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富士緑道(身延線旧線跡)
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潤井川付近にある富士緑道案内図 (2008年撮影:WikiMediaより) 1969年までの身延線は富士駅を出て、今より東側を走っていました。複線化のため、路線が付け替え旧線となりましたが、1985年に富士市の手によって緑道化されました。旧線上には本市場駅(複線化時、柚木駅新設で代替)と堅堀駅(複線化時西に移転)がありました。
大東急 (旧京浜区間)
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渋谷に残る大東急時代の社章(2008年撮影:WikiMediaより) 現在の東京急行電鉄(東急)の前身、東横電気鉄道のトップの五島慶太は、周りの鉄道を強引に合併し、自身の手中に収めるその手腕の強烈さから、苗字をもじって「強盗慶太」との異名を取りました。 折しも1938(昭和13)年に戦時体制に対応するため作られた「陸上交通事業調整法」によって、中央本線、東北本線、常磐線を境とした4ブロック別に1つの会社に統合させる動きに呼応して、五島はすでに事実上傘下に入れていた京浜電気鉄道と小田急電鉄を1942(昭和17)年に合併、1944(昭和19)年には京王電気軌道も吸収し、総延長320kmに上る「大東急」が誕生しました。 この地図ではすでに旧京浜と旧小田急の区間が「東京急行電鉄」の路線になっています。 旧小田急を中心に独立の機運が高まった戦後の1948(昭和23)年、これらの路線は再分離され、現在の東京急行電鉄、京急電鉄、小田急電鉄、京王電鉄に至ります。(写真の場所は渋谷のJRガード下、国道246号線の歩道上のマンホール)
大東急 (旧小田急区間)
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渋谷に残る大東急時代の社章(2008年撮影:WikiMediaより) 現在の東京急行電鉄(東急)の前身、東横電気鉄道のトップの五島慶太は、周りの鉄道を強引に合併し、自身の手中に収めるその手腕の強烈さから、苗字をもじって「強盗慶太」との異名を取りました。 折しも1938(昭和13)年に戦時体制に対応するため作られた「陸上交通事業調整法」によって、中央本線、東北本線、常磐線を境とした4ブロック別に1つの会社に統合させる動きに呼応して、五島はすでに事実上傘下に入れていた京浜電気鉄道と小田急電鉄を1942(昭和17)年に合併、1944(昭和19)年には京王電気軌道も吸収し、総延長320kmに上る「大東急」が誕生しました。 この地図ではすでに旧京浜と旧小田急の区間が「東京急行電鉄」の路線になっています。 旧小田急を中心に独立の機運が高まった戦後の1948(昭和23)年、これらの路線は再分離され、現在の東京急行電鉄、京急電鉄、小田急電鉄、京王電鉄に至ります。(写真の場所は渋谷のJRガード下、国道246号線の歩道上のマンホール)
