All spots information
20 spots
道
城跡

後藤門跡 ここから三原城内に入りました。平成27年度に後藤門の石垣が復元されました。後藤門は、この石垣の北東(現在の市道)に位置しました。 © 2017 三原市. All rights reserved.

刎(はね) 和久原川西沿いの鋭角に突き出た石垣は、洪水時に川の流れを緩和し城内に水が流れ込まないようにしていました。当時の新しい技術です。城の外堀として使うため、元の和久原川を西に曲げて作られました。刎は神明大橋の南北に現在5ヶ所確認できます。 © 2017 三原市. All rights reserved.

天主台跡 天主台としては日本有数の規模で、形状は東西50m南北55m堀からの高さ13.5mの曲輪で本丸との並列構造になっています。北側の山々が天然の要害となり、南側は海で守りが堅く、隆景がこの地を城と定めた一つの要因と考えられます。 © 2017 三原市. All rights reserved.

天主台西面石垣 西面の隅の石垣には角石が並び、特に下部が顕著で左右の面が内側にすぼんでいる角石を少しずつ振り分けながら組み入れています。この石垣は隆景時代の石垣です。 © 2017 三原市. All rights reserved.

新幹線高架下石垣 鍛冶曲輪の南側のJR三原駅高架下に櫓跡の石垣が保存されています。新幹線三原駅建設工事の際に一度石垣を解体したあと、積み直した石垣です。天主台から南東に伸びています。 © 2017 三原市. All rights reserved.

船入櫓石垣 石垣は入江に作られていて、他に比べ一段と高く積まれています。(約7m) もともと三原湾に浮かぶ小島にあたり、自然の地形を生かして南東に突き出た形で、石垣の隅は算木積みで福島時代に作られたものとされています。櫓の石垣の南東隅には岩礁の上に石垣が積まれており、小島を利用した築城の様子を知ることが出来ます。東側が船入です。 © 2017 三原市. All rights reserved.
その他

古浜塩田① 元禄13(1700)年に作られた塩田は、南北300間、東西150間の堤防に囲まれた15浜の塩田でしたが、享保14(1729)年8月の大雨高潮のため、堤防の数箇所が破損しました。同年10月に堤防を修復して、汐留めに成功し、南北200間に短縮し、東西を50間広げ、200間として9浜の塩田としました。 © 2017 三原市. All rights reserved.

本陣跡 三原は城下のため旅人はこの地に泊まることを避けていましたが、不便なため本陣、客屋、平旅籠がつくられました。三原の本陣として造酒屋の山科屋がこれをつとめ、客屋は山科屋の分家と西町の沢屋がつとめました。本陣の殿様の寝所は、賊が床下に入り込まないように漆喰で固めていたそうです。 ※ 非公開 © 2017 三原市. All rights reserved.

