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奥永源寺エリア 君ヶ畑てくてくまっぷ

奥永源寺エリア 君ヶ畑てくてくまっぷ

滋賀県東近江市の山中にある、自然に囲まれた里、奥永源寺。 君ヶ畑は、奥永源寺の最奥にある小さな茶業と林業の村です。 君が代が詠まれた聖地だという伝説がある君ヶ畑では、平安時代このかくれた里に幽棲されていた惟喬親王がろくろの技術を発明し、これを用いて木工品を作る木地師が生まれたと言い伝えられています。 村に悠然と佇むゆかりある社寺は、思わず手を合わせ拝みたくなってしまうような、厳かで神秘的な空気をまとっています。 歴史と自然が織りなす山村景観の静かな語りに、耳を傾けてみませんか。

田畑篤志Posted by田畑篤志Updated:
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金龍寺に隣接するこの場所は、親王の墓所と伝えられています。

大皇器地祖神社ーおおきみじそじんじゃ

惟喬親王が亡くなられると、天皇の命で元慶10(880)年惟喬親王を祀る神殿が造営され、大皇大明神と称されました。 明治時代に今の名前に改められ、現在でもろくろ業の地祖として多くの人が訪れています。

惟喬親王が君ヶ畑で暮らされていた場所と言われています。 本堂には、惟喬親王の木像、氏子狩帳53冊や6つの能面など、歴史的に貴重なものが多く所蔵されています。

木地師とは

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木地師とはトチ・ブナ・ケヤキなどの木を伐採し、ろくろを使って、お椀やお盆、こけしなどをつくる職人のことです。木の器の材料を手挽ろくろで早く回転させ、回転している材料をろくろ鉋という道具を使って形を整えて器を作り出します。 かつて、多くの木地師は良材を求めて日本の山々を転々とする暮らしを送っていました。

君ヶ畑のものがたり

文徳天の第一皇子であられた惟喬親王は、皇位継承の争いに敗れ、わずかな家臣をつれて君ヶ畑に幽棲されていました。 あるとき、惟喬親王は法華経の絵巻からヒントを得てろくろを発明し、その技術を民に伝えたのが木地師の始まりとされています。 江戸時代には、高松御所金龍寺が全国の木地師支配の本拠地として、その身分を記録した「氏子狩帳」を作成しました。そのため、君ヶ畑は木地師のふるさととして今でも多くの人々が訪れています。 また、君が代が詠まれた聖地として「君ヶ畑」と呼ばれるようになったという「さざれ石物語」という伝説もあります。