萩まちじゅう博物館 椿おたからマップ(北部)
山口県萩市の椿エリアのおたからマップです。
平成29年3月時点での情報です。現在変更になっている場合もありますので、予め、ご了承ください。
update date: 2022.01.27
このマップ(地図)を見るNumber of spots : 14spots
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南明寺のイトザクラ
南明寺の参道の入口にあるサクラは昔から有名で「南明寺のイトザクラ」として親しまれてきました。ほかのサクラより開花が早く散るのも早いため見に行くタイミングが難しく、その様子が歌にされるほどでした。
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小倉四賢墓所
長州藩の学問教育(儒教)に尽力した、小倉4先生【尚斎(しょうさい)・鹿門(ろくもん)・南𣐩(なんこう)・遜斎(そんさい))】の墓所です。4先生の墓碑のほか、小倉家墓碑、小倉遜斎顕彰碑などがあります。
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藤田清助翁顕彰碑
天保7年(1836)の「申年の大水」による田畑・農道・農水路の甚大な被害を、自費を出してまでしてその復旧に尽くした青海の藤田清助を称えるために、有志によって建てられた顕彰碑です。 ※顕彰碑は椿西小学校の敷地内にあります
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逆サイフォン式の用水路
椿には農業用水と河川とが交差する箇所があり、両方の流れを通すために逆サイフォン(隙間の無い管を使って液体をU字型に運ぶ装置)を利用して川の下に農業用水を通しています。先人たちが工夫をこらして農業基盤を築いてきたことが分かります。
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申年の大水の碑
天保7年(1836)萩地方は大洪水に見舞われました。椿地区も浸水によって田畑・農道・農水路に甚大な被害を受けました。この大洪水は「申年の大水」として今も語り伝えられています。
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南明寺
平安時代に創建された真言宗の修験寺で、後に毛利家の祈願寺として栄えました。標高300mの南明寺山中腹の奥の院にある観音堂からは、椿地区と萩市街地を見下ろすことができます。
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葵神社
東大寺の大仏殿を創建するとき、沖原から連れて行った白牛が抜群の働きを見せたので、天皇から大いに褒められ、白牛の飼い主は「葵の前」という姫をもらい受けました。しかし田舎暮らしに慣れない葵の前は、都恋しさに泣いてばかりで、そのまま亡くなってしまいました。その姫を祀った社が今も残されています。
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伝 萩の乱供養碑
地元で萩の乱の供養碑と伝えられている石碑です。この辺りは、前原一誠が明治9年(1876)不平士族とともに起こした萩の乱の激戦地でした。
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逆サイフォン式の用水路
椿には農業用水と河川とが交差する箇所があり、両方の流れを通すために逆サイフォン(隙間の無い管を使って液体をU字型に運ぶ装置)を利用して川の下に農業用水を通しています。先人たちが工夫をこらして農業基盤を築いてきたことが分かります。
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大照院
初代藩主毛利秀就の菩提を弔うために建てられた寺院です。毛利家の菩提寺としては椿東(ちんとう)の東光寺(とうこうじ)と対になっていて、大照院には初代と2代から12代までの偶数代の藩主と夫人の墓があります。また、萩の乱(維新後の不平士族の反乱の一つ)の首謀者の1人で、処刑された奥平謙輔の墓もあります。
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椿八幡宮
椿をはじめ周辺地区の氏神様として大事にされてきた神社です。鎌倉時代に川上に勧請され、その後現在地に移され、江戸時代には毛利氏の庇護を受けて本殿などが整備されました。かつて石段の前には広い馬場があり、流鏑馬(やぶさめ)の祭事も行われていました。
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萩駅
大正時代に建築されたもので、白い壁に明るい水色の柱や梁が美しい洋風建築は、開業当時の姿をよく残し、80年余りを経た現在も駅舎として使用されています。駅前には日本の鉄道の父・井上勝の銅像が建てられています。
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大木戸跡
金谷神社は金谷天満宮と呼ばれ、城下の入口に位置していました。江戸時代には金谷神社の前に萩城下町の表玄関ともいえる大木戸が設けられていて、日暮れから夜明けまでは治安維持のため城下への出入りを差し止めていました。
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金谷神社
鎌倉時代に勧請したと伝えられ、江戸時代中期に5代藩主毛利吉元が現地に遷宮しました。城下の入口に位置し、江戸時代には金谷神社の前に萩城下町の表玄関ともいえる大木戸が設けられていました。