萩まちじゅう博物館 江向おたからマップ
山口県萩市の江向エリアのおたからマップです。
平成30年3月時点での情報です。現在変更になっている場合もありますので、予め、ご了承ください。
update date: 2021.06.21
このマップ(地図)を見るNumber of spots : 15spots
-
船まわし跡
かつて藍場川を川船が行き来していた頃の名残で、川舟の向きを変えられるよう川幅が広くなっていた場所です。
-
側溝清掃
江向地区には大小いくつもの水路が町の中に通っています。そのため5月中旬〜下旬頃に側溝清掃を行います。地区が広いため、毎年清掃する場所を変えて実施されます。
-
南園跡のクロマツ
かつて南園と呼ばれた藩主別邸があった土地の川土手にある、樹齢は300年ほどと思われる2本のクロマツです。対岸からその姿をよく見ることができます。
-
武家屋敷を起源とする建物
江向は海抜が低く湿地が多いため、江戸時代、かなりの広い部分に水田・蓮田があり遊水池として活用され、それに接するように中下級の武家地がありました。江向の南側には武家屋敷を起源とする建物が残っており、江向らしい景観を作っています。
-
旧萩藩校明倫館
明倫館は、元は萩藩5代藩主毛利吉元が享保3年(1718)に、萩城三の丸追回し筋に藩校として創建しましたが、約130年後の嘉永2年(1849)に低湿地の広がるここ江向の地に広大な規模の新明倫館を新築して移転され、今に至ります。
-
水車跡地
藍玉座の北側にはかつて製蝋板場がありました。製蝋板場とは、ろうそくやびんつけ油の原料となった蝋を製造した所で、水車を利用して原料となるハゼの実を臼でついて粉にしていました。溝の両岸に樋門の跡と思われる溝の彫られた石があり、底には平らで細長い石が敷かれています。
-
萩市民館
昭和43年(1968)、明治維新100年の記念事業として建設されました。新しい造船技術を取り入れた空中に浮かぶ船のイメージとなっています。電灯設備その他種々の新しい試みがなされており、日本建築学会賞が授与されました。
-
中村雪樹旧宅地
教育に尽力した初代萩町長、中村雪樹の旧宅地です。藩校明倫館で吉田松陰らから兵学と国学を学び、維新後は山口県下の学校設置に関する任務を担当しました。萩に戻ってからも明倫小学校の初代校長などを歴任しました。
-
南園跡
明和3年(1766)に萩八丁に設けられた藩主別邸の跡地です。薬園が造られた他、後には製薬所やガラス製造所などが設けられ写真の実験も行われるなど、萩藩の科学実験所のようになっていました。
-
渡辺蒿蔵旧宅
英国へ渡って造船技術を修得し、東洋一とうたわれた立神ドックを完成させるなど、日本の近代造船の発展に尽力した渡辺蒿蔵の旧宅。この建物は明治中期に建てられたもので、建築当時の姿がそのまま残り、大型の屋敷形式の建物として貴重な歴史的景観を形成しています。
-
萩市役所
昭和49年(1974)完成。萩の風景を尊重し、2階建ての低層としてデザインされています。先に立てられたフラットで白い萩市民館と対比するように、凹凸のある茶褐色の屋根が設けられています。
-
藍玉座跡
かつて藍玉座があった場所で、北側の藍場川沿いの通りは「藍場横町」と呼ばれています。藍玉座があった場所を中心に、その周囲の土塀を含んだ一帯が歴史的景観保存地区に指定されています。
-
萩城下街割原標石
18世紀の前半、萩の正中を示すため命令を受けた萩藩士長冨左兵衛によって立てられました。
-
水練池
明治9年(1876)の萩の乱の際、前原一誠の勢力が明倫館を本拠にしましたが、部下に内応者が出て、銃器弾薬をこの池に投棄されてしまいました。そのことから俗に煙硝池とも呼ばれていました。
-
水ヌキ跡
江向は海抜が低く湿地の多い土地のため、江戸時代には江向の北側は遊水地として利用されていました。明倫館にも敷地内の水を外堀に逃がすための水ヌキと呼ばれる排水溝がいくつも作られていました。