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  • YMCA跡地

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    ジョサイア・コンドル設計の初代基督教青年会館。出典:東京YMCAウェブサイト。 東京YMCA(Young Men’s Christian Association)は1880年に設立された日本における最初の基督教青年会です。設立当初は銀座に拠点を構えていましたが、1894年に神田美土代町に英国の建築家ジョサイア・コンドルの設計による赤レンガ造り3階建ての「青年会館」を建てて以降2003年の敷地売却までの間、長らくこの地で活動しました。ここには日本最初の室内温水プール付きの総合体育館も建立され、オリンピック選手をはじめとして多くの人々が施設を利用しました。(逢坂裕紀子) 参照URL:東京文化資源区案内4「スポーツを遊ぶ! 近代スポーツ 発祥の地をたどる」

  • 神田スポーツ祭り

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    神田スポーツ祭り小川広場会場に向かう入口の様子。靖国通り会場では、スポーツ店街による各種キャンペーンも開催される。 神田スポーツ祭りでの「ファニーボール」プレイ中の様子。子どもも大人も高齢者も、障がいのある人もない人も、スポーツが得意な人も苦手な人も、一緒に楽しめるイベント。 神田スポーツまつりは、1995年に神田スポーツ店連絡協議会主催のもと始まった誰もでも参加できるスポーツのお祭りです。毎年10月末に開催され、スポーツ店や周辺大学の学生たち、スポーツに関わる人々の協力のもと、各種イベントやスポーツを気軽に楽しむことができます。また、2016年からは地元有志による、音楽と本とスポーツが融合したイベント「ワクワクfesta」も、同じく神田小川町で毎年10月上旬に開催されています。(逢坂裕紀子) 参照URL:東京文化資源区案内4「スポーツを遊ぶ! 近代スポーツ 発祥の地をたどる」

  • 鹿屋アスリート食堂

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    鹿屋アスリート食堂 鹿屋アスリート食堂は、株式会社バルニバービ・鹿屋体育大学・鹿児島県鹿屋市からなる産学官連携プロジェクトとして2014年に開業しました。スポーツ栄養学に基づいた「ご飯、汁物、10種類以上の中から選べる3つの主菜」の組み合わせで健康志向に合わせた食事を提供しています。(逢坂裕紀子) 参照URL:東京文化資源区案内4「スポーツを遊ぶ! 近代スポーツ 発祥の地をたどる」

  • 稲荷湯

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    稲荷湯 皇居にほど近い内神田に位置する稲荷湯は皇居ランナーが利用できる銭湯としても知られています。創業は1956年(昭和30年)で、昭和時代から皇居ランナーに愛されてきました。富士山の背景画を見ながら熱めのお風呂で疲れを癒せます。(逢坂裕紀子) 参照URL:東京文化資源区案内4「スポーツを遊ぶ! 近代スポーツ 発祥の地をたどる」

  • 田安門

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    九段下から北の丸へ向かう人々が行き交う田安門。 田安門は皇居北側の靖国通りに面した位置にあり、北面する高麗門とその西側に直交する渡櫓門からなる枡形門です。現在の門は1636年(寛永13年)創建とされ、現存する旧江戸城建築の遺構のなかでも最古のものです。(逢坂裕紀子) 参照URL:東京文化資源区案内4「スポーツを遊ぶ! 近代スポーツ 発祥の地をたどる」

  • 日本武道館

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    日本武道館では武道の大会のほか、コンサートなどが連日開催されている。 竣工当時の日本武道館の様子。写真奥の、現在北の丸公園及び公園駐車場となっている一帯にかけて、旧近衛師団兵営の建物群が残っていたことがわかる。 日本武道館は、1964年の東京オリンピックの柔道競技会場として建設が計画され、開幕直前の同年10月3日に開館しました。現在日本武道館が建っている周辺は、江戸時代には徳川氏の御三卿であった田安徳川家が屋敷を構えていました。しかし、明治維新後に屋敷は取り壊され、「近衛師団」の兵営地となりました。「近衛師団」と呼ばれた近衛歩兵第一・第二連隊は、日本陸軍最初の歩兵連隊を基幹として、それに騎兵・砲兵・工兵・輜重兵などの特科部隊が編成され、平時は皇居の警護と儀式の任に当たり、戦時には野戦師団のひとつとして出征することになっていました。1874年の創設後から1945年の太平洋戦争敗戦に至るまでの72年間にわたって、近衛歩兵第一・第二連隊の駐屯地であった空間は、戦後、皇居周辺の緑地として活用されることが決定され、1964年の日本武道館建設を挟んで、1969年に北の丸公園として広く一般に公開されました。(逢坂裕紀子) 参照URL:東京文化資源区案内4「スポーツを遊ぶ! 近代スポーツ 発祥の地をたどる」< !--insert your content above -->

  • 東京高等師範学校跡

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    東京高等師範学校が建っていた場所は、現在では東京医科歯科大学の敷地になっています。明治17年の陸軍測量部によって作成された地図をみると、現在の医科歯科大学敷地全体が昌平坂学問所跡地であることや、東京高等師範学校のとなりには東京女子高等師範学校(後のお茶の水女子大学)が建っていたことがわかります。(逢坂裕紀子) 参照URL:東京文化資源区案内4「スポーツを遊ぶ! 近代スポーツ 発祥の地をたどる」

  • 御茶ノ水の茗渓

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    御茶ノ水橋から水道橋方面の茗溪の様子。 JR御茶ノ水駅のホームは神田川と面し、関東大震災の復興建築として建造された聖橋が美しい景観を作りだしています。江戸時代の御茶ノ水周辺は緑深く、夏には蛍も舞う場所だったといわれています。渓谷の美しさは、中国の赤壁にたとえられ、当時の風流人から「茗渓」と呼ばれたそうです。東京師範学校の時代には、ここ神田川上にボートが並べられ、大学対抗戦が行われたこともありました。(逢坂裕紀子) 参照URL:東京文化資源区案内4「スポーツを遊ぶ! 近代スポーツ 発祥の地をたどる」

  • 入徳門

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    大成殿につながる階段の前に入徳門がある。 湯島聖堂内の建造物は、関東大震災のときに発生した火災によってそのほとんどを焼失してしまいました。この入徳門は、1704年に建造された木造の門で、関東大震災でも燃えずに遺った江戸時代からの貴重な遺構となっています。(逢坂裕紀子) 参照URL:東京文化資源区案内4「スポーツを遊ぶ! 近代スポーツ 発祥の地をたどる」

  • 湯島聖堂大成殿

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    湯島聖堂 湯島聖堂は、林羅山が上野忍ヶ岡の私邸に建てた孔子廟を1690年、徳川五代将軍綱吉が儒学の振興を図るために現在の地に移したことが始まりとされています。1797年にはここに幕府直轄の学問所、昌平坂学問所が開設されました。明治時代に入り、昌平坂学問所が閉じると、敷地は東京高等師範学校と東京女子高等師範学校の校地へと移り変わっていきます。のちに高等師範学校に統合される体操伝習所は、当初、体育教員・指導者の養成機関として1878年に現在の神田一ツ橋に設立されましたが、1885年に東京師範学校の附属校となり、翌1886年東京師範の高等師範学校昇格にともなって同校の「体育専修科」に改編されると、湯島聖堂構内に校地を移しました。嘉納治五郎は、1893年から1920年までの3期23年半にわたり高等師範学校・東京高等師範学校の校長を勤め、日本の学校教育の充実、体育・スポーツの発展に尽力しました。(逢坂裕紀子) 参照URL:東京文化資源区案内4「スポーツを遊ぶ! 近代スポーツ 発祥の地をたどる」

  • 後楽園競輪場跡

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    東京ドームが建っている場所には、以前「後楽園競輪場」がありました。後楽園競輪場は1949年に戦後復興を目的として開設されました。競輪場として大変な人気を博し、コース内側のグラウンドではサッカー国際試合や、格闘技の興行、モーターショーが開かれたこともありましたが、都政による都営ギャンブル廃止の方針を受けて、1973年に競輪場は廃止されました。その後は、「後楽園競技場」として、後楽園ジャンボプールや後楽園ジャンボゴルフ練習場として活用されましたが、1988年の東京ドーム建設に伴い姿を消しました。(逢坂裕紀子) 参照URL:東京文化資源区案内4「スポーツを遊ぶ! 近代スポーツ 発祥の地をたどる」

  • 後楽園ホール

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    後楽園ホールは、1962年に開場してから今日にいたるまで、ボクシングやプロレス、キックボクシングを始めとする格闘技の試合開場としてファンから愛されてきました。日本で行われるプロボクシングの試合の約半数がここ後楽園ホールで開催されていることから、「格闘技の聖地」「格闘技のメッカ」と呼ばれています。(逢坂裕紀子) 参照URL:東京文化資源区案内4「スポーツを遊ぶ! 近代スポーツ 発祥の地をたどる」

  • 野球殿堂博物館

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    野球殿堂博物館入口の様子。館内ではプロ野球だけでなく、アマチュア野球や野球そのものの歴史に触れることができる。 野球殿堂博物館は、1959年に日本初の野球専門博物館として開館しました。主に日本のプロ野球で顕著な活躍をのこした選手や監督、コーチ、また野球界の発展に貢献した人物の功績を称え、顕彰するために創設されました。館内では、殿堂入りした人々の肖像レリーフの他、野球に関する歴史資料を数多く展示しています。(逢坂裕紀子) 参照URL:東京文化資源区案内4「スポーツを遊ぶ! 近代スポーツ 発祥の地をたどる」

  • 東京ドーム

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    東京ドーム正面の様子。 1934年に、日本初のプロ野球チームである大日本東京野球倶楽部(現在の読売巨人軍)が創立し、次いで東京・大阪・名古屋など各地にプロ球団が設立されました。東京市内にプロ野球専用の新しい球場を作る気運が高まり、1937年に東京砲兵工廠跡地として広大な空き地となっていたこの場所に「後楽園スタヂアム」が誕生しました。この球場はホームランが出やすく設計されていたので、プロ野球の醍醐味をファンに満喫させ、多くの観客を集めることとなります。その後、太平洋戦争のためにプロ野球は中断を余儀なくされ、球場自体も高射砲の陣地となり、グラウンドは菜園地となった苦難の時期もありました。しかし、敗戦後の1946年の早慶戦を皮切りに野球が再開されると、後楽園スタヂアムは球史に残る偉大な選手達による名勝負の舞台として黄金時代を迎えます。1987年に、球場は五十年にわたる歴史に幕を閉じることとなりました。翌1988年には日本初の全天候型多目的スタジアムである東京ドーム(愛称BIG EGG)が開場し、今日もプロ野球選手達が熱いプレーをみせています。(逢坂裕紀子) 参照URL:東京文化資源区案内4「スポーツを遊ぶ! 近代スポーツ 発祥の地をたどる」

  • 近衛師団の名残

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    北の丸公園のなかには吉田茂像をはじめとする銅像が建てられている。 北の丸公園がある場所は、江戸時代には将軍の近親者や側近の有力譜代大名の屋敷地でしたが、明治維新後には近衛兵営をはじめ陸軍関係の施設が置かれました。公園内や付近には、近衛歩兵第一・第二連隊の記念碑や、旧近衛師団司令部庁舎である東京国立近代美術館工芸館など、近衛師団の名残がいくつか残されています。写真は、近衛師団長を務めた北白川宮能久親王銅像(新海竹太郎作)です。(逢坂裕紀子) 参照URL:東京文化資源区案内4「スポーツを遊ぶ! 近代スポーツ 発祥の地をたどる」