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自然史博物館の見どころ

始まりは1635年、国王の収蔵庫に集められた 「自然界のめずらしいものコレクション」。その後コレクションは膨れ上がり、一時は300万点を超える標本が展示されたという。今日の博物館は1994年ポール・シュメトフにより改修、再オープンされたもの。7000点ほどの高精度な剥製や標本は生き生きとしており、4階にわたって生き物の進化の過程を教えてくれる。海洋生物、陸上動物、人類の誕生とその影響、自然保護へと続き、多角的に自然史を学び、考えさせられる構成となっている。2階のアフリカゾウを先頭に進むサバンナの動物たちの一群は圧巻だ。また、「絶滅危惧種と絶滅種の展示室」にある剥製の技術と知恵を駆使して作られた2体のドードーの標本は見応え抜群だ。
鉱物と地質学のギャラリー
自然史博物館の見どころ

国王の薬庫には薬効があるとされた鉱物が収蔵されており、18世紀以降、それらは収集・研究の対象となると同時に、展示もされるようになった。貴重な岩石や鉱物、結晶、宝石、隕石が多数ならぶ。なかでも20数点におよぶ巨大な結晶が集められた空間は一際目を引く存在だ。これほどの大きさに至るまでに費やされた、何百万年、あるいは何千年という時の流れに思いを馳せずにはいられない。あいにく昨夏、自然史博物館はサイバー攻撃にあい、秋にはこの建物から金塊が5つ盗まれた。犯人はお縄となったが歴史と科学的価値のある金塊の一部が溶かされてしまった!
古生物と比較解剖ギャラリー
自然史博物館の見どころ

1898年開館。恐竜、哺乳類、無脊椎動物の化石、地球上の植物標本などが自然界の歴史の変遷をたどれるように展示されている。全長80メートルの大ホールにならぶ約4300種もの骨格標本が来館者を迎える。大窓から差し込む自然光に照らされた数々の大型骨格標本たちの光景は実に壮観だ。なかでも、1768年に絶滅したステラーカイギュウや1961年に絶滅したフクロオオカミ、シーラカンス、ルイ14世の象、ルイ15世のサイなどは見逃せない。続く古生物学フロアには316体の完全な骨格をふくむ、実に2000点以上の化石が展示されている。さらにバルコニーにも5000点以上の化石が並ぶ。(現在は閉館中)。
フランス最古のレバノン杉
自然史博物館の見どころ

1734年にベルナール・ド・ジュシューが植えたフランス最古のレバノン杉。温暖化で希少になったため国際自然保護連合(IUCN)は絶滅の「危急」レベルに指定。 右)Pistachier 植物学者ジョゼフ・ピトン・ド・トゥルヌフォールが1702年にギリシャから持ち帰った種から生えたピスタチオの木。この木を観察しながらセバスチャン・ヴァイヤン(1669-1722)は木にもオスメスがあることを実証。
ビュフォンのグロリエット
自然史博物館の見どころ

「ラビラント(迷路)」と呼ばれる小高い丘の頂にある鉄製の優雅な東屋が「グロリエット」。ビュフォンはブルゴーニュの自宅に製鉄所を設けていたので、そこで製鉄し、建築家エドム・ヴェルニケのデザインで鍵師クロード=ヴァンサン・ミルが製作。パリにある鉄製モニュメントでは最古!金・銀・銅・鉄・すず・鉛・水銀と7つの金属を使い、太陽・月と5の星を象徴している。天球儀と風向計があり、作られた頃は昼の鐘が鳴ったという。

1663年にルイ15世がヴェルサイユ宮殿に設けた動物園は革命期になると民衆から敵視され、パリの植物園に移動させることを考えた。その時のパリ植物園の園長は小説 『ポールとヴィルジニー』で知られるベルナルダン・ド・サン=ピエール (1737-1814)。植物学者でもあり、1792年に植物園の園長に就いた (政変により1年のみ)。ほかにもオルレアン公の動物園と、路上での動物の見せ物が禁止されたばかりのパリの動物たちを迎えてパリの植物園内に動物園が創られた。現存する動物園のなかでは世界2番目に古い。19世紀には熊の館、ロトンド館、キジ館、爬虫類館、鳥館、20世紀に入アール・デコ様式の爬虫類・両生類館(ヴィヴァリウム)猿館、獣館 などが建造された。それらの建築物すべてが歴史的建造物に指定されている。
昆虫学図書館や関連の授業の講堂がある建物
自然史博物館の見どころ
43 rue Buffonには昆虫学図書館や関連の授業の講堂がある建物。 入口のカウンターに虫を持っていくとジルさんが判別をしてくれるそうだ。このところ持ち込まれるのが多いのは床ジラミだとか。
Maison Cuvier 博物学者ジョルジュ・キュヴィエ(1769-1832)の家
自然史博物館の見どころ

ドーバントンの跡を継ぎ比較解剖学と、古生物学の基礎を築いたキュヴィエは、1795年自然史博物館の比較解剖学の助教授に、1808年には自然史博物館ディレクターとなった。

「マニー館」はディレクターのオフィスや教授の会合に使われた。2017年までは植物園の歴史展示館だったが、今はオフィス。この地下の採石所跡には洞穴学者アルマン・ヴィレ(1869-1951)が、光がなくても生きられる生物の研究室を設け、洞穴生物学(biospéléologie / biospéologie)の先駆者となった。研究室はセーヌ川の大氾濫で水没、1914年以降は使われなくなった。

半世紀にわたって王立薬草園の園長を務めた博物学者ビュフォン(1707-1788)は、この建物に住み、生涯を閉じました。おなじく園長をつとめたラマルクも1795年からこの建物に住みここで亡くなっている。

15世紀の大航海時代以降、欧州には世界から「珍しいもの」が多くもたらされるようになり、18世紀にはそれらを陳列する「キャビネ・ド・キュリオジテ(珍奇陳列室)」が大流行。ビュフォンが植物園園長だった時代、動・植物、美術・工芸品を集めたキャビネットがパリだけで500ほどあったという。 ジョゼフ・ボニエ・ド・ラ・モソン男爵はパリのアパルトマンを改造しキャビネ・ド・キュリオジテ(博物陳列室、驚きの部屋と訳されることも)を作った。建物の1フロア全体を使った大きなもので剥製、ホルマリン漬け動物、物理学や解剖の道具、天文時計、鉱物にいたるまでを並べ欧州じゅうから見学者を迎えた。男爵が早死にし、残された妻は1745年、家具と蒐集品を競売に出す。その一部 «乾燥した動物»陳列棚をまるごと買ったのがビュフォンだった。男爵のアパルトマンはオスマンのパリ大改造工事で壊され他の部分は所在不明。中央図書室の1階(RdC)、一般が利用できる閲覧室で見ることができる。
ジョルジュ=ルイ・ルクレール・ビュフォン(1707-1788)
自然史博物館の見どころ

ブルゴーニュ地方モンバール出身。数学者で植物学者。ビュフォンが1749年から刊行を始めた『博物誌』全36巻は、科学本の領域をこえた美しい文体と版画に手で彩色を施した千枚以上もの図版の美しさで人々の「知りたい欲」を刺激しベストセラーに。ビュフォンは王立薬草園を倍に拡大させただけでなく、集められたものを観察、分類し、博物学の基盤を作り王立薬草園を「ヨーロッパをリードする自然科学の殿堂」へと発展させたことが評価されている。1788年、王立植物園の一角にある家で永眠。
ビュフォンのグロリエット Gloriette de Buffon
自然史博物館の見どころ

「ラビラント(迷路)」と呼ばれる小高い丘の頂にある鉄製の優雅な東屋が「グロリエット」。ビュフォンはブルゴーニュの自宅に製鉄所を設けていたので、そこで製鉄し、建築家エドム・ヴェルニケのデザインで鍵師クロード=ヴァンサン・ミルが製作。パリにある鉄製モニュメントでは最古!金・銀・銅・鉄・すず・鉛・水銀と7つの金属を使い、太陽・月と5の星を象徴している。天球儀と風向計があり、作られた頃は昼の鐘が鳴ったという。





