桜井・宇陀の花・祭・寺社マップ

<html> <body>題名<br>桜井・宇陀観光周遊ぶらり<br> <hr>所蔵者/提供者<br>桜井宇陀広域連合<br> <hr> </body> </html>
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大宇陀温泉あきのの湯
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大宇陀温泉あきのの湯 (おおうだおんせん あきののゆ) 「心の森」多世代交流プラザ、「大宇陀温泉あきののゆ」は、極めて良質なアルカリ性 単純温泉で、やわらかなぬめりのある『美人のいで湯』です。源泉名:大宇陀温泉あきののゆ泉 温:34.1度湧出量:日量230立方メートル泉 質:アルカリ性単純温泉

ふるさと元気村 地域の環境や特性を活かし、「文化芸術」をテーマに自然体験や文化芸術活動を通じた交流活動によって、地域や地域に住む人々が元気になってほしいとの思いから、地域振興を目的に廃校となった小学校をリニューアルしています。

与喜山暖帯林 (よきやまだんたいりん) 見どころ/特徴:種類は指定地域の周辺も含め約950種に及び、我が国の暖帯北部における代表的な林相を示す森林。野鳥の宝庫にもなっている。 歴史/由来:長谷寺の舞台から南面して斜め左に拝される山が与喜山である。滝倉は本地主神、与喜山は今地主神といわれてきた。与喜山は長谷寺の寺領として伐採が禁じられ、原生林の状態が残され、天然記念物に指定されている。

歴史的まちなみ (れきしてきまちなみ) 江戸時代、大宇陀地域は奈良、大和郡山につぐ規模の町で、薬や紙等の集積地として栄え、また政治、経済、文化の中心地であった。現在も格子戸や白壁の民家等、当時の面影を残した町なみが残っている。

大神神社 (おおみわじんじゃ) 見どころ/特徴:大三輪の神は国造りの神様、また医療、酒造、方除等、人間の生活全般の守護神として、大和の国一の宮、三輪明神として親しまれている。本殿は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、三輪山を拝するという、原初の神祀り方を今に伝える。 歴史/由来:御祭神大物主大神(大国主神)の御魂が三輪山に留まり、山全体を御神体とする日本最古の神社。

狭井神社 (さいじんじゃ) 見どころ/特徴:拝殿の左後ろに、この神社の由来になっている神水の井戸・狭井がある。ここから湧き出る水は昔から「薬水」と呼ばれていて、この薬水を飲めばいろいろな病気が治るという。 歴史/由来:狭井神社は狭井川の畔にある大神神社の摂社で、正式な名前は「狭井坐大神荒魂(さいにいますおおみわあらみたま)神社」という。本社の荒魂をお祭しており、延喜式神名帳に記されている古社。古より「華鎮社」と称された。

玄賓庵 (げんぴあん) 見どころ/特徴:世阿弥の作と伝えられる謡曲「三輪」に登場します。その筋書きでは、玄賓がここで三輪明神の化身である女性と知り合い、三輪の故事神徳を聞かされました。不動明王は重要文化財。 歴史/由来:今から千百年前、平安時代初期、高徳僧で名医でも有った玄賓僧都が隠棲したと伝える庵。もと三輪山の檜原谷にあったが、明治の神仏分離で現在地に移された。

桧原神社 (ひばらじんじゃ) 見どころ/特徴:西に続く檜原台地は大和国中を一望する絶好の地。春分、秋分のころ、神社の正面に見える二上山に夕日が沈む様子は、幻想的である。 歴史/由来:皇居に祭っていた天照大神の神霊を、崇神天皇が豊鍬入姫命に託して祭ったと言われる。元伊勢の伝承地である。

穴師坐兵主神社 (あなしにいますひょうずじんじゃ) 見どころ/特徴:山の辺の道から300m程東へなだらかな坂を登ると神社の入口がある。秋には参道沿いの紅葉が美しい。 歴史/由来:社記によると、本社は崇神天皇の時代、倭姫命が天皇の御膳の守護神として奉祭せられたという。祭神は穴師兵主神。

等彌神社 (とみじんじゃ) 見どころ/特徴:上ッ尾社と下ッ尾社に別れている。神社入口に友情句碑として、佐藤春夫の句碑と、堀口大学の句碑が併せて建碑されており、偉大な両詩人の碑をたずねくる人も多い。 歴史/由来:創建の年月は明らかではないが、鳥見山の西麓を能登山というところから、「能登宮」ともいう。延喜式内社である。

音羽山観音寺 (おとわやまかんのんじ) 見どころ/特徴:融通念仏宗。新西国17番札所。本尊は木造千手千眼十一面観音菩薩立像。古くから眼病に霊験がある。境内の東端には県指定文化財のお葉付きイチョウの木がある。 歴史/由来:定慧が妙楽寺建立の際、同寺の鬼門よけとして建てたなど複数の創建説が伝わる。一時は栄えたが、中世に衰退、江戸期に再興された。

安倍文殊院 (あべもんじゅいん) 見どころ/特徴:本堂の右に釈迦堂、左に大師堂、本坊、庫裡が並ぴ庭園を隔てて方丈客殿につらなっている。日本三文殊の一つとして「智恵の文殊さん」で親しまれ、学業成就の祈願に訪れる人も多い。また境内には、金閣浮御堂、特別史跡の西古墳、閼伽井古墳もある。春は桜、秋はコスモスなど花の見所も多い。 歴史/由来:大化元年(645年)に安倍倉梯麻呂(くらはしまろ)が創建した安倍寺の後身といわれる。安倍氏の氏寺として阿倍仲麻呂や平安時代の陰陽師安倍晴明ゆかりの地としても知られる。

長谷寺 (はせでら) 見どころ/特徴:仁王門から本堂へ続く登廊が印象的。399段ある石段を登りながら、桜、牡丹、あじさい、紅葉、寒牡丹など四季折々の花が楽しめる。本堂の舞台からは、門前町や与喜山の原生林が一望できる。 歴史/由来:山は山号を「豊山」と称える。創建以来9度の罹災で焼失と復興を繰り返す。現在の本堂は、1650年に再建されたもので、平成16年10月に国宝に指定された。真言宗豊山派の総本山として、また西国三十三観音霊場第八番札所として、全国に末寺三千余ヶ寺、檀信徒はおよ三百万人といわれ、四季を通じ「花の寺」としての多くの人々の信仰をあつめている。

談山神社 (たんざんじんじゃ) 見どころ/特徴:本殿・拝殿などの華麗な社殿や日本唯一の木造十三重塔とともに、四季通じて楽しめるところ。古事にちなんで桜や紅葉と共に春秋に行われる古式ゆかしいけまり祭も有名である。 歴史/由来:645年の5月、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足公)は、多武峰に登り「大化改新」の談合を行ったことから、後にこの山を談山、談所ヶ森と呼び神社社号の起こりとなった。藤原鎌足を祭神とする。

聖林寺 (しょうりんじ) 見どころ/特徴:山門からの展望がよく、三輪山が美しく一望できる。近在では安産祈願のお寺としても知られている。国宝十一面観音像は天平彫刻として有名で、日本彫刻史上の代表作の一つに挙げられる。 歴史/由来:和銅5年(712年)、藤原鎌足(かまたり)の長男定慧の創建。藤原家の氏寺、妙楽寺(現、談山神社)の別院。

笠山三宝荒神社 (かさやまさんぽうこうじんしゃ) 見どころ/特徴:1月28日、4月28日、9月28日の大祭には、神輿のお渡りが行われる。 歴史/由来:日本三大荒神の一つ。古くから「笠の荒神さん」として親しまれ、カマドの神様として信仰があつい。標高480mの大和青垣山国定公園高原にある。

山田寺跡 (やまだでらあと) 見どころ/特徴:現在、奈良の興福寺宝物館に収納されている「仏頭」は、この寺にあった丈六薬師仏である。また、史跡整備に伴う発掘調査では、東廻廊が倒壊したままの状態で発見されており、この連子窓は、山田寺跡から約300m西にある飛鳥資料館に展示されている。 歴史/由来:大化改新時の右大臣蘇我倉山田石川麻呂により皇極2年(643年)に建立されたと伝えられる。伽藍配置は四天王寺式で、国の特別史跡として整備されている。

土舞台 (つちぶたい) 見どころ/特徴:「土舞台」顕彰碑は、桜井市出身の評論家・保田與重郎氏の雄渾な文字を彫ったものである。 歴史/由来:「日本書紀」推古20年(612年)に百済の人、味摩之(みまし)が呉で「伎楽舞(くれのうたまい)」を学び、これを聖徳太子がご覧になって、この地で少年を集めて習わしめたという。土舞台は、初の国立演劇研究所がつくられた所であると伝えられている。

箸墓古墳 (はしはかこふん) 見どころ/特徴:前方後円墳の中では最古式の1つ。邪馬台国の女王「卑弥呼」の墓ではないかとも考えられている。 歴史/由来:全長272m、3世紀後半ころの築造で、宮内庁によって倭迹迹日百襲姫命の墓に指定されている前方後円墳。『日本書紀』には、昼は人が造り夜は神が造ったとの不思議な記事が残る。

阿紀神社 (あきじんじゃ) 社伝によると、垂仁天皇の御代皇女倭姫命が天照大神を祀った宇多の阿貴(阿騎)宮が当社の起こりとなっている。杉小立におおわれた境内には、神明造りの本殿と現在では非常にめずらしい能舞台があり、毎年「あきの蛍能」が開催されている。

万法寺 (まんぽうじ) 真宗本願寺派、永和3年(1377年)の創建となっていますが、縁起によると真宗に帰依市、本願寺証如宗主の弟子となった旧領主伊藤掃部頭の弟伊藤五郎太夫が、元亀二年法隆寺で聖徳太子の霊告によって本寺を建てたと伝えられています。本尊は阿弥陀如来で、堂内には聖徳太子像も安置されています。本堂は平成5年3月5日県の文化財に指定されました。

大願寺 (だいがんじ) 真言宗御室派、本尊十一面観音菩薩像は神亀元年、徳道上人の作と伝承され、創建は推古時代と伝えられている。境内には織田松山藩主織田信武建立の昆沙門堂や、県下でも数少ない仏足石がある。 また、昼食のみだが薬草料理が食べられる。(要予約)

平等寺 (びょうどうじ) 見どころ/特徴:本尊は十一面観音菩薩。関ヶ原の戦いに破れた島津義弘が、一時この寺でかくまわれていた。 歴史/由来:この寺は、西暦581年に聖徳太子が賦徒を平定するため、三輪明神に祈願して賦徒平定後十一面観音を彫んで寺を建立し大三輪寺と称したのにはじまる。鎌倉時代に僧慶円上人(三輪上人)を迎え、平等寺と改称された。明治の廃仏毀釈令により一時崩壊したが、昭和52年3月に復興した。

阿騎野人麻呂公園 (あきのひとまろこうえん) 古代の猟場であった「阿騎野」の中心的施設があったことが判明し、現在遺跡公園として保存されている。公園内には掘立柱建物2棟、竪穴式住居1棟や、中山正實画伯の壁画「阿騎野の朝」をもとに作られた柿本人麻呂像がある。
かぎろいの丘万葉公園
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かぎろひの丘万葉公園 (かぎろひのおかまんようこうえん) 万葉植物の植栽や東屋等を整備し、その他に柿本人麻呂が詠んだ「ひむがしの 野にかぎろひの立つみえて かへりみすれば 月かたぶきぬ」の歌碑がある。

宇太水分神社 (うたみくまりじんじゃ) 「水分」は「みくまり」と読み、流水の調節や分配を意味する「水配り」のことです。現在でも「水分」の二文字のついた神社は大和地方の各地にありますが、特に宇陀水系の水分信仰は農耕と深い関わりを持っています。その中でも、中心的な役割を果たし、全国の水利関係者や農業関係者の崇敬を集めているのが、菟田野芳野川沿いにある宇太水分神社と惣社水分神社です。古市場にある宇太水分神社は、崇神天皇の勅祭社ともいわれる古社で、その起こりは、垂仁天皇の時に神託によって社殿が建設されたことにはじまると「玉岡水分社縁起」には記されています。源頼朝が子どもの頃に植えたといわれる杉の巨木に囲まれた境内に建つ本殿は、鎌倉時代のもので、中央と左右の三殿からなる水分連結造りの古い形式をとどめています。全体に鮮やかな朱が施された社殿は、現在国宝に指定されています。また、境内社の春日神社と宗像神社の本殿も、それぞれ国の重要文化財に指定されています。 〈所在地〉宇陀市菟田野古市場Tel.0745-84-2613三家一彦宮司宅

日張山青蓮寺 (ひばりやませいれんじ) 宇賀志川の上流にある緑美しい閑静な山、それが日張山です。その中腹にあるのが、青蓮寺です。境内に鐘楼、檜皮葺の阿弥陀堂、そして萱葺の開山堂が静かに並ぶこのお寺の起こりには、悲しい伝説が残されています。 時代は奈良朝、継母の中傷により父藤原豊成の命名で日張山に流された中将姫。本来なら処刑されるところだったものを、ことの真相を知った松井嘉藤太夫妻に助けられ、姫は一庵を設けて念仏三昧の日々を送ることになりました。数年後、菟田野へ遊猟に赴いた父と再会し、奈良の都へ連れ戻されてしまいました。しかし、世の無常を感じる姫は、当麻寺で得度を受け尼僧となり、19歳の時に再び日張山へ戻って、一宇の堂を建立しました。生涯そこで仏に祈りを捧げたと伝えられています。 現在も、中将姫の命日にあたる4月14日には厳かに法要が行われ、各地から姫を慕う信者が集まってきます。 〈所在地〉菟田野宇賀志Tel.0745-84-2455森本孝瑞住職宅

大師山石仏群 (たいしやませきぶつぐん) 菟田野地域の北東、平井の大師山に残る四国八十八カ所を模した霊場。幕末の石工、丹波の佐吉照信が弟子達と共に刻んだもので、約100体の石仏が大師山を取り巻いています。各石仏には本尊を浮き彫りにして、本尊の仏名、霊場番号、霊場名を刻んでいます。この霊場は、嘉永・安政の頃に各地の施主によって寄進、建立されたもので台石に寄進者の名前がきざまれてれています。 〈所在地〉菟田野平井Tel.0745-84-2521菟田野観光協会

戒長寺 (かいちょうじ) 戒場山のすそ野にある静かな山寺の戒長寺は、平安時代には地方の戒律道場として栄えた。境内を隣接して戒場神社がある。国の重要文化財である銅鐘、奈良県指定の天然記念物であるオハツキイチョウ、ホオノキなど見どころがいっぱい。 〈交通〉山辺三または天満台東3丁目バス停下車、徒歩2Km、約30分。

戒場神社 (かいばじんじゃ) 戒長寺の本堂横に鎮座しています。戒長寺の鎮守社として創建されたようです。以前は十五社大明神と称されていたました。戒長寺が鎌倉時代以前の建立とされており、古さをものがたっています。本殿棟札に、貞享5年(1688年)のものが有ります。祭神:大山祇命

墨坂神社 (すみさかじんじゃ) 古事記や日本書紀には、崇神天皇が大和の疫病を鎮めるため、「墨坂神」と「大坂神」を祀ったところすっかりおさまったと記されている。本殿は奈良の春日大社の本殿を移築したもので朱の色が緑の木々に映えて美しい。 秋祭りには、元の社地「天の森」から渡御行列が行われる。

三季館 (さんきかん) 三季館は、村立御杖西小学校の分校が校舎としての役目を終えて、宿泊施設に生まれ変わったもの。大きな下駄箱や長い廊下、木洩れ陽が降りそそぐ教室など、木造校舎のぬくもりがあなたをやさしく迎えてくれる。 採れたばかりの旬の野菜を使った郷土料理も、美味しいと評判。クラブやサークル活動の合宿にも最適だ。

室生山上公園 (むろうさんじょうこうえん) 室生寺と対峙した山の上約8haの空間に、イスラエルの彫刻家ダニ・カラヴァン氏によりデザインされた自然とアートが調和する芸術性豊かな公園です。第2の室生寺を目指した現代の理想郷である芸術空間を満喫してください。

そばの花 笠地区 初瀬の北5kmほどの山間部の大和高原では、9月初旬ごろ白いソバの花が一面に咲く。信州に似た清涼な気候でソバの栽培に適しているといわれ、味も上々でいまでは「笠そば」は、三輪そうめんと並ぶ名産品にあげられています。

滝谷花しょうぶ園 (たきたにはなしょうぶえん) 静かな山あいの里にある滝谷花しょうぶ園は、1万坪の園内に自然の風情をそのままに池や四阿が配され、600種、100万本の花菖蒲が植えられ6月の花の時期には、気品ある紫、白、ピンクなどが咲き競う。また、花暦のように四季折々に、てっせん、しばざくらなどが園内を艶やかにまた、清楚に彩る。 〈交通〉近鉄三本松駅から臨時バス6分、または同駅から徒歩25分。車の場合は、名阪国道針ICから国道369号、県道28号、国道165号経由、又は、名阪国道小倉ICからやまなみロード、国道165号経由で約11km。

山部赤人の墓 (やまべのあかひとのはか) 大和富士の東方山腹、東海自然歩道沿いの桧林にある高さ2.1メートルの五輪塔が山部赤人の墓と伝えられる。赤人は、生没年不詳のため謎の部分が多いが、地元の人々は赤人の墓と伝え守っている。

室生ダム湖畔 (むろうだむこはん) 昭和49年(1974年)に完成した多目的ダム。高さは64メートルあります。正面に見える吊り橋は赤人橋。周辺は春の新緑、つつじ、秋は燃えるような紅葉に彩られてとても美しい。

竜鎮・深谷渓谷 (りゅうちん・ふかやけいこく) 室生ダムに注ぐ深谷川は、深い渓谷をなし、春は新緑、夏は納涼、秋は紅葉、そして冬は雪景色と四季を楽しませてくれる。 その昔、水を求めて竜神が移って来られたと伝えられる水の豊かな谷川で、見所の竜鎮の滝には祠が祭られている。 「やまとの水31箇所」に選ばれた水のきれいな渓谷。

高井の千本杉 (たかいのせんぼんすぎ) 千本杉はオモテスギといわれる吉野杉で、根幹は16本の杉が集まって1株のようになっており、根周り35mに及ぶ巨木。 また、千本杉の株元には古い井戸があり、杉が自然に水を集める作用を利用した日本最古最大の井戸杉ではないかと推定されている。 この杉は、空海が室生山へ登った際にこの場所で弁当を食べ、そのはしを地にさしたところ生育したという逸話があり、地元では霊木としてあがめている。

額井岳(大和富士) (ぬかいだけ) 標高は816m。大和富士とも呼ばれ、南方からは漢字の「山」の形に見える榛原を象徴する山。頂上には竜神を祀る祠があり、干ばつのときにここで雨ごい行事が行われている。山頂からの南北の眺めはすばらしい。 (※写真は、下井足から見た額井岳です)

八咫烏神社 (やたがらすじんじゃ) 慶雲2年(705年)から祀られ、祭神は武角身命。その昔、神武天皇即位前紀によると、熊野で道に迷った天皇を宇陀まで道案内をしたのが八咫烏。 古くから宇陀には「八咫烏伝承」があり、これがのちにこの神社の創祀となったようです。『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』には、鴨武角命が八咫烏とされている。 かれは勇猛で山野を行く姿が、烏が空を飛ぶようであったことから八咫烏という尊称で呼ばれるようになったと伝えられている。

室生寺 (むろうじ) 女人禁制の高野山に対して女性の参拝を認めたため「女人高野」として古くから万人に親しまれてきました。役の行者の開創、弘法大師の再興とも、興福寺の高僧賢きょうの創建とも伝えられています。国宝の釈迦如来立像に代表される仏像や寺宝はどれも超一級の文化財です。 弘法大師が一夜で建立したといわれる五重塔は屋外のものでは世界最小のもの。また、シャクナゲに代表される花の寺としても有名です。穏やかな仏像のお顔を拝見するもよし、四季折々の美しい花々を愛でるもよし…。 〈交通〉電車の場合は、近鉄室生口大野駅から室生寺または血原橋行きバス15分、室生寺下車徒歩5分。車の場合は、名阪小倉ICからやまなみロードで約15km、約25分。

大野寺 (おおのでら) 古くから室生寺の末寺として「室生寺の西門」とよばれてきました。その対岸に有名な大野寺磨崖仏(まがいぶつ)があります。鎌倉時代に後鳥羽上皇の勅願で造立され、総高約14mもあります。春には境内の樹齢300年ともいわれるしだれ桜が咲き乱れて見事です。また、本堂の国宝・重文の地蔵菩薩立像は「身代わり地蔵」と呼ばれ、無実の娘を火あぶりの刑から救ったという伝説が残っています。 〈交通〉電車の場合は、近鉄室生口大野駅から徒歩5分。車の場合は、名阪国道針ICから国道369号、県道28号、国道165号経由で約8km。

龍穴神社 (りゅうけつじんじゃ) 室生寺よりも古く、雨神を祀っていて雨乞いの神として知られています。祭神は龍神だといわれ、神域には龍穴と呼ばれる洞穴があって今でも雨乞いの行事が行われています。ここの龍神が室生寺を守っていると伝えられ、秋まつりには室生寺から神社までの「お渡り」があります。龍穴参拝には社務所で浄衣を借りることができます。境内には家庭円満・家運隆昌に霊験あらたかな「連理(れんり)の杉」(夫婦杉)があります。 〈交通〉室生寺から徒歩5分。

西光寺 (さいこうじ) 室生寺を展望できる集落の中腹にひっそり佇む古寺。ここはしだれ桜の隠れたスポットとして多くのカメラマンの人気を集めています。名前を「城之山桜」といい、樹齢300年ともいわれています。周囲の景観と一体化した寺の風景は素朴ながらもすばらしく、地域の誇りとなっています。 〈交通〉車の場合は、名阪国道針ICから国道369号、県道28号、国道165号経由、又は、名阪国道小倉ICからやまなみロード、国道165号経由で約11km。

子安地蔵(安産寺) (こやすじぞう) ここにある地蔵菩薩像は、その穏やかなお顔からか、子安地蔵としてご利益があって、ご拝顔して腹帯を授かると安産になるといいます。平安時代の初期の榧材一本造りで高さは177.7cmもあり、重要文化財指定です。文化庁の指示により建立した収蔵庫に安置さ れているので連絡してお堂を開けてもらいます。また、1月24日の初地蔵会と8月第4日曜日の本尊御命日には特別御開帳法会が営まれます。ただし地蔵菩薩の拝観にあたっては事前に連絡が必要です。 連絡先:子安地蔵保護委員洞出氏(TEL.0745-92-2786)〈交通〉近鉄三本松駅から徒歩6分。境内に自動車数台の駐車スペース有。

春日神社 (かすがじんじゃ) 山粕の児童館に北接し、社地には杉・イチョウの大木がそびえています。天児屋根命・経津主命・武甕槌命・比咩の四神を祀っています。明治43年に佐田神社、その前後に愛宕神社を合祀しています。毎年10月上旬に子供御輿が練り歩き盛大な秋祭りが行なわれます。

御杖神社 (みつえじんじゃ) 山粕の児童館に北接し、社地には杉・イチョウの大木がそびえています。天児屋根命・経津主命・武甕槌命・比咩の四神神号は、天文23年(1554年)上津江之御宮といわれ、慶長18年(1613年)には国津大明神、さらに上之御宮、九頭大明神などと称されてきた。御杖神社と呼ばれるようになったのは、明治30年以降のこと。
倉橋ため池ふれあい公園
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倉橋ため池ふれあい公園 (くらはしためいけ) 見どころ/特徴:公園内には、溜池を眺められる浮見堂や水に触れて遊べる施設、芝生広場があります。 歴史/由来:平成17年オープン。

ほたる公園 5,000㎡の敷地に実のなる木や樹液の出る木を植え、小川や池などでは多くの小動物や昆虫・植物などにふれあいながら自然に親しめる公園。〈所在地〉宇陀市菟田野下芳野Tel.0745-84-2521菟田野観光協会

鳥見山公園 (とりみやまこうえん) 鳥見山(735m)の中腹にあって、勾玉池(まがたまいけ)を中心とする高原状の自然公園。園内には神武天皇聖跡伝承地の顕彰碑や歌碑がある。また春は数千本のつつじの名所として知られ、秋は紅葉がまた格別。展望台からは眼下に大和盆地、宇陀郡の山容を一望でき、静寂な伝承地からの眺めは絶景で夜景はとてもロマンチツク。
宇陀市平成榛原子供のもり公園
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宇陀市平成榛原子供のもり公園 「宇陀市平成榛原子供のもり公園」は森と湖の語らい広場として21世紀を担う子供たちのために誕生しました。子供たちが自然の中で、安全で楽しくのびのびと遊んだり、様々な活動ができるように工夫されています。少年野球場やサッカー場、デイキャンプ場、大型遊具など。各エリアでの遊びや学習など、充実した一日をお楽しみ下さい。 所在地:宇陀市榛原桧牧2107番地4tel.0745-82-7411
保養センター 美榛苑
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保養センター 美榛苑 (ほようせんたー みはるえん) 北に額井岳(大和富士)や貝ヶ平山を望む景色の良い高台により、豊潤な自然と山林に囲まれた閑静な温泉地です。温泉は県下初の療養泉(ナトリウム・炭酸水素塩泉)で、万病に良く、食事料理も天然素材づくりで厳選されております。ご来客の健康を気づかい、行き届いたサービスを心がけての毎日で、宿泊や宴会、披露宴など多くの人に親しまれています。☆客室…43室(全館冷暖房)☆収容人員…宿泊190名・宴会350名・レストラン榛奈130席 〈交通〉大阪・なんばから、近鉄特急で55分、京都から、近鉄特急で65分、榛原駅下車、榛原駅より送迎バスをご利用下さい。

不思木の森公園 (ふしぎのもりこうえん) 室生ダムに隣接しているこの公園では、四季折々の花が咲き、訪れる人の目を楽しませています。森の回廊、森の基地といった木製遊具をはじめ、県下最長を誇る森の冒険スライダー、制覇するにはなかなか体力のいる森の空中回路アスレチック、さらには山頂の展望台、健康遊具に至るまで様々な遊具があります。特に4月になると公園全体を芝桜の絨毯が、また遊具の周囲も数々の花々が埋め尽くし、目もくらむような素晴らしい光景が広がります。入場無料で駐車場、トイレも完備していますので、天気の良い日、足を運ばれてみてはいかがですか?ただしゴミはきちんと持ち帰って下さいね。 〈交通〉室生口大野駅から徒歩約15分。車の場合は大野寺から約500m。

鎧岳 (よろいだけ) 青蓮寺の西側にそびえ立つ鎧岳は標高894m。鎧岳はその迫力ある山容が、あたかも武者が鎧をつけた感じであるところから名付けられました。特に、山腹の100m~200mほどある、3段の柱状節理の岩壁は(国の天然記念物)、鎧の胴というところでしょうか。鎧岳、兜岳の眺めは、サン・ビレッジ曽爾(奥香落オートキャンプ場)付近からがもっとも素晴らしく威容を誇っています。

お亀池 曽爾高原のほぼ中央に位置し、今でも数多くの伝説が残っている池。湿原地帯特有の希少な植物を見ることができる。「平成の名水百選(曽爾高原湧水群の源となっている)」 TEL:0745-94-2106
曽爾高原温泉 お亀の湯
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曽爾高原温泉お亀の湯 「石の浴室」と「木の浴室」の2種類があり、木の浴室の露天風呂からは国の天然記念物の鎧岳、兜岳を一望でき、石の浴室からは曽爾高原が望めるパノラマ露天風呂になっている。温泉シールラリーランキングで関西エリア第1位に選ばれた。(平成24年) TEL:0745-98-2615

三峰山 (みうねやま) 1,235mの山頂からは、墨絵のように連なる山々の風景を眼下に見渡すことができ る。初夏の白つつじや秋の紅葉もさることながら、特に冬の三峰山は、白銀の霧氷が木々を包み、息をのむほどに美しく神秘的。また、登山途中の山小屋付近には推定樹齢300年のブナの大木がある。

青少年旅行村 (せいしょうねんりょこうむら) 自然に囲まれて遊ぶのって、どうしてこんなに気持ちいいのかな?たまには、時間を気にせず太陽が沈むまで、体が疲れてしまうまで遊んでみよう。 ここ青少年旅行村は、大自然と心ゆくまで遊べる自慢のアウトドアスポット。キャンプやバンガロー、ボブスレーにフィールドアスレチックと楽しみ方も自由自在!

宇太水分神社(下社) (うたみくまりじんじゃ) 榛原町大字下井足(字)水分山(舟形山)に鎮座まします。当水分神社の創紀の年代は詳かにし難いが、所伝によれば崇神天皇十五年九月二十一日勅祭云々とされている。「三代実録」によれば、「貞観元年(859年)風雨祈願に勅使を遣わし幣を奉った」とあり、延喜式神明帳に宇陀郡十七座のうち大社一座とせられる等由緒ある神社である。当社保存の「水分宮由来集」や「神体形相記」等の処伝によれば、中世に於いて幾多の消長を経ていることを伝えているが、この水分(ミクマリ)神社は風雨祈願、五穀豊穣の御神徳の高い農耕地として、この芳野川に沿って「上社(芳野)」「中社(古市場)」「下社(下井足)」と三所三座に祀って地域ごとに御神徳を敬仰し、人々の心のよりどころとして生活にいそしみ今日に至っている。

宇陀松山城跡 (うだまつやましろあと) 宇陀松山城跡は、大宇陀の市街地部(松山町)の東側にそびえる「古城山」一帯に存在し、少なくとも南北朝期には本拠を構えていたものと思われます。近年の発掘調査により本丸御殿をはじめとした礎石建物や大規模な石垣、多彩な瓦・陶磁器類などが出土し、江戸初期の城郭の構造を極めて良好に残すことが明らかとなりました。豊臣政権が宇陀松山城を含めた大和郡山城と高取城との三城体制により大和国の支配を意図していたことがわかり、宇陀松山城のもつ重要性が再認識され、平成18年7月に城跡約6.7haが国の史跡として指定を受けました。城跡の頂上に立つと大宇陀地域・榛原地域・菟田野地域の地が一望の下に俯瞰でき、かつての栄華を偲ばせます。

宇迦(宇賀)神社 (うがじんじゃ) 古事記、日本書紀に示されている兄ウカシ、弟ウカシの伝承の地。境内には、「子もうけ石」という陰陽の形をした奇石の手洗い石があります。台が陽石、上に乗る鉢石が陰石をあらわしていて、夫婦でこの石を撫でると子宝を授かると伝えられています。

惣社水分神社 (そうしゃみくまりじんじゃ) 宇陀地方一帯の水の守り神として芳野川の上流、上芳野にこの一郷の水分神社総社として創祀されたもの。南北朝時代の作で木造金銅装漆の鳳輦御輿、同時代の作の神に奉る酒を入れる黒漆瓶子の2点の重要文化財を所蔵。

春日神社(桃俣) (かすがじんじゃ) 大字桃俣小字大ノ台に鎮座。祭神は、天津児屋根命、大日孁貴命、木花佐久夜媛命を祀っています。創祀、由緒は不明ですが、永禄年間には兵火にかかったといいます。本殿は、もと春日造りであったが現在は流造です。神宮寺は、「万行山地蔵院春日寺」と称しました。境内社としては、本殿に向かって左方に八幡神社、右方に愛宕神社を祀っています。

春日神社(土屋原) (かすがじんじゃ) 大字土屋原小字西谷に鎮座。祭神は天津児屋根命を祀り、創祀、由緒は不明。延徳3年(1491年)の紀年銘の銅製の神像があります。本殿は素木の神明造で、水越神社、八幡神社、愛宕神社などが摂社として合祀されています。境内にあるイチョウの巨木は、奈良県保護樹木に指定されています。

子安地蔵 (こやすじぞう) 曽爾村大字長野称明寺の地蔵石仏で、時代も古くその様式も変わっています。地元では子安さんと呼ばれていますが、大きい岩に刻みつけた地蔵で、像高127㎝の立像で、見事な線彫蓮花座に立っています。船型にほりくぼめられた中に、円光の地蔵を薄肉で表し、錫杖は短いのが古式。左手はすっと左につきだして数珠を捻じています。衣丈の表現もしっかりしていて、刻銘はありませんが、室町時代以降の作になることが推定されます。安産に霊験あらたかな地蔵といわれており、又、子供の夜泣きが一週間の祈願で治ったので全知全能の地蔵尊として信仰されています。

四社神社 (ししゃじんじゃ) 大字菅野小字宮本に鎮座。祭神は、伊邪那美命、大日孁貴尊、天津児屋根命、誉田別尊を祀っています。創祀は不詳ですが、天文15年(1546年)に兵火を被り、室町時代末期のころから、具体的に知られるようになりました。もとは、現在の場所から西北に少し離れたところにありました。元亀元年(1570年)の棟札はじめ、25枚の棟札が残っていますが、四社大明神と号して造営したのは、明和7年(1770年)にはじまりました。社殿は神明造に改め、境内社として、稲荷神社、八坂神社が鎮座。伊勢本街道沿いにあり、伊勢参りの旅人が参詣途上にここで詣でていました。境内には倭姫命の伝承の残る遺構があります。

安能寺 (あんのうじ) 宗派は曹洞宗にて本山は永平寺であります。大字菅野小字堂ノ尾にあり、本尊は、釈迦如来坐像です。当寺は宝涌山と号し、開山は古く弘仁年間に弘法大師の建立と伝えられ、室生寺の別院であったといわれています。室町時代に衰微しましたが、文明10年(1478年)に別の場所に本寺を再興して、曹洞宗に転宗しました。その後、再び現地に再建し今日に至ります。鐘楼を兼ねた江戸時代の山門は、奈良県文化財の指定を受けています。

開善寺跡 (かいぜんじあと) 東大寺の初代別当良弁僧正が開善寺を建立したと伝えられています。元亀2年に織田信長に攻められ廃寺となって僅かに石地蔵があるのみで、無縫塔型で文字は刻まれておらず、石塔の下から壷と骨灰がでました。今も權大僧都云々の銘のある塔がある他、墓碑も数基あります。再び焼けて現在の地蔵寺となり、ここに観音さまを安置してあるが怖い観音さまとして別堂に納められています。

倶留尊山の石仏 (くろそやまのせきぶつ) 倶留尊(くろそ)山またはクルソン山と呼ばれ、高さ1,038mで曽爾村の最高峰であります。その麓の大断崖には高さ15mの石仏があり、大徹和尚が刻んだものだといわれています。腰から下の病気の全治を祈願する人が多くここを訪れ、お籠もり処があった戦時中に多くの人がここで修行したそうです。冬期の霧氷は美しく1mあまりに及ぶこともあります。

森野旧薬園 (もりのきゅうやくえん) 享保14年(1729年)、森野賽郭翁により開かれ、今なお当時の面影を残し、園内には250種もの薬草が栽培されている.日本薬園史上貴重な資料として、大正15年に国の史跡に指定された。

門僕神社 (かどふさじんじゃ) 獅子舞が有名で、自然の清らかな空気に包まれているこの神社は、延喜式神名帳に大和国宇陀郡十七座のうちの一つと記載されている古社です。 祭神は春日明神で曽爾八ヶ所の氏神である。朱塗りが鮮やかな鳥居のすぐ脇には樹高25mにもなるイチョウがそびえている。このイチョウは扇状の葉の上に実をつけ、全国でも珍しい御葉付きイチョウとして知られ、県指定天然記念物に指定されている。

素盞嗚神社 (すさのおじんじゃ) 見どころ/特徴:2月11日に行われる「お綱まつり」では、この神社の前で雄綱と雌綱が合体される。 歴史/由来:祭神は素盞鳴命(すさのおのみこと)。旧無格社。 (※素盞鳴神社の「鳴」は「嗚」を使う事もありますが、本ページでは現地碑文に合わせて「鳴」の字を使用しております。)
市立埋蔵文化財センター
観光情報

埋蔵文化財センター (まいぞうぶんかざい) 見どころ/特徴:埴輪や纏向遺跡も特集している。 歴史/由来:1988年に建設された。桜井市における埋蔵文化財の発掘調査や研究の成果がひと目でわかるようになっており、土器や石器をはじめ、遺跡の出土品全般を、原始時代から古代、中世まで各時代ごとに展示してある。

恵比須神社 (えびすじんじゃ) 見どころ/特徴:日本最古の市場・海石榴市の伝統を伝えるとの説もある初えびすが2月5日から7日まで催される。この日にこの年の三輪そうめんの価格が決められる。 歴史/由来:旧指定村社。本殿には、天正15年(1578年)銘の「上棟城上郡三輪市場恵美酒宮」と書かれた棟札が残っている。

山の辺の道 (やまのべのみち) 大和は国のまほろばといわれ、古来、人々は三輪山から山裾の道を歩き往来し、「山の辺の道」が形づくられました。万葉歌人の歌碑が多数残り、田園景観の美しさを眺めながら、有名な社寺や古墳を巡ることができる道です。

興喜天満神社 (よきてんまじんじゃ) 見どころ/特徴:長谷寺と関係が深く、初瀬川に架かっている「連歌橋」は、当社・連歌会に長谷寺の僧が参加した橋。 歴史/由来:祭神は菅原道真。昭和3年発見の菅原道真神像、ならびにその頭部から検出の正元元年(1259年)在銘御影鏡から少なくとも神社の鎮座時期は鎌倉時代の初期とみられる。今の社殿は文化5年(1818年)に再建されたものである。

小夫天神社 (おおぶてんじんしゃ) 見どころ/特徴:境内の西側に県下最古と云われている「ケヤキ」が植わっています。神社に伝わる古文書によると、第23代顕宗天皇の顕宗紀に「植槻也田中乃社也」とあり、槻の神木がある事が記されています。 歴史/由来:神社附属として境内に神宮寺を建て、社僧を置き、真言宗長谷寺より輪番によって常勤し、守護ありし社であった。
音楽の森 ふれあい館
観光情報

音楽の森ふれあい館 この秋、新たな文化事業として始まる「音楽の森活動」の拠点として、「音楽の森ふれあい館」は、声楽家で音楽療法士でもある荒井敦子さんを館長に迎え、音楽活動等を通じた地域間・世代間のふれあいや町と村との交流を進めることにより、地域や人の活性化を図るとともに、高齢者などの健康増進と社会参加を促進し、また子どもたちのふるさとへの心を育むことを目的としています。 毎週木曜日、午後2時から昼下がりのコンサートを行っています。休日:月・火曜日
桜情報

桜 瀧蔵神社権現桜 見どころ/特徴:神社の入口には、「権現桜」と呼ばれる樹齢400年以上の見事なしだれ桜がある。 歴史/由来:標高430mの山上に鎮座する瀧蔵神社は長谷寺の奥の院と称し、古来より信仰深き神社にて長谷寺へお詣りしても瀧蔵神社へ参詣しなければ御利益は半減すると伝えられている。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、速玉尊をまつる三社権現。

桜 満願寺 八講山満願寺。現在は、今井谷の集会所で、八講桜と呼ばれるしだれ桜の巨木がある。 桜井市指定文化財。藤原鎌足を祭る八講祭の時に植えられたしだれ桜、樹高14m、推定樹齢 300年。竹やぶとのコントラストが美しい。

大野寺 (おおのでら) 古くから室生寺の末寺として「室生寺の西門」とよばれてきました。その対岸に有名な大野寺磨崖仏(まがいぶつ)があります。鎌倉時代に後鳥羽上皇の勅願で造立され、総高約14mもあります。春には境内の樹齢300年ともいわれるしだれ桜が咲き乱れて見事です。また、本堂の国宝・重文の地蔵菩薩立像は「身代わり地蔵」と呼ばれ、無実の娘を火あぶりの刑から救ったという伝説が残っています。 〈交通〉電車の場合は、近鉄室生口大野駅から徒歩5分。車の場合は、名阪国道針ICから国道369号、県道28号、国道165号経由で約8km。

仏隆寺 (ぶつりゅうじ) 嘉祥(かしょう)3年(850年)空海の高弟・堅恵(けんね)の創建された、七堂伽藍(がらん)の立派なお寺で、室生寺の南門すなわち正面の門として極寺と末寺の関係にあり、室生山の宿坊または住職の隠居寺として重要な役目があった。 大和茶の発祥地でもあり、空海が帰朝の際にその種子をもたらし、堅恵が寺内で栽培したものが全国へ普及したとされ、茶臼(ちゃうす)も残っている。 また、県指定の天然記念物の古桜は樹齢900年で、周囲7.5m、高さ16mを越え、日本一とも言われています。秋は彼岸花(曼珠沙華)も美しい。 所在地:榛原町赤埴(あかばね)〈交通〉高井バス停下車、東へ2km、徒歩約30分。