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  • 猿子橋跡

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    六間堀に架かっていた橋。一説には、堅川と同時期の開削(万治2年・1659)とされています。堀は「逆くの字」になっているのは、隅田川東沿岸の微高地を利用した作りになっているからであると考えられています。猿子橋の袂で長谷川平蔵は市口瀬兵衛の敵討ちの助太刀をしています。

  • 長谷川平蔵・遠山金四郎住居跡

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    明和元年(1764)、長谷川平蔵が19歳の頃、父・宣雄の屋敷替えによって築地から本所三ツ目に移ってきました。その時の敷地面積は1238坪もあったと言われています。寛政7年(1795)、平蔵が亡くなったあと、孫の代で江戸町奉行・遠山金四郎の屋敷地となりました。

  • 弥勒寺

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    本尊の薬師如来像は水戸光圀から寄進されたと言われ、江戸十二薬師の一つとして親しまれてきました。この門前には「茶店・笹や」があり、作中でも何度か登場します。ここで働いている名物婆さん・お熊は平蔵の捜査にも度々協力し、密偵としても活躍しました。

  • 五間堀跡

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    五間堀は小名木川と堅川を結ぶ六間堀から分かれる入堀です。一説よると、六間堀と同様に万治2年(1659)に開削されたと考えられています。「五間堀」の由来は川幅五間(約9m)であったことに因んでおります。昭和11年(1936)と昭和30年(1955)の埋め立てにより、完全に消失してしまいました。