萩まちじゅう博物館 むつみおたからマップ
山口県萩市のむつみエリアのおたからマップです。
平成26年3月時点での情報です。現在変更になっている場合もありますので、予め、ご了承ください。
update date: 2024.03.25
このマップ(地図)を見るNumber of spots : 23spots
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千手千眼観世音菩薩像
寛政10年(1798年)、木喰五行上人(もくじきごぎょうじょうにん)が81才の時、福栄村福井の願行寺(がんぎょうじ)に滞在中に作ったものと思われる高さ67㎝の木彫の仏像が観音堂に安置されています。
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むつみ農産物加工販売施設「萩・むつみの恵」
むつみ地域の元気な女性グループ「むつみ・キッチンばぁ〜ば」が運営しています。店内の農家レストランでは、むつみ地域等の食材を使ったメニューを提供。また、地域の農林水産物やむつみ牧場の牛乳などを販売しています。 ↓施設の詳細はウェブサイトにてご確認ください 【農家レストラン むつみ・キッチンばぁ〜ば】https://mutsumikitchen.wixsite.com/website-m
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赤塚古墳
社を建築するために地開きをしたところ、石棺が三基出土しました。
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御舟子観音堂
この地域を守るために建てられた観音堂です。御舟子(みふなご)は地元の昔話「御舟湖物語」の発祥の地でもあります。
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穴観音古墳
6世紀から7世紀初頭(古墳時代)に建造されたと見られる古墳です。観音石仏がまつられていて、火吹竹を備えて祈願すると耳の病気がよくなるという言い伝えがあります。
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大将山(大将陣山城跡)
山頂には大内教幸(のりゆき、道頓(どうとん))の居城だったと伝えられる山城の跡が残っています。毎年旧3月20日には、白装束の武士が白馬に跨りかけまわるいう伝説があります。
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吉部八幡宮の大スギ
吉部八幡宮の境内には3本のスギの巨木があります。山口県の天然記念物に指定されています。
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奥阿武宰判勘場跡(おくあぶさいばんかんばあと)
江戸時代、萩藩が奥阿武宰判(おくあぶさいばん)に属する19の村々を管轄するために置いた役所の跡地です。
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雲林寺
千体地蔵や、吉部市が繁営した頃のおたからがあります。萩の城下町に伝わる猫伝説にまつわるお堂なども見る事ができます。
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長尾権現(膳腕権現)
お皿を持って行ってお祈りすると、一夜のうちにご馳走が用意されるという言い伝えがあります。牛馬の神としても崇められていて、牛の慰労のために7月初めに各自で牛を連れていって拝んでいました。
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大内義隆供養塔
大内義隆の側室の子息が、義隆と正室、側室を供養するために建立したとされる三基の供養塔があります。
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竜金淵
淵のそばに、金淵山龍神社(きんぶちざんりゅうじんじゃ)が祀られていて、治水などの水の神、豊穣祈願の神として信仰されています。ここで片俣念仏踊(かたまたねんぶつおどり)の装飾品を淵に流すと、山口の後河原へ流れて行ったという伝説があります。
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伏馬山
火山の噴火によって生まれた標高499mの山です。ふもとにはヒマワリ畑が一面に広がっています。
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むつみ村役場旧庁舎
むつみ村役場旧庁舎は、明治28年に吉部(きべ)村役場として建設されました。その後合併によってむつみ村となり、昭和60年に新庁舎が建設されるまで90年以上に渡りむつみ村役場本庁舎として使用されてきました。
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虫枯大地蔵尊
享保17年(1732年)の虫害(ウンカ)による飢饉(ききん)の犠牲者の霊を慰めるために、供養塔として地蔵尊を建立したものです。
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下城跡
大内教幸(のりゆき、道頓(どうとん))の居城だった山城です。高佐八幡宮南方の標高370mの平野に突き出た小山の山頂にあります。
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伊藤対馬守の墓
慶長5年(1600)、毛利氏の防長移封に伴って安芸国から吉部村に移住した伊藤因幡守の嫡子、伊藤対馬守の古墓といわれています。
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道の駅「うり坊の郷katamata」
津和野町と萩の城下町を結ぶ道路の中間地点に位置する山間の豊かな緑に囲まれた道の駅です。特産品売り場と食堂があり、またうり坊(子どもの猪)の名のとおり、地元でとれた猪肉の販売も行っています。 ↓施設の詳細はウェブサイトにてご確認ください 【道の駅「うり坊の郷katamata」(道の駅公式ホームページ)】https://www.michi-no-eki.jp/stations/views/19605
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羽月の名水
羽月(はづき)は戦国武将の名馬「生唼(いけずき)」の出生地として伝えられています。東台(ひがしだい、むつみ演習場の辺り)の濾過水が湧き出ていて、現在も地元の方の生活用水と使われています。
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高佐八幡宮
観音様・猿田彦・庚申様・石仏などが祀られています(他の場所から移されたもの)。本社は貞観元年(859)に豊後宇佐八幡宮より勧請し、その後、天正12年(1584)に吉見氏が社殿を造営したと伝えられています。
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吉見正頼 息女の墓
石州(せきしゅう、島根県あたり)の三本松(津和野)城主、吉見正頼が阿武郡を支配していた頃、萩の指月山にあった別邸と三本松城を往復する際に、この地に休憩所を設け、そこに正頼の息女を住まわせていました。その息女が萩の指月邸において病死し、遺言によりこの地へ葬ったと伝えられています。
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こいこいがんこ村
地元の食材で加工した、そば、寿司、コンニャク、豆腐、もち、新鮮な野菜などを直売しています。 ↓施設の詳細はウェブサイトにてご確認ください 【MARKET623(萩GoChi 萩のごちそう)】https://hagi-gochi.jp/buy/market623
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川平渓谷・博打岩
川平渓谷は阿武川の一大支流・蔵目喜川(ぞうめきがわ)の源で、清らかな水が岩を打ちながら奔流する様と周囲の木々とが調和して絶景を作っています。この渓谷には博打岩と呼ばれる岩があり、岩の下の少し広い場所で昔は「かけごと」をしていたと言い伝えられています。