Ogaki City Map (1948-)

古地図上のランドマーク情報は、竹中初男氏の制作です。<br> 古地図及び古地図上のランドマーク写真は個人、大垣市、大垣市立図書館、大垣市史編纂室及び大垣市商工会議所から提供いただきました。
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27件のスポット
昭和26年以降

室村町ガード 提供者:大垣市役所 年代:昭和31年・昭和60年頃 室村町の立体交差化したのは、昭和31年である。それまでは、幅2.9m、高さ2.1mのガード下では、大型トラックの通過は不可能であった。林町の踏切とあわせて、立体交差化が行われた。

大垣城再建 提供者:大垣市役所 年代:昭和34年 昭和20年の戦災で焼失した大垣城も、30年代に入り、再建の気運が高まり33年着工。総工費2500万円をかけ、その勇姿が再現された。一般公開は城内の乾燥を待ち、翌34年4月より行われた。
一つ目橋から船町運河を西へ望む
昭和26年以降

一つ目橋から船町運河を西へ望む 提供者:大垣市立図書館 年代:戦後、昭和32年以前 現在の県道大垣一宮線には、昭和31年以前は船町川が流れていたが、戦災復興計画により、昭和31年から34年にかけて埋め立てられた。かつての船町川の両側には、商家や問屋が建ち並び、生活物資が集積した。船町川に架けられた主要な橋には、「一つ目橋」から「四つ目橋」の名が付けられ、橋の両袂には石製の柱が建てられた。南側には漢字が刻まれ、北側にはひらがなが刻まれた。昭和4年には、新「四つ目橋」が架けられ、旧「四つ目橋」は「五つ目橋」と改称された。船町川の埋め立てとともに五つの橋も取り壊された。その後、柱は船町の愛宕神社に放置されていたが、地元有志により元あった位置に戻され、かつての面影を今に伝えている。(「歴史と文化の交差路 大垣を歩く」)

耐火建築模範街 提供者:大垣市立図書館 年代:昭和27年 昭和27年5月、戦災の混乱からの立ち直りは大垣市耐火建築模範街の計画実施となり、ここに新しい大垣の街造りが開始された。旧店舗の取り壊し。道路幅も36メートルとなった。中央4軒目に終戦以来親しまれたパチンコの十万石本舗が見える。(「写真集 思い出のアルバム 大垣」 株式会社郷土出版)

大垣城再建 提供者:個人・大垣市商工会議所 年代:昭和25年ころ・昭和33年 昭和20年の戦災で焼失した大垣城には、昭和22年頃展望台が作られた。当時は大垣には高いビルもなく、大垣中が見渡せた。30年代に入り、再建の気運が高まり33年に着工。総工費2500万円をかけ、その勇姿が再現された。一般公開は城内の乾燥を待ち、翌34年4月より行われた。
郭町交差点から東を望む
昭和26年以降

郭町交差点から東を望む 提供者:大垣市役所 年代:昭和20年代 旧国道21号線をはさんで、左に見えるひときわ大きい木造の建物が広濃屋である。戦前、新善光寺があったが、昭和5年岐垣国道拡幅のため同寺が移転すると、木造3階建ての豪勢な料理旅館となった。戦災をまぬがれ、戦後は市を代表する料理屋となった。道路をはさんで右側に高くそびえるビルが見える。これは昭和21年に開館した日本劇場である。

船町公園 提供者:個人 年代:昭和33年 船町灯台をはさんで、水門川西側には青果市場があった。東側は昔は瓶屋町といって、問屋が立ち並んでいた。戦時中空襲のために強制疎開が行われ、瓶屋町の問屋は立ち退いた。上の写真は、強制疎開の跡地に戦後船町公園が整備される際、行われた発起式の様子である。

新大橋付近 提供者:大垣市立図書館 年代:昭和28年頃 駅前通りから新大橋を南に撮影した昭和28年ごろの写真である。戦前に重厚な石造りの橋が造られ、戦後も残っていた。商店街は戦後道路を拡幅し、鉄筋コンクリートの防災建築に改造された。写真には、ボンネットバスが走っているのが見える。今は電線も地中化され、南には大垣共立銀行と丸ビルが見える。

船町通りと常隆寺 提供者:大垣市立図書館 年代:戦後、昭和32年以前 船町川は戦災復興計画により埋め立てられてしまったが、現在でも県道の両側に趣のある古民家が残っているので、昔のように水路で行き交うことができれば、水郷の雰囲気が味わえたであろう。
戦後の新旧大垣市役所
昭和26年以降

戦後の新旧大垣市役所 提供者:大垣市 年代:昭和38年 戦災で焼失後、仮庁舎が建てられた。市の復興計画が軌道に乗ってきた昭和39年2月、鉄筋コンクリート4階建ての新市庁舎をその裏側に建てた。今の5つの波形屋根をもった異色な近代建築がそれである。この写真は新庁舎を建築している最中のものである。
戦後の新旧大垣市役所
昭和26年以降

戦後の新旧大垣市役所 提供者:大垣市役所 年代:戦後 戦災で焼失後、急遽学校校舎を改築して、仮庁舎が建てられた。市の復興計画が軌道に乗ってきた昭和39年2月、鉄筋コンクリート4階建ての新市庁舎をその裏側に建てた。今の5つの波形屋根をもった異色な近代建築がそれである。
丸物百貨店・マルイ百貨店
昭和26年以降

丸物百貨店・マルイ百貨店 提供者:大垣市商工会議所 年代:昭和30年頃 昭和5年ごろ、大垣貯蓄銀行の3階建のビルができ、貯蓄ビル内に大ビル百貨店が開店した。大ビル百貨店は、三菱の疎開事務所となっていたが、戦後、共営百貨店ができ、ついで丸物大垣店(写真上)となった。さらにマルイ百貨店(写真下)となり、現在は守屋忠志美術館として活用されている。
大垣駅前 「カメの池」
昭和26年以降

大垣駅前 「カメの池」 提供者:大垣市役所 年代:戦後 大垣駅前には、大垣のシンボルとも言うべき通称「カメの池」があった。カメは多いときで40匹から50匹いたであろうか。カメの甲羅には、白や黄色のペンキで漢数字やら屋号やらが書かれていたが、今だったら問題になったかもしれない。池のそばには、自噴の水飲み場があり、バスを待つ多くの人が利用したであろう。昭和61年駅ビル「アピオ」がオープンするのに先立って、昭和59年、「カメの池」は大垣市役所東の丸の内公園に移設された。(「歴史と文化の交差路 大垣を歩く」)
拡張工事中の大垣駅前
昭和26年以降

拡張工事中の大垣駅前 提供者:大垣市役所 年代:昭和26年 大垣の繁華街は、戦後本町通りから駅前通りに移動した。戦災で古い建物が焼失したのを機に、道路の拡幅工事を行い、建物も防災建築とした。

新旧大垣駅 提供者:大垣市役所 年代:昭和初期・昭和10年代・昭和62年頃 明治17年(1884)、東海道線敦賀・大垣間の開通にあわせて大垣駅が開業した。昭和16年(1941)に大垣駅が改築され、駅前広場が整備された。時計塔のある駅舎であった。その後、昭和61年(1986)に駅ビル「アピオ」がオープンした。

林町ガード 提供者:大垣市役所 年代:昭和29年・昭和60年頃 東海道線林町の踏切は、大垣を南北に繋ぐ唯一の幹線であった。大型バス、トラックはすべてここを通過した。特に北部には紡績を中心にした大工場群が立地し、大垣の経済力の動脈となっていただけに、この踏切の交通量は、日増しに増加の一途をたどった。昭和31年に立体交差化されると、以北の田園地帯は急激に宅地化され住宅が増え始めた。
旧大橋銀行頭取邸の土蔵
昭和26年以降

旧大橋銀行頭取邸の土蔵 提供者:大垣市立図書館 年代:不明 現在の大垣市役所があるあたりは、大橋銀行頭取の邸宅であった。水門川の遊歩道からは邸宅の土蔵が見えた。昭和12年に市役所が移転してきたが、その後も土蔵は書類の保管場所として使われた。
大垣駅前から南を望む
昭和26年以降

大垣駅前から南を望む 提供者:大垣市役所 年代:昭和27年・昭和50年頃 昭和20年代はボンネットバスが砂煙を上げて走り抜けていった。まだまだ高層建築もほとんどなく、見通しもよい。今は電柱も地中化され、中央分離帯の緑も増えた。

大垣共立銀行本店 提供者:大垣市役所 年代:昭和25年頃 大正12年(1923)に建てられた大垣共立銀行は、空襲で焼失することなく、戦後も本店としてその役割を果たした。写真の左奥の高いビルは、昭和21年に旧国道21号線南に開館した日本劇場。