内川流域地図

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内川の由来・歴史
かつて、内川は赤川の本流の一部でした。慶長 年間(1596~1614) に最上義光が城下を水難か ら守るため、熊出の川口を締め切り、梵字川を 東岩本の方に流しました。それ以後、旧赤川を「内川」、新しい川を「外川(とがわ)」・「赤川」と呼んだといわれています。青龍寺川から分かれ、鶴岡市街地を南北約13kmにわたり貫流し、川に合流する。流域面積約30km。赤川は朝日山系から日本海 に注ぐ、延長70km の一級河川。昔は「あばれ川」の異名がつくほど、幾度となく氾濫と浸水を繰り返してきました。

update date: 2019.09.11

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Number of spots : 17spots

  • 無量光苑 釈迦堂

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    丙申堂より約50m 北側に位置する風間家 旧別邸。良質の杉材を使った数寄屋風建築で、明治43(1910) 年に建てられ、主に来客の接待などに使われていた。八代目当主・幸右衛門が「無量光苑」と命名し、九代目当主が床の間に御石仏釈迦像を安置して「無量光苑 釈迦堂」と命名した。

  • 田澤稲舟

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    鶴岡を代表する女流作家・田澤稲舟(本名 田澤錦)は、明治7(1874) 年12月28日、旧五日町(現・木根渕医院)に医師・田澤清の長女として生まれた。医師の父と事業家の母のもとに何不自由なく育ち、早くから文学=自己解放=に目覚め、文学修行に励んだ。明治29 (1896) 年9月10日、 21歳10カ月の短い人生を終えた。 

  • 鶴岡水産物地方卸売市場

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    荘内藩家老職・末松一學の屋敷跡に建てられた木造トラス構造の建物。明治10年前後には「若木座」という芝居小屋があり、多くの人々が芝居や幻燈写真を楽しみ、賑わいを見せた場所であったという。明治31年に「荘内水産(株)」になり、昭和 25 年に卸売市場が開設された。

  • 鶴岡カトリック教会天主堂

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    フランス人ダリベル神父の全財産と寄付により明治 36(1903)年、荘内藩家老屋敷跡に建てられた。高さ23.7m、バジリカ型三廊式の明治ロマネスク様式建築の傑作として、国指定重要文化財となっている。聖堂内には、世界でも珍しい「黒い聖母マリア像」があり、また特殊技法でつくられた国内唯一の窓絵も美しい。

  • 山王日枝神社

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    当地方で一番古い社と言われ、出羽国田川郡大宝寺村(現在の鶴岡市)草創以前よりあったとされている。「お山王はん」と呼ばれ市民に親しまれている。境内には、松尾芭蕉の「めづらしや やまをいではの 初なすび」の句碑や、樹齢 330 年を超える大ケヤキ、御衣黄(ギョイコウ)という珍しい黄緑色の八重咲きの桜がある。 

  • 常源寺(一の鳥居跡)

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    昔、このあたりは赤川が乱流しており、一面の川原だった。大宝寺城(後の鶴ケ岡城)の主であった武藤氏は羽黒山別当を兼ねており、羽黒遥拝のための「一の鳥居」を建てたので、鳥居川原と呼ばれていた。天正15 (1587)年、鳥居は戦火によって焼失した。

  • 禅中橋

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    元禄 16 (1703)年に渡し舟での往来が 可能になったが、不便だった様子を見かねた禅中和尚が托鉢して資金をつくり、 庄内藩の許可を得て文政 3 (1820) 年に橋が完成した。翌年、和尚は他界し、間もなく石碑が建てられた。現在のコンクリート橋は昭和48(1973)年に完成した。

  • 昭和橋

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    昭和7(1932)年に、初代の木橋が架けられた。二代目となる現橋は昭和 63 (1988)年に完成した。長さ26m、幅9mのコンクリート橋。

  • 内川ほっとパーク

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    昭和 9 (1934) 年凶作と不況の中「失業 対策事業」として河川敷が埋め立てられた場所。パーク内には弘法清水に関わる 「弘法大師」の碑がある。赤レンガの公衆トイレは、消防組第八部のポンプ庫として大泉橋のたもとに建てられたもの。国登録有形文化財に指定されている。

  • 大泉橋

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    江戸時代初めに架けられる。明治9年に大泉橋と改称。明治26年に石造りのアーチ式の橋になり「メガネ橋」と呼ばれた。 大正10年の洪水を経て、昭和6年に現在のコンクリート橋になる。元禄2(1689) 年、出羽三山への参拝を終えた松尾芭蕉 が長山邸(現・鶴岡まちなかキネマ)に滞在し、酒田行きに乗船した。

  • 開運橋

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    初代は明治元 (1868) 年、二代目は明 12(1879)年、三代目は昭和31(1956) 四代目となる現橋は平成10(1998) に完成。千歳橋と同じ富樫実氏のデザイン。昔は珠色に塗られた木製の橋で、通称「あか橋」と呼ばれた。明治30年代にはこの辺りで馬市場が開かれていた。

  • 千歳橋

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    江戸時代初めに架けられる。昭和27 (1952)年にコンクリート橋となり、現橋は平成14(2002)年に完成。彫刻家富樫実氏「空にかける階段」の一環としてデザインされた。右岸には樋口一葉と並ぶ明治の女流作家・田澤稲舟の文学 と胸像がある。生家は真向かいの現「木根淵医院」である。

  • 旧風間家住宅 丙申堂

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    明治29年丙申の年、武家屋敷跡に風間家七代当主・幸右衛門によって住居と営業の拠点として建てられた。約4万個の石が置かれた石置屋根が特徴で、主屋を中心にした4つの蔵や薬医門など、豪商の往時の面影を今に伝える貴重な歴史遺産として国指定重要文化財に指定されている。

  • 三雪橋

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    慶長13 (1608) 年、最上義光が城の大手門にまっすぐ通じる橋として内川に初めて架けた橋である。元和4 (1618) 年に 銅鋳の擬宝珠がつけられた。明治9年鶴岡県令三島通庸が架け替え、改称。橋の上から月山・鳥海山・金峰山の三つの山の雪が良く見えたことから「三雪橋」の 名が付けられたといわれている。

  • 鶴園橋

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    江戸時代初めに架けられる。明治9年に 架け替え、改称。昭和 26 (1951)年コ ンクリート橋に、現橋は平成7(1995) 年に完成。橋詰には旧橋の親柱(石柱)が 残されている。鶴園橋から三雪橋辺りは 緑色の柳、ピンク色の桜、黄色の連膵と 色鮮やか。おすすめの散歩コース。

  • 柳橋

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    明治11(1878) 年に足達三歳が自費を投じて架けた橋。すぐ傍には12月17日のお年夜にだるま市で賑わう「観音様」がある。明治21年に柳福寺が焼け、観音堂だけが再建されたもの。

  • 神楽橋

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    明治9 (1876) 年、鶴ケ岡城の廃材で橋 を架け替え、現在の名称になった。橋の 東側の「七日町」には旅籠が立ち並び、 芸妓が行き交う花街として栄えた。西側 は「上肴町」と呼ばれ、魚屋や料亭などが 並んだ。昭和初期まで橋のたもとにあっ た舟着き場で舟を降り、花街で遊ぶ市民 の姿が多かったという。昭和30(1955) 年に現在のコンクリート橋となる。