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小出内蔵助屋敷
小出内蔵助は二千石の旗本で麹町に屋敷地を持っており、幕閣でも大変重んじられた有力者でした。父・長谷川平蔵宣雄がお世話になっており、京都町奉行に栄転したのも内蔵助の働きかけてくれたことが要因となっています。「夢斎」と号し隠居しているが、80歳という高齢で病床に伏せているため、平蔵は激務の間を縫って度々見舞いに訪れています。 かつて麹町は甲州街道が通っていた交通の要衝で、周辺には旗本屋敷が並んでいました。 「…麹町二丁目に、二千石の旗本・小出内蔵助の屋敷がある。現当主は平蔵と同年配の人物だが、先代の小出内蔵助に、平蔵の父・長谷川宣雄が気に入られて、ずいぶんと世話になった…」16巻【白根の万左衛門】
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蕎麦屋 栄松亭
長谷川平蔵がお気に入りの店で、平川天満宮前に出店していました。平川天満宮は文明10年(1478)太田道灌が江戸城内の北へ建立したことに始まります。徳川家康の入府後、平川門外へ奉遷され、二代秀忠の頃に貝塚(現在地)へ遷りました。学者からの信仰が厚く、特に蘭学者・高野長英は門前で塾を開いていたと言われます。 「…平河天満宮は、江戸城の西、麹町三丁目の南、平河町にある。別当は天台宗の長松山・竜眼寺だ。表門から入った長谷川平蔵と木村忠吾が、両側に茶店が立ちならぶ参道を、彼方の大鳥居を目ざして歩みかけたとき、気配もなく擦り寄って来た男が…」16巻【白根の万左衛門】
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京極備前守高久屋敷
京極高久は丹後峰山藩の分家筋にあたる旗本・京極高庭の四男で、当時、若年寄を務めておりました。小説やドラマの中では、長谷川平蔵の上司として良き理解者として描かれています。京極家の御屋敷は上屋敷、中屋敷の記載はないものの、麹町に設定されています。現在は国立劇場一帯が推定値とされています。 「…若年寄の京極備前守高久から、平蔵へ急の呼び出しがかかった。平蔵は、沈痛の面持ちで衣服をあらためた。介添をしながら、妻の久栄が、『何事でございましょう?』尋ねたが、平蔵はこたえず、同心三名、小者二名を供に、麹町の京極屋敷へおもむいた…」22巻【迷路】