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  • 仁和寺街道御前西入下横町の🐼ぱんだんご(もも) 「ぱんだの散歩」木・金・土曜のお昼から売り切れまで営業されてます。かわいくて柔らかくておいしい!(石﨑)

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  • 仕出し屋さん、少なくはなってきたけど、まだ存在感は失っていません。法事があったら利用する人は結構いますし。でも若者だけで利用することは、まぁないでしょうねぇ。(鳴橋)

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  • 個人の敷地内にある神社。どんな由来なのか、天神さんと関わりがあるのか興味のわくところ♪(鳴橋)

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  • 近くのお寺にあった日活スタジオの小道具を扱っていた高津商会ゆかりの会館(石﨑)

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  • 大将軍八神社に日本映画の父マキノ省三、目玉の松ちゃん寄進の玉垣(もも)

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  • 歴史を感じる看板。天神さん鳥居近く西側の酒屋さん。(石﨑)

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  • 壁にうっすら残る「えさのみかわや」の文字。どんなお商売だったのか、気になります(石﨑)

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  • 文子天満宮。菅原道真さまのお母さん。住所は天神筋ではなく、御前通西裏上ノ下立売上ル北町南部。西の←裏←で上ノ下↑↓で上ル↑北↑南↓ すごい。(もも)

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  • 北町公園の向かいに苔むす藁葺き屋根の門。(もも)

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  • この辺りのことが、楽しく詳しく紹介されています。グレゴリ青山さん「深ぼり京都さんぽ」(集英社)

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  • 境内の西側が相合図子通で通りを渡ると墓地があり、そこには島左近のお墓があります。(田村)

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  • 千中の時計塔。昔は千本通ぞいの店、家の人が時間を見るため外に出て見ていました。大正時代末期から昭和初期に建てられました。京都市の景観施策で近年に広告看板が外され、昔の時計が現れました。昔ここにあった木村時計店の「村木」の字があります。

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  • 佐久間良子出演の映画「五番町夕霧楼」冒頭シーン

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  • 正親小学校 校歌(140周年記念フェスティバル、ラ・ヴィタ・ボーイズ)

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  • 正親小学校の「第二校歌」とも言える「正親の歌」。昭和33年ごろ、児童数が1000人を超えた(現在は175人ほど)のを記念してつくられたそうです(正親小学校創立140周年記念フェスティバルで、商店街バンド「ラ・ヴィタ・ボーイズ」演奏)

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  • 上下反転、再利用?看板が錆びてきて、元に書いてあったものと思われる字が白く浮かび上がってきています。「南区東九条南烏丸町」と読めます。南区は1955(昭和30)年に下京区から分かれて発足しているので、元の看板はそれ以降に作られたものですね。(石崎)

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  • 平成に入るぐらいまで立命館大の学生が下宿していた、このあたりの旧遊郭 としては最大の建物でしたが、2018年春に解体されました。

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  • 仁和寺街道(の特に千本通~土屋町通 間)を、地元の年配の人たちは「なべちょう」と呼びます。幕末に東側にあった「佐賀鍋島藩屋敷」に近いから、あるいは千本通や中立売通と高低差のある「鍋底のような地形」から、もう 一説は、同じ鍋島でも、豊臣家の主力家臣で、のちに初代佐賀藩主となった鍋島信濃守勝茂のゆかりとも。たしかにこの辺は信濃町。さて真相は?(石崎)

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  • 安楽寺天満宮の座れないベンチ。「抹茶入りバウムクーヘン」みたい(石﨑)

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  • 細い路地の中にある弁天さん。小さいけれど、周辺の住民に大事にされているのが伝わってきます。(鳴橋)

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  • この辺りは熱烈な天神さんの氏子さんの集まり。(鳴橋)

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  • 同じ狭い道をはさんで2つの商店街が並立している所って、他にあまり無いのでは?さらに、すぐ東には北野商店街も。(石﨑)

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  • 報土寺の「遊女観音」。かつて一帯に遊郭が多く、身寄りなく亡くなった遊女たちをとむらうため、近年、前住職が近年、まつられました。

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  • 岡崎の京都府立図書館 北側にある明治の御雇い外国人の顕彰碑。造ったのは「千丸」の石材店です。(石崎)

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  • 活きのよさそうな おさかな君のモニュメントと、活魚の看板。別のお店ですよ~(石﨑)

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  • 同じ平面を歩いているつもりが、なぜか階段に出会う。表は1階、裏から見ると2階という家も多いこの界隈。聚楽第や御土居の造営と関係は ありやなしや?(石﨑)

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  • 京都大防災研究所と京都市考古資料館が、表面波探査(木槌で人工的な振動を起こして地震計で測る)をもとにつくった聚楽第復元図です。ここの段差は、この調査では堀跡とされていません。中立売通より北、パチンコ屋と銭湯の間の「堀跡」とされる部分を、実際に見てください。今も少し くぼんでいますよ。(石崎)

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  • コンビニの周りの基礎部分をご覧ください。ここは以前は西陣長久座という映画館でした。元は1911(明治44)年に長久亭という寄席として造られ、1927(昭和2)年から1960(昭和35)年まで映画館でした。お客さんが奥から館外に出る造りだったため、周りに飲食店街ができたようです。古地図は、近代京都オーバーレイマップ昭和26年頃京都市明細図より。(石崎)

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  • 昔の町並みは…

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    千本通には昭和(戦後)の繁華な雰囲気を今に伝える建物は数多くありますが、戦前の町並みは どんな感じだったのでしょうか。千本商店街で、昔を知る年配のかたに お尋ねしたところ、「今 残っているのは、あそこぐらいやなあ…」と 教えてくださいました。千本椹木町の南東角の木造の建物です。今より狭かった千本通の両側に このような建物が連なっていたようすを思い浮かべてみます。その町並みの中で、点在していた 千本座、長久座、北野劇場、昭和館といった映画館・芝居小屋は ひときわ華やかに目立った存在だったことでしょう。(石﨑)

  • 昔から空き地です。今は地域のかたが管理して栽培などに使っています。古地図は近代京都オーバーレイマップ(昭和26年頃京都市明細図=京都府立総合資料館所蔵)より。

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  • 今の「千本日活」は、映画館としては昭和36年に「五番街東宝」としてオープンしました。宝田明や浜美枝も来演したようです。ここは、昔は「遊郭事務所」でした。古地図は、近代京都オーバーレイマップ(昭和26年頃京都市明細図=京都府立総合資料館所蔵)より。(石崎、田村)

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  • 水上勉「五番町夕霧楼」冒頭部分

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    『 五番町は、京都人には「ゴバンチョ」と少し早口でよばれる語調をもった、古い色街である。 詳述しておくと、西陣京極のある千本中立売から、西へ約一丁ばかり市電通りを北野天神に向って入った地点から南へ下る、三間幅ほどしかない通りである。この通りは丸太町まで千本と並行してのびているが、南北に通じるこの通りを中心にして、東西に入りこむ通りを含めて、凡そ二百軒からなる家々は軒なみ妓楼だった。 どの家も古い建築で、大きな塀に囲まれた構えをもつ館も二、三はあった (…後略) 』

  • 天神筋を一条通下がって東側にあります、南妙法蓮華経の石碑。一体ここは昔、何があったと思いますか?1912年から1918年の6年間、日本映画の産声高くここは日活関西撮影所(法華堂撮影所)だったのです。チャンバラが繰り広げられていたかも。(もも) 法華堂。撮影所跡(石﨑)

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  • 天神筋を仁和寺街道下がったところに天使がいます。(もも)

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  • 紙屋川には橋が多い!仁和寺街道の「鍋町橋」から南を望む。町内ごとに橋がある?(石崎)

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  • 「思い出の西陣映画館」上京史蹟と文化1992vol2 より。

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  • KRP町家スタジオ

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    昭和初期の町家を活用した起業支援拠点。シェアオフィスとレンタルスペース。

  • 源湯が見えてきた!(石﨑)

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  • この道の傾き!(石﨑)

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  • 紙屋川、やっぱり橋が多い(石﨑)

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  • だるま寺。随所に だるまのデザイン(石﨑)

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  • 安楽寺天満宮の中にあるお稲荷さん。由緒書には、生々しい歴史が((((;゜Д゜)))) (石﨑)

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  • 奥渓家住宅。綺麗。(始史)

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  • 天神筋のクランク!(石﨑)

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  • 滋賀銀行は京都銀行よりも京都進出が早く、交差点を押さえてるらしい。日本最古の電車あと(もも)

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  • 法輪寺、だるまでら でダルマだらけ(ニーナ)

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  • フォントもタイルも素敵。アルバイト募集中。(始史)

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  • 立本寺(りゅうほんじ)の墓地前にある石碑。島左近、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」のときに出てましたよね。(鳴橋)

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  • ちょっと見えにくいけど、たしかこの向こうのお墓の中に、隠れキリシタンのお墓が混じっていたような。(鳴橋)

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  • 「といし」って分かります?他に「砥石屋」さんがあるのを見たことないくらいなので、今は珍しいですよね♪ みんな砥石をわざわざ買ってまで包丁研がないですしね〜(鳴橋)

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  • 昔ながらのあられ屋さん。あられが種類別に入れられて、量り売りされているようです。(鳴橋)

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  • 変わった感じの建物。(もも)

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  • 七味唐辛子屋さん。七味のそれぞれの配分をカスタマイズできる、昔スタイルのお店です。開いているのを何度も見たことがありますが、最近はどうなのかな?(鳴橋)

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  • 下立売七本松西入ル北側のお寺2つ。それぞれが仏様のお参りルート(三十三箇所みたいな)の一つになっています。今で言うたらスタンプラリーみたいなもの。小さなお寺でも、何らかのルートに入ってて、それに沿って行くとそれぞれの仏さんにお参りに来られるようになってたんですね。(鳴橋)

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  • 出水七不思議の一つ、観音寺の百叩きの門。この門の前で百叩きの刑が行われ、その声がこの門から聞こえたって聞いてます。この門はもともと桃山城の牢獄の門です。(鳴橋)

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  • 「各国醤油」って、どんなのだろう?(石﨑)

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  • 製麺所の古い看板。「味もピッタリ 一日一食 粉食めしませ」。なかなかの名コピー! ちょうつがいで可動式です。(石﨑)

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  • 下立売通御前東入ルの「西東町」。ここの町内会は「西東町西部」。さらに言うと、この看板の西隣にある商店は「東」の付く名称です。(石﨑)

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  • 安楽寺天満宮。菅原道真なきあと、最初に京都にできた天満宮と伝わるそうです。手製の由緒書の横長なこと!文子天満宮と100mほどしか離れていません(石﨑)

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  • 昨年(2016年)6月のこと。鳥居前の常夜燈に、番組の文字があるのが目にとまり、上京区か?下京区か?と見てみると、「江戸」「消防方」と、幕末の「元治」の年号。他に何か分かる手がかりがないか探していると、自転車に乗った近所のおっちゃんが、将軍徳川慶喜に付いて上洛した江戸消防方の新門辰五郎が奉納したと聞いている、と教えてくれました。どうも元 消防関係者らしく、ピンポイントで詳しいようです。(石﨑)

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  • 「どの筋」か、気になります。幼稚園も、今は無く。(石崎)

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  • 西陣ちりめん山椒処 藤井商店

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  • 千中(千本中立売)の「時計塔」「市電最後の日」写真。京都市電北野線は昭和36年7月31日に廃止されました。これらの貴重な写真は、近隣の田中さんが、まち歩きガイド用に公開してもよいと、快く提供してくださったものです。広告看板や、道を走る車、自転車にも時代を感じます。(田村、石崎)

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  • 蓄音器店!

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    今は学生マンションになっています。近年まで、閉店はしておられたけれど「蓄音器店」のシャッターがありました。(石崎)

  • 千本上長者町から見る右大文字、かなりの混雑でした。ご近所さんに頂きましたコップ一杯の水。 大文字をコップの水で透かしてその水を飲むと願い事(無病息災)が叶うとか。たくさん方がコップを持っておられました。願い事が叶いますように。(田村)

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  • 遊郭だった建物をそのまま生かした あるお店に、地下への細い階段が。狭い地下室の壁面に、落書きが残っています。(石崎)

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  • 学生ベンチャーとしてこの地に生まれ、半世紀前に移転したローム(東洋電具製作所)の跡地は、このあたりです。雑誌のコピーは昭和42年11月23日号の「週刊現代」より

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