すべてのスポット情報
30件のスポット
バスツアー
新梅田シティ 空中庭園展望台
バスツアー

空中庭園展望台(梅田スカイビル) 1993 年に完成した高さ約173m の高層ビル。その独特の形状により、大阪の人気観光名所の一つ。「Dorling Kindersley」が選ぶ「TOP 20BUILDINGS AROUND THE WORLD」の一つ。アテネのパルテノン神殿、バルセロナのサグラダ・ファミリアといった歴史的建造物と共に選出された世界的にも有名な建築物。空中庭園展望台には、「空中庭園大明神」を祀る社があり御利益は恋愛成就。ここからの夕景は「日本の夕陽百選」にも選ばれています。 「中自然の森」(なかしぜんのもり) 空中庭園(梅田スカイビル)の南側には、自然の中に飛び込んでしまったような風景が広がります。
大阪駅(大阪ステーションシティ)
バスツアー

2011 年に大阪駅再開発により生まれ変わりました。プラットホーム中央部を覆う東西長約180m、南北長約100m の大屋根は圧巻。三越伊勢丹、ルクアが完成、大丸の拡張で西日本最大、日本第2 位の規模を誇る商業施設となりました。映画館、8つの広場、屋上には農園があります。

明治24年(1891年)、大阪市で初めて誕生した公園です。堂島川と土佐掘川にはさまれた延長約1.5km、面積10.6haの緑あふれる都心のオアシス。国の重要文化財の大阪市中央公会堂、府立中之島図書館などの重厚な建築物もあります。

2012年12月、水都大阪に電気で走る観光船「あまのかわ」が誕生しました。1時間の充電で6時間の運行が可能、音が静かで、排気ガスが出さない環境にやさしい先進的な船です。今回は、水都大阪のシンボル空間「中之島」をゆったりお楽しみください。

八軒家の由来は江戸時代にさかぼのります。当時、京都と大坂を結ぶ淀川舟運の要衝として栄え、この辺りには八軒の船宿などが軒を並べていた事からそうと呼ばれました。勝海舟や坂本龍馬も利用していました。2008年、往時の八軒家浜の賑わいを水都大阪の再生の拠点とするため、八軒家浜船着場が開港しました。
大阪の祭 堀川戎神社「十日戎」
バスツアー

堀川戎神社は、約1400 年以上もの昔、欽明天皇の時代(539~571)に蛭子大神(えびすのおおかみ)を主神に祀られた由緒あるお宮です。浪速年中行事随一の「十日戎(とおかえびす)」は、関西一円の人々から「えべっさん」と親しまれ、江戸時代中期から「ミナミの今宮、キタの堀川」と並び称せられ、その盛大さは今もなお衰えることなく、毎年1 月9 日・10 日・11 日の「十日戎宝の市神事」には、商売繁昌を願う参詣者数十万人が参拝されます。

創建は949年、主祭神は学問の神様、菅原道真公。1000年以上続く「天神祭」は日本三大祭のひとつで、そのクライマッ クスをかざる船御渡は壮大な火と水の祭です。また、戦後途絶えていた十日戎が、2007年「天満天神えびす祭」として復活しました。

「住まいの歴史と文化」をテーマとした日本初の専門ミュージアムです。9階「なにわ町家の繁盛記」は、江戸時代のフロア。当時の大坂の町並みを実物大で再現。8階「モダン大阪パノラマ遊覧」は、明治、大正、昭和のフロアで近代の大阪の住まいと暮らしを模型で展示しています。
大阪名所

1916年の千日前を北から南に撮影 上の写真の右側が「楽天地」、左側が「芦邊倶楽部」。現在はそれぞれ家電量販店のビックカメラと、レジャービル「アムザ1000」になっている。名前の由来は、付近に千日念仏を唱えたと言われる法善寺(通称:千日寺)があることから。1912年の大火後、その焼け跡に映画館や劇場、ローラースケート場や展望台を併設した娯楽場「楽天地」が建った。以後映画館や劇場が進出し、道頓堀と肩を並べるミナミのメッカへと変貌を遂げた。 楽天地の展望台

明治時代撮影、戦災で焼け落ちる前の四天王寺 飛鳥時代に聖徳太子が建てた日本仏教の最古のお寺と伝えられる。何度も焼け落ちて、その都度再建を繰り返しており、飛鳥時代の建物で現存するものはないが、南北に南大門、中門、塔、金堂、講堂が一直線上に並び、それを回廊が囲む「四天王寺式伽藍配置」と呼ばれる建物の並びは今も変わらない。

御堂筋の名前は西本願寺派の「北御堂」と、東本願寺派の「南御堂」が沿道にある事から名付けられている。この地図の当時の御堂筋(淀屋橋筋とも呼ばれた)は、幅6mほどの狭い道に過ぎなかった。1920年市長となった關一によって、地下鉄の建設とセットで大幅な道路拡張がほどこされ、一躍大阪を代表する道路へと様変わりした。

写真は現在の大阪ビジネスパーク 太平洋戦争終戦まで、日本陸軍の中枢部の一つで、多くの大砲がここで生産されていた。1945年8月14日、終戦前日の日、ここを狙った米軍の空襲によって、隣接する京橋駅のホームに1トン爆弾が落ち、多くの人が命を落とした。跡地は戦後、再開発され、現在では、大阪の新しい副都心、商業地帯である「大阪ビジネスパーク」に生まれ変わっている。

写真は1930年の中之島 写真では、手前から大阪市中央公会堂、大阪府立中之島図書館、大阪市役所、日本銀行大阪支店が並んでいる。大阪市役所以外はいずれも今も残る建物である。ここ中之島は、江戸時代に全国からの物資が集まっていた蔵屋敷が多くあった場所。蔵屋敷は明治時代に払い下げられ、昭和時代の前期までの間に、国の重要文化財である大阪府立中之島図書館や大阪市中央公会堂、移転前の大阪大学などが次々と建設され、この地図の時期、「商都」と呼ばれた大阪において、経済・政治のみならず、情報と文化の発信地でもあった。
大日本紡績株式会社福島工場
大阪名所

大日本紡績株式会社は現在のユニチカ株式会社。1942年に工場は移転し、跡地に下福島公園が整備された。公園東側の一部に、大阪大空襲の火災延焼も食い止めたとされる工場時代の煉瓦が現存している。

写真は現在の天保山山頂 標高4.53mの日本で一番低い山。江戸後期の天保時代に、付近の土砂を積み上げて作られた。当初は標高20mほどあり、桜や松が植えられ、花見や舟遊びに興じる人々の姿の光景が、歌川広重の絵に描かれるほどの行楽地であった。幕末の砲台建設やその後の地盤沈下のために、現在の標高になった。

通天閣と新世界 1903年に開催された第5回内国勧業博覧会の会場跡地を利用して、パリのエッフェル塔と凱旋門を模した初代通天閣が1912年に建設。1920年には「ライオン歯磨」とのタイアップで、巨大ネオン広告が設置。通天閣は戦時中の金属供出で解体されたが、戦後、1956年に復活した。現在大阪を代表する観光名所の一つである。

戦後すぐ、1951年の戎橋 写真右側が現在名物グリコの看板がある場所。地図には、浪速座、角座、朝日座、中座、松竹座など歌舞伎や人形浄瑠璃の劇場が描かれている。現在は移転・復活した松竹座以外はすべて劇場は閉鎖。大阪ミナミの繁華街として、様々な飲食店が溢れている。

1889年当時の阪堺鉄道難波駅舎(現在の南海難波駅) 1932年完成当時の南海ターミナルビル(高島屋百貨店を併設) 写真は「建築雑誌1932年10月号:南海鉄道株式会社難波駅本屋新築工事概要」より (国立情報学研究所CiNiiデータベース所蔵)

