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本然寺
本然寺は、寛永17年(1640)浅草御小人町(台東区元浅草三~四丁目付近)金左衛門屋敷に起立されましたが、享保15年(1730)に現在地に移転しています。境内には番長皿屋敷のお菊稲荷が祀られています。ここで、同心・松永弥四郎が僧になりすまし、向かい側の幸龍寺の小屋に潜む相川の虎次郎を監視します。 「…何しろ松永は、虎次郎を捕えた男だ。顔を見知られているから、いかに松永が張り切っていようとも、これを承知するわけにはいかない。松永は、そのかわりに、幸龍寺の近くの本念寺の僧として、幸龍寺へ入る小柳安五郎と連絡することになった…」24巻【誘拐】 ※作中では「本念寺」と表記
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幸龍寺
幸龍寺は玄龍院日春上人によって、浜松城外に開山された日蓮宗寺院です。徳川家康公が江戸に入府されるのに従い、天正19年(1591)湯島へ移転、その後浅草に移転しています。往時は幕府から150石の寺領を拝領し、浅草田圃に面していました。しかし、関東大震災で焼失し、昭和2年(1927)、現在地(世田谷区北烏山)へ移転、跡地には巨大な浅草ビューホテルが建てられました。 「…そして、最後の尾行をつとめたのが、相模の彦十であった。彦十は、みごとに虎次郎が隠れ住む場所を突きとめた。そこは、入谷田圃に面した幸龍寺という寺の境内にある小屋である。境内はひろく、墓地のあたりに、その小屋があった。もとは、幸龍寺に雇われていた百姓か何かの出作り小屋ででもあったのだろう…」24巻【誘拐】
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西光寺
浄土真宗大谷派(東本願寺派)に属する寺院です。現在は街の中に溶け込んでいる感じでご本堂も現代的な造りです。西光寺に池波正太郎先生のお墓があります。こじんまりとした墓地の中に、ひっそりとお墓があり、心静かに眠っているような印象を受けます。
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味噌問屋・佐野倉半兵衛
生駒の仙右衛門と鹿山の市之助の連合一味にに襲われた味噌問屋で、作中では「北馬道(台東区浅草二丁目)」にあたり、浅草寺の東側に位置します。「馬道」とは、昔、浅草寺に馬場があり、僧が馬術を練るためその馬場へ行くおりこの付近を通ったところ、その通路を馬道というようになったとも、遊客が馬を利用して吉原へ通う道筋であったとも言われています。
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船宿・嶋や
嶋やは今戸橋近くの設定で、長谷川平蔵がよく利用していることから、度々作中に登場します。今戸橋はかつて山谷堀に架かっていましたが、昭和に入り、山谷堀の埋め立てが始められると、昭和50年(1975)には完全に埋め立てられ、それに伴い今戸橋も役目を終えることになりました。かつて橋が架かっていた場所には遺構が一部残っています。 「…黒の着ながしに茶の帯、深編笠に落しざしというくだけた扮装(いでたち)で役宅の裏門から出て、深川石島町の船宿〔鶴や〕へ向かった~(中略)~ゆっくりと大川をのぼり、浅草・今戸橋に近い〔嶋や〕という船宿へ舟をつけたのは、八ツ(午後二時)ごろであったろうか…」4巻【五年目の客】
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待乳山聖天宮
待乳山は推古天皇の時代(592~628)に地中から湧き出た霊山であると伝えられ、その際に金龍が舞い降りて山を守護したと言われます。聖天様が鎮座したのは、霊山が現れてから6年後、この地が旱魃に見舞われた際、十一面観世音菩薩が悲愍の眼を開き、大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)の姿となってこの山に降臨し、苦しむ人々を救ったことに由来します。尚、麓には「池波正太郎生誕の地」碑が設置されております。池波正太郎先生は大正12年(1923)旧東京市浅草区聖天町61番地で誕生されました。 「…お千代は大川(隅田川)の河岸道を、どこまでも北へたどっている。今戸、橋場の町を過ぎれば、そのころの大川の両岸は全くの田園風景となるので、そのうちに夕闇がただようころともなれば、人眼に知られず、お千代が大川へ身を投げる場所はいくらもあった。~(中略)~お千代は、善太郎に胸のうちで呼びかけつつ、待乳山聖天の下を山谷堀へかかった…」2巻【妖盗葵小僧】 「…編笠の中から、平蔵は、粂八の背後に見える今戸橋へ視線を投げた。なるほど、いかにも物堅そうな中年男が、小さな荷物を抱えて、橋を北から南へわたりきったところである~(中略)~今戸橋をわたった男は、待乳山・聖天の下を、まっすぐに山之宿の方(かた)へ向かっている。岸井佐馬之助が、平蔵の編笠を受け取ってかぶりつつ、今戸橋をわたり、跡をつけて行った…」4巻【五年目の客】
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蕎麦や・亀玉庵(きぎょくあん)
作中の亀玉庵が位置する浅草奥山は、浅草寺の境内で、小芝居、辻講釈、曲ごま、居合抜、手妻などの芸人が技を披露した場所であり、また、楊枝店や矢場、水茶屋もあった盛り場であったと言われます。奥山は現在の浅草寺西側一帯を指しています。 「…浅草観世音(金竜山・浅草寺)へ参詣の人びとが群れている奥山であったが、この亀玉庵はまことに物しずかで、西にひろがる浅草田圃の上を白鷺(しらさぎ)が一羽、ゆっくりと飛んで行くのが見えた…」7巻【泥鰌(どじょう)の和助始末】