(1886)頃から和紙を中心にした商売を始め、昭和26年(1951)に株式会社となりました。 藩政期における商人町の中心であった大町地区に所在し、店舗兼主屋の屋根形式や意匠は、藩政期の秋田の典型的な町家形式を色濃く残しています。 詳しく知る→ 那波紙店 URL オフィシャルサイト
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喰処北洲
建物は昭和30年(1955)建築。 URL オフィシャルサイト
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感恩講発祥地の碑
日本初の民営による窮民・孤児救済機関「感恩講」があった場所。 那波家の8代目当主・那波祐生が江戸時代の文政12年(1829)におこしました。 今で言うNPO(民間非営利組織)のさきがけ。 碑の形は佐竹家裏紋で、源氏香の中でも花散里のデザイン。
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立派な蔵
もともと川尻に住む地主だった方が、平田篤胤終焉の地が荒れ果てているのを見て、その地を譲り受けて移り住みました。 明治期に建てられた立派な文庫蔵が目をひきます。
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彌高神社 いやたかじんじゃ《県指定有形文化財》
国学者・平田篤胤(1776~1843)と経世学者・佐藤信淵(1769~1850)をまつる神社で、現本殿は文政2年(1819)の建立。 社殿の彫刻に江戸時代後期の建築様式の特徴がよくでています。 アクセス 秋田駅から徒歩約14分 URL オフィシャルサイト
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那波家の水汲み場
川反の各町には、「カド」と称する共用の水汲み場があったが現在残っているのはこの水汲み場だけ。 川反の川岸で物資の積み下ろしが行われ、那波家の水汲み場も利用されていたと思われます。 久保田城下の名残りが感じられる癒しのスポット。 URL オフィシャルサイト
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旧大島商会店舗《国登録有形文化財》 (秋田市まちなか観光案内所)
旧大島商会は、明治34年(1901)秋田市下肴町(現大町6丁目)に建てられた県内初の百貨店で、洋品雑貨や帽子などを販売していました。 市内に現存する最も古いレンガ建造物で、洋風建築の外観が魅力的な旧大島商会ですが、今回の移築に伴う解体調査で、構造的にも非常に貴重な建物であることが確認されました。 内部構造は建物に隠れていて見る事はできませんが、小屋組や梁などは当初の形のまま保存されています。 外壁に使われているレンガの他、土台やアーチを形作っている男鹿石、鉄扉なども、もともとの材料を使用し復元しています。 街並みの景観に寄与する歴史的な建造物として評価され、平成12年(2000)に国登録有形文化財となりました。 令和3年(2021)大町1丁目に移築され、歴史と文化を生かしたまち歩き観光の拠点「まちなか観光案内所」として開所しました。 URL オフィシャルサイト 開館時間 4月~10月 9時~19時11月~3月 9時~18時 休館日 年末年始 アクセス 秋田駅から徒歩約15分
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高堂家住宅
万延元年(1860)創業の酒店で、主屋・文庫蔵・米蔵は明治期の建築。
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高砂堂店舗 たかさごどう《国登録有形文化財》
明治35年(1902)から現在地で営業している老舗の菓子店。 創業者である塚本平蔵は経営していたリンゴ園で出た商品にならないリンゴを活用しようと思案し、リンゴ羹、リンゴジャムなどを開発、商品化し発売しました。 当時、砂糖を使うには国の許可が必要だったため、明治27年1月、大日本帝国政府より「菓子製造営業免許鑑札」を取得、「高砂堂」を創業しました。 ふわふわ「りんごもち」は絶品。 現在の店舗は、大正7年(1918)宮大工・藤本東三郎の手により改築されたもので、大正時代の風潮を反映する和洋折衷の貴重な建物です。 店内にある秤をモチーフにした時計は必見! 通町通り拡幅時に9m曳き屋した跡が腰壁に残っています。 アクセス 秋田駅から徒歩約14分 URL オフィシャルサイト
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六道の辻
旧城下町の名残をとどめる交差点。 江戸時代には3つの土手と6つの道があった場所で、敵の侵入を防ぐ役割をはたしていました。 今でも6つの道をみつけることができます。 平成21年まで、この場所の名にちなんだ「辻乃湯」という銭湯がありました。 URL オフィシャルサイト
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赤れんが塀
昭和39年(1964)、浄願寺境内を貫通する新しい道路がつくられた時、ちょうど道路建設場所にあった正門と両袖の赤れんが塀が取り壊されました。 しかし、赤れんが塀の一部は道路の左右にまだ残っています。 この塀は、秋田刑務所建設時(明治45年(1912)竣工)の余ったれんがで造ったものだそうです。
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鱗勝院の山門 りんしょういん
秋田藩主佐竹公ゆかりのお寺。 山門は佐竹公の居城であった久保田城の裏門を、当時の築材そのまま移築した貴重なものです。 移転の際に2階が取り除かれ現在の形となりました。 URL オフィシャルサイト
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あきた芸術劇場ミルハス
あきた芸術劇場ミルハスは、新たな秋田の文化芸術の創造拠点として、高い音響性能と舞台機能を併せ持つ大ホール(2007席)と臨場感にあふれる中ホール(800席)をはじめ、二つの小ホール、練習室、研修室、創作室を備えた劇場です。 秋田駅から徒歩10分ほどに位置し、秋田県と秋田市が共同で整備した全国でも珍しい文化施設でもあります。 施設内は秋田杉がふんだんに使用されているほか、樺細工や川連漆器、大館曲げわっぱなどの伝統工芸品が随所にちりばめられており、秋田のさまざまな魅力を、ここミルハスで存分に感じる事ができます。 開館時間 9時~23時 休館日 年末年始 アクセス 秋田駅から徒歩約10分 URL オフィシャルサイト
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楢山の鹿嶋祭《市指定無形民俗文化財》
7月の第1日曜日に行われるお祭り。 江戸時代から続くお祭りで、鹿嶋人形で飾った鹿嶋船を、お囃子と共に子どもたちが引いて町内を練り歩きます。
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秋田市文化創造館
秋田市文化創造館の建物は、1967年、秋田県立美術館として建設されました。独特な形状の屋根と円い窓は、藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」を展示するため、藤田の助言により大空間に光が降り注ぐよう設計されたものです。 平成25年(2013)に美術館がエリアなかいちへ移転するまで、長年、広く市民・県民に愛されました。 令和3年(2021)春、未来に向けて新しい価値を生み出す「文化創造プロジェクト」の拠点として、生まれ変わりました。 開館時間 9時~21時 休館日 火曜日(休日の場合は翌日)、年末年始 アクセス 秋田駅から徒歩約10分 URL オフィシャルサイト
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寺町通り
常陸の国から秋田へ転封となった初代久保田(秋田)藩主佐竹義宣が、久保田城築城と同時に行ったまちづくりで生まれた「寺町」。 久保田城下は、旭川を挟んで武家町(内町)と町人町(外町)に町割りされていました。 その城下町の西側を覆うように、寺院を集中して建てたこの「寺町」には、現在も約40の寺院が残っています。 「寺町」に足を踏み入れると、そこに大通りの喧騒はなく、静かに厳かな寺院群が姿を現します。 春夏秋冬で違う顔を見せる「寺町」をぜひ歩いてみてはいかがでしょうか。 URL オフィシャルサイト
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長坂門の礎石
ここは「長坂門」という門があった場所。 千秋公園はもともと江戸時代の藩主佐竹氏の居城でした。 千秋公園には、今でも城の名残がたくさんあり、かつて門があったところには門の柱の下に据えていた礎石が残っています。 長坂門だけでなく、城跡のいろいろな所によく似た礎石があるので、探してみよう!
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倉稲魂神碑 うかのみたまのかみひ《市指定有形民俗文化財》
荷役作業で落ちこぼれた籾米の供養碑。 鹿嶋神社の向かいにある丸い池は、明治期の神社建立時に、社地を高くするため土を取ってできた池だそうです。 アクセス 秋田駅から徒歩約28分
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濱乃家
大正時代に建てられた建物は必見!ここのきりたんぽも絶品です! 大正7年(1918)、東北有数の本格的な数寄屋造りの料亭として誕生しました。 秋田市の繁華街である大町地区(通称・川反)にありながら落ち着いた佇まいで、長い間秋田を代表する社交の場として、地元の名士や文化人など、その時代をつくった数々のお客様をお迎えしてきました。 料亭内には秋田杉の一枚板を使った大広間や、茶道裏千家十四代家元・千宗室氏が設計した茶室「有竹庵」など歴史的な価値ある空間の中で、料理長自慢の懐石料理を味わうことができます。 老舗料亭ならではの料理と、長年積み上げてきたおもてなしの数々と、「豊かな秋田の食文化」を実感することができる料亭です。 URL オフィシャルサイト
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赤れんが郷土館(旧秋田銀行本店本館)《国指定重要文化財》
旧秋田銀行本店として明治末期に建てられた洋風建築。外観はルネサンス様式で内部はバロック調。 秋田の伝統工芸品や勝平得之の版画、人間国宝・関谷四郎の記念室などがあります。 赤れんが館は、明治45年に建てられた旧秋田銀行本店で、昭和44年まで銀行として使われていました。 建設費は当時のお金で約4万9千円。現在のお金に換算すると50億円ほどになるそうです。 昭和56年、秋田銀行創業100周年と秋田市制施行90周年を記念して、秋田銀行から市へ寄贈され、昭和60年から赤れんが郷土館として一般に公開されています。 赤と白のコントラストが美しいこの建物は、ルネサンス様式を基調とした外観が特徴です。 外壁の土台は男鹿石の切り石積み、1階が白の磁器タイル張り、2階は赤レンガを小口出しに積み上げて造られています。 美しい外観を演出する2階部分の化粧レンガは、はるばる大阪から運ばれてきた高級品。 内側の裏積みレンガは、当時秋田でレンガ積み建築物を一手に引き受けていた楢山愛宕下の「かめ座」で焼かれたものです。 3年という長い歳月をかけて丹念に造り上げられたという赤れんが館。 明治の職人魂が感じられます。館前には秋田県里程元標跡が。 開館時間 9時半〜16時半 休館日 年末年始、展示替期間 アクセス 秋田駅から徒歩約16分 URL オフィシャルサイト
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お茶の辻吟
日本茶や茶器・秋田焼等を販売。 昭和初期の建築ですが、通り土間など江戸期の秋田型町家の形式を受け継いでいます。 店舗のうしろにある蔵は、明治期の建築。 URL オフィシャルサイト
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立派な蔵
明治期の蔵と推定。 昔は内蔵形式で、家財などを収める蔵でした。
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鷹の松
旭川掘替え当時の歴史を物語る保存樹で樹高8m。 樹齢は約390年と推定されています。 久保田藩主佐竹氏は寛永8年(1631)城下の町割に際し、旭川を掘って東方を内町、西方を外町と定め、内町の川沿いに土手を築き松の並木植えを行いました。 このあたりには藩の鷹使いが住んでいたことから鷹匠町と称し、鷹がこの松の梢に留まり城下を見下ろしていたと伝えられたことから鷹の松と呼ばれています。 なお、本樹より北に430メートル程、川を上ったところには鑑の松と呼ばれる松があり、この二本の松は当時の歴史を物語る貴重な樹木です。 URL オフィシャルサイト
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アトリオン
千秋美術館、あきた県産品プラザ、音楽ホール、飲食店などが入っている秋田総合生活文化会館。 URL オフィシャルサイト
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秋田聖救主教会聖堂 あきたせいすくいぬしせいどう《市指定有形文化財》
昭和5年(1930)建築。 意匠的に洗練かつ優れた近代建築。 聖堂内の天井にはおしゃれな照明、窓にはステンドグラスが。 聖壇には「イエスキリスト」の文字が隠されている…? アクセス 秋田駅から徒歩約20分
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御物頭御番所 おものがしらごばんしょ《市指定有形文化財》
久保田城内の二ノ門(長坂門)の開閉の管理と城下の警備、火災の消火等を担当していた物頭(足軽の組頭)の詰所です。 安永5年(1776)の火災後に再建されたと推定され、久保田城内で旧位置のまま残る唯一の藩政時代の建物です。 URL オフィシャルサイト
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庭に立派な松
明治期の建築と推定。 庭には背の高い立派な松があります。