嵐電沿線 まち歩きマップ

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本マップは、立命館大学の学生が、嵐電北野線沿線「北野白梅町駅~等持院駅」周辺を中心とする衣笠・北野エリアを歩きまわって見つけた、魅力的なスポットを広く紹介するものです。貴重な情報を下さった地域の皆様に厚く御礼申し上げます。

update date: 2018.03.10

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Number of spots : 14spots

  • 立命館大学

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    学問と文化・芸術の町、京都。その西北に位置する衣笠キャンパスは、金閣寺、龍安寺、仁和寺、そして等持院などの名刹に囲まれ、学問・研究の場にふさわしい静かなたたずまいの中にあります。衣笠キャンパスでは、ますます複雑化・多様化する社会に応じて、学部の垣根を低くして積極的に社会科学と人文科学の融合を進める中で、教育・研究の高度化をはかっています。

  • 絵画から見る京都

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    画家・堂本印象が自ら設計・設立した「堂本印象美術館」大きな特徴として印象自身がデザインした外装・内装と共に、展示されている作品は堂本印象の作品という点が挙げられます。 『古都』や『日本の心のふるさと』と評される京都ですが、それはけして歴史からみた京都という顔だけではありません。かつて日本の美術を支えた絵描きが京都を愛し、数多くの作品を残した京都は歩くだけでも、新しい顔を覗かせてくれることでしょう。桜、蝉の鳴き声、紅葉、雪などの四季の移ろいを感じながら、国の有形文化財である櫻谷文庫をはじめ、ロマンたっぷり詰まった町をお楽しみください。

  • 衣笠会館

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    「衣笠会館」は 1905 年、紡績会社・京都錦ネルの専務だった藤村岩次郎の自邸として建てられました。京都では珍しい煉瓦造りの洋館となっています。洋室の暖炉のデザインや二階の伝統的意匠の和室が魅力的です。

  • 京菓子司 笹屋守栄

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    わら天神の向かいにある創業 80 年の “本格派京菓子司”。“ごまかしのないおいしさ”を作るこだわりから、材料は上質のものを使用し、全て自家製造している。 笹屋守栄では、伝統を守った味、季節感あふれる味など、京都の伝統的な食文化に触れることができる。「わら天神宮」にちなんだ笹屋守栄特製「うぶ餅」や平野神社の桜を使用した「平野の桜」を販売するなど昔から周りの寺社仏閣と繋がりが深く、“京都らしさ” を楽しめる商品が数多く取り揃えられている。 さらに、堂本印象画伯の作品をもとに作製したオリジナルの包装紙はより一層京都を感じさせる。繊細かつ上品な味わいな京菓子を皆様もぜひご賞味ください。

  • 平野神社の桜

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    平野神社と桜について 紙屋川の西岸に位置する平野神社は桜の名所とし て4月になると数多くの人で賑わいます。この神社の由 来は平安時代からあり、平安時代は現在の京都御所 と同等の広さを誇る大神社となっていました。(地図 上の薄く色が掛かっている部分)現在の平野とつく地 名はその当時の境内であったといわれており、北端は 金閣寺付近まであったと伝わっています。 では、いつごろから桜の名所になったのでしょうか? それは平安時代からといわれています。当時、権力争 いが絶えなかった宮中の役人たちの中にはその争い により役職の位が下がった者もいました。そういった 人々が生命力を高める象徴であった桜をこの神社に 奉納し、また再び宮中に還り咲くことを桜の花に願っ たと伝わっています。その際に様々な品種の桜が奉納 されたため、境内には平野神社発祥の桜を含む60種 類以上の桜が4月には咲き誇ります。 また、毎年4月10日には花山天皇が舞踊を奉納したこ とが由来となっている桜花祭が開催されており、様々 な時代の衣装を身にまとった行列が桜咲く春空の下 を練り歩きます。ぜひ4月に桜の花に願いを込めて訪れてみてはどうでしょうか?

  • 大将軍神社

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    大将軍八神社は、一条通にある大将軍商店街の中にあります。 平安京をつくる際、方角の災いよけのために、「大将軍堂」という名 で建てられたのが始まりですが、江戸時代に大将軍神社と名を改め、 更に吉田神道により素戔嗚尊と暦神の八神を合祀する八将軍神の信 仰がおこったため、現在の大将軍八神社という名前になっています。 御祭神は、大将軍という陰陽道で暦の吉兆を占う神様です。場所や 方位を司り、大将軍のいる方位は三年ごとに移動するとされ、政など の際、その方位に関わることになるとよくないことが起こるとされてきま した。この信仰は平安時代から鎌倉時代にかけて盛んになり、貴族 や権力者たちにも重要視されてきました。 都の北西を守護する存在として、昔と変わらぬ場所で祀られています。

  • 妖怪ストリート

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    現在は洛中の最北部、一条通を付喪神と呼ばれる妖怪たちが行進したと言われる伝説に基づいて、「妖怪」をテーマに商店街の活性化を図っております。 妖怪にちなんだイベントとして、毎年夏に行われる大将軍商店街最大の行事「一条百鬼夜行」や、妖怪フリーマーケット「モノノケ市」などを開催しております。また、地域住民の皆様にとっての生活基盤として、長らく大将軍商店街がその役割を担ってまいりました。 今でも個性豊かな店舗が商店街に多数残り、現在でも営業を続けています。 商店街ではお買い物だけではなく観光も十分に楽しんでいただけます。 近隣には北野天満宮や大将軍八神社をはじめ、金閣寺や平野神社など、数十もの神社仏閣があり、また日本映画発祥の地として数ヶ所の撮影所跡地が残っております。 百鬼夜行の通り道「一条妖怪ストリート」こと大将軍商店街にぜひおこしやす・・

  • 二条天皇陵

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    第78代二条天皇の御陵「二条天皇香隆寺陵(にじょうてんのうこうりゅうじのみささぎ)」です。住宅地に囲まれた他の天皇陵と何ら違わない普通の天皇陵という印象ですが、面積はかなり広く、比較的近い三条天皇北山陵や花山天紙屋川上陵よりも雄大な印象です。

  • 史跡 御土居

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    豊臣秀吉が都市改造の一つとして1591年、京都の周囲に築いた土塁です。その跡10ヵ所が史跡になっており、東は鴨川、西は紙屋川まで、北は鷹峯、南は九条まで総延長24キロにおよぶ高さ5メートル前後、底辺幅10メートル前後、城塞を兼ねた防災施設で、洛中、洛外が区別されるようになったとか。

  • Café Roy's Garden

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    Café Roy's Gardenでは、ケーキと一緒においしい紅茶やコーヒーがお楽しみいただけます。

  • 本野精吾自邸

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    大正 13 年(1924)に本野清吾自らの設 計で完成した「本野清吾邸」。中村鎮式 コンクリートブロックを剥き出しのまま使用 するという独特な手法により、日本のモダ ニズム建築の先駆けとなりました。

  • お好み焼き ジャンボ

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    創業は今から約40年前。初代女将の江島奈津子さんが「学生さんにお腹いっぱい食べてもらいたい」という思いをもって、ボリュームたっぷりのお好み焼きと焼きそばをメインに始めたのだそう。お店の近くには立命館大学があり、今も昔も腹ペコな学生さんたちがひっきりなしに暖簾をくぐります。

  • 等持院

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    室町幕府の有力者であった足利尊氏が1341年に創建した禅寺。名物のユニークな達磨図は禅宗の開祖である達磨大師を描いたもので、天龍寺の元管長で等持院の住職でもあった関牧翁(せき・ぼくおう)の作。池を回遊できる庭園は高僧にして天才造園師と謳われた夢窓国師の作といわれています。寺院内から対岸の茶室を眺めてほっこりするのもおすすめです。

  • 亀田利三郎薬舗

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    亀田家は近江国甲賀郡(滋賀県)の出身。 江戸中期・元禄の頃京都へ出て五条室町に店を構えました。 代々、井筒屋利兵衛の名で、紅商を営んでおりましたが、のち呉服商に転じ、 六代目利兵衛の長男利三郎が親戚の清水焼の陶工・真清水蔵六と景徳鎮へ渡中したとき上海で病気になり、現地で入手した六神丸でたちまち快癒したのをきっかけに、この六神丸を日本へ輸入し売り広めようと、雷氏方という処方を学んで帰国しました。 当初は、蘇州の雷桐君堂の六神丸を中国雑貨(緞子類など)と輸入して販売していましたが、明治26年、六神丸の評判がよいため、呉服商から薬屋へ転業。そして六神丸を輸入すると同時に、国産化の研究に精魂を注ぎ、 明治32年、輸入している六神丸に鶏冠石(砒素)が含まれていたため輸入禁止となったのを機に、国産の 赤井筒薬六神丸を販売し今日に至っています。