Number of spots : 14spots

  • 古瀬國之助氏造林頌徳碑

    show stroly map Show Stroly map

  • 大桑中学校歌碑

    show stroly map Show Stroly map

    大桑中学校の校歌は昭和31年6月10日に制定された。 作詞作曲は岡本敏明であり、昭和時代に活躍した日本の音楽家であり近隣を含め様々な学校の校歌を作られた。 この石碑は昭和52年10月29日に校門と一緒に設置されたそうである。 岡本先生は「どうぞ皆様が朝に美しい山を迎ぎ夕べに静かな川辺を散歩するとき、口笛ででもこの校歌を愛唱して下さい。」と書かれている。 参考文献 大桑中学校沿革誌委員会『大桑中学校沿革誌創立20周年記念』(1968)

  • 馬頭観音

    show stroly map Show Stroly map

  • 大桑小学校碑

    show stroly map Show Stroly map

  • 山の神祠

    show stroly map Show Stroly map

  • 屋敷神祠

    show stroly map Show Stroly map

  • 三智の碑

    show stroly map Show Stroly map

    人の世に三智がある。 學んで得る智、  人と交って得る智、 みずからの體験(たいけん)によつて得る智がそれである。 昭和46年度大桑中学校卒業生が卒業記念品として学校に送ったものである。言葉は郷土の文豪であった島崎藤村の言葉が一番いいということで刻まれた。石は当時の先生方が見つけた御岳安山岩である。PTAの有志で川から引き揚げたそうだ。彫ったのは弓矢の石屋である南山浦太郎だそうだ。 島崎藤村は現在の岐阜県中津川市妻籠で生まれた詩人、小説家である。本名は島崎春樹。 参考文献 大桑中学校生徒会誌『清流』第19号(1971)

  • 水害記念碑

    show stroly map Show Stroly map

    大正12年7月18日、前日より降り続いた雨によりサヨリ沢と上田沢が氾濫し、土砂崩落による濁流により長野地区では殆どの家屋が被害を受け田畑も水に浸かり9名の人命が奪われた。この惨事を後世に残し災害に対する警戒を怠らないようにするため、災害から一年後の7月18日に長野区青年会によってこの碑が建てられた。碑には災害の概要に加え、住民の努力と近隣の支援により短期間で同地区の復興が成し遂げられたことが記述されている。大桑村全体の被害としては、特に伊奈川田光発電所付近での被害が甚大だった。伊奈川支流の水澤川が氾濫し42名が死者・行方不明者となった。これら被災者の霊を供養するため、伊奈川田光発電所横にも水害供養塔として地蔵尊が建てられている。

  • 子安観音

    show stroly map Show Stroly map

  • 善光寺

    show stroly map Show Stroly map

  • 八幡神社

    show stroly map Show Stroly map

  • 天長院

    show stroly map Show Stroly map

  • 大桑村マンホール

    show stroly map Show Stroly map

  • 武者小路実篤の碑

    show stroly map Show Stroly map

    大桑小学校昭和42年度卒業生が、卒業記念として贈った記念碑。当初は旧大桑小学校入り口庭園に設置されていたが、小学校統合移転、村役場移転により、現在の役場裏に移設された。 当時の学校長矢崎信氏が武者小路実篤の主宰する「新しき村」の会員であった縁もあり、学校長を通して碑文を依頼。さぬき岩を台石として石英斑岩に「天に星、地に花、人に愛八十三歳実篤」という文が浮き彫りにされた銅板がはめ込まれている。裏面には「卒業記念としてこの碑を贈る昭和42年度卒業生」とある。 碑の言葉は『武者小路実篤全集』第十一巻(「詩千八百」、小学館、1989年)にあるもの。 なお寄贈したのは昭和42年度の卒業生であるが、在学中には完成せず、卒業式では目録のみを贈呈。序幕式は昭和44年1月19日に行われた。 参考文献 大桑小学校百年記念事業実行委員会『大桑小学校百年誌』昭和47年11月1日 昭和42年度卒業生『記念文集 築山と詩碑』昭和48年9月 中日新聞昭和44年1月21日「武者小路氏の文章を刻んで 大桑小に卒業生が記念碑」