萩まちじゅう博物館 明木おたからマップ
山口県萩市の明木エリアのおたからマップです。
平成26年3月時点での情報です。現在変更になっている場合もありますので、予め、ご了承ください。
update date: 2023.03.29
このマップ(地図)を見るNumber of spots : 37spots
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吉田松陰短古の碑
安政元年(1854)、吉田松陰は金子重輔と共に密航を企てた罪により江戸から萩に送還されました。萩に入るその日の朝、明木橋を通過する際に読んだ短古(2~10行の短い詩)がこの碑に記されています。
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石ノ巷山
山の中腹付近から山頂までたくさんの桜が植えられている他、狼煙(のろし)場跡、癒しの滝、七曲りの滝、椿の群生地、石の川があります。
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農産物加工販売所「つつじ」
明木の農産物や加工品を購入できる道の駅です。 ↓施設の詳細はウェブサイトにてご確認ください 【農産物加工販売所「つつじ」】https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=1100185
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棚田
山手に続く石垣の棚田です。道路ぎりぎりまで石垣があり、間近に見ることができます。
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隠れ地蔵
800年前に横瀬で倒れた武者と騎馬を祭ったものです。霊験あらたかで願いがよく叶うと地元の人々から親しまれています。
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郡境碑
美祢市と萩市の市境に立つ三角柱状の石標です。もともとは阿武郡(あぶぐん)と美祢郡(みねぐん)の郡境として設置されたもので、萩側には「阿武郡明木村」美祢側には「美祢郡赤郷村」と記されています。
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石畳(赤間関街道)
赤間関街道(あかませきかいどう)は萩から下関(赤間関)を結ぶ街道で、中道筋(なかみちすじ)・北道筋・北浦筋の3つのルートがありました。中でも中道筋は最短ルートとして主要街道となり、萩唐樋札場を起点に明木までは萩往還と重複し、明木堂尾(どうお)の一里塚から分岐して雲雀峠(ひばりとうげ)を越え、各宿駅を経て赤間関に至る80.8kmの行程です。幕末には政治や外交のため、多くの志士たちが往来しました。
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三角岩
ひばり山へ登る登り口から100mぐらい登ったところにある、高さ160cm程度の安山岩のほぼ四角錐の岩です。
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不動様
非常に岩崩れのおきやすい地域で、不動明王の力でこれを防ごうと宝暦の頃に祀られました。山崩れも収まり、他の願いも叶うとして小野山の守り神となっています。
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町田梅ノ進自刃の地
明治10年(1877)、西郷隆盛に呼応して挙兵した旧萩藩士の町田梅之進が、佐々並で県知事の軍と交戦し負傷、退いて自害した場所です。半円形の碑は、昭和52年(1977)百年忌に有志により建てられたものです。
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五文蔵の石畳
藩政時代から残っている石畳です。一升谷10合目の五文蔵峠を少し佐々並に寄ったところにあります。
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根の迫の石橋
1740年頃の古地図によると、その頃にはすでに板で造られた橋があったようです。その後、土橋、石橋と姿を変えながら今も残されています。
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一升谷の石畳
萩往還の面影を最もとどめている場所です。一升谷の名前は、あまりにも急な上り坂のため、炒り豆を食べながら坂道を登り始めると、登り切るまでにちょうど一升なくなる、という言い伝えに由来します。
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御駕籠建場跡
参勤交代の際、藩主が駕籠を降ろして休憩した場所です。悴ヵ坂(かせがさか)から2番目の御駕籠建場です。
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宇麻神社
国道262号線、角力場(すもうば)バス停より上がったところにある神社です。鳥居や灯篭がいくつも寄進されていて、大小3基の観音座像が安置された小祠もあります。
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又十郎の碑
明木の恩人と言われる彦六・又十郎のうち、菅蓋(すげぶた)の又十郎の生誕地と言われる場所です。彦六・又十郎の2人は、萩城を築城する際に活躍したことで殿様の目に止まり、その褒美として明木に課せられていた税金の免除を殿様に願い出たことから、明木の恩人として称えられています。
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七賢堂の展望台(竹林公園)
竹林公園の展望台のところに建てられています。この建物は中国の故事にならって建てられたものです。
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中の垰下一里塚
石を積み上げ、塚木を立てた一里塚です。萩市唐樋町から3里目の一里塚になります。この先、竹林公園を抜け峠を越えれば佐々並へと入ります。
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上の茶屋
参勤交代のときに利用された藩主の休憩所の跡地です。藩主の休憩時、桜の塩漬けの御茶が提供されていました。
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下横瀬公民館(旧明木図書館)
昭和3年(1928)に2代目の明木図書館として建てられ、その後昭和33年(1958)に下横瀬地区に移築され、現在は下横瀬公民館として使われています。昭和初期を代表する典型的な洋風建築です。
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悴ヵ坂(かせがさか)
萩と明木の境い目にある峠です。藩主の休憩所である御駕籠建場(おかごたてば)と茶屋がありました。
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鹿背隧道
明治17年(1884)に完成した、山口県初の洋風石造りのトンネルです。国の登録有形文化財に指定されています。
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石畳(悴ヵ坂)
藩政時代、萩往還悴坂の下り道には石畳が敷かれていました。烏帽子岩付近の石畳は復元されたものですが、そこからさらに下ったところには当時のものも残されていて、石畳の外側には大きな石を使用し、内側には小さな石を詰めるという、当時の工法を見ることができます。
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松尾観音堂
明木七観音の第2番です。殉難三士の碑から萩に向かって県道萩秋芳線を260m進んだところに道の分岐があり、階段を上ると松尾観音堂があります。
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石仏様
この地で病に倒れた吉見家の侍を祀った石仏様です。火吹き竹を奉納すれば耳の病気が、ちゃばつお(茶初湯)を奉納すれば歯の病気がよくなるといわれています。
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石積の棚田
県道38号線沿いに広がる棚田を眺めることができます。
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下の茶屋
萩往還に作られた藩主の休憩所です。参勤交代のとき、向かいの駕籠建場跡に籠をおろし休む時にお茶を出していましたが、このお茶が桜の御茶だったので「桜茶屋」とも呼ばれていました。
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貴布禰社
天狗を貴布禰様として祀っていると言い伝えられています。地域の人からは「お宮様」と呼ばれて親しまれています。
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小野山神社(小野山公民館になっている)
小野山神社の敷地に建てられた公民館です。倉庫を除くすべてが神社として登録されており、「おかちさま」や荒神様、観音様が祀られています。小野山ではお祭りの多くがここで行われます。
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七観音(7番)
下横瀬公民館敷地内にある観音堂です。明木七観音の第7番です。
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矢代神社
矢代大明神、河内大明神、疫神の3所を祀る神社です。矢代社は乱世の頃にこの地の森で自害した落人を祀ったものや、源平合戦で敗れた木原式部大輔が郷主となり、それを祀ったものとの説があります。
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同前八幡様
境内には石灯籠があり、階段途中に木製の鳥居があります。鳥居の周囲には白い石が集められています。
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古戦場神社
古戦場の一番高い場所で村を見守る荒神社です。境内には石の小祠があり、お稲荷様が祀られています。
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彦六・又十郎碑
慶長年間萩築城に大変貢献し、その褒美として明木村民の通行税を免除することを願い出た「明木の恩人」古戦場の彦六と菅蓋の又十郎を顕彰する石碑です。彦六の誕生地である古戦場区民の発案で二人の偉業を伝えるための碑を建てました。
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観音様(6番)
小野山神社に祀られた観音様で、明木七観音の第6番です。
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小野山散居集落
小野山地区は広く、広い田畑の間に家々が点在しています。家の位置は江戸時代からほぼそのままで、古い家屋が多いことから茅葺の家も多く残っています。国道262号線から小野山地区を一望することが出来ます。
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権現社跡
上市の市頭に移転した明木権現社(明木神社)の跡地です。現在は原公民館になっています。石段傍には猿田彦塚が、公民館の横には小祠があり、猿田彦、天神、三宝荒神が祀られています。