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旧岩田橋
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旧岩田橋 【絵葉書】旧岩田橋(大正9年(1920)) (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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西来寺楼門
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西来寺楼門 【絵葉書】伊勢津市西来寺 楼門 明応七年以前ノ建造龍神木ヲ以テ建築シタルモノナリ (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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津城天守丸石垣
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津城天守丸石垣 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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極楽橋
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極楽橋 堀川に架かる橋で、当時は船の出入りのため、絵図のように間があき、渡し船で往来していた。堀川は昭和39年(1963)に入口部分を残して埋め立てられた。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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西の丸跡(日本庭園)
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西の丸跡(日本庭園) 現在は日本庭園になっているが、昔は番所や倉庫があった。南西には玉櫓と、外郭から入ると鍵の手に曲がった所に2階の櫓門があった。本丸との境には西の鉄門があり、土橋でつながっていた。津藩校有造館から入徳門(津市指定有形文化財)が移築されている。 【現地案内板より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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津城跡
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津城跡 津城は、織田信長の弟信包(のぶかね)によって築城された。天正8年(1580)には五層の天守閣が完成し、当時柳山付近が中心であった津の町から町家や寺院が移され城下町が作られた。 慶長13年(1608)、藤堂高虎が伊予今治から移ってくると、城に大改修を加え城下町を整備した。本丸を広げ、石垣を高くして北側の石垣に角櫓(すみやぐら)を築き、堀も整備したが、天守閣は再建されなかった。津城は典型的な平城で、堀が「回」の字形に二重に巡っている輪郭式または囲郭式といわれる形の城である。 【現地案内板より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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藩校有造館跡
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藩校有造館跡 文政3年(1820)、津藩主藤堂高兌(たかさわ)(第10代)が一藩の教化の中心である学府として、この地に「有造館」を建て、藩士の子弟を教育した。遺構の一部である入徳門は戦災をまぬがれ、津城跡の西の丸に移築されている。津指定史跡。 【現地案内板より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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報恩寺
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報恩寺 真宗高田派。高田専修寺真慧の弟子玉蔵房が中河原村に創立したもので領主乙部兵庫頭藤政の菩提所であった。のちに現在の場所に移転した。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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福満寺
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福満寺 真言宗。寛文3年(1663)に西町から移転した。境内に地蔵堂があったが戦災で焼失した。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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専琳寺
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専琳寺 真宗本願寺派。開基良順が慶長年間(1596-1614)に乙部村に建立し、その後現在の場所に移された。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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妙雲寺
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妙雲寺 天台宗。願王寺の末寺であったが、宝暦(1751-1763)のころに寺を弁天堂に移し、合併して徳雲寺という旧称を廃し、妙雲寺と称した。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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光徳寺
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光徳寺 真宗大谷派。伊予国宇和島にあったが、藤堂高虎が津移封のとき、開祖の永勝が高虎に従って津に移り、この寺を創立した。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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庭岩寺
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庭岩寺 曹洞宗。もとは近江にあったが、元和2年(1616)、藤堂高虎に仕えた小森定勝が岩田川南岸に移した。その後、万治3年(1660)、馬場屋敷を造るため現在の場所に移された。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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正覚寺
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正覚寺 浄土真宗。開基幸然は足利義勝の嫡男幸丸。幸丸は2歳のときに出家し教円幸然と号した。その後、父義勝戦士の地に一宇を建て、自らその住職となった。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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本徳寺
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本徳寺 真宗高田派。開基は法雑院全戒といい、家は代々伊雑宮の神官をつとめた。昭和20年の戦災で全焼したが、その後復興された。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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真光寺
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真光寺 時宗。寛永5年(1628)に寺町に移された。藤堂藩からの手厚い庇護を受けたが、明治維新後は時宗の衰微に伴って衰退した。戦災で焼失し、現在の地に復興された。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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大市神社
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大市神社 当時は川松社と呼ばれ、岩田の産土神であった。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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阿弥陀寺
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阿弥陀寺 浄土宗。伊予国今治にあったが、慶長13年(1608)、藤堂高虎が津に移封されたときに同時に移転。その後寛永15年(1638)に現在の場所に移された。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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浄明院
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浄明院 臨済宗。三代藩主藤堂高久が延宝8年(1680)に建立した寺院で、藤堂家の菩提所であった。高虎が朝鮮から持ってきた仏像3体や江戸川乱歩建立の先祖代々の墓がある。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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天然寺
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天然寺 浄土宗。慶長の初年(1596-)、開山岌誉は城主富田氏に請うて今の地を賜り、堂宇を建築したという。旧時は塔中6寺があったが、現在はそれぞれ独立寺院となっている。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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西元寺
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西元寺 浄土真宗本願寺派。藤堂高虎が転封のとき、釈了西が伊予国今治から従ってきて、伊予町の東側に堂宇を建て旧名のまま西元寺と称した。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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龍津寺
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龍津寺 臨済宗。江戸時代初期、藩の庇護を受けて学問の新興に努め、多くの子弟が学んだ。後に京都から招かれて教えた猪飼敬所の墓もある。かつては広大な敷地を持つ大寺院であった。 【現地案内板より】 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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浄安寺
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浄安寺 浄土宗。 境内には元和元年(1615)に阿漕海浜の砂中から拾い上げられたという地蔵菩薩石像がある。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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西来寺
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西来寺 天台真盛宗。旧塔中8院をもつ大寺院である。開基は慈摂大師(真盛上人)で、大師を尊信して集まる者が大師の止往を願って建立したとされる。明応の地震で倒壊し、一時阿漕浦の西方に再建されたが、その後寺町へ移転した。 【絵葉書】伊勢津市西来寺全景/西来寺本堂慶長七年眞如上人ノ造営 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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上宮寺
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上宮寺 真宗高田派。もとは阿漕塚のところにあったが、津町の移転のときに今の寺町に移ったという。境内に京都方広寺の鐘銘の作者、南禅寺清韓長老墳がある。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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寒松院(願王寺)
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寒松院(願王寺) 天台宗。藤堂高次が襲封のはじめに創立し昌泉院といわれたが、高虎の霊をまつるようになり、その院号をとり寒松院と改称した。津藩主藤堂家の菩提寺であり、津藩及び久居藩の藩主の墓が並ぶ藤堂家墓地は津市指定史跡。 【絵葉書】(津市名勝)寺町寒松院 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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市杵島姫神社
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市杵島姫神社 元は、伊勢国司・北畠氏の守り神。町名「弁財町」は、この神社が弁財天と呼ばれたことに由来する。境内には杉山稲荷がある。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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閻魔堂(真教寺)
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閻魔堂(真教寺) 正式には真教寺という。二代藩主藤堂高次が建立。本尊は閻魔王坐像。当時はこのあたりが町のはずれで、閻魔堂は角町の守護として建てられた。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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円通寺
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円通寺 臨済宗妙心寺派。もとは伊予国にあったもので、久留島、神田氏等一族の菩提寺であった。神田氏が藤堂高虎に従って津に移った際、この寺もまた同時に津に移転した。境内には宝暦年間(1751-1763)の作とされる大鐘がある。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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仏眼寺
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仏眼寺 日蓮宗妙国寺派。 藤堂高虎が津城へ入城した際、この地に留まっていた青龍院日儀に地を与えたという。山号の「妙光山」は伊予国妙光寺の寺号をとり、伊予国から移したようにしたとされる。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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大宝院
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大宝院 昭和20年の空襲で全焼し、現在の位置に再建。玄関の所に、「蓬莱にきかばや伊勢の初たより」の句が刻まれた元禄8年(1695)の芭蕉句碑がある。 【絵葉書】(津市名所)国府之阿弥陀 大宝院の本堂は俗に国府阿弥陀堂と称した。戦災後は復興されず、本尊は書院に安置された。 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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仁王門
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仁王門 昭和20年の空襲で全焼し、再建された。 【絵葉書】(津名所)恵日山観世音仁王門 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.
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如意輪観音堂
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如意輪観音堂 「津の観音さん」と親しまれる。正式には恵日山観音寺といい、元は阿漕津興にあったが、織田信包が領主の時に移された。日本三大観音の一つといわれ、藤堂高虎の祈願寺でもあった。 絵図には寺内院坊として恵音院、不動院、本願院、知恩寺、大宝院、大願寺、仙翁院の7院が描かれているが、戦災等で失われ、大宝院のみが復興され現存している。 【絵葉書】(津市名所)恵日山観世音 (c) 2013 Mie Burari. All rights reserved.