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大垣城
大垣城 提供者:大垣市立図書館 年代:昭和初期 大垣城の望楼には、天気予報の旗が掲げられ、市民に親しまれた。晴天の時は白、雨は青、曇りは水色だった。昭和11年4月国宝に指定されたのを機に、望楼は外され、マストもびじょうの滝に移された。
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東本願寺別院
東本願寺別院 提供者:大垣市立図書館 年代:昭和12年「大垣案内」 慶長7年、本願寺の東西分派のおり、安八郡三塚の真徳寺(現大垣市・西派)栄寿は、不破郡平尾に真徳寺を別立して東派に属した。その後、栄寿は大垣城主石川忠総から寺地を寄進され、大垣市中町に掛所を創建した。これが大垣別院の始まりである。寛永元年(1624)3月、大垣城主岡部長盛が大垣の町割りを再編するにあたり、伝馬町に移った。
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公設市場
公設市場 提供者:大垣市役所 年代:昭和8年頃 昭和8年頃、新大橋の北に公設市場が開設された。船町の川べりにあった商店が強制疎開になりここに移転したものであるが、床下の一部が水門川に張り出していた。
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新大橋南付近
新大橋南付近 提供者:大垣市役所 年代:昭和7年頃 新大橋が木橋だったこの頃は、駅前通の道幅もずっと狭く、両側を見て歩けるほどであった。橋は、その後堅牢な石造りに架け替えられた。左手奥の三角の屋根は、愛知銀行大垣支店の建物である。
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お鳥屋敷
お鳥屋敷 提供者:個人(大垣商業学校撮影) 年代:昭和初期 お鳥屋敷は戸田氏の別邸があったところで、鬱蒼とした森の中に池だけでも1000坪の広さを持つ鴨場があった。現在はNTTのビルが建っている。
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大垣城内堀沿い
大垣城内堀沿い 提供者:大垣市商工会議所 年代:昭和初期
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新興毛織
新興毛織 提供者:大垣市商工会議所 年代:昭和10年頃 鐘ヶ淵紡績大垣工場は、大正3年(1914)に後藤毛織として操業を開始した。その後、東洋毛織、東京毛織 、合同毛織、新興毛織と変遷し、昭和11年(1936)に鐘ヶ淵紡績となった。
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招魂社
招魂社 提供者:個人 年代:昭和初期 明治4年(1871)、元大垣藩主・戸田氏共が戊辰戦争の戦死者54名を祀るため招魂祠を創建したのに始まる。明治8年に官祭招魂社となって大垣招魂社に改称した。日露戦争の戦勝祝賀が盛大に挙行された。昭和14年、招魂社の制度が護国神社に改められたのに伴い、濃飛護國神社と改称した。
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水産試験場
水産試験場 提供者:大垣市役所 年代:戦後 水産試験場があった場所は、現在は西濃総合庁舎、警察署になっている。
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貯蓄銀行
大垣貯蓄銀行 提供者:大垣市商工会議所 年代:昭和初期 大垣貯蓄銀行の本館として、昭和2年に「大ビル百貨店」の名で開業した。大垣での百貨店第一号であり、エレベータが初めて取り付けられたのもこのビルであった。戦後は共栄百貨店、丸物百貨店大垣支店、マルイ百貨店、名鉄サルビアと経営者がめまぐるしく変わった。さらに大垣共立銀行郭町ビルとなり、平成13年に大垣市守屋多々志美術館として、開業した。
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大垣共立銀行
大垣共立銀行 提供者:大垣市商工会議所 年代:昭和初期 大垣共立銀行の本店は、俵町にあった。木造土蔵造りの建物で入り口にのれんがぶら下がっていた。大正12年、大垣共立銀行は俵町から郭町交差点角に移り、ルネサンス式の豪壮な建物となった。(「写真集 大垣いまむかし」 郷土出版)
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郵便局
家老屋敷と郵便局 提供者:個人(大垣商業学校撮影) 年代:昭和初期 郭町の南はずれにあった家老屋敷は、明治43年に安八郡役所となり、その後、丸の内に移転した。家老屋敷は聖公会の幼稚園となり、ついで美濃ミッションという教会になった。これは戦後まであったが取り壊され、大垣共立銀行本店が建っている。家老屋敷の奥の建物が、郵便局。
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公益質屋
公益質屋 提供者:大垣市商工会議所 年代:昭和初期
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松竹館
松竹館 提供者:大垣市商工会議所 年代:昭和初期
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宝福館
宝福館 提供者:大垣市商工会議所 年代:昭和初期 竹島町にあった宝福座が西外側町の外れに移転してきて宝福座となった。もっぱら大都映画ばかりを上映して、ジンタ(小劇団)の響きにのって弁士が登場した。(「写真集 思い出のアルバム 大垣」 郷土出版)
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市役所
戦前の大垣市役所 提供者:個人 年代:昭和初期 戦前の市役所は裁判所と並んで、現在の大垣郵便局の裏側が正面であった。旧役場が狭くて老朽化したため、大橋銀行頭取の屋敷跡を買い取って、昭和12年5月に新築移転した。(「写真集 思い出のアルバム 大垣」 郷土出版)
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円通寺
円通寺 提供者:大垣市商工会議所 年代:昭和初期 大垣藩戸田家菩提寺である円通寺の山門は、壮大な木造瓦葺の建造物で、天保年間(1830-1844年)に再建されている。戦災で本堂や庫裡は焼失したが、山門は延焼を免れ、現在に至っている。
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八幡神社
八幡神社 提供者:個人 年代:昭和初期 建武年間、大垣が大井荘と呼ばれ東大寺領だったため、東大寺の鎮護寺である手向山八幡宮を勧請して建てられた。1451年、藤江町から現在の西外側町に移され、藤江町の方は「元八幡宮」といわれる。戦国時代、戦火で焼失したが、大垣藩主戸田氏鉄が八幡神社を再建整備した。その際、藩主から10ヶ町に3両の山車が下賜され、10ヶ町は10両の山車を曳き回したのが、大垣祭の始まりである。
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図書館
大垣市立図書館 提供者:大垣市立図書館 年代:昭和初期 大垣藩の藩校敬教堂跡に昭和3年、鉄筋コンクリートの図書館が建てられた。しかし、昭和21年の空襲で外観を残して、書庫とともに5万冊とも言われる蔵書も焼失した。戦後、市役所として利用されたが、昭和21年には応急修理を経て近隣の寺に疎開してあった図書を戻し、図書館が復活した。室村町に移転後図書館は取り壊され、現在は大垣市保健センターが建っている。保健センター前のトネリコは、8代藩主戸田氏庸が敬教堂を増築した際、雷除けとして植えられた。(トネリコは中国曲阜にある孔子廟の庭に植えられ、「学問の木」と称されたことから、各地の藩校でも植えられた。)戦時中の空襲にも耐え、樹齢150年をこえる。(「歴史と文化の交差路 大垣を歩く」)
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大垣駅
大垣駅 提供者:大垣市役所 年代:昭和初期 戦前の駅舎は明治35年の改築以来、明治末期に正面玄関を増築し、昭和13年まで使用された。