前祭 祇園祭宵山ガイド2026

祇園祭宵山会議において、宵山期間(7/14~7/16)の観覧誘導のため、デジタルマップを公開しています。マップ上では、各山鉾の解説が表示されるほか、GPSを使った現在地情報の表示、マップの切替などができ、スムーズな観覧の手助けとなります。
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山鉾 巡行順

毎年、「くじ取らず」として、必ず巡行の先頭を行く。現在、生稚児が乗る唯一の鉾であり「しめ縄切り」で巡行が始まる。鉾頭にかざした伝・三条宗近作の長刀(現在は複製)は疾病邪悪を払いながら進む。長刀は刃が八坂神社と御所の方には向かないように取付けている。

貧困のあまり、母と子を養うことができず、思い余って我が子を山へ埋め捨てようとしたところ、黄金の釜を掘り当て、母親孝行をしたという中国の史話『二十四孝』の一人である郭巨の故事を題材にした山。水引代わりの乳隠しという飾り板と日覆い障子の屋根が特徴。

神功皇后が外征に際し、肥前国松浦郡玉島川で鮎を釣って戦勝の兆としたという「日本書紀」の話を題材にした山。神功皇后は安産の神として祀られ、占出山の巡行のくじ順が早いとその年はお産が軽いといわれる。日本三景を描いた前懸・胴懸などが特徴。

御神体の山伏は、八坂の塔が傾いたとき、法力によってなおしたという浄蔵貴所の大峯入りの姿をあらわす。繭を紡ぎ、布を織り上げるまでの工程を描いた水引は珍品。また、前懸、胴懸の中央に飾り房がついているのも特徴。

鉾の名前は中国戦国時代斉の孟嘗君が秦の国を逃れ函谷関に着いたが、この関は早朝の鶏の鳴き声で開く規定なので家来に鳴き声をまねさせたところ、本物の鶏が和して鳴いたため、門が開き見事通り抜けたという故事による。前懸は、重要文化財。

古くから町内の風早家に祀られていた天神を勧請してつくられた山。油小路通にあるところから「油天神山」と呼ばれる。天神さんと深い関係のある紅梅の枝を立て、鈴をつける。立派な朱塗りの鳥居が特徴。見送は梅原龍三郎原画の「朝陽図」綴織。

鉾の古い形態である傘鉾の1つ。大きな傘と棒振り囃子の行列で構成される。棒振り囃子とは、赤熊をかぶった棒振りが、鉦、太鼓、笛に合わせて踊るもの。6人の公家風装束をまとった稚児も巡行。人間国宝・森口華弘氏寄贈の友禅染の垂りがある。

聖徳太子を祀る山で、四天王寺を建立する際、自ら良材を求めて山に入り、念持仏に大杉の霊木を教えられ六角堂を建てたという伝説を題材にした山。他の山はいずれも松を立てているが、この山のみ杉を立てる。前懸は中国秦代の宮殿を題材とした「阿房宮図」の刺繍。

新月型の鉾頭をつけ、真木の「天王台」には月読尊を祀る。軒裏の草花図は円山応挙筆、天井の「源氏五十四帖扇面散図」は岩城九右衛門筆、前懸のメダリオン絨毯は17世紀インド製、蟇股の彫刻は左甚五郎作とされる。破風・軒桁・四本柱の錺金具なども華麗。

「かまきり山」とも呼ばれる。かまきりの羽や鎌が動くなど祇園祭では唯一のからくり山。中国の故事「蟷螂の斧を以て隆車の隧を禦がんと欲す」を題材にした山。前懸、胴懸、見送の色彩豊かな友禅染は、友禅作家羽田登喜男の作品である。

中国の史話『二十四孝』に登場する孟宗が、病気の母の好物である筍を、雪の中探し回り、ついに掘り当てて母を喜ばせたことを題材とした山。見送の白綴地に墨一色で描かれた竹内栖鳳筆「孟宗竹藪林図」は、極彩色豊かな山鉾の中では異色。

明治初年まで「花盗人山」と呼ばれ、平井保昌が、和泉式部のために紫宸殿前の紅梅を手折ってくる姿をあらわしている。山の故事に因み宵山には縁結びのお守りが授与される。前懸と胴懸は、円山応挙下絵の逸品として有名。

『史記』に記された、古代中国の聖人堯の治世で、天下がよく治まって太平が続き、訴訟用の太鼓に用がなくなり鶏が巣を作ったという故事を題材にした鉾。松村景文ら四条派による水引と、トロイの王子と妻子の別れを描いた16世紀ベルギー製の見送(重要文化財)は必見。

世阿弥作の謡曲「木賊」を題材にした山。わが子を人にさらわれた翁が、信濃国の園原で木賊を刈る様をあらわす。等身大の老翁像(御神体)は足台に元禄5年(1692)の墨書があり、右手に鎌、左手に木賊を持ち、欄縁にも御神体を囲むように木賊が配される。

昭和60年(1985)、117年ぶりに再興され巡行に復帰。傘の上に御幣と若松を飾るのが特徴で、応仁の乱以来の傘鉾の原形を伝える。昭和63年(1988)、滋賀県甲賀市の瀧樹神社に室町時代から伝わる「ケンケト踊り」を参考に踊りと囃子が再現され、完全復興した。

永正年間(1504-1521)、京都に大火があり、季節外れの霰が降り、猛火がおさまった。その時、霰とともに小さな天神像が降ってきて祀ったのが山の起こり。欄縁上に朱塗り極彩色の透塀をめぐらし、春日造の社殿を安置。前懸は16世紀ベルギー製の毛綴で叙事詩『イーリアス』の一場面が描かれる。

町内にあった「菊水井」にちなんで名付けられ、鉾頭には金色に輝く菊透しの花をつける。稚児人形は謡曲を題材にし、魏の文帝の勅使が薬水を求めて山に入った時に出会った、菊の露を飲んで700年生き続けた少年慈童をあらわしている。唐破風造りの屋根が特徴。

中国・周の時代、琴の名人伯牙が自分の琴を理解してくれた鍾子期の死を聞いて、その琴の絃を断ったという故事を題材にした山。「琴破山」ともいわれる。前懸は中国明代の作で、水引や胴懸、見送などは、日本製であるが図柄は中国風に統一。

貧しさのために夫婦は離別した後、妻は都で宮仕えをし、別れた夫を探したところ、落ちぶれて芦を売る夫と再会できたという謡曲「芦刈」を題材とした山。天文6年康運作の墨書銘がある御神体や御神体衣装(重要文化財)は山鉾最古級である

真木の「天王台」に放下僧の像を祀る鉾。鉾頭は日・月・星の三つの光が下界を照らす形をしており、それが洲浜に似ているので「すはま鉾」とも呼ばれる。稚児舞ができる操り稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より「三光丸」と命名された。下水引は、与謝蕪村下絵の「琴棋書画図」。









