40 久我 羽束師
久我・羽束師は鴨川、桂川、酉高瀬川の三川が合流する地点の右岸に位置し長岡京跡の東端部にあたります。河川に沿って斜めに通る古道久我畷は、北は桂川を経て鳥羽に、南は山崎につながる重要な道路です。久我地域は、平安時代後期以降、村上源氏の一流・久我家の荘園で別荘「久我殿」を構えたととろで、古絵図などに「北殿」や「馬場」など関連する字名が残り、跡地には近世に建てられた寺社も多くみられます。それ以前は、古代の有力氏族である賀茂氏の山背(城) 進出のー拠点とされ、鴨森大明神(久我神社) が名残りをとどめます。羽束師地域は長岡京が造営されるまで、羽束氏一族が居住していたところとされ、氏神の羽束師神社が知られています。中世、南北朝動乱以後、防御のための土塁や堀に固まれた在地領主の居館跡が点在し、今も道沿いには民家の石垣や用水路にその跡がしのばれます。マップでは東土川をスター卜し寺社や石碑などを巡りながら多くの歴史が埋もれている久我・羽束師を紹介しています。
update date: 2019.10.09
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