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  • 神明大橋

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    神明大橋 城下の東側を流れる和久原川に架かる大橋です。現在は神明大橋と呼んでいます。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 極楽小路

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    極楽小路 極楽寺山門下から地蔵堂へ通じる小路です。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 我里屋小路

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    我里屋小路 我里屋という店の名前からついた小路です。創業万延元(1860)年の造酒屋「醉心山根本店」横にあります。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 新八小路

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    新八小路 新八という人の名前からついた小路です。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 今小路

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    今小路 新しい小路ということで、名前がつけられた通りです。今橋に通じる小路です。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 東大手門跡

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    東大手門跡 東側の街道から城中に入る東大手門です。明け六つから暮れ六つまでの開門で城の守りの門でした。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 勧請院鼻切

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    勧請院鼻切 中之町から東町に流れる和久原川の東側、堤防の上手には「勧請院切」という人工で堤防を切る仕掛けがありました。洪水が城側に流れ込みそうになると、石垣をくずして水を東町の方へ流し城を守りました。江戸時代に2回、明治時代に1回堤防が切られました。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 神明本殿

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    神明本殿 東町のはずれに小さな祠があります。その祠には伊勢の皇大神宮(天照皇大神)が祀られています。神明さんはもともと伊勢信仰として全国各地で(旧正月の神明祭や左義長祭り)行われていました。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 本陣跡

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    本陣跡 三原は城下のため旅人はこの地に泊まることを避けていましたが、不便なため本陣、客屋、平旅籠がつくられました。三原の本陣として造酒屋の山科屋がこれをつとめ、客屋は山科屋の分家と西町の沢屋がつとめました。本陣の殿様の寝所は、賊が床下に入り込まないように漆喰で固めていたそうです。 ※ 非公開 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 古浜塩田①

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    古浜塩田① 元禄13(1700)年に作られた塩田は、南北300間、東西150間の堤防に囲まれた15浜の塩田でしたが、享保14(1729)年8月の大雨高潮のため、堤防の数箇所が破損しました。同年10月に堤防を修復して、汐留めに成功し、南北200間に短縮し、東西を50間広げ、200間として9浜の塩田としました。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 桜山城跡

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    桜山城跡 標高182.5mの三角状の山で、伝聞によると文応、文永(1260~74)の頃、備中、備後の大守、山名権左衛門源氏正が桜山を居城としていました。今も頂上に「千丈敷」という二段の地形や古井戸があり、わずかに城の面影を残しています。西側に降りる曲輪と東に下りる帯曲輪があり「馬場」と呼ばれています。「三原要害」と考えられています。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 本丸跡

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    本丸跡 三原城は、永禄10(1567)年、瀬戸内海を制する目的で沼田川河口の三原湾に浮ぶ大島と小島つなぐ自然の地形を生かして築かれました。城内は、中心に本丸を置き二之丸、三之丸を東西に配置しました。本丸の上段には天主台を配置しました。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 後藤門跡

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    後藤門跡 ここから三原城内に入りました。平成27年度に後藤門の石垣が復元されました。後藤門は、この石垣の北東(現在の市道)に位置しました。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 刎(はね)

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    刎(はね) 和久原川西沿いの鋭角に突き出た石垣は、洪水時に川の流れを緩和し城内に水が流れ込まないようにしていました。当時の新しい技術です。城の外堀として使うため、元の和久原川を西に曲げて作られました。刎は神明大橋の南北に現在5ヶ所確認できます。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 天主台跡

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    天主台跡 天主台としては日本有数の規模で、形状は東西50m南北55m堀からの高さ13.5mの曲輪で本丸との並列構造になっています。北側の山々が天然の要害となり、南側は海で守りが堅く、隆景がこの地を城と定めた一つの要因と考えられます。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 天主台西面石垣

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    天主台西面石垣 西面の隅の石垣には角石が並び、特に下部が顕著で左右の面が内側にすぼんでいる角石を少しずつ振り分けながら組み入れています。この石垣は隆景時代の石垣です。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 新幹線高架下石垣

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    新幹線高架下石垣 鍛冶曲輪の南側のJR三原駅高架下に櫓跡の石垣が保存されています。新幹線三原駅建設工事の際に一度石垣を解体したあと、積み直した石垣です。天主台から南東に伸びています。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 船入櫓石垣

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    船入櫓石垣 石垣は入江に作られていて、他に比べ一段と高く積まれています。(約7m) もともと三原湾に浮かぶ小島にあたり、自然の地形を生かして南東に突き出た形で、石垣の隅は算木積みで福島時代に作られたものとされています。櫓の石垣の南東隅には岩礁の上に石垣が積まれており、小島を利用した築城の様子を知ることが出来ます。東側が船入です。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 竪町通り

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    竪町通り 東町から中之町(かつては山中村)へ通じる道です。道の両側にはお寺があり、山手には稲荷大明神があります。古くは三原城が出来るまでの本通りでした。 © 2017 三原市. All rights reserved.

  • 通り丁(西国街道)

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    通り丁(西国街道) 三原は城内を京都から下関をつなぐ西国街道が通っていました。東西の大手門の間を通り丁と呼んでいました。暮れ六つから明け六つまで東大手門、西大手門が閉まるため、通行することが出来ませんでした。 © 2017 三原市. All rights reserved.